手記28 情報公開制度
私は愛知県にも情報公開制度というものがあることを知った。行政が適切な業務を行ってるかどうかを監視するために、一般市民が行政文書の閲覧、取得を申請できる制度だ。
この制度を利用し、私がPJ ニュースに投稿した妊婦事件記事に関し、愛知県警内部で作成された文書を取得することで、不祥事を暴くことはできないかと考えた。
文書が存在するかどうかは不明。でもやってみようと、県警の住民サービス課情報公開センターに電話を入れた。
応対に出た若い男性職員に、かくかくの文書取得を希望しますと伝えたら、職員は「そういう文書が存在するか調査します。しばらくお待ちください」。
電話を切り2時間ほど待ったが、県警からの連絡がない。業を煮やして再度情報公開センターに電話をした。女性職員が明るい声で「あなたの文書の件で、いま会議を開いているところです。もうしばらくお待ちください」。
しめしめ、いいことを教えてもらったと、にんまりした。
文書があるか不明だったが、これで「ある」とハッキリした。しかも県警が急遽会議を開いて2時間近くも鳩首に及ばなければならないほど重要な文書が、ある。
女性職員は、不祥事を暴こうとする私の意図を知らないから、親切丁寧に会議の件を教えてくれたのだが。
しばらくして初めの男性職員から電話があった。
私は県警のHP から文書開示請求書をダウンロードし、プリントして待っていた。職員はその請求書の取得希望文書を特定する欄に「妊婦事件にまつわるPJ ニュース記事に関わるもの」と書けと指示する。
あとでこの指示が、県警のハメテだと知った。だが、このときは何もわからず指示されるままに記入。住所氏名を書き加えて請求書をファックスで情報公開センターに送った。
やがて一週間後。
県警から「貴殿の請求した文書は存在しないので開示できない」との通知が郵送されてきた。
明らかな嘘だ。文書が存在しないなら、会議なんて開く必要はなかった。
文書不開示決定に不服があるものは、愛知県公安委員会に申し立てをすることができた。私は不服申し立て書面を、すぐさま公安委員会に郵送した。
しばらくのち、県警から電話があった。若い女性職員が「文書はないから、不服申し立てを取り下げてくれ」と哀訴する。どうやら上司に申し立てを取り下げさせよと命令された様子。県警にとっては申し立てが余程まずいらしい。
私はこれを知ってますます強固になり「絶対取り下げません」と断った。
公安委員会は不服申し立てを、愛知県庁所轄の情報公開審査会に送った。やがて県警は文書不開示理由の弁明書を同審査会に提出。その文書は私の方にも転送されてきた。
その弁明書を読んで、県警のハメテがわかった。
私は県警職員から、文書開示請求書の文書特定欄に「妊婦事件にまつわるPJ ニュース記事に関わるもの」と書けと指示された。
私の取得したいのは「PJ ニュース記事そのものに関して県警がどう対応したかについて近日中に作成された文書」だ。
だが文書特定欄の記述の曖昧さを盾にとって県警は、「請求者が取得を希望する文書は、PJ ニュース記事文中に言及された【殺させ捜査】に関するものだが、そのような捜査の事実はなく、当時において文書は作成されていないから存在しない」とすり替えて言ってのけたのだ。
県警側のいうような文書が存在しないことくらい、私は百も承知だ。
私は、情報公開審査会に宛てて書面を作成した。文書特定欄の記述をことさら曖昧に書くよう指示した県警のハメテについてるると説明し、県警が不祥事隠しを図っていると糾弾する書面だ。それを郵送した。
その後、情報公開審査会が各々の言い分を口頭で聴取する会合が、愛知県庁の一室で開かれる。まず県警側の聴取が行われ、後日、私の番が回ってくる。県警側と私とを同日に対峙させてくれるものではなかった。
県警側の聴取会には、文書開示請求書を私がファックス送付したときに対応した若い職員、ほか数名の警察官が出席。
「請求者が取得を望んだ文書は、われわれが説明した通りの文書に間違いないことを、請求時に口頭で本人に確認した」
そう若い職員は証言したという。
そんな口頭での確認など一切なかった。偽証だ。
なぜ私が職員の偽証を知ったかというと、彼本人が良心の呵責に耐えかねて「上司に強要されて偽証した」と私に自白してくれたからだ。
そこで私の番の聴取会が来たとき、私は情報公開審査会の4名の識者(弁護士、大学教授など)の方々の前で偽証の事実を訴えた。
日が過ぎて、情報公開審査会の答申書が、私の方にも郵送されてきた。内容は、県警側の文書不開示決定を不承認とし、請求者である私の請求する通りの文書を開示せよとの決定だった。
私の勝ちだ。
愛知県庁のHP を見ればわかるが、情報公開審査会が県警の文書不開示決定を不承認とするのは異例の事態。他の不服申し立て事例では、県警側の決定をほとんど追認している。
さて、住民サービス課情報公開センターは、愛知県警本部一階にある。私は他にも文書取得の用があって、何度もこの情報公開センターに足を運んだ。受付窓口で来意と氏名を告げると、職員がセンターに誘導してくれる。
センターの職員は、私が県警の不祥事を暴こうとしている意図など知らないから、親切丁寧に応対してくれる。
でも私はちょっと不安だった。
上階にあるという捜査一課から、貞池元捜査主任とかコワモテのおやじたちがどやどやと降りてきて、「いいかげん告発をやめろ!」と私に凄んだりするんじゃないかと。
貞池氏とX刑事がまだ県警に在籍していることは、他の文書で確認できていた。野見山課長はすでに定年退職していた。
貞池氏はネットに実名をさらさるほどのことをされても、強い組織の陰に隠れて、ひたすら息をひそめているらしい。
貞池氏こそ来なかったが、公安委員会の幹部職員が所用で私のところへ降りて来た。女性秘書を従えた、眼光鋭くいかにも頭の切れそうな50年配の男性。
事情をよくわかっているらしく、この幹部は私を見ると、「こいつ女の癖に警察を向こうに回して、よくもやってくれるじゃないか」と言うように、にやりと笑った。
私も笑い返した。
読者のみなさんも同じだと思うが、強いものいじりはなかなか楽しい。
幹部は、私が請求中の文書の所在場所の説明を手短に済ますと、それだけでさっさと帰って行った。
ちなみにこれまで語ったような文書取得の流れは、愛知県庁ならびに愛知県警に現在も保管されている資料でも立証できることを付け加えておこう。
文書不開示に対する情報公開審査会の不承認決定を受けて、今度こそ県警は該当文書を出してくるかもと思ったが、あいにく権力組織というもの、そんなにヤワじゃない。
県警は今度は「文書は個人情報を含むものなので、請求者の本人確認が必要。身分証明書を持参の上、開示請求をせよ」と郵便で言ってよこした。
で、身分証明書を県警本部まで持参して、請求書を提出。
のちほど「当該文書は中川警察署で交付するため、署まで出頭せよ」との通知が届く。
で、中川署まで行った。
手渡された文書はこれだ。私が初回のPJ ニュース記事を書いたあと、県警に電話をかけたが、カスガなる女性職員に追い払われた。そのカスガが私を追い払った旨をごく簡単に報告しただけの書面。
ゴミだ。
もちろんこれが、県警が会議を開いてまで渡すのを恐れた文書のはずがない。
情報公開制度は建前だけご立派なザル制度だと痛感した。行政組織が手渡したくない文書は、さまざまな理由を付けて手渡さずにできる。赤子の手をひねるようなものだ。
私が非力な一市民だからだめなのだろうか。弁護士を依頼すればと思ったが、県警の不祥事を暴くのを手伝ってくれるような弁護士を、どう探せばいいのか。第一、弁護士を雇うような金もない。父が亡くなってからは、食うがやっとのビンボー人の私だ。
市民オンブズマンが協力してくれないかと考え、連絡を取ろうとしたが、黙殺された。
そしてこの頃、一大事が起きた。私はPJ ニュースに妊婦事件関連の記事を、すでに10編ほど投稿掲載済みだった。その記事群がすべてライブドア上から削除抹消されてしまったのだ。
読者はその理由がおわかりだろうか。
もちろん私にはわかる。
だがその経緯を書けば、証拠がないため、さる筋から名誉毀損で訴訟を起こされる可能性がある。
ただ一言いっておこう。もしこのとき、堀江貴文氏がライブドア社長として健在だったら、告発の行方も違ったものになっていたかもしれない。
だが氏はこのとき塀の中だった。
さて、このころ私は、あるジャーナリストのブログ記事に目をとめた。
氏は、妊婦事件に関して愛知県警に取材を申し込んだのだという。ところが県警は、言を左右し取材を拒否する。
ジャーナリスト氏は、この対応を不可解に思い、「おそらく真犯人は警察関係者だったため、県警は逮捕を見送ったのだろう。取材拒否はそれを悟られないための対応だ」と推測していた。
ぶー、違っている。
県警が、妊婦事件に関しマスコミの取材を拒否するに至ったのは、私のライブドアがらみの告発活動のせいだ。
今ではもう憶えている人も少ないだろうが、2000年代半ばには「市民記者ブーム」というのがあった。
ライブドアの「PJ ニュース」を初め、ソフトバンク出資の「日本版オーマイニュース」、また「Janjan」「ツカサネット新聞」など、一般市民のニュース記事を集めるサイトが叢生していた。記事を投稿するものたちは「市民記者」と呼ばれ、その一般市民たちが創る新しいジャーナリズムが、マスコミに巣食う旧弊を打破していくのではないか、と期待されていた。マスコミからの注目も集めていた。
だから県警も、少なりといえども私のライブドアでの告発記事が、いずれマスコミを巻き込む騒ぎに発展していくのではないかと恐れたのだろう。
それが妊婦事件についての、マスコミへの取材拒否につながっていたと思う。
だが「市民記者ブーム」は、やがて線香花火のように終わってしまった。市民記者はまことに役不足だった。いや、市民記者だけでなく、編集者側も、ね。
私も告発HP こそ2010年まで続けはしたが、アクセスも伸び悩み、疲れがたまってきた。
HP のURL は、内容証明郵便で犯人の兄に送りつけていた。「あなたの弟が真犯人である」という文言も付け加えて。
兄はその内容証明郵便に反応を示さなかった。穏やかな人柄であることはわかっていたが、何といっても猟奇殺人犯と血の濃い人物だ。油断はできなかった。
告発をいつまでも続けると、本当に大事に至るのではないか、との不安は少なくなかった。
またこのころ、同居の母が認知症を発症し、介護に追われるようになった。
それで私は結局、撤退を決断した。HP をネット上から削除抹消してしまったのだ。
2010年に母が認知症を発症し、お漏らししたうんちの処理や、徘徊の追っかけなど、介護に追われる10年が続いた。
やがて母は階段から落ちて、大腿骨を骨折。もう在宅介護は無理だと、兄は母を施設に入れた。
このころ自宅は老朽化し、雨漏りはするわ壁は崩れるはの状態になっていた。一級建築士の兄の診断では、修繕はもう無理とのこと。家は解体処分し、私は賃貸に引っ越し、一人暮らしを始めることになった。
2021年にやっと地元を遠く離れることができた。1990年からこの日まで、猟奇殺人犯と目と鼻の先で暮らし、「いつか殺されるかもしれない」と不安を抱え続けた30余年だった。
2021年の地元自治会の組長担当者名簿に男の名前が掲載されていた。まだまだ健在であると、引っ越し直前に確認した。
転居後は、ようやく長かった不安な日々から解放され、枕を高くして眠ることができた。
そして三年ほど過ぎた。
私ももう還暦過ぎの婆さんだ。のんびり日向ぼっこしながら茶飲んで芋喰って、これからは平和な隠居生活を送りたいと思っていた。
だが、犯人や県警に対する怒りの火種は、なお心の底でかすかにくすぶっていた。
その火種が再び燃え上がったのは、語るに足らない些細なきっかけだった。
告発HP 閉鎖後の15年間、私はほとんどインターネットは利用していなかった。近所のスーパーにない珍味を、アマゾンでポチるくらい。
その間にインターネット環境はずんずん進展していた。2001年の告発開始の時代とはまるで違う。
それに加えて、転居で身の安全を確保した今だからこそ、できることがあるのではないかと考え始めた。
いま告発を再開すれば、新しい展望が開けるのではないか。
もう地元を離れてしまったが、Googleマップで犯人の住まいの画像を検索すると、2024年の今なお一階の窓には雨戸を立て、二階の窓はカーテンを閉め切り、世間の目を恐れている様子が確認できた。
妊婦殺人事件をリアルタイムで知らない若い世代も増えてきている。彼らにとってこの事件は、ホラー小説を読むように、現実感を伴わないものかもしれない。
だが事件は現実に起き、犯人はそこに実在している。犯行現場の至近距離で今も暮らしている。
私は、犯人が、己れの父親のあの葬儀の席でしたように、被害者遺族、特に息子さんの前で、泣き崩れて土下座して渾身の謝罪をする姿を、いつかこの目で見たいという願望がある。
極めて実現困難な夢想だろう。
ならばせめて、この事件の真相を、一人でも多くの人に知っていてもらいたい、せめてそれだけでも。
そう願い、告発サイトを再開復活する決心をした。
事件から36年目の秋だ。
【了】
1988名古屋妊婦切り裂き殺人事件、その隠蔽された真相 ケイ @nagikei000
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