鬼と泥棒

白瀬るか

鬼と泥棒

「なんか、拍子抜けだな」

 骨董品や古道具が並べられた、静かな無人の展示室が暗視ゴーグル越しに広がる。監視カメラ、人感センサーなどのセキュリティがないことは事前の下見で確かめてある。夜間に警備員が雇われていないのも、調べが付いていた。とはいえ、発見できていない警備システムが存在する可能性も無視できないと、侵入には細心の注意を払った。が、忍び込んでみれば、入り口が二重鍵になっていた以外、防犯にはさっぱり気を配られていない。

 つまり、この博物館はただ鍵を掛けられただけの箱。開けてしまえば、後は中身を漁り放題というワケだ。

「これは久しぶりに楽な仕事になりそうだぜ、相棒」

 インカムの向こう、外で見張り役を務めてくれている相棒に語りかける。こんな簡単な作業で大金が手に入ると考えると、声が弾むのを抑えられない。

「あまり無駄口を利くな。関係者が不意に訪れるかもしれないだろう。それに、いくらここが街から離れているとはいえ、人が通りかからないとも限らない」

 不機嫌そうな、こそこそとした声が返ってくる。相棒は頭が良く想像力というものが備わっているせいか心配性で、あれやこれやに気をつけろといつも細かい指示を出してくる。それを鬱陶しく感じるときもあるが、助けられたことも何度もあるのであまり文句は言えない。

「大丈夫だと思うけどなあ。だってここ、日中の開館中でも人いなかったじゃん」

 変装して下見をした際、日曜日だというのに客は二人の他には誰もいなかった。いつもそんな調子なのだろう、パートらしき受付のおばさんも、うつらうつらしているような有様だった。

 せっかくの休日に個人のコレクションを並べた、郷土資料館じみた博物館を訪れる物好きなどそうそういないと予想しておくべきだったのかもしれない。他の見物客に紛れて館内を調べるつもりだったが、結局こんな調子なので人目を憚らず好き勝手させてもらった。

「気を抜くな。仲介屋の話では、腕利きが三人もここで消息を絶っているそうだ。一見しただけでは分からないようなトラップが仕掛けられているかもしれない」

「へいへい。気をつけますよっと。でも大本の依頼はどっかの大富豪からなんだろ? 金持ちの考えることは分かんないよなぁ。鬼の干物が欲しいなんて」

「干物じゃない、木乃伊だ。いいからお前は目的のブツを盗み出すのに集中しろ」

 神経質な相棒にはーい、と気のない返事を返す。ハッキングから死体の後片付けまでやる何でも屋として、この手の仕事は度々こなしてきた。その勘からいっても、このぼろっちい建物に人ひとり消してしまうような大層な仕掛けがあるとはどうしても思えなかった。

 消えた三人というのも、報酬より価値のあるお宝でも見つけてフケただけじゃないだろうか。もし、こんな日陰の仕事から足を洗えるくらいの財宝でもあったら、自分たちもそうするかもしれない。

 ひとまず財宝の夢は脇に除けておいて、当面の生活のために暗い館内を進む。スコープ越しでも分かるくらい天井には雨漏りの跡があるし、床のタイルは所々割れている。来館者が少なく売上も少ないせいで、館内の修繕が疎かになっているのだ。

 こんな状態にも拘らず、依頼人が例のブツをかなり高額で買い取ろうと持ち掛けても、この博物館の主である館長はきっぱりと断ったそうだ。

 この館長がなかなかの曲者らしく、脅してもすかしても鬼の木乃伊を渡そうとしない。業を煮やした依頼主は金にものを言わせて人を雇い、博物館から盗み出すことにした。しかしそれもどういう訳か失敗が続き、こんな場末の何でも屋まで御鉢が回ってきたとみえる。

「鬼の木乃伊は不老不死の薬になるって、本気で信じてるのかね、その金持ち」

 おしゃべりな仲介屋が漏らした依頼人の動機を思い出し、ぽつりと呟く。無視されるか、良くて叱責が飛んでくるだけだと想定していたが、意外なことにちゃんとした返答が返ってきた。

「始皇帝の昔から、金も権力も手に入れた人間が考えることなんて同じさ」

「じゃあ俺らはそんなモン飲む羽目にならなさそうでよかったな」

「違いない」

 相棒は馬鹿にしたようにふん、と鼻を鳴らす。それと同時に、目的の扉に辿り着いた。

 鬼の木乃伊は収蔵目録に載っているものの、一般向けには公開されずに地下の特別収蔵室に安置されているらしい。目の前の木で出来た古い扉はその入り口であり、もちろんしっかり施錠がされている。

 扉自体は塗料の剥げかけた年季の入った木製であるが、把手の上にはピカピカのシリンダー錠が取り付けてある。一応、防犯意識はあるらしい。それでも特殊な錠でないことは事前に確認済みだ。あとは造りが複雑でないことを祈るばかりだったが、どうやらそれも杞憂だったようだ。

 がちゃ、と無機質な金属音が館内に響く。予想以上に大きな音が出たので、息を殺して一度辺りの様子を窺う。人の気配がないことを確認すると、素早く扉の向こうへ身を滑り込ませ内側から鍵を掛ける。

 そこは階段室というのか、一メートル程度の短い廊下の先に下りの階段があるだけの空間だった。昔の建物にありがちな、梯子かというほど角度のついた階段を転がり落ちぬよう慎重に足を運ぶ。降りきった先では、上にあったものとよく似た扉が立ち塞がっていた。しかしこちらには鍵は付いていない。

 耳をそばだて、中に人がいないことを確認するとそっと扉を押す。中はがらんとした立方体状の空間だった。地下室なので当たり前だが窓はなく、床も天井も壁もコンクリートで塗り込められており空気が淀んでいる。殺風景な部屋の中央に、人ひとり入れるくらいの蓋付きの桶らしきものが安置されていた。

 座棺、という言葉が頭に浮かぶ。確か、土葬していた時代の棺桶だっただろうか。そんな語彙が自分の中にあったことに驚きつつ、そろそろと円形の箱に近付く。気配は感じられないから、中に生きた人間が隠れているとうことはなさそうだ。

 ぱっと見でも分かるくらいしっかりした木材で、かなり重さがありそうだ。容れ物ごと盗むのは不可能だろう。

 もとから、動かせないケースなどに保存されていた場合は中身だけでいい、とは言われていた。が、可能ならば鬼の木乃伊なんて気味の悪いものに触れないで済ませたかった。

 気味が悪いは悪いが、一方でホンモノの木乃伊を見るのは初めてで少しわくわくする気持ちもある。怖いもの見たさ、というのだろうか、胸が高鳴るのを感じながら蓋を持ち上げた。

 箱の中身を見て、高鳴っていた心臓が止まるかと思った。棺の底に、少女が膝を揃えて座っていたのだ。

 反射的に足が動き、棺から距離を取る。真っ赤な振り袖を纏った少女はしかし、目を閉じたままぴくりとも動かない。

 落ち着いて観察してみれば、胸の上下もなく、口元も呼吸しているような動きはない。顔にも全く血の気はなく、生命活動は完全に停止しているようだ。これが、目的の木乃伊だというのだろうか。

 ふと、豪奢な花々が描かれた右袖の中に膨らみがなく、布だけが垂れ下がっていることに気がついた。腕が欠損しているのだ。

 上前をはねたと思われたらイヤだな、など考えながら蓋を脇に置き、運び出す準備を始める。半ば現実逃避的に、体が勝手に動く。

 真贋を見極めることは仕事に含まれていない。ただ、指示された対象を盗み出せばいい。そう自分に言い聞かせるが、この木乃伊はあまりにも予想外すぎて頭のいい相棒の意見を聞きたくなった。地下で通信がつながらないことに舌打ちしたくなる。

 念のため、大きめの袋を持ってきてよかった。屈み込んで巾着状になった口を大きく広げ、床の上に準備する。美しい少女の外観をしているとはいえ、得体の知れないものを長時間直に触れるのは御免だ。

 とにかく、この木乃伊だか死体だかをさっさと博物館の外に運び出す。そうすれば相棒に相談もできるし、何よりこの気味の悪い空間から早くおさらばしたかった。

 立ち上がり桶の中を再び覗き込んだ瞬間、今度こそ心臓が止まりそうになった。少女の光のない真っ黒な瞳が、こちらを見上げている。

 なぜ、先ほどは確実に、目を閉じていたのに。恐ろしいのに、金縛りに遭ったかのように目を離せない。

 少女の口ががばり、と大きく開く。白い歯も桃色の舌も見えず、まるで奈落に繋がっているかのように真っ闇だ。

 刹那、少女の顔が眼前に迫り、暗闇に呑まれるように意識を失った。


 相棒が消息を絶って一ヶ月。再び博物館にやってきた。

 方々手を尽くして行方を捜したが、やはりまだこの博物館にいるとしか考えられない。

 こういう体を張った潜入は相棒に任せきりだったから不安があったが、あっさりと地下室まで辿り着くことが出来た。

 コンクリートで固められた地下室の中央に、土葬時代のような座棺がぽつん、と安置されている。

 彼がいるのではないか、と恐る恐る棺の蓋を持ち上げる。が、予想に反してそこには十代半ばくらいの少女が端座していた。

 行儀良く並んだ両膝の上にきちんと両手を重ねて置き、まるで眠っているかのように小首を傾げて――

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