第12話 困った子
アヴィアは追い打ちをかけるようにきく。
「なんでそんなことを言うわけ?」
「だって、公女様はアルコンナなんかお嫁に行きたくないんだよ。宰相のボンヴォディン子爵が勝手に決めたことなんだよ。かわいそうなんだよ。人質みたいなもんじゃないか」
「あんたね」
アヴィアの声はははっきり不愉快そうになっていた。
「そういうのはバレン
意外だ。
アヴィアは、いまカスティリナが考えたようなバレン護民長官の一派、つまりセディーレ派ではなかったらしい。
いや、もしかすると家はセディーレ派なのかもしれない。そしてそれがこの娘にはいやなのかも知れない。「貴族だから家庭内が複雑」というのはよくある話だ。
ともかく、このアヴィアがバレン護民長官を嫌っているのはわかった。
男の子は続ける。
「だって、アルコンナって怖い国だぞ! 姉ちゃんたち知らないんだろう。隣のエジルなんか、もともとちゃんとした国だったのに、いまじゃアルコンナに取られちゃって、たいへんなことになってるんだぞ。ソフェもポジアもそうなんだぞ。そんな国の公子様なんて、悪くて残酷な男に決まってるんだ」
アヴィアが反論する。
「そんなこと言うけどさ、あんたさ、アルコンナのサンデリヴァルっていう公子に会ったことある?」
ただ、貴族にしては言いかたに少し品がない。
ところでサンデリヴァルは昼に見たセリス公女が嫁ぐ相手のアルコンナの公子だ。
ミュセスキアには一度も来たことがないから、ミュセスキアに住んでいてアルコンナに行ったことのない人ならば、会ったことなどあるはずがない。
「ないよ。姉ちゃんはあるのかよ?」
男の子も意地になったのか語気を強めている。
アヴィアはばかにしたように男の子を見下す。
「少なくとも、あんたよりはよく知ってるよね、アルコンナのことも、ミュセスキアのことも。だいたいエジルがアルコンナ領になったっていうけど、それで何の不都合なことがあったっていうの?」
「エジル公様はアンマギールに連れて行かれたんだ。それで狭くて暗いところに閉じこめられて」
「まあ、この町の広さより広い農園と葡萄園がついてて、この部屋よりずっと日当たりのいい部屋が二十も三十もあるような御殿を、狭くて暗いっていうなら、そうかもね」
アヴィアは声が細い。その声で見下したように言うとかえって皮肉さが増す。
男の子は言い返せなくなったらしい。上目づかいでアヴィアをにらんでいる。アヴィアも男の子を見つめていたが、ぷいっと横を向いてしまった。
その顔と目の動かしかたの優雅なこと……。
「アルコンナの手先っ!」
男の子はアヴィアに向かって大声で罵った。アヴィアは澄まして目を逸らせている。
「おまえみたいなのがいるから、この国がだめになるんだ!」
「こらっ!」
怒鳴り声は階段の下から響いてきた。
布靴で
この宿屋の女主人だ。まんまるの赤ら顔で、体つきもまんまるな、灰色の毛の縮れた女の人だ。
「お客様になんてこと言ってるんだい。まったくもう。お客様に謝りな!」
そこまで
この宿屋は三階にはこの部屋しかない造りだから、階段を上がるとすぐにこの部屋の戸口だ。
「だって、こいつら、アルコンナの味方なんかしやがる……」
男の子が言い返す。女主人は大きく手を振り上げて男の子の背中をばたっとはたいた。
「痛っ!」
「困った子だね! もういいから下に行ってな!」
男の子は、アヴィアに向かって「ふんっ」と唇を反り返らせると、不服そうに階段を下りていった。
アヴィアは、素直そうな、優美な、神殿の女神さまの聖像のような慈悲深ささえ感じさせる顔で男の子を見送ったあと、同じような目で女主人を見ている。
女主人は人なつこそうな顔で言った。
「すみませんね、お客様。ここはエジルに近いものだから、街の大人にアルコンナを悪く言うひとが多くてね。いえ、エジル領のことなんか、みんなどうでもいいんですよ。エジル領からいらしたお客様なんか、アルコンナに合併されて、パネ様への
「じゃ、
カスティリナがあっさりと言う。
アヴィアが女主人と言い争いすることはあるまいけど、ともかくおしゃべりな女主人には早く出て行ってほしい。
「小さくてもいいから傷の少ないのを、五つくらい」
「おお、すぐに買いにやらせますから」
銀貨を受け取ると、腰の曲がった宿屋の女主人はさらに深く腰を曲げてお辞儀し、
「チェル! チェル! すぐにお使いに行ってくれないかね!」
と声をかけながら階段を下って行った。
このぶんだと、お使いに行かせるほうが先で、きつく叱るほうは忘れられてしまうのだろう。
カスティリナはアヴィアの向かいの椅子に腰掛け、気まずそうな顔でアヴィアを一目見てから、黙ってスープ鍋の蓋を開いた。
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