第8話 地下の通路

 ユンジェン様はこのあたり一帯でまつられている武神ぶしん様だ。

 名をユンジェン・アイセックといい、セディーレよりももっと南の山国出身の昔の人だという。

 生きているときはすぐれた武将だったので、武神として祀られているのだが、本来は武将ではなかったともいう。

 宮殿前の大通りにある御廟ごびょうのユンジェン様は、戦士とは思えないほどふくよかに太っていて、しかも手には天秤てんびんを持っている。そこの堂守りの初老の男の人は、ユンジェン様は本来は商売人だったんだと力説していた。

 それもほんとうなのかどうか知らないが。

 ともかく武人として死んだのはほんとうのようだ。

 反乱が起こって街がだまし討ちにあったときに、小さなとりでに立てこもり、卑怯な反乱者に抵抗し続けた。ユンジェン・アイセック本人はけっきょく敗れて殺されてしまうのだが、その無念の気もちから、心から本気で必勝を願う人の願いを叶える神様になったのだという。

 武人はこの神様に戦いでの必勝を願うし、商売人は商売での必勝を願う。

 この小さな御廟のユンジェン様がどんな顔をしているかは、御廟の扉もやはり重い錠で閉ざしてあったから、わからない。

 入り口の石段の下から上を見て、拝むだけだ。

 カスティリナはかたちだけ頭を下げただけだったが、アヴィアは、信心深いのか、それともただのんびりしているだけか、そのユンジェン廟に向かって、ずっと手を組んで頭を下げ続けていた。

 カスティリナは気が急く。

 出口があるとしても、あのセクリートという少年が引き返してきて、塀の上からこちらをのぞけば、見つかってしまう危険がある。

 それに、その出口はどこにあるのだろう?

 まわりの塀を見ても、抜け穴などありそうには見えないけれど。

 「さ、行こうか」

 だから、アヴィアが肩の荷が下りたように満面の笑顔で振り向いたとき、カスティリナは相当に険しい顔でアヴィアを見返していただろうと思う。

 「そんな怖い顔しないの!」

 アヴィアはいかにも女主人という言いかたで言うと、いま拝んでいた御廟の石段の裏に回りこんだ。

 そんなところに行っても、この御廟の基礎の大きい石組みがあるだけなのに。

 アヴィアが手招きする。

 外から見えるところにいるよりは、そこに隠れたほうがまだましだろう。そんな気もちで、カスティリナもついて行く。

 アヴィアはだまって地面を指さした。

 石段の後ろ、御廟の基礎とのあいだに狭い隙間すきまが空いている。

 その隙間が、石の陥没などではなく、わざと空けられているのは、穴が崩れないように周囲がきちんと石組みされていることからわかった。

 だが。

 「ここ?」

 カスティリナが声をひそめてきく。

 「うん。壁の途中に足をかけるところがあるから、そこに必ず足をかけて、そこから横へ入るんだ。そこから先もちょっと入り組んでるけど、ついて来て」

 ついて来て、というが、この娘の分厚い胸板がこの隙間を通るのだろうか。

 そう思って見ていると、アヴィアはあんがい器用にその隙間に入ってしまった。顔が闇に消える前に、カスティリナに照れ笑いのような笑いを見せる。

 カスティリナも言われたとおり続いた。

 壁から「横」に入る。

 雨水を流すための狭い水路のようだ。その水路の上を歩いて行く。

 狭い水路は分岐していて、入ってすぐは何度も行き止まりのようなところに行きあたった。

 そのたびにアヴィアが手を出してカスティリナを引っぱってくれた。行き止まりに見えるけれど、狭い通路があるのだ。

 その水路の部分を行き過ぎると、いきなり、まっすぐで、人が二人ぐらいならば十分に並んで歩ける広さの地下道に出た。

 高さは、カスティリナならば首をすくめれば通れるくらいだ。背の高いアヴィアは背も少しかがめなければならないけれど、それでもそれほど窮屈ではない。

 緻密ちみつに石が組んである。

 上の御廟と同じ石組みのやりかただ。

 この石組みならば歩いているうちに崩れてくることもないだろうし、崩れていて道が行き止まりということもないだろう。

 カスティリナはだまってアヴィアについて行くことにした。

 地下道はじめじめしていたし、暗かった。でも、ところどころから光が射していて、目が慣れれば歩けないほどでもなかった。

 光が射しているのも、崩れているからではなく、最初から光が入るように天井の隅に穴が開けてあるらしい。

 地下道を歩いているあいだ、アヴィアは何もしゃべらなかったし、カスティリナも話しかけなかった。

 足音は抑えて歩いているけれど、狭い地下道では声も足音もよく響く。

 もしあのセクリート少年が戻って来て、この廟を怪しいと思ったとしても、御廟の石段の下に地下に下りる石段があるのには気づくまい。でも廟の地下から声が聞こえたらわかってしまう。

 地下道はずっと続いていた。

 アヴィアは、まっすぐは行かず、途中で分かれ道を曲がった。

 分かれ道には衝立ついたてのような平たい石が立っていた。向こうからは明かりが射している。

 アヴィアがまず外の様子をうかがって、その横をすり抜ける。やっぱりこの子の胸板が抜けるかと思ったけれど、ちゃんと通り抜けられた。

 抜けてから振り返ると、ここが行き止まりに見える。

 衝立のような石の向こうに地下道があるなんてまず考えもしない。

 衝立石の外側には小さい聖像が置いてあって、花が供えてあった。

 かわいらしくて清楚な聖像は聖ローナらしい。

 ネリア川の女神様といわれ、水や水運の守り神だ。

 もともとネリア川の川辺に住む少女だったという。

 住んでいたあたりが急流で、船がよく難破した。

 小さいころ、ローナはその話をきいていつも心を痛めていた。ローナが大きくなると自分もその救助に加わるようになった。

 しかし、あるとき、ローナは救助に出かけたまま帰らなかった。家族が心配していると、お告げがあり、ローナは川の守り神になったと知らされたという。

 それ以来、聖ローナは、川辺はもちろん、街角や水場の小さなほこらにも祀られている。

 ユンジェン様がもったいぶった祀られかたをするのに対して、もっと人の暮らしに近いところに祀られているのだ。

 それがこの少女の神様にはよく似合っているとカスティリナは思う。

 公女を呼び捨てにしたアヴィアは、聖ローナ像の前で手を組み軽く膝を折ってお辞儀をし、また歩き出す。

 カスティリナはその聖像を横目で見て通り過ぎる。

 この娘は、やっぱりただの礼儀知らずではなさそうだ。

 でも、だったらどうして公女は呼び捨てにしたのだろう?

 「危ない!」

 アヴィアが小声で言ってカスティリナの肩を抱き寄せた。

 勢いよく水が降ってくる。

 とっさにアヴィアに体を預けていなければ、カスティリナはその水を頭から浴びているところだった。

 たぶん、きれいな水ではない。だれかが排水口に捨てた水だ。

 見ると、さっきの地下道の本道とは違って、道の床には藻が生え、あまりきれいではなさそうな水が何本もの筋を作って流れている。

 御廟から続くさっきの本道には、御廟の清らかさとおごそかさがそのままこもっているように思えた。

 横に入っただけなのに、ここはまったく違う。

 聖ローナの像の近くは別として、そこから下はただの下水道になっているらしい。

 アヴィアもこの道を歩くのはいやらしく、さっきとは違った雑な早足で、水の流れていないところをって歩いていった。

 いやなのはカスティリナも同じなので、足早にアヴィアに寄り添ってついて行く。

 水路の出口に出て、ふいに景色が開けた。

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