第7話 御廟

 たぶんこの道はアヴィアには勝手知った道なのだろう。

 けれども、こういう路地は前に通ったときと同じとは限らない。普請ふしんのためにふさがれていたり、家から出たがらくたが積んであって通れなくなっていたりということはよくある。

 そうなったときに逃げ場がない。追いつめられてしまう。

 「アヴィア! 待って!」

 少年は一度路地の入り口を行きすぎたようだった。

 だが、通行人にきいたのか、ばたばたと戻って来て二人の駆けこんだ路地の入口まで戻ってくる。

 「アヴィア! ぼくだよ! 谷の村のセクリートだ! 待って!」

 「知ってるひと?」

 カスティリナが走りながらアヴィアにきく。アヴィアは小さく首を振った。

 下唇をきゅっとんでいる。

 この娘は危ない場面に初めて出会ったのではないらしい。

 焦ったり慌てたりはしていない。

 ただ、どうするかを護衛に相談せずに決めてしまうのは困ったことだ。

 「こっち!」

 「だからっ!」

 止めたがもう遅い。アヴィアはさらに細い道に入りこんでいた。

 短い路地だ。

 左側と正面は白漆喰しっくいの家で、右側は煉瓦に漆喰をかぶせた白壁だ。横にれる道があるようにも見えない。

 隠れる場所などどこにもない。

 塀の向こうからはしいの枝が道の上に張り出していたが、その枝に跳びつくのは無理な高さだ。

 「待ちなさいって!」

 カスティリナはアヴィアの肩に手をかけて無理に引いた。

 「声立てちゃだめだって!」

 アヴィアが注意する。

 カスティリナはむっとした。声をひそめて強く言う。

 「行き止まりでしょ?」

 「ちょっと肩貸して!」

 アヴィアはちぐはぐなことを言って足を止める。同じように足を止めたカスティリナの肩を、こんどはアヴィアがぎゅっとつかむ。

 思わず身を屈めたカスティリナの肩の後ろに硬いものが食いこんだ。

 アヴィアの靴のかかとだ。

 見たときから重そうな長靴だと思っていたが、思った以上だ。痛いと思ったが叫び声は立てない。

 すぐに軽くなった。見上げると、白い塀の上にアヴィアがしゃがんで、カスティリナに早く上がって来いと手招きしている。

 しかたがない。カスティリナも飛びついて塀の上に手をかけ、塀の上に上った。

 アヴィアと違って、これぐらい他人の背を借りなくてもできる。

 アヴィアはもう塀の反対側に下りている。カスティリナもすぐ横に跳び下りた。

 跳び下りたすぐ横に椎の木がある。その木の根もとに二人は身を寄せた。

 とりあえずの隠れ場所にはなる。二人が越えてきたあたりの塀からのぞいても見つからない。

 「アヴィア!」

 セクリート少年の声だ。高い足音もする。

 だが、ここの路地に入ってきてはいないようだ。

 「アヴィア! アヴィア! いるんだろう? 返事して!」

 「だれ? あんただれ探してんだい?」

 女の声が聞こえる。路地の外のどこかの家からだろう。

 セクリートが何か言っているが、よく聞こえない。たぶんアヴィアの人相を説明しているのだろう。

 「さあ、そんな子はこっちには来てないね」

 さっきの女が答える。つづいてセクリートが

「ありがとうございました」

とはっきりと言う声が聞こえ、またばたばたいう足音が聞こえた。

 遠ざかって行く。

 その女の人が最初から二人の娘に気づかなかったのか、気づいていてしらばっくれてくれたのかはわからない。

 カスティリナはやっと息をついて目を上げた。

 斜面にはこけがいっぱいにむしている。

 その斜面の下に白い石で造った御廟ごびょうらしい建物があった。

 小さいわりには端正な御廟だ。

 石の壁にもところどころ苔が生え、屋根からは羊歯しだの葉が垂れ下がっている。

 けれども建物の石組みはきっちりしていて、ずれたり崩れたりしているところはなかった。

 その御廟のまわりには白い大きめのたま砂利じゃりが敷いてある。

 御廟そのものは小さかったし、脇殿わきどのもない。境内も狭い。簡素でそっけない小さな御廟だった。

 周囲は煉瓦の建物と高い塀で囲まれている。

 入り口はアヴィアとカスティリナが越えてきた塀とは反対側で、小さいにしては、背の高い、いかめしい門が建っていた。

 そちらが正面で、二人が裏の塀を乗り越えてきたのだ。

 「何なの?」

 カスティリナが声をひそめてアヴィアにきく。

 「ここはインクリーク開基かいきのユンジェン廟。表門は外からしっかり錠を下ろしてあるからだれも入ってこないよ」

 ということは、こちらも表門からは出られないということではないか!

 カスティリナは、この廟の神様の話とか、出口の話とかは後回しにして、実際以上に不機嫌に言ってやる。

 「そうじゃなくて、あのセクリートって男のこと!」

 「知らない」

 アヴィアは短く答えた。

 声が少し震えている。心細そうだ。

 何か事情がある。

 アヴィアから話を聞き出すほうが先だ。

 不機嫌はやめてきいてみる。

 「心当たりは?」

 今度はしばらくためらうか考えるかしてからアヴィアは黙って首を振った。

 また少ししてから、つけ足すように言う。

 「わたしの顔を見てわかるってというのは、もしかしたらあるかもって思ってた。学校に通ってたころはずいぶんこのあたりでいろいろ悪ふざけしたものだしね」

 「悪ふざけ」ではすまない悪事かも知れないと思うけど、そんなことはいまはどうでもいい。

 「それで、そのときは、人違いですって言い張ればだいじょうぶなんだ。わたしはいまここにいないことになってるから」

 「ふうん」

 カスティリナは頷いておく。

 「でも、顔を見てわかったんだったら、わたしをアヴィアって名まえでは呼ばないはず」

 「つまり、アヴィアっていうのはほんとの名まえではないってこと?」

 「うん」

 予想はついていたことだった。

 素姓すじょうを探ってはいけないということは、その名もほんとうの名でないかも知れないということだ。

 だが、その偽名が、それを知っているはずのない男に漏れている。

 どういうことだろう?

 それでこの娘の身がどれくらい危険になるんだろう?

 護衛ならばきいておくべきだと思った。

 でも、そうすると、この娘の素姓に触れなければいけなくなる。少なくとも娘のほうからは自分の素姓を探っていると思われるだろう。

 それはできない。

 アヴィア、つまり、いまはアヴィアと名のっている娘ならば怒りもせずに答えてくれるのではないかと思う。

 だが、仕事を引き受けたときの条件を、仕事を始めてすぐに破るようなことは、カスティリナはしたくなかった。

 「で」

 そこで、カスティリナは不機嫌そうな声のままきく。

 「ここからどうやって出るわけ? 鍵がかかってるんでしょ? またもとの道に戻ると見つかるかも知れないよ、あの男の子に」

 「だいじょうぶ。出口、あるから」

 アヴィアはもとの微笑を絶やさないいたずら娘の顔に戻って、言った。

 「でも、その前に、拝んでいきましょうよ、ユンジェン様を」

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