第14話 一緒に登校

 俺の朝はこの六畳一間から始まる。

 大型量販店で揃えられたシンプルな家具は、全てモノトーンな色合い。

 ポスターひとつない剥き出しの壁紙、飾り気一つない無趣味な人間のような部屋。

 ここを俺は〝独房〟と呼んでいる。


「さて、朝飯でも作るか」


 親のいない生活というのは如何に大変であるかご存じだろうか。

 同じ年代の学友たちは、親が面倒だとか、縛られて生きるのがツラいだとか、飯がマズイだの様々な意見を述べるのだが、俺には何のことかさっぱりだ。

 まるで、火星に取り残された地球人が、異星人の価値観を植え付けられているような、そんな感覚。

 俺がずっとあいつらを避けているのも、これが原因の一つだ。


 俺には親の愛情というものを知らない。


 自分は、愛人との間に出来た子どもだ。

 世間体を気にした親父は仕方なく俺を引き取るも、面倒に思ったのか、このように精神的ネグレクトに励まれている。


 金銭的に困ったことは一度もないので、恵まれているのかもしれない。

 支払いは全て、渡されたクレジットカード。前に一度、二十万くらい一日に使ってみたが、何も言われなかった。金額を徐々に増やしていこうにも、無言。


 質の低い駄々をこねているのだ——分かるだろうか、この惨めさを。

 俺は泣いているのに放置される幼子みたいだ。


 そうして出来た俺の人格。諦めぐせのついた無気力な性質。

 そして、全てを悟ってしまった。

 ——自分は愛してもらえなかった人間、と。


 にも拘らず、未だに自分を、自分の存在を認めてほしいと願っている。

 篠崎ゆかは。


 俺だって、一度は子供心で両親に見放されたくなくて、必死に頑張って、報いれるように働きかけたことはある。

 その結果が今の自分だ。


 普通なら、無力さを感じて止めるハズだ……なのに、どうしてお前は『見放される』事に執着するんだ?


『誰かに、存在を忘れられる事が……怖いの……』


 その言葉が頭に反芻する。


 俺が捨ててしまった幼気な気持ちを、今もまだ篠崎は持っている。

 いや、そもそもどんな形であれ、俺たちの年齢では既に卒業している感覚なのではないだろうか。


 ひとまず、制服に着替えるとする。

 やはり、少し暑苦しさを感じるものの、着る服に困らないのが制服の良いところだ。着る服なんかに頭のリソースを割くのが嫌なので、毎日着ていたい。

 思考停止ってやつだな。


 行き過ぎると篠崎みたいになってしまうのだが、あれは良い玩具だ。

 思わず、愉悦の笑みが零れてしまう。


 付き合いたてのカップルとはこういうものだろう。

 今日は何を言おう、どこで叩こう、どうやって○○をしよう……。

 そんなくだらない思春期に掻き立てられた妄想に心躍らすと、萎えた心に潤いが戻るというものだ。



 ◇◇◇◇



「あ……お、おはよう……あきらくん」


 待ち合わせ場所に遅れて登場すると、やや緊張気味に挨拶をされる。

 今日から待ち合わせをしようと提案し、俺は一緒に学校へ行く事にしてみた。

 まぁ、罰ゲームだから……と、こういった関係を大事に使って行こうと考えた結果である。


「ゆか、おはよう」


 嘘、ゆかを痛ぶるためだ。

 挨拶をしながら髪を引っ張った。


「あう……いたいよ……」


 昨日の一発に比べれば、可愛らしいものだ。

 アレが跡になっていないかを確認したところで、その手を離した。


「ひゃっ、あ、あきらくん……?」


 放り出されたゆかはたじろぐ。

 まるで、次はどうすればいいかと言わんばかりな表情。


「お前、もっと肉食えよ」


 見ていると、ちょっと乱暴にしたらすぐ壊れそうだなと思ってしまう。


「あきらくんは……ふ、ふとってるほうが、好き……?」


 緊張交じりに話すゆか。

 俺の頭二つ分小さな身長。丸くぱっちりとしていて目尻の垂れた臆病な瞳。折れそうなほどに華奢な腕。それに反比例した豊かな懐が、制服の上から見える。


「まぁ、このままで良いと思うけど」

「ほ、ほんとに……?」

「あぁ」


 そして、肩に一発張り手をし、突き飛ばしてみる。


「ひゃっ……!」

「はは、お前すぐ吹っ飛ぶな」

「だ、だってあきらくんがつよいから……」

「嫌だったら嫌って言ってみろよ」


 その言葉に、ゆかは躊躇う。


「それは、命令……?」

「当たり前だろ?」


 そう言うも、ゆかは困ったように考え込んでしまう。

 というよりも、照れていた。


「べ、べつにイヤなんかじゃないよ……? だって、あきらくんだもの……」


 主人の言うことには素直に従う、従順な犬だった。

 得体のしれない高揚感を覚えてしまう。


「えへ、えへへ……」


 ゆかも同じ気持ちのようだ。

 普通の女子が嫌がるハズなのにな、これは洗脳に近いかもしれない。

 不健全な関係は始まったばかりだ。


「調子に乗るなよ、お前がどんなに嫌がっても命令は必ず聞いてもらうから」

「う、うん……」


 少しだけ落ち込むゆか。

 まぁ、昨日まで散々雑に扱ってきたのだから、イジメられっ子の受け身体質が残っているのは仕方がない。

 けれど、今は俺の言う通りに動くペットなのだから、俺に合わせてもらわないといけない。


「それから無理して愛想笑いもしなくていいから」


 そう言って、ゆかの気持ちを確かめる。

 別に自分に自信がないわけではない。

 本当はわかっているはずなのだ、今この通学路で自分は辱しめられていることに。


「愛想笑い……じゃないよ?」


 けれど、ゆかは隠す仕草や、誤魔化す素振りを見せない。

 本心でそう答えるのだ。


「そうか、ならいいんだ」


 そう言って、突き飛ばす。


「隣歩かれるのもアレだから、少し後ろからついてこい」

「う、うんっ……!」


 距離を取りながら通学をする俺たち。

 徐々に、同じ学校の生徒も多くなっていく通学路、所々で視線を向けられる。

 稀に視線が合うと、引きちぎるように目線を逸らされる、恥ずかしがり屋さんたちだ。


「あきらくんは……今日の予習はやった?」

「あー英語か、やってないんだよなー。お前やってる?」

「うん、よかったら……わたしの、見る……?」

「見る」


 予習したページを破り捨てて返すのもアリかもしれない。

 そんな思惑とは裏腹に、太陽のように眩しい笑顔を向けてくる。


「えへ……あきらくんの、役に立ってる……」

「当たり前だ、お前には役に立ってもらわないといけないからな」

「うん……わ、わたし……がんばる……っ!」


 もちろん、こんなものは序の口、徐々にキツくしていくつもりだ。

 お前の言う「命令されると楽」がどれほどのものか、「思考停止」というものを、どこまで貫けるのかを試していきたいからだ。

 数分歩いた後、校門近くにまで到着する。

 俺が立ち止まると、ゆかが俺の背中にぶつかった。


「ふあっ……」


 振り向くと、柔らかな髪が揺れ、優しい匂いが鼻につく。

 何が起きたか分かっていないゆかに、俺は告げた。


「おい、命令だ」


 その一言に、ゆかは瞬時に切り替える。

 なんでもやるぞと言わんばかり、俺を見つめてくる。


「今からお前にこれを付けるから、前を歩け」

「う、うんっ……へっ?」


 まぁ、朝からハードな事をさせるつもりはない。

 朝食ってのは軽いものだろ? それと一緒だ。


「そ、それって、首輪……?」

「そうだ、間谷の気を引ければそれでいい」


 困惑するゆかに、事の経緯を説明してやる。


「あいつはな、俺を見るとデンジャラスな発作を起こすようなんだよ」

「で、でんじゃらす……?」


 真面目に捉えなくてもいいんだが、それを告げるとゆかの頭がパンクしそうなので、スルーしておいた。


「だから、俺が手綱を引くから前を歩いてくれるだけでいいんだ」

「あ、あの……えっと……」

「命令が聞けないのか?」

「や……そ、そうじゃないの……ただそれだけで、いいの……?」


 彼女は申し訳なさそうに尋ねてきた。


「あぁ、そういうことな」


 もちろんそれ以外にもやってもらうことはたくさんある。

 首輪を装着し、ゆかにレクチャーを始めるのであった。

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