原稿用紙2枚程度で徳川追討令が下った経緯をまとめてみた

乙島 倫

カードゲームで始まる徳川追討令

 京都近くのとある屋敷に大名と公家が会合を開いていた。大名は第十五代将軍の徳川慶喜、京都守護職・会津藩主の松平容保まつだいら かたもり、京都所司代・桑名藩主の松平定敬まつだいら さだあき。いわゆる一会桑の3名。公家は青年の佐知宮。十五歳前後で、どこか高貴な公家の人物だと言われていた。


 この4名が集まったのは初めてではない。ある時は京都市内の大名屋敷、ある時は公家屋敷。またある時は御所の一角であった。


 彼らの会合の話題は、長州でも薩摩でもない。ましては尊王でも攘夷でもない。彼らが夢中になっていたのは西洋のカルテ遊びであった。


 今日も意気揚々とゲームが始まる。この4人の中で最も目を輝かせていたのは佐知宮さちのみやであった。


「よし、始めよう。容保。カルテを配ってくれ」

 佐知宮は上機嫌である。いつも連戦連勝だったからである。


「今日は、手加減いたしませんよ」

「ふふふ、慶喜。たまには勝たせてやりたいが、そうはさせぬぞ」


 青年が勝っていたのは理由があった。それは大人たちが勝たせてくれていたのだ。しかし、その日は違った。大人たちは本気であった。次々と切られる佐知宮のカルテ。手札がなくなった慶喜がまず上がりとなり、次に容保、定敬と続いた。あまりの惨敗っぷりに、佐知宮は困惑していた。


「今日は調子が悪いようじゃ・・・」

「しばらく大阪に下ります故、また、京に上った際にお手合わせください」


 そう言い残すと、3名の大名は去っていった。



 翌日、佐知宮は書写に取り組んでいた。青年とはいえ、まだ教育を受ける身分。筆、硯と半紙の前にした佐知宮に教育係の玉松真弘たままつ まひろが声を掛けた。


「本日、お題はございません。お上の思うままのお気持ちをしたためてください」

 佐知宮は筆を走らせながら、昨日のカルテ遊びのことを思い出していた。


「おのれ・・・」


 佐知宮が書き終わった時、遅れてきた岩倉具視いわくらともみが広間に入ってきた。岩倉は半紙をみて驚いた。そこには「容保と慶喜を追討せよ」と記されていたからであった。

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