第8話 第二章 再突入
病院から脱出したあと優輝は敷地内に立てられた集会用テントの下一人で椅子に座っていた。
周りを見ればよく分からない機材がいくつも置かれている。
目線をさらに外に移せば大勢の、自衛隊だろうか、迷彩色の服を着た人が行き来している。ここだけ被災地のようだ。
おまけに病院の敷地入口にはブルーシートで遮断されており外からこちらの様子は見れないようになっている。
優輝は体を固くして両手を足の上で組んだ。そこに視線を落とす。
場違いな自分もそう。さきほど経験した異常な現象もそう。まるで間違っているのは自分のようだ。寂しいとは違う居心地の悪さを感じてしまう。
「待たせたな」
そこへ声が掛けられた。
顔を上げる。そこにはさきほど助けてくれた男性兵士が立っていた。
「飲むか? 夜は冷えるだろ」
彼はコーヒーカップを二つ持っておりその一つを渡してきた。白い湯気が漂って夜風に運ばれていく。
灰色の髪を短く揃えた四十代ほどの男性。
こうして何気なく見ただけで風格がある。
鍛え抜かれた体はがっしりとして服の上からでも発達した筋肉が分かる。
表情が持つ凄みはそれだけの修羅場を潜りぬけてきた経験から来るものなのだと直感した。
「ありがとうございます」
手渡される紙コップを受け取る。
湯気の立つブラックコーヒー。彼は空いている席に座りコーヒーを飲む。
それを見てから優輝も一口含んだ。おいしくはない。
実はブラックのコーヒーを飲むのは初めてで苦いしなんだかすっぱいしでおいしいとは思わなかった。
「そうか、コーヒーは苦手か。すまなかったな」
「あ、いえ」
「おーい! こっちに砂糖とフレッシュくれ!」
表情に出ていたらしく気を使わせてしまう。それが申し訳ない。いろいろしてもらっている。
彼とは対面になりお互い座っている状態だ。体が固い優輝に対して彼には余裕がある。
「とりあえず自己紹介だ。俺は中水寛美(なかみずかんび)、君は?」
「沓名、優輝っていいます」
中水と名乗る男性はそれを聞いて微笑みコーヒーを飲み込む。
「そうか、沓名君か。ひどい目に遭ってきただろう、よく無事でいてくれた」
「宮坂ちゃんは?」
そこで気になることを聞いてみる。あれから別れ一度も再会していない。
「今別の場所で治療中だよ。あとで会えるさ、約束する。怪我はしてたけどあの子も無事だよ」
その報告に胸の重りがどさっと下りた気がした。
「そうですか。中水さんたちのおかげです。あの! ほんと助かりました、ありがとうございます!」
勢いよく立ち上がり頭を下げる。ほんとに命の恩人だ、彼女も無事で彼らには頭が上がらない。
「いいっていいって。はは、君は好青年だな。ますます生き残ってくれてよかった。まあ座って」
中水にそう言われ座りなおす。とはいえ彼はこう言うがお礼の一つや二つはしなくてはならないだろう。
「人から感謝されるなんて滅多にないからな、新鮮だったよ」
「ないんですか?」
「そこらへんも話していくか」
嬉し恥ずかしな様子の彼だが表情を引き締める。どうやら本題に入っていくようだ。
「率直に言って、君は俺たちがなんだと思う?」
「えっと、最初は自衛隊の人かと思いましたけど、たぶん違いますよね?」
「なんでそう思う?」
「だって、普通撃たないですよね、自衛隊であっても。そんな簡単に発砲なんて出来ないはずですし、それをしてるってことは別の組織なのかなって」
「おおお! おーい! 砂糖とフレッシュまだか!?」
「あの、けっこうですから!」
優輝の指摘に喜んでいる。興奮余って砂糖の要求を急かしている。
ただそこまでして欲しいわけではないし相手に悪いので止めて欲しい。
彼らが使用している銃器は最新のもので自衛隊が使っているものじゃない。装備も潤沢で周りを見ても物々しい雰囲気が伝わる。
「いきなり自衛隊の人が完全武装で病院に入るのは違和感がありますし」
病院になにか事件が起こったとしていきなり銃を持った自衛隊が突入するか?
まずそんなことはない。挙げれば他にもあるだろうが彼らを真っ当な人たちとするのは無理そうだ。
それは彼も同じようで否定も反論もせず受け入れている。
「ま、一番分かりやすいところはそこだよな。そう、俺たちは自衛隊じゃない。ここにいる全員だ。俺たちは、ああ、これ秘密な? ここで見聞きしたこと、ここで体験したこと、すべて口外厳禁だ。もし違反した場合処罰の対象になる。いいか?」
「はい」
仕方がない。巻き込まれただけの被害者ではあるが物事の分別は付いている。
病院で経験したことを言いふらし混乱させるのは社会のためにならない。
言ってはいけないことは優輝にも理解できる。
それをよしとして中水は話し出してくれた。
「俺たちは特異戦力対策室という防衛省にある組織だ。一般には公開されてないけどな。業務は主にこれ、異常現象や存在の対処だ。人知れず脅威と戦ってる」
「なるほど、だから感謝されないって」
この人たちは存在そのものが秘密なのだ。仮に人々の脅威を倒し英雄的な活躍をしても日の目を見ることもなければ感謝されることもない。
それでも戦い続ける姿なき守護者たちだ。
「ここは異常事象、汚染病院に認定された」
「汚染病院」
その名を胸に刻みつける。汚染病院。あの暗がりとそこに潜む怪物たち、それらを内包した空間。
汚染病院の名はその通りだと思った。あそこは汚染されている、普通の病院ではあり得ない。
「異常事象っていうのは異常現象や異常存在の総称だな。それで俺たちはここの調査に来たわけだ。本日未明、突如この病院と連絡が取れなくなってな。それだけでなく職員たちとも連絡が取れないと警察に複数の通報が入ったんだ。その異常性から特戦(特異戦力対策室の略称)に情報が入り異常事象だと確認が取れ俺たちの出番ってわけだ」
「すみません、連絡が取れないってのは」
「文字度どりさ、姿を消した、忽然とな。汚染病院と化した時院内にいた人は上書きされた可能性が高い。少なくとも上層部はそう思ってる、俺も同感だな。だがこの現象を解決できれば通常の病院に戻る。そこにいた職員、患者も戻ってくるってわけだ。だからここはなんとしても解決しなくてはならない」
「なるほど」
上書きという表現は分かりやすい。ここは本来の病院が変貌した姿ではなくまったく別の病院なのだ。
本当に悪い夢のようで、その夢が覚めれば本当の病院に戻る。そうなれば院内にいた職員や患者たちも戻ってくるということだ。
彼の真剣な表情、その理由が本当の意味で理解できた。これを解決しない限り犬會病院にいた人々は助けられないのだ。この事件にはすでに人命が掛かっている。
「そのための内部調査に入ったんだが、ここはかなりやばいな」
彼はベテランだ。見た目の年齢もそうだし本人のオーラからしても間違いはない。部隊を率いていたのも彼だ。それほどの男が渋面を浮かべている。
「そうなんですか?」
「ああ、汚染病院と言ったが蓋を開ければそこにはいくつもの異常現象が入り混じった悪魔のおもちゃ箱さ。君たちが生き残れたのは奇跡的なんだよ」
汚染病院と言ってもそれはいわば総称であり中には数々の異常存在や異常現象がある。
それらをとりあげればここは異常事象の見本市、化け物のサーカスだ。命がいくつあっても足りはしない。地獄、圧倒的死地だ。
「でだ」
攻略は難しい。危険極まりないダンジョンに入るなら情報は値千金の価値がある。
「君は辛い経験をした。それを思い出させるようで悪いんだがあそこでなにがあったのか教えてくれないか? 君はなぜあの場所にいた? いつ頃からいた? なぜ君は病院の影響を受けていない?」
「それは」
「教えてくれ。分かることだけでいい、俺たちにはそれが必要だ」
彼からの本気の質問。その目に敵意はなくとも迫力に竦み上がりそうになる。
優輝は一旦自分を落ち着かせる。情報を頭の中で整理した。
「俺には妹がいて、その妹から電話がかかってきたんです。助けてって。それでテレビで病院に搬送されたことを知って来たんです」
「…………」
「でも、俺が着た時にはすでにここは無人でした。院内は非常灯とかはありますけど基本明かりはなくて、廊下には――」
それから出会ってきた異常存在について優輝は話した。全身に針が刺さった看護婦、病室の様子、天井を歩く患者たち。
そこで体験した恐怖の数々を。それに空間が普通じゃないこともだ。
知っていることのすべてを包み隠さず伝え、その中で宮坂との出会いも話していく。
次の更新予定
汚染病院 奏せいや@Vtuber @helvs
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