第12話 ゆか
「た、助けてっ、出してお願い! きゃあああああああああああああああ——ッ‼」
暗闇による視界不良による不安と、二匹の害虫による不快感。そして、これがいつまで続くか分からないといった恐怖に、篠崎は支配されている。
「……」
ビリッ……ビリリッ……。
この光景に、じわじわと不快なモノが押し寄せてきた。
これに溺れれば、自分を保てなくなりそうな何か。
「だ、誰かあああっ、こ、怖いのっ……気持ち悪いの……っ! やだ、やだ……は、はやく、出して——っ!」
——やめて。こんなことしないで。
「うっ……くっ……」
俺の脳内に誰かがそう囁く。
だけど、頭を振って思考をかき消した。
「すっごい声出すね、声の小さいあの篠崎が……どこから出してるんだろ」
「必死になれば声なんていくらでも出せるわ、出せないっていうのは心の甘え」
スプラッター映画をモノともしなさそうな表情で、様子を見守る佳乃。
一方で、それをマジメに評論する歌乃。
確かに酷い声だ、喉が潰れるのではないだろうかと思うほどに。
そんな事よりも『どうして』篠崎が未だに声を上げ続けているのか。
普通に考えて、状況に慣れ、声を押し殺して我慢するというのが、生物の本能的なモノではないだろうか。
まるで、誰かに助けを求めているような——
「た、助けて……あきらくんっ! あ、あきらくんっ‼」
「……ッ⁉」
俺の不快感がどっと押し寄せてくる瞬間だった。
浜辺のさざ波が、河川上流の濁流に変わるような激しさ。
胃が痙攣するかのように腹部に力が入り、視界は常に十五度くらい左右に振り続ける。
そんな俺を、歌乃は面白そうに尋ねてきた。
「どう、興味深いでしょう?」
それは天の救いか——悪魔の囁きか。
今の俺にはどう捉えるべきかは分からないが、あるのは怒りだった。
「……ざけんな。気色悪い……もうやめろよ」
「萎えているの? 今日は変なあきらくんね?」
苦笑する歌乃に向かって俺は言う。
「なにがおかしいんだよ、趣味悪いからさっさとやめろ」
「ふぅん? おかしいわね、だって——」
適当に答えた言葉だったのだが、そこには意外な返事が待っていた。
「——貴方、今とても嬉しそうな顔をしているわよ?」
「ッ⁉」
嬉しそう……だと?
こんな辛辣なイジメの現場を見せつけられて、昂っている?
信頼を寄せられている相手からの期待の大きさを、間近で見せつけられて……?
「そ、そんなバカな話あるかよ」
おかしい。だって今、俺は確かに怒っていたハズだ。
しかし、歌乃は納得がいかない様子。
「いいえ、貴方は元々そういう人間なのよ。普通を装って、適度に周囲と合わせられて……かといって、周りに馴染もうとしないのは、理由があるからなんじゃない?」
「……お前に俺の何が分かるんだ」
「さぁ、分からないわ。けれど、貴方は私と似たような匂いがするの——許せないことがあるのでしょう?」
「許せない……こと……?」
俺は一体何に許せないでいるのか。
いや、コイツの戯言に付き合う必要はない。
どうせ女の勘とかいう、クソくだらないものだ。
「うるさい、やめろよ……」
合わせる必要なんかない。
だけど、思考がゴチャついている。
とにかく今は、この不快感を何とかしなくては——
「——おいっ、お前たち何をやっているんだ!」
誰かは分からないが、助かった。
恐らくゆかの叫び声を聞いた教員が教室に駆け付けたのだろう。
俺が眩暈で足元がふらついている中、女子二人は脱兎の如く逃げ出す。
気付けば俺と、掃除用具庫から力なく出てきた篠崎だけが、教室に取り残されているのであった。
◇◇◇◇
篠崎の悲鳴は、職員会議にまで響き渡っていたとの事らしい。
運悪く、教室に駆け付けたのは激怒した間谷だった。
長々と説教を喰らう俺。
どうしてもコイツは、俺をぎゃふんと言わせないと気が済まないようだ。
「床に倒れているセミはなんだ」
「……俺じゃない」
「聞いている事はそうじゃない、どうして床がこんなに濡れているんだ!」
頭がまだぼうっとする。
悲しいことに、篠崎は間谷によって先に帰らされた。
あいつがちゃんと俺は悪くないと説明してくれれば収まる話なのに。
「そりゃあ、イジメの現場だったからじゃないですかね」
犯行の張本人である訳ではないのに、犯人扱いをしてくる間谷が非常にうっとおしかった。確かに、止めずにずっと傍で見ていたが、それが何だというのだ。
ただ、面倒になって「あぁ俺がやったんだよ」と言ってしまえば、停学も危ういかもしれないし、間谷の思うツボかもしれない。何としてでも、本当の事を言ってこの場を納めなければ。
「あぁもういい、時間の無駄だ、帰れ!」
と、奮闘していたら三十分くらいが過ぎていた。
仕事上、間谷もそこまで時間を取るのに精一杯のようだ。
学んだ、次から覚えておこう。
そして、下駄箱で靴を履き替えて、帰り道を歩んでいたその時だった。
「あ、あきらくん……」
ずっと待っていたのだろうか、篠崎が向こうからやってきた。
間谷とのやり取りで疲労の溜まっていた俺は、無視して行く事にした。
「ま、待って……ひゃっ……!」
篠崎はまた何もない所で転んだ。
「へ、へーきなのっ!」
俺に言っているのかと思えば、アスファルトに向かって主張しているではないか。
そんな自己啓発がバカバカしくて、俺はそそくさと歩いていくのだが。
「あ、あきらくん、まって……っ!」
目の前の篠崎が通行止めをし、俺を引き留めようとしている。
一体何の用だろう。
「あの、これ……っ!」
篠崎がガサガサとカバンの中身を漁り、差し出したのは焼きそばパンとコーヒー牛乳。
今日の昼に、俺がお使いを頼んでいたモノだ。
「お腹、空いている……よね?」
……空いてはいるが、別にそこまでしなくて良かっただろうに。
やることがイチイチどこかズレているっていうか。
しかも、何も言わずにどこかへ行ったのだから、普通もう要らないとか思うのではないだろうか。いや、邪魔だから持っていけってことか?
「あの、迷惑だった……かな?」
ま、コイツがそんな事を考えるわけがないか。
それにしても律儀な奴……俺の命令を、素直に遂行しようとしてくるなんて。
「あんがとさん、じゃあ俺は行くから」
パシッと乾いた音を立てて受け取る。
素っ気ない態度で、先に帰ろうとした。
だが、篠崎はまだ用事は終わっていないとばかりに、俺の目の前にやってくる。
「どうしたんだよ、まだ用があるのか?」
「あ、あの、あの……」
もじもじとしながら、言うか言わないか迷っている様子だった。
「な、なんなんだよ……」
一抹の不安を覚える。
いや、まさか……そんなハズはないよな……?
恐る恐る、俺は尋ねてみた。
「まさか、俺と一緒に帰りたいだなんていうんじゃないだろうな……?」
「……!」
コクコクと、彼女から肯定の頷きがたくさん飛んできた。
「……え、は?」
「え、えへへ……」
な、なにを考えているんだコイツは……!?
今日の俺は、お前に何をした?
昼は弁当を投げつけ、放課後はイジメを受けている篠崎をただ見ているだけ、止めようともしなかった。
そして悪びれもせず、今もなお先に帰ろうとしたんだぞ……!?
「い、一緒に、帰らない……?」
その問いかけに、握りしめた両拳を胸元に当てながら俺に視線を向ける。
考えれば考えるほどに、俺と付き合うメリットがないというのに。
「あ、あうあう……あの、あの」
なのに、恋する乙女のような——幼気な姿。
理解の出来ぬコイツの反応に、俺は正気を疑った。
「お前……ばっかじゃねえの……っ!!」
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