第6話 大団円
複数の犯罪を絡めるということで考えたのが、
「親が息子を殺そうとしている」
ということと、
「息子が親を殺そうとしている」
ということが、交錯しているという考えであった。
殺そうとしている親は、母親で、息子が殺そうとしているのが、父親であった。
実に変則的ではあるが、父親が最後に、母親を殺そうとするのであれば、それは、まるで、循環した殺人のようで、そうなると、
「誰が最初に殺すかによって、最後まで犯罪を完結させるとするならば、生き残る人は決まっているということになる。
つまり、
「生き残るのが一人だ」
ということになれば、同じように決まってくるということになる。
そして、これを、ミステリー風に書き上げるとすれば、
「この話のキーポイントは、親ということで、父親なのか、母親なのか、どちらかが分からないということであった」
もっといえば、小学生の時に見たミステリーの中にあって、それを自分で模した、
「殺人計画メモ」
というのがヒントになっているということである。
それは、
「数年前から、今になってミステリーを書きたいと思った」
ということであり、さらに、
「ミステリーを見るということが、いかに、今回のヒントのようなものに繋がったのか?」
と考えると、
「やはり、俺って、天才なのではないか?」
と感じたとしても、無理もないことだろう。
しかも、
「無意識のように、天才的な発想を抱くことが、自分の思い描く、天才というものではないか?」
と感じるのであった。
もちろん、この犯罪は、面白い発想ではあるが、パッと思いついただけで、一種の完全犯罪となるのではないかという思いがあったとしても、結局は、
「穴だらけの、もはや完全犯罪どころか、警察が見れば、一発で謎が解ける」
というようなものなのかも知れない。
たとえば、
「容疑者がいても、完璧なアリバイがあり、実行犯は、まったく被害者との間にまったく因果関係がない」
ということを、重ね合わせたことで、完全犯罪をもくろむという、いわゆる、
「交換殺人」
という殺害計画があると言われるが、普通に考えれば、
「これほどの完全犯罪に近いものはない」
といってもいいかも知れない。
しかし、実際には、そんなことはない。
小さな完全犯罪の種を組み合わせて、一つのものに組み立てようというのが、この、犯罪の肝であるが、問題は、共犯と呼ばれるものと、少し趣の違う犯罪が行われているということであった。
普通の共犯よりも、その結びつきは大きいのだが、二人が共犯であるということがバレてしまえば、ほとんど犯罪計画は瓦解したといってもいいだろう。
つまりは、
「自分にまったく関係のない人を実行犯として殺すことになる」
ということである。
そういう意味では、本来の共犯とは違い、
「自分が主犯であり、共犯でもある」
ということで、完全犯罪というものも、一つ歯車が狂えば、すぐに、犯行は露呈するというものである。
交換殺人の場合は、
「最初に、実行犯になった方が、完全に不利だ」
ということである。
なぜなら、
「邪魔な人間が死んでくれたのだから、危険を犯して、自分が殺しをするはずがない」
ということを、相手に知らせないように計画しなければいけない。
あくまでも、前だけを見るようにして、こんな当たり前のことに対して、盲目になるだけの状態にして、相手を実行犯に仕立てあげれば、この犯罪はそこで終わりなのだ。
相手は、
「交換殺人であり、自分も相手も同じように、安全なのだ。だから、二人は心を一つにして犯行計画を実行すれば、間違いない」
と考えていると、相手に思わせれば、こっちの勝ちであった。
それだけ、相手は、
「自分が死んでほしい相手を確実に、そして自分が捕まらない」
という完全な犯行にしないといけないということだ。
だから、もし、少しでも怪しいと思っていても、最悪、
「自分が犯行を犯しても捕まらない」
ということになるだけのことである。
何しろ、被害者と自分とは、まったく関係のない人間だからである。物的証拠さえ残さなければそれでいいわけで、ただ、これは決して前を向いているわけではなく、最悪の場合のことだった。
だから余計に、そんな最悪を考えようとしない。前だけを見るようにお互いに鼓舞することで、相手をその気にさせることが却って容易にできるというものである。
これが、真犯人の心理戦というものだ。
実行犯は、実際に殺人をしているのだから、自首などできるわけはない。せっかく、
「関係がない」
ということで、暗示をかけたからだ。
そして、殺したい相手が、切羽詰まっている場合であれば、難しいが、
「誰かの復讐」
ということで、何も絶対に、
「死んでくれなければ、自分が生きていけない」
ということでなければ、そこまで困ることもない。
だから、それ以上のことはしないだろう。そんな相手を最初から見つけることで、本来であれば、一蓮托生のはずの計画が、最初から、
「自分だけが都合よく」
と考えていたとして、完璧な計画を立てたとすれば、それこそ、完全犯罪となるかも知れない。
陽介の完全犯罪というものを考えた時、交換殺人の中で、一人の計画が、
「いかにうまく最初の実行犯に、犯行を起こさせるか?」
あるいは、
「その犯人が、殺してほしい相手が、絶対に死ななければ実行犯が困る」
というような犯行であるかということを綿密に考えるということで決まってくるということであった。
陽介少年は、そのあたりをしっかりと考えていた。
そもそも、交換殺人という考え方も、
「たすきに掛ける」
というようなもので、そして心理戦においても、
「まるで数学的な考えではないか?」
ということになるのであった。
算数というものを思い起こしてみると。
「そういえば、小学生の時に、1+1=2という公式が分かっていなかったではないだろうか?」
ということを思い出した。
そうなると、一つ考えたのが、
「1+1」
というものを、
「10でも100にでもなる可能性を秘めているのに、どうして、2にしかならないのだろうか?」
ということを考えていたのではないかということを考えるようになった。
それが、今回の小説の発想であったり、小学生の頃、
「本当に偶然だった」
ということで片付けていいものかどうか、
「やっぱり俺って、本当は天才ではなかったのだろうか?」
という思いが残っていて、この小説が、いずれ、どこかの誰かの目に触れて、
「ベストセラーを生むことになるかも知れない」
と感じたのだった。
( 完 )
天才のベストセラー小説 森本 晃次 @kakku
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