第7話 危機

 優輝は宮坂と手を繋ぎ別の階段を目指して歩き出す。また危険を冒して廊下を進むことにやりきれない思いはあるがそれも気合でねじ伏せた。


 弱音はあとだ。嘆くのも文句も全部済んだ後ですればいい。


 次の階段はフロアを移動して端にある。まずは廊下を渡りその曲がり角、いったん身を屈めじっと息を殺す。


「聞こえるか?」

「ううん、なにも」


 金属音も引きずる音もない。どこかに行ったのか。それか患者たちのように消えたのだろうか。


 音を確認してから廊下を見る。天井を見て異常存在がいないのも確認した。


「行こう」


 静かに。けれどなるべく早く。急ぎ足で廊下を歩いていく。階段は廊下の突き当り左だ。


「後ろは?」

「うん、大丈夫」


 背後も宮坂に確認してもらっている。


 非常灯の赤い光、非常口を知らせる緑色の看板。わずかな光源に照らされた暗闇の廊下。


 そこに潜む得体の知れない存在。そのすべてが恐怖を煽ってくる。


「沓名さん」

「ん?」


 彼女に手を引かれ振り返る。彼女は窓際に寄り下を見つめていた。


「ここから下りられないかな? ちょっと高いけど飛び降りるだけなら」


 言われて優輝も窓際に近づいた。二階から見下ろす先には小さな植木が並ぶだけで大怪我するような高さじゃない。


 少しだけ悩む。それは飛び降りるのが怖いとかそういうものではなく。


「どうだろうな。飛び降りるだけなら大丈夫だと思うけど、ここは空間がおかしいし」


 そう、ここは空間異常も起きている。一階から三階に落ちたり階段がループしたり。まっとうな空間ではない。


 そんな場所で二階から飛び降りたらどこに着地する? そのまま地面に下りれるとなぜ言える? 確証もなくそんな判断は出来ない。


「もしかしたら落下中に別の場所に落ちるかもしれないし、それかもっと高い場所から落ちた衝撃に襲われるかもしれない。駄目ってわけじゃないけど試すのはほんとの最後の方がいいと思う」

「分かりました、そうですよね」


 このまま地上へショートカット、この病院から脱出できればいいのだがそんな甘い場所ではないことはすでに知っている。


 ここはとても意地が悪い。悪意と敵意で煮詰めたような迷宮でそんな場所に抜け道など用意されているはずがない。


 優輝はそう判断し言うが見れば宮坂はすこしだけ残念そうだ。彼女としてはきっといい案だと思ったんだろう。


「ありがと、教えてくれて」

「え」


 落ち込んでいた顔が意外そうにこちらを見る。


「今回は保留にしちゃったけど、またなにか気づいたら教えてくれ。期待してるからさ」

「はい!」


 彼女はちゃんと周りを見ている。そこから打開策を立てれないか考えられる子だ。


 こんな状況でそれが出来るのは優秀だ、頼りになる。


 それ以上にせっかく提案してくれたのを不採用にして彼女が落ち込んでしまう方が嫌だ。


 打算とかではなくそこが心配になったのでフォローしておいた。おかげで彼女の明るい返事が聞けた。


「行こうか」

「はい」


 二人は手を繋ぎ階段を目指し廊下を歩く。そのままなんとか無事に階段へとたどり着き下へと降りることが出来た。


 確認するがF1の文字。窓から外を見ても地上の景色だ。


「よし」

「よかったですね」

「ああ」


 ほんの少しだけ笑顔が戻る。あとは出るだけだ。油断はできないけれどようやく希望が沸いてきた。


 あとは出口を見つけるだけ。それだけだ。二人は笑顔で頷き合い出口を求めて歩き出す。


 暗い廊下。さらには迷宮のようにここは形を変える。行きの道のりは当てにならない。だとしても進むしかないのだ。


 警戒しながら進んでいく中で廊下に張ってあるポスターが目に入る。一見ありきたりなポスターに見えるそれらだがよく見てみると違うのが分かる。


『健康診断のお知らせ。意味はありません。救いはありません』

『タバコは健康に悪影響を与えます。ですがこの世界で長生きする意味がありますか?』


 そのどれもが本来のものとは真逆の内容になっている。治療や予防よりもむしろ死を推奨しているような挿絵と文言が載っていた。


「不気味ですね」


 宮坂がたまらずつぶやく。同感だ。治療と称して首を吊るポスターなどもあり見ているだけで気分が悪くなってくる。


「あまり見ない方がいいな」

「ええ……」


 優輝は視線を切る。悪趣味なポスターばかりだ。


 だが宮坂は気になることがあるのかポスターを見続けたあと優輝のあとに続いていく。


「止まって」


 優輝は立ち止まり宮坂も止まる。不穏な音がかすかに聞こえてきた。


 カツン。


 聞き覚えのある音だ。歩く度に金属が当たる音。


「看護婦がいる」

「看護婦?」

「全身にでかい針が刺さってるやつだ。ゆっくり動いてて顔がないから目が見えてないと思う。けど音を立てると走ってくる」


 三階で追いかけられたことを振り返る。恐ろしい姿で足も速い。二人だときっと逃げきれない。


 カツン。


 そうこうしているとまた音が聞こえてきた。


「聞こえる」


 宮坂も聞こえたようで体をビクッと震わせた。


「沓名さん、うしろ」


 振り返ると宮坂は後ろを向ている。その先を見る。すると看護婦がこちらに向かって歩いていた。


「あ」


 宮坂が恐怖に息を飲む。あまりにも痛々しい姿、この異常存在を見るのは初めてだったようだ。


「まずいな、急ぐぞ。音を立てないようにな」

「うん」


 このままでは追いつかれる。カツン、カツンと音が鳴る度に急かされる。

 小走りで進む。もたもたするわけにはいかない。だがその足が止まった。


「う」


 正面、廊下の先にも看護婦がいたのだ。


「そんな」


 宮坂がつぶやく。看護婦は廊下の中央で棒立ちではあるが体から針の先が広がっている。


「沓名さん」


 どうする? このままでは後ろの看護婦に追いつかれる。だけど前にもいる。ここでじっとしていてはジリ貧だ。


 ゆっくりと考える余裕すらここは与えてくれない。


「宮坂ちゃん」


 決めなければならない。でなければ死ぬだけだ。


「正面にいる看護師の横、そこを通るしかない。針に気を付けてゆっくりだ」

「でも、それだと音が」

「分かってる」


 やつらは音に反応する。どれだけゆっくり歩こうとすぐ隣を歩く人物に気づかないというのは考えずらい。普通の人でさえ目を瞑っていても分かりそうなものだ。


「でも、今はこれしか浮かばない。もし気づかれたら全力で走るんだ。いいな?」

「分かりました」

「よし」


 宮坂も覚悟を決めてくれたようだ。


 集中する。後ろから来る看護婦に追いつかれる前に正面の敵を抜く。


 優輝と宮坂は慎重に近づいていった。


 優輝は指を向け宮坂にここに針があることを教える。宮坂もそれを見て頷き二人は壁になるべく寄って進んでいった。


 看護婦に近づく。


(気づくなよ。頼む)


 祈りながら足を動かす。音を出さないためにすり足に近い状態で進んでいく。息をするのも緊張する。


 息を吐くだけで駄目だと思うと呼吸ができない。息を止めて進んでいくがそうなると息が苦しくなってくる。


 息を吸いたい。けれど今大きく吸ったら絶対に気づかれる。


 しまったと思ったが仕方がなかった。呼吸をするのも手遅れだ。


 小さく慎重に息をすればよかったがここまで来たら無呼吸のまま突き進むしかない。


 早く息が吸いたくて足の動きが速くなる。看護婦の横は通り過ぎた。だがまだ距離はいる。もう少し、あともう少し。


 宮坂はゆっくり息を吸い、それをゆっくり吐いていた。それでもかなり危険だ。


 それで気づかれるかもしれない。そこで吸えるだけ吸ってあとは息を止めた。優輝の背中をじっと見つめ音を立てないことに集中していく。


 ふと、宮坂は看護婦が気になって振り向いた。こちらに気づいていないか? その恐怖に抗えなかった。


 看護婦は下を向き直立している。けれどなにかに気づいたように顔を上げ左右を見渡す。そののっぺらぼうの顔を見てしまったのだ。


 目がない。鼻もない。白い顔。あるのは耳まで広がる赤い口。


 そこには人ではない顔があった。


「ひっ」


 その異様さに引きつった声が出てしまった。しまったと思うが遅い。


「アアァアアアアア!」


 看護婦は大声を上げ襲いかかってきた!


「走れぇえ!」


 彼女の手を掴みながら走る。息を吸い全力で足を動かした。


「ごめんなさい、私」

「いいから走るんだ!」


 暗い廊下を走る。非常灯の明かりを頼りに。走れ、走れ。でなければ殺される!


 だが繋ぐ片手に引っ張られる。


 彼女は自分ほど足が速くない。彼女も必死に走ってくれているが女子中学生の速さなんてたかが知れている。彼女を引っ張るがそのせいで優輝自身も遅れていた。


 看護婦が近づいてくる。看護婦は自分に刺さった針を持つと先を宮坂に向け走ってきた。その針が彼女の足を貫いた。


「きゃあああ!」

「宮坂ちゃん!」


 彼女が倒れ手が離れる。振り返れば彼女はうつ伏せに倒れ足には針が突き刺さっている。


「アアアァアアア!」


 看護婦の甲高い声が聞こえる。宮坂に刺さった針は貫通し廊下に突き刺さっている。


 看護婦が進むたびに針が自分の体を通過していく。そこに痛がる様子はなく自分の体をえぐりながら近づいていく。


 やられる、彼女が。このままだと殺される!


「止めろぉおお!」


 走った。考えるよりも早くに体は動き看護婦にタックルする。


 肩からぶつかり異常存在を転倒させることができた。その際針が彼女から抜ける。


「ぐうう!」


 針が抜けた痛みに彼女が悲鳴を上げる。優輝は急いで立ち上がり宮坂に駆け寄った。


「立てるか?」

「くう!」


 彼女をなんとか立たせるが足を怪我していてこれでは走れない。優輝は彼女を背負うことにして背中を向ける。


「掴まれ!」


 彼女の両腕が首に回る。それを確認し彼女の足を掴んで立ち上がる。血のねっとりとした感触が手に伝わる。


 看護婦は全身の針のせいで起き上がるのに苦労している。だがこの騒動のせいで後ろにいる看護婦も走ってきていた。


 急いで走る。走れ、走れ。目の前に広がる闇に向かって。なにがあるかも分からない。なにも分からない。


 もしかしたら怪物と出会って殺されるかもしれない。


 でもそんなこと考えてられない。ただ追いかけられる恐怖から逃げ続ける。


「沓名さん……!」

「大丈夫だ、大丈夫だからな!」


 すぐ近くで言われる声に応える。その声は泣きそうだった。


 もう、助からないかもしれない。それが分かったのだ。


 自分は足を怪我した。どうあっても走れない。彼に背負われ走ってくれているが追いつかれる。


 それでお終い。


 仮に逃げ切れることが出来ても足に針が貫通したのだ、治療しなければどの道死んでしまう。


「うう、う!」


 ついに彼女は泣き出した。怖い。死にたくない。


 なにより申し訳ない。彼女が回す両腕がぎゅっと掴んでくる。


 縋るような抱きつきに彼女の思いが伝わってくる。


「大丈夫、絶対助ける。助けるからな!」

「私、私……!」


 優輝だってこんなところで死にたくない。それに彼女だって死なせない。


「大丈夫、君はここじゃ死なない。俺が助けてやる!」


 絶対に死なせない。その言葉にはどんな治療的意味もない。怪我が治るわけでも遅れるわけでもない。


「二人で一緒に助かるんだよ!」


 だけど恐怖に震える人間にとってそれは大きな救いだった。誰かがそばにいて励ましてくれる、それだけで、怖いけど、とても怖いけど、耐えていける。


「沓名さぁん」


 涙をいくつも流しながら、自分のために抱えて走ってくれる少年の名前を叫ぶ。


 彼女の痛みと恐怖に怯える声。それを必死に励ますが、けれど優輝にも分かっていた。


 胸の奥から広がっていく不安。駄目かもしれないと。死ぬかもしれないと。可能性が悪い想像を加速させていく。


 冷静な自分がひどく希望のない答えを突きつけてくる。


 そんな自分を無視するように叫んだ。


「絶対助かるからな!」


 助からないかもしれない。


「ここから出るんだ!」


 出れないかもしれない。


「生きて出るんだ!」


 無残に貫かれ、殺されるかもしれない。


 嫌だ、死にたくない。死にたくない。死にたくない。なんでこんなことに? なんで死ななくちゃならない? 嫌だ、死にたくない。


「あ」


 背負って走っていたため重心が傾き前のめりに倒れ込んでしまう。両手は彼女の足を支えていたため受け身も取れず顔面から廊下に落ちてしまう。


「沓名さん!」

「うう!」


 痛い。額から落ちたため骨にまで響く。もしかしたら鼻が折れたかもしれない。

 彼女も崩れ一緒に廊下に投げ出される。


「沓名さん!」


 駆け寄り両肩に手を置く。


「大丈夫ですか?」

「うっ」


 彼女に支えられ体を起こす。額に手を当てると切ったようで血が滴っていた。


 それよりもまずい。早く立ち上がって逃げないと。そう思いながら背後に振り返る。


 そこにはすでに看護婦がいた。


「アアアァアァァァァア!」

「うわあああ!」

「いやあああ!」


 恐怖が全身を一瞬にして支配した。殺される。もう駄目だ。


 看護婦が迫る。その長い腕が伸ばされた。


 次の瞬間。


 銃声が響いた。


「え」


 目の前にいた看護婦が倒れる。なにが起こったのか一瞬分からず背後に振り返る。


「生存者?」


 そこには迷彩服を着て銃を持つ兵隊が立っていた。


「おい生存者がいるぞ、二人だ」


 今しがた看護婦を倒した人以外に四人もいる。


 誰だ? なぜここにいる? そんな疑問が浮かぶがすぐにそれ以上の感情が上回る。


 人だ、人が来てくれたんだ! それもただの人じゃない、武装している強い人だ。


 絶望が希望に変わる。放心してしまって優輝も宮坂もなにも言えない。


「大丈夫か?」

「そっちの子足怪我してます」


 彼らには女性の人もおり宮坂に駆け寄り応急処置を始めていく。包帯で刺された傷を圧迫し止血していく。


「あの、あなたたちは……?」


 宮坂が手当してくれている女性兵士に尋ねる。


「安心して、政府の者よ」


 安心させるためか女性は優しくそう言ってくれた。


「本部、院内で生存者を二名発見。帰還を要請する。どうぞ。……了解。許可が出た。二人を連れてここから出るぞ」

「了解」


 女性が宮坂を立ち上がらせる。男の兵士の人が背負ってくれた。


「ありがとうございます、自分で歩けます」


 優輝にも別の兵士が手を貸してくれる。その手を掴み起き上がる。


「ギャアアアァアア!」


 そこで廊下の奥から別の看護婦が襲いかかってきた。すぐに兵士が銃を構え頭に撃ち込んでいく。


「行け行け行け! まだ別のが来るぞ! 岩賀(いわか)先導しろ!」

「はい!」


 女性が銃を構えながら先頭を走っていく。


 それに続き優輝たちも走り出した。この騒ぎに他の看護婦や異常存在が迫ってきている。


 それを部隊の人たちが倒しながら進んでいく。


 廊下を走る。周りには武器を持った大人に囲まれ、その先には受付ロビーの光が見えてきた。


「あ」


 その光に感動した。これほど電球の光がうれしいと思ったことはない。


 始まりの場所でもある一階エントランス。明かりに照らされた無人の空間に救われた気持ちになる。


 そのまま正面入り口を通っていく。扉を開けこの悪夢から出たのだ。


 恐怖と脅威、非日常の病院から脱出する。


 優輝は振り返り病院を見上げた。日常と異常の境界線、その悪夢は今も暗い夜の中聳えていた。

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