第7話 危機

 集中する。後ろから来る看護婦に追いつかれる前に正面の敵を抜く。優輝と宮坂は慎重に近づいていった。


 優輝は指を向け宮坂にここに針があることを教える。宮坂もそれを見て頷き二人は壁になるべく寄って進んでいった。

 看護婦に近づく。


(気づくなよ。頼む)


 祈りながら足を動かす。息をするのも緊張する。息を止めて進んでいくがそうなると息が苦しくなってくる。息を吸いたい。けれど今大きく吸ったら絶対に気づかれる。


(気づくな、気づくな)


 しまったと思ったが遅かった。呼吸をするのも手遅れだ。小さく慎重に息をすればよかったがここまで来たら無呼吸のまま突き進むしかない。


(よし、いけた)


 早く息が吸いたくて足の動きが速くなる。看護婦の横は通り過ぎた。だがまだ距離はいる。もう少し、あともう少し。


 宮坂はゆっくり息を吸い、それをゆっくり吐いていた。それでもかなり危険だ。それで気づかれるかもしれない。そこで吸えるだけ吸ってあとは息を止めた。優輝の背中をじっと見つめ音を立てないことに集中していく。


 ふと、宮坂は看護婦が気になって振り向いた。こちらに気づいていないか? その恐怖に抗えなかった。


 看護婦は下を向き直立している。けれどなにかに気づいたように顔を上げ左右を見渡す。そののっぺらぼうの顔を見てしまったのだ。

 目がない。鼻もない。白い顔。あるのは耳まで広がる赤い口。そこには人ではない顔があった。


「ひっ」


 その異様さに引きつった声が出てしまっ。


「アアァアアアアア!」

「走れぇえ!」


 看護婦が大声を上げ襲いかかってきた!

 彼女の手を掴みながら走る。


「ごめんなさい、私」

「いいから走るんだ!」


 暗い廊下を走る。非常灯の明かりを頼りに。

 だが繋ぐ片手に引っ張られる。


 彼女は自分ほど足が速くない。彼女も必死に走ってくれているが女子中学生の速さなんてたかが知れている。彼女を引っ張るがそのせいで優輝自身も遅れていた。


(くそ、追いつかれる!)


 看護婦が近づいてくる。看護婦は自分に刺さった針を持ち上げ宮坂に向け走ってきた。狙いを付け針が彼女の足を貫いた。


「きゃあああ!」

「宮坂ちゃん!」


 彼女が倒れ手が離れる。振り返れば彼女はうつ伏せに倒れ足には針が突き刺さっている。


「アアアァアアア!」


 看護婦の甲高い声が聞こえる。宮坂に刺さった針は貫通し廊下に突き刺さっている。看護婦が進むたびに針が自分の体を通過していくがそこに痛がる様子はなく自分の体をえぐりながら近づいてくる。


「止めろぉおお!」


 走った。考えるよりも早くに体は動き看護婦にタックルする。肩からぶつかり異常存在を転倒させることができた。その際針が彼女から抜ける。


「ぐうう!」


 針が抜けた痛みに彼女が悲鳴を上げる。優輝は急いで立ち上がり宮坂に駆け寄った。


「立てるか?」

「くう!」


 彼女をなんとか立たせるが足を怪我していてこれでは走れない。優輝は彼女を背負うことにして背中を向ける。


「掴まれ!」


 彼女の両腕が首に回る。それを確認し彼女の足を掴んで立ち上がった。血のねっとりとした感触が手に伝わる。


 看護婦は全身の針のせいで起き上がるのに苦労している。だがこの騒動で後ろにいる看護婦も走ってきていた。

 急いで走る。ただ追いかけられる恐怖から逃げ続けた。


「沓名さん……!」

「大丈夫だ、大丈夫だからな!」


 すぐ近くで聞こえる声に応える。その声は泣きそうだった。

 もう、助からないかもしれない。それが分かったのだ。


 自分は足を怪我した。どうあっても走れない。彼に背負われ走ってくれているが追いつかれる。それでお終い。仮に逃げ切れることが出来ても足に針が貫通したのだ、治療しなければどの道死んでしまう。


「うう、う!」


 ついに彼女は泣き出した。怖い。死にたくない。なにより申し訳ない。彼女が回す両腕がぎゅっと掴んでくる。縋るような抱きつきに彼女の思いが伝わってくる。


「大丈夫、絶対助ける。助けるからな!」

「私、私……!」


 優輝だってこんなところで死にたくない。それに彼女だって死なせない。


「大丈夫、君はここじゃ死なない。俺が助けてやる!」


 絶対に死なせない。その言葉にはどんな治療的意味もない。怪我が治るわけでも遅れるわけでもない。


「二人で一緒に助かるんだよ!」


 だけど恐怖に震える人間にとってそれは大きな救いだった。誰かがそばにいて励ましてくれる、それだけで、怖いけど、とても怖いけど、耐えていける。


「沓名さぁん」


 涙をいくつも流しながら、自分のために抱えて走ってくれる少年の名前を叫ぶ。

 彼女の痛みと恐怖に怯える声。それを必死に励ますが、けれど優輝にも分かっていた。


 胸の奥から広がっていく不安。駄目かもしれないと。死ぬかもしれないと。可能性が悪い想像を加速させていく。冷静な自分がひどく希望のない答えを突きつけてくる。


 そんな自分を無視するように叫んだ。


「絶対助かるからな!」


 助からないかもしれない。


「ここから出るんだ!」


 出れないかもしれない。


「生きて出るんだ!」


 無残に貫かれ、殺されるかもしれない。

 嫌だ、死にたくない。


「あ」


 背負って走っていたため重心が傾き前のめりに倒れ込んでしまう。両手は彼女の足を支えていたため受け身も取れず顔面から廊下に落ちてしまう。


「沓名さん!」

「うう!」


 痛い。額から落ちたため骨にまで響く。もしかしたら鼻が折れたかもしれない。

 彼女も崩れ一緒に廊下に投げ出される。


「沓名さん!」


 駆け寄り両肩に手を置く。


「大丈夫ですか?」

「うっ」


 彼女に支えられ体を起こす。

 それよりもまずい。早く立ち上がって逃げないと。そう思いながら背後に振り返る。

「アアアァアァァァァア!」

「うわあああ!」

「いやあああ!」


 そこにはすでに看護婦がいた。

 恐怖が全身を一瞬にして支配する。

 看護婦が迫りその長い腕が伸ばされた。

 次の瞬間、銃声が響いた。


「え」


 目の前にいた看護婦が倒れる。なにが起こったのか一瞬分からず背後に振り返る。


「生存者?」


 そこには戦闘服を着て銃を持つ兵隊が立っていた。


「おい生存者がいるぞ、二人だ」


 今しがた看護婦を倒した人以外に四人もいる。

 誰だ? なぜここにいる? そんな疑問が浮かぶがすぐにそれ以上の感情が上回る。


 人だ、人が来てくれたんだ! それもただの人じゃない、武装している強い人だ。

 絶望が希望に変わる。放心してしまって優輝も宮坂もなにも言えない。


「大丈夫か?」

「そっちの子足怪我してます」


 彼らには女性の人もおり宮坂に駆け寄り応急処置を始めていく。包帯で刺された傷を圧迫し止血していく。


「あの、あなたたちは……?」


 宮坂が手当してくれている女性兵士に尋ねる。


「安心して、政府の者よ」


 安心させるためか女性は優しくそう言ってくれた。


「本部、院内で生存者を二名発見。帰還を要請する。どうぞ。……了解。許可が出た。二人を連れてここから出るぞ」

「了解」


 女性が宮坂を立ち上がらせる。男の兵士の人が背負ってくれた。


「ありがとうございます、自分で歩けます」


 優輝にも別の兵士が手を貸してくれる。その手を掴み起き上がる。


「ギャアアアァアア!」


 そこで廊下の奥から別の看護婦が襲いかかってきた。すぐに兵士が銃を構え頭に撃ち込んでいく。


「行け行け行け! まだ別のが来るぞ! 岩賀(いわか)先導しろ!」

「はい!」


 女性が銃を構えながら先頭を走っていく。それに続き優輝たちも走り出した。この騒ぎに他の看護婦や異常存在が迫ってきている。それを部隊の人たちが倒しながら進んでいく。

 周りには武器を持った大人に囲まれ、その先には受付ロビーの光が見えてきた。


「あ」


 その光に感動した。これほど電球の光がうれしいと思ったことはない。

 始まりの場所でもある一階エントランス。明かりに照らされた無人の空間に救われた気持ちになる。そのまま正面入り口を通りこの悪夢から出たのだ。


 恐怖と脅威、非日常の病院から脱出する。優輝は振り返り病院を見上げた。日常と異常の境界線、その悪夢は今も暗い夜の中聳えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る