第13話 悪魔の囁き
途端に出た言葉に、篠崎は能天気にもクエスチョンマークを頭に浮かべている。
普通……気付かないか?
イジメられている彼女を助けない男だぞ。
幻滅するだろ、一緒にいて苦痛に感じるハズだろ。
「ダメ……かな?」
なのに、どうして傍にいようとする。
……いや、そもそも、お前と俺では釣り合いが取れていないだろ。
俺がお前みたいな奴を相手にすると、本気で思っているのか……?
「うっとしいな……帰れよ」
思考を重ねる度に背中がむず痒くなるので、さっさと追い払おうとした。
けれど、帰ろうとしない。むしろ、距離を縮めてこようとさえしている。
どうしてだ。
「や、やだ……」
「嫌じゃねえんだよ、帰れ」
そんなやり取りが数回続くと、もう限界だった。
言う事の聞かない女には、手を上げるしかない——
「捨てないで……」
ミシリ。軽い電流が頭を掴んできたような感覚がきた。
飼育拒否された子猫みたいに、その瞳を覗かせる。
殺処分されるなんて一ミリも思ってもいない、希望はなくとも、絶望を知らない顔。
それが俺の何かを変えようとしている。
「あきらくんのこと、好きなの……」
好きだと言われた。理由は分からない。
だけど、俺は応えなければならない訳でもない。
だって、罰ゲーム……なんだぞ。
面白半分どころか、全力で笑いにかかっている俺たちの悪意は、分からないのか……?
今にも消え入りそうな篠崎の顔は、俺の何かを突いてくる。
「お願い……」
「……っ!」
どくん……。
何度突き放そうとも、篠崎はやめようとしない。
その光景が何とも憐れで、惨めで……『黒い感情』が芽生えてしまうのだ。
「……お前って、イジメられるの嫌じゃないの?」
そして、興味が湧いた。この女の考えている事がなんなのか。
すると、その問いの答えは、あっさりとしたものだった。
「いや……だよ? 怖いし、つらい……」
「へぇ、そう。篠崎って、本当に俺の事好きなの? 実は断ったら怖いから仕方なく付き合ってるとか、そういうのじゃねえの?」
不敵に笑って、いじわるな問いかけをするも、篠崎は即答だった。
「す、好きだよ……っ!」
「本当か? お前、俺のどこが好きなの」
「一緒にいて、安心するの……」
「意味が分からん、別にお前に優しくしたことないだろ」
「あ、あきらくんだったらいいの……っ!」
ちょっと理解に苦しみ、参ってきた。
くだらない返事が多くて呆れ気味に言う。
「なに、マゾヒスト? 気持ち悪いし引くわ」
「違うのっ、本当に……あきらくんだったら……っ!」
「そのあきらくんってなに、本気で付き合ってるつもり?」
「え……?」
急に青ざめたような顔を見せる。
これが罰ゲームだとバレてもよかったが、話を変えることにした。
「まぁいいや……で、俺のどこが安心するわけ?」
調子に乗って高飛車な発言をしてしまっただろうか。
すると、意外な返事が返ってきたのだ。
「あきらくんに命令されるのが、安心するの……」
「命令?」
あぁ、そういえば告白した時も『付き合え』だったよな。
「もしかして俺が付き合えって言ったから付き合ってんの?」
冗談のつもりだったが、篠崎は本気だった。
目でそう語り掛けてくる。
「え、マジで……? じゃあどっか行けって言ったり、メシ買ってこいっていうのも、命令だから受け入れるってワケ?」
篠崎は答えにくそうに、視線を横に逸らしているのだ。
なので、下から覗き込むように眼を合わせようとする。
なんだか、照れる女の子にちょっかいかける男の子みたいだ。
それに観念したのか、篠崎は妙な事を言ってきた。
「——あのね、私……人から命令されるのが、すごく楽……なの」
「……楽?」
「うん、自分で何かを考える事が嫌……なの」
つまり、思考放棄だ。
篠崎は神妙な面持ちで、話を続ける。
「昔ね……私の小さな時、お父さんとお母さんがあぁしなさい、こうしなさいって……それを聞いて、今まで一緒に……過ごしてたの」
過去形……という事は、今は違うという事だろうか。
「けどね、私が命令を聞かなかったから、ちゃんと言われた通りに出来なかったから……お母さんたちに、私捨てられちゃって……」
その『捨てられた』からは2、3通りくらいの受け止め方がある。だが、口下手な篠崎が頑張って俺に喋っているので、あえて質問で話を止めない事にした。
すると、彼女はこう言った。
「だからね、もう……見放されたくないの……」
見放されたくない……?
俺は少々動揺を覚え、理解に苦しみ、率直に尋ねた。
「いや、どうしてそうなるんだよ」
「だって、私……もう考える事が嫌、だから……」
篠崎がもごもごと、口に出すのを億劫そうにしているので、代弁してやった。
「だったら、お前は皆から見放されるよりも、甘んじてイジメを受け止める方が『楽』だって言うのか……?」
「……」
篠崎は無言を貫く。
それはつまり……肯定を意味していて——
「ば、馬鹿だろお前……っ!」
俺は呆れにも似た、深い困惑に陥った。
篠崎と違って、俺は人から見放されたいと思っている人間だ。
誰だって、一度は子供心で両親に見放されたくなくて、必死に頑張って、報いれるように働きかけたことはあると思う。
けど、いつかは精神的に自立して、そんな執着を諦めるだろう。
……なのに、どうしてお前は『見放される』事に執着するんだ?
「誰かに、存在を忘れられる事が……怖いの……」
俺が捨ててしまった幼気な気持ちを、今もまだ篠崎は持っている。
いや、そもそもどんな形であれ、俺たちの年齢では既に卒業している感覚なのではないだろうか。
「おかしい……」
変だ、間違っている……。
けれど、その意見を今までの行動に照らし合わせれば、辻褄が合う、合ってしまう。
「ねぇ、私おかしいかな……お、おかしい……よね」
彼女はイジメを苦に壊れていたのかと思っていたが、最初から壊れていたのだ。
おかしい、コイツの存在は、おかしい……。
けれど、認めて欲しいとばかりに篠崎は近寄ってくるので
「やめろ、そんな目で俺を見てくるなっ!」
「きゃっ……」
訳が分からず、反射的に手が出てしまった。
底から湧き出る恐怖。彼女から何かベクトルの同じようなモノを
「お、俺は……コイツとは違う……」
わなわなと震えていると、俺の身体に異変が奔った。
どくん。
水面から跳ねる魚のように、俺の心臓は拍動した。
飛沫が残り、僅かに水面を揺らし、波打っていく……。
「うっ……なんだよ、これ……」
そして、頭に光が走った。記憶がフラッシュバックするように、様々な光景が目に張り付く。楽しかった思い出や、嫌な思い出まで……。
「……っ!」
何が起こったかは分からなかった。
が、突如誰かの声がした。
『 ——ダメですよ、そんな事をしては。 』
紅茶に添えられた茶菓子のような甘い声、苦い経験をそっと舐めとってくれる。
俺は、この人を知っている……けれど、顔にモヤが掛かって良く見えない、思い出せない。
と同時に、俺の鈍かった感覚が、今や鮮明にまで感じ取れるようになった。
「——きらくん、あきらくん……大丈夫……?」
目の前には、困惑した篠崎。俺の顔をそうっと覗き込んでいる。
この優しい幻聴と同化する篠崎に飲まれたくない……いや、何故かは分からないが、飲まれちゃダメだ、怖い、やめてくれ、嫌だ——。
「あ、あきらくん、あきらくん……っ!」
『——ダメ。戻って——きて——』
——許せない。
今の俺には何が受け入れられなかったのか分からず——
「あ、ああぁぁぁぁぁ、や、やめろ————ッ!!」
——ゴッ!!
気付けば、目の前で鈍い音を立てていた。
「ひゃ……っ」
ドサッ……。
地面に尻もちをついてしまう篠崎。
その光景と、手に残った『他人を傷付けた』感触。
「あ……あ、あぁ……はは、はははっ……」
突如湧き上がる〝気持ち良い〟の感情。
どうして、俺は今までこんなに我慢していたのだろう。
我慢しなければ、こうも悩むことはなかったのに。
「ど、どうしたの……?」
そして、どうして忘れていたのだろう——こんなに自分の内側が汚れていたことに。
「なぁ……ゆか」
唐突にそう呼ぶと、彼女は不思議そうな表情を見せる。
「え……ど、どうしたの?」
「……痛くなかったか?」
壊れちゃいけないからな。
お前は俺の玩具なんだから。
非常に愛らしく、愛でる対象である。
「えっ、えっ……私、だいじょうぶだよ……それより、あきらくんが……」
「いいんだ、気にしなくても」
「あ……そうなんだ、よかった……」
初めて見る柔らかな微笑み。
けれど、まだ足りない。お前はもっと喜びに満ちた顔が出来るハズだ。
「なぁ、ゆか」
「ど、どうしたの……?」
そんな
この世の、俺の中に夥しく蔓延る
だから、俺は彼女にこう言った。
「……これから一発殴ろうが蹴ろうが、俺の命令だったら……聞けるよな?」
もちろん、不安にはさせない。凝り固まった頬を吊り上げ、口角を上げて見せる。
そんな優しく慈愛に満ちた表情で愛を剥けると、彼女の返事はもちろん
「う、うん……いいよ……うくっ!」
ゴッ……骨が当たる音がした。
こめかみに向けて拳を放ったが、彼女は未だに朗らかで、救われた表情でいる。
百点満点だ。
口先だけではない事を理解するには充分であった。
「——好きだよ、ゆか」
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