第6話 緑の服の少年

 アヴィアは婚礼行列の通った大通りには戻らず、人気のない僧院の庭を横切り、目立たない小さい門の扉を開け、大通りよりもネリア川の川筋に近い通りに出た。

 たぶん、ここの学校の生徒だったとき、授業を抜けてこの門からこの道を通って街に遊びに行っていたのだろう。

 それが何年前のことか知らない。でも、ともかくそのころからこの娘はこの町で暮らしていたのだ。だから、田舎の出身だとしても、インクリークに出てきたのはかなり前だということになる。

 こちらの通りも人通りは多かった。けれども宮殿前の大通りと較べると混雑はずっとましだ。

 それに、公女の婚礼をお祝いしようという熱気はこの通りにはない。

 こちらの通りの人たちにとって、今日は、「公女の婚礼をお祝いする日」というより、ただの「公女の輿こしれだから休みになった日」のようだ。

 通りが一本違うだけで雰囲気がまったく違う。

 しばらく行ったところでアヴィアが言った。

 「ところでさ、わたしたち、アンマギールまでの行きかただけど、あんたの提案は?」

 「提案」をきくだけ依頼主としてはものわかりがよいのか、それとも護衛が言い出すのを待たないだけ偉そうなのか。もうそんなことは気にかけようと思わない。

 カスティリナは用意していた答えを言った。

 「アンマギールまでは、本街道を行くか、山街道を行くかの二つの行きかたがある。それ以外にも、エジルを通る道とかセディーレを通る道とか、外国を通る道はあるけど、大回りで時間がかかるし、国境で足止めってこともあるから、はずす。川のぼりの船もドーロンのところが難所で、予定通りに行けるかどうかわからないからはずす」

 「うん」

 アヴィアはおとなしく頷いた。

 「だから、本街道を行くか、山街道を行くかってことになる。それで、本街道はネリア川沿いを通ってラクリー、ハーペンと行って、ドーロンで国境を越えて、マギエを通ってアンマギールまで通じてる。山街道はエジルとアルコンナに近いほうを通って、バッサスから、シャンティーへ行って、アゼリア橋でディエルの湖を渡る。湖を渡ったところがチェンディエルで、チェンディエルからモンティセッリの山地に入って、ディアドで山地を抜けて国境を越える。国境を越えるとアンマギールまではすぐ。まあ旅券検査とかうるさいけどね。本街道はもともと平坦だし、石で舗装してあって通りやすい。乗合馬車も多いし辻馬車もつかまえやすい。でも遠回りになる。山街道は近いけど、道は細いし、舗装してないところもある。上り下りも多い。乗合馬車は途中までしかないし、辻馬車もほとんどいないから、馬車に乗るんだったらほかの人の馬車に乗せてもらうしかない」

 「公女の婚礼行列は本街道を通るんだ?」

 「そう」

 「じゃ、山街道ね。カスティリナが山に登るのがいやって言うなら別だけど」

 アヴィアがすまして言う。カスティリナは笑った。

 「そう言うのって、普通は護衛が依頼主に「難しい道だけど、いいですか?」って訊くんだと思うけど」

 「そう?」

 アヴィアはそう言っただけだった。

 アヴィアは見かけは柔和そうでも勝ち気なのだと思う。

 そのほうが相手はしやすい。柔和で内気で、心のなかで何を考えているかきちんと言わないような型は苦手だ。

 考えてみれば自分には苦手が多い。

 でもしかたがない。

 経験も浅い。

 それに、カスティリナが引き受ける仕事はこじれることが多い。貴重な経験はしたと思うけれど、そのぶん、「普通の経験」をしていない。

 嬉しそうに歩くアヴィアを横目で見て、この娘が早めに元気を使い果たして疲れてしまえばもっと相手しやすいのにとカスティリナは思った。

 「だったらさ」

 アヴィアが言う。護衛にそんなことを思われているとは夢にも思っていないだろう。

 「船着き場の馬車溜まりに行こうよ。乗合馬車で行くんだったら船着き場から乗ったほうが空いていて、楽だから。だから、そこで曲がって道を下って船着き場まで行こう」

 カスティリナは訊く。

 「乗合馬車で行くの?」

 「うん? 反対?」

 カスティリナもどうしようかと迷っていたところだ。それを依頼主が先に決めてしまうなんて。

 「反対じゃないけど、きれいな車とは限らないし、乗り合わせた相手がいい人とは限らないよ」

 「それはそうだけど」

 アヴィアは理屈を言う。

 「でも辻馬車を雇ってその馭者ぎょしゃが悪い人だったらかえって始末が悪いじゃない? それにいまから歩いてバッサスまで行くと夜になるよ。わりとお客の多い、車のばねのしっかりしたのを選んで、乗ろうよ。きたないのは、まあ、がまんしないと」

 自分の考えていたのと同じことをアヴィアが言ったので、カスティリナは返事のしようがない。

 「よくできました」と言ってやろうか、それとも「きたない馬車は嫌いじゃないの」と言おうかと思って、答えずに歩いていると、カスティリナはふいに左手の方向の遠いところで緑の服がちらちらして見えるのに気づいた。

 だれかが急に走り出したらしい。カスティリナは自分で意識せずアヴィアのほうに腕を伸ばしていた。

 そのとき。

 「アヴィア!」

 声がした。

 若い男の声だ。声だけきくとまだ大人になりかけの子どものようだ。

 「アヴィア! アヴィアだろう? アヴィア!」

 「来て!」

 カスティリナが動くまでもなかった。

 アヴィアは短く言うとカスティリナの袖を引っぱって走り出す。カスティリナも横について走った。走りながらちらっと振り向いて、相手の姿を確かめる。

 相手はまだ歩道を歩く人たちの向こうだった。

 でも、その隙間から、緑の袖無し上着に袖の緩い薄黄色の服を着た男が見えた。

 背の高さは中ぐらいで、顔はほっそりしている。歳はまだ二十歳にならないくらいだ。つまりカスティリナ自身やアヴィアと同じぐらい、もしかするともっと幼いかも知れない。

 全体にまだ少年といったほうがよさそうだ。

 「どうして逃げるんだ! 待って! アヴィアっ!」

 人を突き飛ばしてまで追いすがる気はないらしく、人のあいだをすり抜けたり、横を回ったりして来る。

 カスティリナが後ろをぬすみ見ると、その少年は、アヴィアのと同じくらいの長さの剣を吊っている。

 それが走ると足に絡まるらしい。それで何度も転びかけ、遅れている。

 だから逃げる娘二人にはなかなか追いつかない。

 「こっち!」

 アヴィアは言うと細い路地に駆けこんだ。

 止めようとしたときにはアヴィアはもう路地に入りこんでいた。言い争っている余裕はない。戻るともっと危ない。

 「細い道は危ない!」

 カスティリナが追いつきながら小声で鋭く注意する。アヴィアは

「だいじょうぶ」

と言っただけで駆け続ける。

 だいじょうぶではないのだ。

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