悪女マデリーンの幻影

冬野ゆな

第1話

 悪女マデリーンはリサ・ラムスの当たり役だった。

 類い稀なる美貌と妖艶な色香を纏い、次々と男を手玉にとる魔性の女。堕落と悪徳に堕としていく稀代の悪女。窃盗、詐欺、殺人、薬。性欲を駆り立てられた男たちは、やがて彼女の掌の上に落ちていき、その哀れな針を突き刺す間もなく、たちまちのうちに道を踏み外してしまう。もはや彼女無しでは生きられず、何もかも満たすことはない。だがそのときにはもう、彼女の姿は露のように消えてなくなっている。男たちは彼女の幻影を求めながら、破滅していくしかないのである。

 そんな悪女マデリーンを主役に据えた映画は、興行収入的にはそこそこであるものの、多くの映画ファン達に拍手をもって迎えられた。小さな映画館でしか公開されなかったというのに、大作と変わらぬほどに長い期間上映されていた。いわば、知る人ぞ知る名作。一般人はともかく、映画関係者であればほとんどが知っている名作であった。


 しかしリサはそれ以降のヒットには恵まれなかった。逆に言えば、印象が強すぎたのが原因だった。リサ・ラムスの存在は映画関係者の中で有名だったが、彼女にはマデリーンの、ひいていえば「悪女」の印象が常につきまとったのである。そもそもが次の作品に出るのに苦労した。二、三本の映画に端役として出演したが、彼女は頭の片隅に引退の言葉を置くようになっていた。

 だが引退のもうひとつの理由として、彼女が付き合う恋人に要因があった。

「リサ・ラムス? もしかして、映画『悪女』の?」

「ええ。そうよ。知っていてもらえて光栄です」

「いや、こちらこそ光栄です! 僕の名前は――」

 男は映画監督志望の若者だった。

 初対面での浮き足だったような挨拶は、可愛らしくも見えた。男はまだほんの駆け出しで、映画業界でアルバイトをしながら自主制作の短編映画をいくつか撮っていた。映画は動画サイトでは評価されているらしく、上からの覚えも良かった。いつかリサを主役にした映画を撮りたいと言ってくれたが、良くも悪くも、この業界ではごく普通の若者だった。

 二、三度顔をあわせた後には、交際が始まった。あまり深い話をした仲ではなかったが、リサも彼の事は嫌いではなかったし、他に付き合っている男もいなかったからだ。ごくごく自然な流れだったように思う。

 だが何度かデートを重ねるうちに、男から別れを切り出されることになった。

「その、ごめん。イメージと違ったんだ」

「イメージって、何?」

 リサは落ち着いて聞きだそうとした。

「なんというかな、もっとマデリーンみたいな……そういうのを期待してたんだ。違うのはわかってるんだ! あれは映画の中だけで……。だけど、どうしても映画の彼女を期待してしまってたんだ。自分でもどうかしてると思ってる。これ以上きみを傷つけないためにも、どうか別れてほしい」

 頭を下げる彼に、リサは呆気にとられた。

 こういうこともあるだろう。特に相手は監督志望の若者だ。映画に印象が引っ張られるのはよくある事かもしれない。リサは自分を納得させるしかなかった。男はしばらく映画業界にいたが、いたたまれなくなったのかそのうちにいなくなっていた。けれどもそれは一度だけではなかった。

 次にリサは俳優友達のうちのひとりの男と仲良くなった。彼と懇意になってしばらくすると、やはり彼もまた「思っていた君と違った」という理由で別れを切り出した。

 そんなことが続くと、リサは少しだけうんざりした。


「リサ、また別れたんですって?」

 カフェでコーヒーを飲みながら、友人のキャシーは笑い飛ばすように言った。

「そうなの、本当にいやになっちゃう」

 リサはため息をついた。

「またいつもの? 『マデリーンみたいなのを想像してたよ』って」

「ええ、そう。またそれ」

 リサが言うと、キャシーは笑ってコーヒーを飲んでから言った。

「気を落とさないで。世の中、そんな男ばっかりじゃないから。フレッドとかボブとか、リサのことをよく知ってる男だっているでしょ?」

「ええ、そうね。そんな人たちばかりじゃないのは理解してるわ。だけど――いい加減、三度目よ」

 うんざりしたように言うと、キャシーは苦笑した。

「大丈夫よ。リサの良さは私がよく知ってるわ。でも、普段のリサはマデリーンとは正反対だものね」

「そうね。少なくとも真っ赤なドレスは着ないわ」

「映画の中じゃ似合ってたのに!」

 くすくすと笑う彼女に、今度はリサが苦笑する番だった。

「そうね。似合ってはいたけど、趣味じゃなかったから」

 男を手玉にとる趣味も無いし、パーティに入り浸るのも趣味じゃない。気の合う友達同士とたまに飲んで、普段は一人で本を読んだり、友人たちの携わった映画を見るのが趣味だ。実際のところ、リサはマデリーンにはほど遠い。彼女の言うように、正反対といえばそうだろう。

 キャシーはコーヒーを置くと、にやりと笑った。

「いいわ、このあとは女同士でぱーっと飲みましょう。アンとローラも誘って。どう?」

「ええ、喜んで」

 リサは頷いた。


 しかし、マデリーンの印象はよっぽど強かったらしい。

 その次にリサに食事でもどうかと誘ってきた男は、また映画関係者で、脚本家をしていた。何作か小説を売り出したあとに脚本家の道へと鞍替えしたらしく、二、三本のヒット作を生み出していた男だった。少なくとも軌道に乗りはじめていた男だ。

 ひとまずランチなら、と了承した。男と二人、連れだって軽く食事をとりながら、最新の映画について話すのは楽しかった。

 男が妻子持ちだと知ると、リサは残念に思ったくらいだ。

「あなた、奥さんがいたの?」

「あ、ああ……」

「あら。それじゃあこんな所で油を売ってちゃダメじゃない。奥さんは大事にしないと」

 リサは冗談めかして言った。対して、男がなぜか動揺しているのを見て不思議に思った。

「ああ……、だけど、いまはそんなことはどうだっていいだろう?」

 呆気にとられたのはリサの方だった。

「そんなことって。あなた、本気で言っているの?」

「きみこそ本気で言ってるのか?」

「どういうこと?」

「本当に、本気で言ってるのか?」

「当たり前でしょう。奥さんや子供までいるのに――私をなんだと思ったの?」

 男はまるで、リサが奥さんの事を忘れさせてくれるのを待っているようだった。愛人にでもするつもりかと思ってから、リサは怒りを覚える前に別の意味でぞっとした。

 テーブルに置いていた荷物を素早く手にする。

「ごめんなさい。あなたには応えられないの」

 早口で言うと、すぐさまとってかえした。後ろから彼が何事か言うのが聞こえてくる。聞こえないふりをして、すぐさま逃げた。いったいどういうつもりなのか。足が痛くなろうとも、その歩みを止めるつもりはなかった。

 リサは、マデリーンが映画のなかで妻のいる男を破滅させていくのを思い出した。

 偶然なのか。

 その滑らかで鮮やかな手段を求めて、男は声をかけてきたというのか。なぜ、こんなことになっているのだろう。


 それからしばらく、リサは男性不信に陥った。

 思ったよりもショックは大きかったらしく、しばらくは次の映画に出ることさえ叶わなかった。持ち込まれる役がほとんど悪女やそれに似たような役ばかりだったので、辟易していたのもある。仕事があるだけまだマシだったが、その役もまたマデリーンに影響を受けたような二番煎じの役ばかりで、マデリーンほどの悪女かと言われると微妙なものばかりだった。

 そんなときだった。

 キャシーから不意に電話が掛かってきた。リサにとっては良い気晴らしだった。最近のお互いの近況を話し合うと、キャシーがおずおずと話し出した。

「そういえばリサ、最近、誰かと付き合ってる……?」

「ううん。男はしばらくこりごり」

「そうよね……」

「どうかした?」

「リサに似た人を見たの。……いえ、リサっていうよりは……マデリーンに似た人を」

「……へえ?」

 どう反応していいかわからなかった。

「あまりにそっくりで……リサかと思って声をかけたの。リサ、って。そうしたらその人は、『ええ、そうよ』って答えたの。『でも、その名前は嫌い。マデリーンって呼んで』って……」

「なに、それ? コスプレイヤーとか?」

「わからない。でも、本当にあなたじゃないのよね?」

「私はむしろ、マデリーンとは呼んでほしくないわ」

 キャシーだけでなく、リサも困惑しながら電話を切った。

 そんなに自分にそっくりだったのだろうか。

 キャシーの話によると――マデリーンと名乗った彼女は、コスプレというわけでもなさそうだった。派手な衣服で、夜の街にいたという。キャシーは恋人のジェームズと一緒に、呑みに行く途中だったという。そのときにマデリーンらしき女に声をかけたのだと。そして――。彼女がすぐに踵を返して行ってしまうと、二人は呆気にとられて、しばらくその後ろ姿を見ていたという。マデリーンのような女は、彼女に声をかけたつまらなそうな男を、にこりと笑うだけで無視した。その笑みひとつだけで「ま、待ってくれ……」と男を追わせたが、バーの前で待っていた違う男の腕をとって、中に入って行ったのだという。それだけだった。

「……私じゃないのは確実だけど……」

 そんな女性がいたのか。

 同じマデリーンという名前。あるいは、彼女もリサという名前なのかもしれない。同性同名で、自分とは真逆の女性。

 ――いままでの男たちも、彼女に先に会っていれば……。

 自分に幻滅するようなことはなかったかもしれない。


 しかしそのもう一人のマデリーンは、確実に「居る」ようだった。

 リサが買い出しに出て街中を歩いているときのことだ。

「マデリーン!?」

 彼女は後ろから肩を掴まれ、勢いよく顔を見られた。思わず小さな悲鳴をあげる。

「あの……」

 知らない男だった。

 呆気にとられて、目の前の男を見る。男はまじまじとリサを見ると、冷静になったようだ。

「……いや、すまない。人違いをした。どういうわけか……あなたがよく似ていたもので」

「映画の話だったら……」

 私がリサ・ラムスですよ、と言う前に、彼はカッと顔色を青くした。

「違うんだ、すまない。ごめん!」

 彼は何度もそういいながら走り去っていった。

 それが一度や二度ではなかった。

 むしろ走り去られるならまだいい方で、恐ろしさでリサが逃げようとすると、怒ったり追いかけてくる男までいた。

 ――なんなの。

 男たちは一様に「マデリーン」を探していた。それだけではなかった。突然、見ず知らずの女につかみかかられたこともある。

「あんたがマデリーン?」

 女性はリサをまじまじと見て、信じられないものを見るような目で見た。そして、鼻で笑った。

「思ったより地味な女ね」

「なんですか。あなた、誰ですか?」

「なんですか、じゃないわ。あんた、マデリーンでしょう。私の旦那に手を出しておいて、よく言うわ!」

 そう言って肩を突き飛ばされる。

「マデリーンって……映画の話ですか?」

「映画って何よ?」

「マデリーンは映画の話でしょう。私はリサです!」

 リサがそう叫ぶと、女は訝しげな顔をした。怒りに震えた顔でいきなり殴りかかってきた。助けを求める声に警察がやってきて、ようやく解放されるまでに時間が掛かった。

 ――本当に、何が起きてるの。

 わからなかった。

 もうひとりの「マデリーン」のおかげで散々だ。彼女はそんなに自分に似ているのか。――いや、どちらかいうなら、マデリーンに扮した自分に似ているというべきか。そしてその「マデリーン」は、映画の中よろしく、あらゆる男に手を出しているに違いなかった。


 リサはしばらく人目を避けるように生活した。それでもマデリーンの噂は耳に入る。いい加減辟易してきた。引退の二文字が揺れる。いや、引退したとして、果たしてこの状況から抜けられるのだろうか。

 そんなときに、キャシーから再び連絡が入った。

「今度、パーティがあるの。出ない? 気晴らしに。ね?」

 気に掛けてくれる友人がいる――その事実が、リサを安堵させた。

 主催者は聞いたことのある監督で、定期的に開かれているものだ。リサも以前、出席したことがある。それに、顔を出しておいたほうがいい。また顔を売っておけば仕事を貰える可能性だってある。リサは、クリーム色のドレスを着て出かけた。普段かけている眼鏡も持った。いまどきは一人で出席しても特になにも言われないが、誘ってくれたキャシーとその恋人の二人と待ち合わせをして向かうことにした。二人と合流して、タクシーでパーティ会場へと向かう。

 久々のパーティは華やかで明るい雰囲気に満ちていた。

 見知った構成作家や監督に挨拶をして周り、ふと周囲を見回す。見た事のない人々もいた。耳を澄ませると、名前だけは聞いたことのある監督や作家もいた。その反面、まだパーティに慣れていなさそうな若者や若い女性も。きっと彼らも何かを目的にしてここへ来たのだろう。さてどうするかと思っていると、中年くらいの男がリサを見た。知らない男だった。

「マデリーン……?」

 リサは苦笑した。

「ええ、そうです。マデリーン役のリサ・ラムスです。あなたは?」

 男は一瞬、息を呑んだようだった。

 それからリサの頭の上からつま先までをまじまじと見つめた。

「なんだって?」と男は呆然としたように言った。「役だって? なにを言ってるんだ?」

 突然、腕をとられる。持っていたシャンパンの中身が揺れた。

「……あの、なんですか?」

「そんなわけないだろう!」

 掴まれた腕がぎりっと痛む。

「マデリーン! いままでどこにいたんだ? 俺を放っておいて!」

 唾が顔に飛んできそうなほど近く、リサは慄いた。

「なんなの? やめて、やめてください!」

 大声をあげると、やがて騒ぎに気付いたキャシーが振り返った。慌ててジェームズを呼ぶ。ジェームズはキャシーの肩を叩くと、すぐにやってきた。

「僕の友人に何をしてるんだ!」

 ジェームズが近づいてきて声をあげる。男は彼を見た瞬間、頭に血を上らせた。

「お前がマデリーンを!」

 男は、ジェームズの顔面めがけて勢いよくパンチを繰り出した。ジェームズはぐらんと頭を揺らし、たたらを踏んだ。周囲から声があがる。

「一体なにを――」

 ジェームズがまだ立て直す前に、男が思いきりつかみかかった。

「お前か! お前かあ!」

 男はヒステリックに拳をジェームズの顔めがけて何度も振り下ろす。ジェームズは腕でなんとか拳をガードしていた。

「ジェームズ!」とキャシーの悲痛な声。

「誰か警備員を!」と誰かの声。

 周囲にいた男たちが、わっと殴りかかる男を取り押さえようと動いた。ようやく男が引き剥がされたが、男はまだ何か叫びながら暴れ回っていた。

「ジェームズ!」とキャシー。

「ジェームズ、大丈夫!?」とリサ。

 キャシーと二人で、倒れたジェームズを起こす。

「こいつは俺を騙したんだ! こいつは……」

 男はまだリサを指さして喚いていたが、リサはキャシーと二人でジェームズを壁際まで移動させた。目の下を切ったのか、片目を痛そうにしている。鼻も打ったようで、血まみれだった。誰かが急いで、シャンパンを冷やしていた氷水とタオルを持ってきてくれる。

「ああ、ジェームズ、ジェームズ……」

 キャシーの声を聞きながら、リサはクラクラした。まだこんなことが起きるのか。

 ようやく救急車と警察がやってきて、男は警察に連行されていった。ジェームズは一応救急車に乗ることになり、キャシーはついていくことにした。

「リサ、ごめんね」

「いいの、大丈夫――。彼についていてあげて」

 リサはキャシーを送り出した。


 パーティは一旦解散になった。

 中にはリサに同情的な目線を向ける人もいたが、理由を知らない人々は好奇の目で彼女を見ていた。巻き込まれたのか、それとも本当に知らんぷりをしていただけなのか。

 リサが外に出ると、雨が降っていた。ますますため息が出る。

 タクシーを呼び止めたかったが、こんなときに限って走っていない。呼ぶ気にもなれなかった。リサは雨の降る中を、濡れることも厭わずにとぼとぼと歩いていく。普段だったらこんなことはしなかった。しばらく歩けばタクシーの来そうな場所に行けるだろうと、道を歩く。夜の道は誰もいなかった。ふと周囲を見回して、ぞっとする。

 ――いやだ。やっぱりタクシーを捕まえればよかった。

 コツコツと、足早に大通りに出ようとする。ハイヒールを履いた足が少し痛む。

 ――ああもう。脱いじゃおうかな……。

 ハイヒールなのだから余計に歩くなんて愚策だった。少しだけ立ち止まる。どうにかならないかと少しだけ足に手を伸ばそうとする。背後からコツコツと同じ速度で歩いていた足が止まった。

 ――……。

 悪寒がした。

 背後に人がいる。自分が立ち止まったから、向こうも立ち止まったように思える。そんなはずはない。いや、もしかしたら誰かにつけられていたのかも。変質者か強盗か、それとも。そっと壁際に寄って、わざと足に触る。そっと後ろの人物の様子を伺った。暗い中に、外灯に照らされた見覚えのある真っ赤なドレスと、赤いハイヒールが見えた。女の人だ。少しだけホッとする。自分と同じように、パーティ会場から帰る途中の人かもしれない。けれど、どれだけ待っても彼女が歩き出すことはなかった。

 視線を、ほんの少しだけ上に向ける。

 見たくなかったが、それよりも先に顔が視界に入ってきた。

 ――……そんな。

 リサと同じ顔があった。

「マデリーン?」

 扇情的で、魅惑的な真っ赤なドレス。

 マデリーンは怒りに燃えていた。

 ――これは、私だ……!

 自分だからこそわかる。彼女は怒っている。自分に対して怒りを向けていた。何故なのかはすぐにわかった――マデリーンにとっては、リサこそが自分の影なのだ。落ち着きのあり、清廉で、地味な女。そんなものが自分の影として現れることに我慢ならなかったのだ。

 リサは踵を返して駆け出した。雨の中を、ハイヒールで転びそうになりながら駆け抜けていく。途中でハイヒールを脱ぎ捨て、裸足のままコンクリートの上を駆け出していった。もう喉の奥からは悲鳴さえ出てこない。後ろからはマデリーンがナイフを持って追ってくる。リサと同じようにハイヒールを脱ぎ捨て、自分の恥部である影を殺すために。

 リサは声を出したかったが。恐怖で声も出なかった。ときどき後ろを見ながら、一目散に逃げる。雨でぬかるみ、水の溜まった路面に足を突っ込み、彼女の服は泥だらけになっていく。同じようにマデリーンもその後ろを追うと、もはや二人はどちらがどちらだったのかわからなくなっていった。

 橋の上で、リサはマデリーンに髪の毛を掴まれた。

「やめて!」

 リサは振りほどこうとした。

「あんたを殺せば、私が本物になる」

「いやっ、私がリサよ! 幻覚なら消え去って!」

 ナイフが左肩に突き刺さり、痛みが走った。その腕をもう一度振り上げ、今度は攻撃を防ごうとした左腕に刺さる。小さな悲鳴をあげると、再びナイフが抜かれてもう一度刺された。

「くうっ……!」

 なんとか両手でマデリーンの胸を突き飛ばした。体が離れた隙に逃げだそうとするが、すぐに白いドレスを掴まれた。リサの体が橋の欄干に押しつけられる。

「やめてっ! あなたはだれなの……!」

「私がマデリーンよ。あなたが偽物」

 リサは大きく体をそらされ、欄干にぐいぐいと押しつけられていた。震える手で、マデリーンの赤いドレスを掴む。互いに押し合い、そして引っ張りあうようにしながら、二人はついに絡み合いながら橋の下へと落ちていったのだった。


 翌朝、橋の下で息絶えているリサ・ラムスが発見された。

 彼女は泥で汚れ、白いドレスは集中的に刺された片側が真っ赤な血で染まっていた。胸の上にナイフが突き刺さり、手足をあちこちに向けていた。致命傷になったのは橋から落とされた時の衝撃だと判明した。どうやら何者かに追いかけられたと見え、彼女のハイヒールは何故か片側だけが道路で発見された。後ろで纏めていた金色の髪は崩れて、髪の半分が大きく羽のように広がっていた。そして、半分に割れた眼鏡は片側だけが顔の上に載っていた。

 彼女が誰かから逃げるように走っていたと証言する者もいたが、彼女は一人で走っていて、追いかけていた者はいなかったという証言もあった。また、友人達の証言から、彼女をマデリーンと同一視した男の犯行だろうと推測された。

 しかし、その写真を見た人々は一様に息を呑んだ。

 なぜならその死体は、半分がリサ・ラムスで、もう片方がマデリーンのように見えたのだ。

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