第5話 雨上がりの花嫁

 まっ白な馬車に座っているのは、目立たない。とても地味な娘だ。

 たしかに着ている服は婚礼衣裳だけあって立派だ。

 胸や袖や腰にレースをふんだんに使った飾りをつけ、目立たないところにも鋼玉こうぎょくをたくさんつけた純白の乗馬服に、やはり鋼玉の飾りのついた白い布のかんむりをつけ、頬当てで頬を覆っている。

 でも、公女と言われて思い浮かべる華やかさは、この娘からは感じられなかった。

 白い馬車に白い服で、宝石も透明な鋼玉ばかりで、しかも色白だから目立たないだけなのか?

 だが、道端から見ている見物衆からはそうは見えないらしい。

 「公女殿下万歳! 万歳! 公女殿下万歳!」

 道の両側から見物人たちの声が起こる。

 みんな拍手している。両手を上げて公女に向かって振っている者もいる。紙の花びらを散らしている見物客もいる。

 公女は手を肩のあたりまで上げて小さく振り、左右を見回しながらその歓呼かんこに応えている。

 「万歳! 公女殿下万歳!」

 公女らしくお上品、身の動かしかたもおしとやかだ。

 だが、わかるのはそれだけだ。それ以外のことは何もわからない。

 布かんむりと頬当てで、どんな顔をしているのかすらよく見えない。

 こんなにみんな祝福してくれているのに。

 カスティリナには不満だ。

 この嫁入りが発表されたとき、ミュセスキアの人たちはほとんどが反対した。

 それはそうだろう。嫁ぎ先は隣り合う国を次々に併合して領土を広げている強暴きょうぼうな隣国なのだ。

 宮殿前の広場が、嫁入り中止を求める陳情の人たちで埋まる日がつづいた。

 さらに、ミュセスキアと関わりの深いセディーレ大公たいこうこくが公女を公子の嫁に欲しいと言い出すと、多くの人たちが、公女はセディーレに嫁がせるべきで、アルコンナに嫁がせてはいけないといきり立った。

 宮殿の城壁を乗り越えて宮殿に入ろうとする者や実力で宮殿守備隊の警備を突破しようとする者もいた。

 宮殿の警固が守備隊の手に余り、多くの傭兵が駆り出された。

 風向きが変わったのが、セディーレのジュバン公子のミュセスキア訪問と、その後に発覚した公女誘拐ゆうかい計画だった。

 ジュバン公子は美男子ではなかった。歳もセリス公女よりはだいぶ上だ。

 しかも、その態度はミュセスキアをあからさまに見下していた。少なくとも誇り高い公都インクリークの人たちはたいていそう感じただろう。「年端としはもいかぬ小国の公女を、わが大公国がもらってやる」と言いたげな態度だった。

 そんなことで、ジュバン公子は、セリス公女をめとる約束ができないままセディーレに帰国した。

 しかも、その訪問が不首尾に終わった直後、国内の親セディーレ派が公女の誘拐を計画していたことが暴露された。

 婚約が成り立たないならば、公女を無理にでもセディーレに連れて行き、そこで結婚させればいい。そういう考えで、セディーレ本国の貴族と、ミュセスキアの親セディーレ派の貴族が動いたらしい。

 貴族社会の関わったことなので事実は隠され、詳しいことは何も伝えられなかったが、ともかく、この一件でセディーレの信望は地に落ちた。

 ミュセスキア宮廷内でセディーレ派の中心人物ということになっているバレン護民ごみん長官が、公女がアルコンナに嫁ぐのを祝福する演説をして、ミュセスキアの人びとは一転して公女のアルコンナへの嫁入りを寿ことほぐようになった。

 それで、いま、ここにこれだけの人たちがお祝いに集まっているわけだ。

 カスティリナは、嫁入りへの反対が強いときには宮殿の警固けいごに毎日行かされたし、公女誘拐を防ぐためにも力を尽くしている。きれいごとばかりではすまなかったのは確かだけれど、それでもたくさんの人たちが公女が無事にお嫁に行けるようにがんばったことをカスティリナは知っている。

 だから、公女にはもっと幸せにしていてほしいのだ。

 アヴィアもそう思っているのだろうか。

 あごを引き、注意深くのぞきこむようにその公女の様子を見ている。

 カスティリナは公女のほうを見たままきいてみた。

 「どう? あんたの公女?」

 アヴィアが見たいと言ってここに見物に来たのだから、「あんたの公女」と呼んでもいいだろうと思う。

 「いいんじゃない? 色白で、唇が紅くて」

 よく見ている。だが何か奇妙な感想だと思う。

 だから正直に言ってみる。

 「ね、こういうときって、幸せそうとか、緊張してるみたいとか、そういうふうに言わない?」

 「だってそんなのわからないじゃない?」

 公女の馬車は二人の前を通り過ぎて行く。ずっと笑顔でいたアヴィアの声が苛立ちぎみに聞こえた。

 自分だけではなかった、アヴィアもそう感じていたのだと思う。

 公女の姿がにれの葉に隠れて見えなくなる前にアヴィアが言った。

 「それに、もうちょっと元気に手を振ったりしてもいいよね。せっかくこんなに人が集まってくれたのに」

 「まあ、そうだね」

 やはり言いかたが礼儀知らずだと思うが、カスティリナは笑った。

 「で、あんたの感想は?」

 今度はアヴィアが訊く。

 その細い目でカスティリナをじっと見ている。答えをごまかさないほうがよさそうだとカスティリナは思った。

 「うん。ここからじゃ遠くてよくわからないけど、なんか思ったより地味だな」

 「やっぱりそうだよね」

 アヴィアは言い、しばらく困ったような顔をしてから、ふっともとの笑顔に戻った。

 公女の馬車の後ろには、さまざまな調度品を捧げ持った侍従や女官の行列が続いている。輿こしれ行列がぜんぶ通り過ぎるまで少し時間がかかりそうだ。

 だが、見物人たちは公女さえ見てしまえば行列にはもう興味がないらしい。ざわめき、窮屈きゅうくつな側道を左右に散って行きはじめる。

 アヴィアもそうらしい。もう行列は見ていない。かわりに、顔を上げ、空を見上げていた。

 楡の葉に囲われた狭い空は青く晴れ、雲が白く輝いていた。

 もうすぐ南の空の雲も切れて初夏の太陽が照り始めるだろう。

 「ね。この国では、婚礼に出る朝に雨が降って、花嫁の出発のあと晴れたら、その花嫁は嫁ぎ先で幸せに暮らせるっていうんだけど」

 「ああ、うん」

 そんな話はきいたことがなかったけれど、カスティリナは話を合わせる。

 「あの子もそういうふうに行くのかな?」

 アヴィアが言った。とても愛おしそうだった。

 だから、カスティリナは、「あんた今度はあの公女をあの子って呼ぶの?」と言うのはやめにした。

 「さあ、行こう。あんたの見たかった公女も見たことだし」

 「うん」

 アヴィアは上機嫌に答えた。

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