第11話 イジメ
授業が終わり、教室を仕切る間谷は職員会議があるからと、ホームルーム後すぐに職員室へと向かって行ってしまった。
残された生徒たちは皆、思い思いの場所へと向かうのだが、学生という身分は意外と自由がないものだ。友人たちとの付き合いや、部活、それに当番といった役割が各々に与えられているものである。
しかし、そんな中でもイレギュラーな担当を与えられた者もいるわけで……
「ひゃあっ!」
突如現れた水しぶきにより、教室の窓に小さな飛沫が張り付いた。
一部の生徒に二次被害が及び、不愉快極まりないものの、逆らえない相手だと知るや否や彼らは皆何もなかったかのように、教室を出ていく。
「うっわ~、間違えて水かけちゃったわ、ごめーん」
わざとだ。
バケツを片手に、困り顔をして嘲笑う佳乃。
もちろん、嫌がらせの標的は篠崎である。
「手伝ってあげようと思ったのー!」
絶対にわざとだ。
水で浸されたモップを持って、篠崎の方へと歩いていく。
同時に、皆がそそくさと教室から去って行くのが伺えた、薄情な奴らだ。
「これじゃ私の方がドジじゃーんッ‼」
——もはや、間違いなくわざとである。
キレる野良猫を見ているようだ。
機嫌の悪い佳乃の声色は徐々に威圧が増していき、篠崎を怯ます要因になる。
かくいう俺も、二次被害者であるのでほどほどにしろと言おうとした。
「おい佳乃」
「ん~っ? なーに、あきらくーん?♪」
いつもよりやや低い声で尋ねるも、効いちゃいない。
佳乃は猫を被った返事をする。
また、俺たちの間に乱入者も現れた。
「なぁに、私たちのじゃまをするの?」
現れたのは歌乃。
満遍なく余裕に満ちたその顔は、邪魔しないでと言わんばかり。
「やるなら他に迷惑をかけるな」
「そうね、周りに迷惑をかけちゃいけないわね、分かるわ」
拗ねた子どもをあやすように理解を示す。
しかし、そんな態度とは裏腹に、歌乃は意外なことを言い始めた。
「楠木くんって、こういうのに平然としている方だと思ったのに、今日はどうしたのかしら」
「……!?」
突然、胸に釘を刺されたように腹部が引っ込む感覚に陥った。
「それは、そうだな」
……確かに、いつもの俺らしくない。
こんなイジメの現場なんかどうでも良い。
勝手にすれば良い。そう普段なら思っていたハズだ。
「ほら、佳乃は手を止めないで。時間は限られているの」
「そ、そうだね」
そういって、また容赦のない罵声を浴びせる佳乃。
「や、やだぁ……っ、やめ、やめて……うぅ……」
「ほら、お前のスカートにめちゃくちゃゴミが付いてるんだって! 動くな、こらっ!」
眼の悪い俺には、何一つゴミが付いているようには見えなかった。
にしても、どうしたらここまで酷になれるのか。
親の仇でも、恋人を寝取られたワケでもあるまいし。
「あぁもう、暴れるなうざったいなぁ……ちょっとは大人しく出来ない? すぐ終わるんだからさぁ!」
けれど、よくよく見てみれば、佳乃はこういうのに慣れているというか、他人を虐げるやり方を熟知しているような気がする。
第一印象は、そこまで悪い奴じゃなさそうなのに……というか、地味な連中と紛れていても、とりわけ見分けが付かないような気もする。
「……お前みたいな奴は、大人しく掃除されてりゃいいんだよ!」
ってことはあれか、元々イジメられていたんだろうな。
弱い奴が許せない、昔の自分を否定しなければ自己を保てない。
だから、篠崎には容赦ないのかもしれない。……まぁ憶測だけどな、
「う、うぅっ……」
もう限界だと言わんばかりに、目尻に涙を浮かべる篠崎。
「あははっ、きったないなーまるで雑巾じゃん!」
そんなお調子者の元へ、指揮官が止めに入る。
「貴女、何を言っているの?」
「……へ?」
佳乃はビクリと手を止め、歌乃の方へと振り向く。
「貴女ね、何か勘違いしているようだから言っておいてあげる」
歌乃は、佳乃の安っぽい茶番にイラついたのだろうか……いや、歌乃は優雅に笑っている。
それは嘲笑と言うのが正しいのだろうか、彼女はクスリと笑い言った。
「——それは雑巾に決まっているじゃない」
歌乃は楽しんでいる。佳乃の反応を見てなお一層、愉快に笑う。
しかも、その悪趣味は更に上を行く。
「雑巾なら雑巾の置き場があるんじゃなくって?」
歌乃の比喩は分かりにくい。
ただ、もっと酷いことをするつもりなのは伺える。
「ねぇ佳乃、あそこに掃除用具庫があるじゃない? 入れておくのはどうかしら」
「あ……あぁ、うん、そだね!」
佳乃はぎこちない反応を見せたが、いつもの調子に戻っていった。
篠崎は髪を掴まれ、引きずられるように、佳乃に引っ張られていく。
「ねえ、楠木くんも見ていかない?」
……どくん。
俺に、濃くてしっとりした甘味のような言葉で、誘惑してくる歌乃。
腹がどっしりと重くなりそうなほどに、俺の好奇心を駆り立てる。
「……まぁ、彼氏だからな」
正直、自分が何を言っているのか分かっていなかった。
そこにあるのは、ただの本能。
「物分かりが良いのね、じゃあこっちへいらっしゃい」
そういって、教室の端にまで案内された。
篠崎は壁際に追い詰められている。背中には掃除用具庫しかなく、早く入れよと言わんばかりの状況。
「も、もう帰らせて……」
「いーや、まだ掃除し足りない。さっさとそこに入りなさいよ」
「やだ……ひ、ひゃあ……っ」
薄い鉄が震え声を上げて、その扉は佳乃によって開かれる。
膂力で負けた篠崎は、強引に中へと押し込まれてしまうのだが、歌乃が閉める事を良しとしなかった。
「待って佳乃、ただ閉めるだけじゃつまらないわ」
「なんでー? 歌乃~早く閉めて躾けようよ~」
親のおつかいに連れられた子どものように駄々をこねる佳乃。
それを上手に諭す歌乃お母さん。
「はぁ、その為に前もって準備をしていたんじゃない……ねぇ、昨日私が言っていたモノ持ってきているでしょう?」
「えーあれ? あそこに置いてあるけど……あ、なるほどね」
歌乃の質問に対し、佳乃はピンときたようだ。
何だかよく分からない合図により、佳乃は教室のロッカーから100均に売っていそうなプラケースを持ってきた。
「虫が入っているな?」
「そう、部活や恋愛、勉強などの全てが上手くいく『アレ』よ」
「それは進研ゼミ」
「手にした途端に面倒くさくなって、すぐに手放したくなってしまうわ」
俺の感想に、歌乃が付け加える。
それを聞いた瞬間、篠崎は身体中が震え上がり、青ざめた表情になっていた。
「わ、わたし……帰らせて……っ」
「どこ行くんだよっ!」
『゛ミ゛ミ゛ミッ!!』
泣き声を上げ始めたセミを篠崎の目の前に向けると、篠崎は尻餅をついた。
「ひゃああっ⁉」
とても苦手なんだろうな。
日本人の半数が虫を嫌いらしい。育った環境にもよるらしいが、一番の要因は、両親の影響によるものが大きいだとか。
虫が苦手という人は、母親がゴキブリに対してヒステリックな声を上げている光景を見たという人が、意外と多いんじゃないだろうか。
……まぁ、どうでもいいことだけど。
「ひ、ひっ……」
ぱくぱく口を開けて、腰を落としたまま後ずさりする篠崎。
佳乃は彼女に蹴りを加えて命令をした。
「入れ、今すぐそこに入れっ!」
怯えた篠崎は、すぐさま中へと入っていった。
「お、おねがいだから……ゆるして……」
縋るような声で、赦しを請うのだが
「歌乃、こうだよね?」
わんぱく少年じみた手付きで、二匹のセミをケースから取り出す。
それを直球ストレートで放り込み、目にも止まらぬ速さで扉を閉めたのだ。
「いっ、いやあああああああぁぁぁぁぁぁっ!」
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