第32話 後戻りはできない
「あ、あきらくん……っ!」
帰りを待っていたのか、校舎の玄関でゆかが立っていた。
けれども、俺の表情の異変に気づいた彼女はすぐに心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ど、どうした……の?」
どうしたのか——それは、俺自身も分かっていない。
ただ、あの書き残された言葉が脳裏から離れない。
俺は誰かに、憎まれている。殺したいほどに、深く憎まれている。
その執念があまりにも生々しく、冷ややかに胸に重くのしかかっていた。
「あきらくん、もしかして……失敗、しちゃったの?」
彼女の声が現実に引き戻す。
確かに、そうとも言えるかもしれない。あ
のくだらない書きつけに囚われ、気づけば証拠を持ち帰ることさえ忘れていたのだから。あの言葉の連なりが、すべてをかき消したように。
「……まぁ、似たようなもんだよ」
曖昧な返事をしながら、視線を逸らす。
何かが心の奥で冷たく凝り固まっているのが分かる。何か——何か、大事なものがわずかに欠けていく感覚がして、気持ちを持ち直すことができない。
「これから、どうしよう……」
ゆかの小さな声が耳に届く。
だが、俺の視線はどこにも焦点を定めず、ただ遠くを見つめていた。
あの「記録」と「メモ」……俺を憎み、恨む声がそこに記されていた。
まるで、俺をどこまでも追い詰めようとするかのように。心の奥で、何かが裂けてしまうような感覚が広がる。
「……簡単なことさ」
俺は自分でも驚くほど冷えた声で言い放つ。
ゆかが不安げにこちらを見つめているのがわかるが、もはや同情も迷いもない。
ただ、心の奥から湧き上がるのは、苛立ちと無力感。
そして、それを打ち消すように現れるのは、一つの計画だった。
「なぁ、ゆか」
俺はゆかに向かって淡々と話し始める。
「間谷ってさ、気に入らないよな? アイツ、悪事をしてるのに、それがバレないようにごまかしてるし、偽善者のフリしてる。そんなヤツに痛い目見せてやる方法を思いついたんだよ」
「え……?」
「そ、それってどういうこと?」
あどけない表情のゆかに、俺の胸が少しだけ騒ぐ。
彼女は何も知らない。俺の本心も、俺が何をしようとしているのかも。
だが、その純粋さが逆に利用しやすい──そう考える自分が、どこか薄暗いものを背負っているのを感じる。
「いや、気にしないでくれよ。ただ……お前が少しだけ協力してくれたら、もっと周りを驚かせることができるかもって、そう思っただけさ」
俺が軽くそう言うと、ゆかはますます不安げな顔をしたが、ためらいがちな声で口を開いた。
「協力って……どんなこと、すればいいの?」
俺はその問いに、ゆかの視線をまっすぐ見据えて、にやりと笑う。
「間谷に近づけ、ってことさ。あいつをうまくおびき寄せて、証拠を掴むんだ。そしたら、俺たちもアイツを潰せるだろう?」
「……でも、それって私が……間谷先生と……?」
「そうだよ」
俺は無表情のまま頷いた。
「どうだ、できるか?」
一瞬、ゆかは躊躇したようだったが、やがて固い表情で小さく頷いた。
彼女の目に見え隠れする不安を知りつつも、今の俺にはそれを気にする余裕もなかった。
何もかもを壊してやるつもりで、ただその先の目的に目を向けていた。
「じゃあ、早速動こうか。明日から準備だ」
間谷の弱味をつかんで〝脅迫〟だなんて、俺にとっては生温すぎる手段だった。
どうしてここまで俺が嫌われ、憎まれているのか──その理由がようやく分かりかけている気がする。
あの議事録を読んだことで、一歩、本当の自分に近づいた気がするのだ。
退学なんて、もうどうでもいい。
今の俺には、守るべきものなんて何もない。
ゆかを使って、もっと過激で、刺激的な事件を起こしてやる。そうすることで、失われた記憶の隙間に潜む、真の自分が現れるのかもしれない。
後戻りなどできないのはわかっている。
それでも、道の先は暗く、もはや選ぶことなど許されない。今はただ、闇の中へと、歩き続けるしかなかった。
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