第3話 ボーイミーツガール

「じゃ、行って来ます」

「はい、行ってらっしゃい」


 2015年4月10日、俺は入学した大学の登校初日を迎えていた。


 この日の事は今でも覚えている。


 キャンパス内で、様々なクラブやサークルがユニークなポップや看板を掲げて新入生の勧誘を行っており、校舎内にも色とりどりの勧誘ポスターが貼られていて、大学生活への期待に胸が躍らせていたからだ。


 10年前の俺は、何となく「ガールフレンドが出来ればいいな」という不純な動機で「アウトドアサークル」に加入したのだが、今回は外出が多くなるサークルには入るつもりは無い。


 やはり両親が事故で亡くなるかも知れないという未来に対応出来る様にはしておきたいし、せっかくの「やり直し人生」が送れるのなら、社会人になってからも役立つスキルを身に付けておきたいと思ったのだ。


 以前の人生では「もっと色々な事を学んでおけば良かった」と、あらゆる場面で後悔してきた記憶があるだけに、今度の人生では、学生の間も無駄にはしたく無かった。


(今度の人生では、ちゃんと結婚できるようにもなりたいしな)


 前回の人生では、2024年までガールフレンドが出来る事が無かったが、今度の人生ではその辺も充実させたいところだ。


 彼女が出来なかった以外は濃密な人生を送っていたという自負もあるし、今の俺なら「大人の男」っぽくてモテるかも知れない。


「ははっ」

 と少し自嘲的な笑いが漏れた。


(結局、俺はまたこんな不純な動機でサークルを選ぼうとしているんだな)


 そうは思うものの、やはり人生の充実にはパートナーは欠かせない。


 妹の加代子におかしな感情を抱かない為にも、自身のプライベートを充実させる事は必要な事だろう。


 大学の構内に入ると、以前の記憶通り、沢山の学生がクラブやサークルの勧誘を行っていた。


 記憶通りの色々な看板が並んでおり、俺はそれらを眺めながら、講義が行われる校舎へと向かった。


 今日の講義は午前中に社会学、午後は15時からの経済学の講義が一つだけだ。


 昼間の数時間を使って校舎内のサークル案内を見て回るつもりだ。


(……んん?)


 ふと、廊下を歩く俺の足が止まった。


 大学の校舎内は、創立50年を超す歴史を感じさせるだけの傷みや老朽化が見て取れるのだが、俺が3年生の時に耐震補強を兼ねた改装工事が行われ、廊下なども真新しい雰囲気に変わっていた。


 今も改装前の景色を見ながら、意識を集中すると改装後の姿が重なって見える。


 しかし、廊下がT字の様に直角に分岐するところでふと分岐している方の廊下に視線を向けると、そこは何故か廊下の景色と重なって見える筈の改装後の姿が見えなかったのだ。


「おかしいな……」


 自分でも気付かないうちに、俺はそう声に出していた。


 と突然、俺のすぐ脇から、デニムのオーバーオールに身を包んだ若い女が現れ、俺の行く手を阻む様にして立ち止まった。


「なに何? 何がおかしいの? 君って新入生? もしかして迷子になってる?」


 突然まくし立てられて俺は呆気に取られたが、すぐに平静さを取り戻し、

「あ、いや。迷子ではないですよ」

 と返した。


「そうなんだ。で、何がおかしいの? この廊下?」


(何だこの女子は? どこかのサークルの勧誘か?)


「いや、まぁ…、特に何がおかしいって訳でも無いんで、どうか気にしないで下さい」


「ふうん…」

 そう言いながら俺を見上げる様に上目遣いでマジマジと俺を見るその女子学生は、肩まで伸びた栗色のストレートヘアをかき上げながら、「君、新入生だよね?」

 と訊いてきた。


「ええ、新入生ですが、それが何か?」


「そうなんだ〜。やっぱ新入生なんだ〜」


「ええ、だから、それが何なんです?」


「いやいや、私一応学生ボランティアで新入生の案内とかしてるから、君が迷子になってるんなら案内してあげようかなって声をかけただけだよぉ」


「はあ…、それはどうも……」


(何なんだこの女子は? 美人だとは思うけど、何だか舌足らずな話し方がちょっと苦手だな…)


「で、君はこれから講義なの? それともヒマしてる? もしヒマしてるなら、私に案内させてくんない?」


「すみません。これから講義なんで、案内は誰か別の新入生にしてあげて下さい」


 俺がそう言うと、女子学生は両手を天井に向けて空を仰ぐ様に顔をあげ、

「うおお…! 何かあしらわれた感じがして悲しいよぉ〜」

 と大袈裟に嘆いて見せた。かと思うとその場で直立して軍人みたいに敬礼し、「お邪魔しました! 講義の受講、頑張って下さい!」

 とハキハキした口調で言った。


「はぁ、どうも…」


 つられて敬礼しそうになるのを慌てて制し、俺は軽く会釈をしてその場を離れる事にしたのだった。


 ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


 講義を終えてから、俺は気になっていた廊下へと向かっていた。


 俺の記憶だと、あの廊下の先は再来年の耐震工事に合わせて解体された筈だ。

 解体された後は綺麗な駐輪場が出来た筈だから、下の景色に駐輪場の景色が見えてもおかしくない筈だ。


 なのに、さっき見た時は、あの廊下に何も重なって見えなかった。


 確かに俺はこの大学に通っていた記憶がある。


 それに、あの廊下も見た事はある。


 あの廊下は突き当たりまでに扉が4つあり、どの部屋も物置として使っているだけで、学生が入る事はほぼ無い。


 秋の学園祭の時にキャンパス内に出店する屋台用の資材が保管されていると聞いた事があるが、俺は入った事が無い。


(俺のこの力が、どんな風に発動されるのか……、ぶっちゃけよく分からない事だらけなんだよな)


 そんな事を思いながら、俺は目当ての廊下がある場所に到着した。


「あれ?」


 俺はつい、そんな声を出していた。

 廊下の奥に、今朝出会った、自称案内ボランティアの女子学生が座り込んでいるのが見えたからだ。


 今朝は快活な印象だったその女子学生が、今は少し元気が無い様に見える。


(どうしたんだろうな……)


 俺は女子学生の元に近寄りながら、声をかけてみた。


「先輩、どうしたんです? こんな所に座り込んで」


 俺の声に一瞬肩を震わせてから顔を上げた女子学生は、俺の顔を見て少し表情を和らげた。


「なんだ、今朝の君か。もう講義は終わったの?」


「ええ、終わりましたよ。これからサークルを見て回ろうと思ってたんですが、たまたま先輩が座り込んでるのが見えたもので」


「そうなんだ。……ちょっと疲れて休んでただけなんだけど、……でも、声かけてくれてありがとね」


「どういたしまして。っていうか、疲れてるなら、案内はお願いしない方がいいですか?」


「え? あ、ぜんぜん大丈夫だよ! するよ、案内!」


 慌てた様にそう言うと、彼女はすっくと立ち上がり、両手でポンポンと尻の埃を払う様な仕草をした。


「じゃ、行こうか。っていうか、君の名前訊いていい?」


「ええ、もちろん。僕は藤堂とうどうといいます」


「そう、藤堂君ね。私は秋本。秋本あきもと香苗かなえ。君は何だか落ち着いてて大人っぽいし、名前で呼んでくれてもいいよ」


「そうですか。じゃあ遠慮なく、香苗かなえさんって呼ばせて頂きます」


 俺はそう言うと、軽く会釈をして笑顔を作った。


 前回の人生では出会う事が無かった人との出会いが、どの様な効果を生むのかは分からないが、今回の人生を幸せにする為にも、コミュ力の高そうな女子との交友関係は広げておこう。


「ほら、サークル棟はこっちだよ〜」


 そう言って手招きする香苗の顔の向こうに、あの廊下の奥が見えている。


 そしてそこには、今朝と同じく解体された後の景色は見えないままなのだった……

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