第10話 屋上にて

 屋上は大抵封鎖されている。

 理由は明確だ、陰鬱な生徒が飛び降りたり、俺みたいな不良がイジメの場として使ったり、問題事を起こされないように、教員たちが鍵をかけているのだ。

 しかし、俺には鍵など関係ない。

 今時、ネットを潜ればピッキング技術などいくらでも載っているからな。


「ここに針金を指して、こう……」


 金属の滑る音がし、施錠の解かれた扉を開け屋上へと入り込む。


「さて、飯でも食うか……あ」


 今回は針金の他、俺は手ぶらだった。

 だけど、最近俺には食欲がない。


 心当たりがあるとすれば、篠崎のせいか。

 あの帰り道から、妙にあいつの事を気にしてしまっている。

 別にとりわけ警戒するような女ではないハズだが……。


「いやいや、ありえない」


 声に出す事で、自分の気持ちをより正確にした。

 とにかく、青空でも見て思考を無にしよう。

 保健室でもよかったが、ここなら誰にも邪魔されることなく惰眠を貪れる。


 そういや鍵をかけ忘れたが……まぁ、こんな所開いているなんて、誰も想像がつかないだろう。

 万が一、誰かが入ってきたとしても、俺がいるのだ。

 校内の嫌われ者である俺の姿を見たらすぐにどこかに行くだろう。


「ふああ〜〜」


 身体を伸ばし、呑気にあくびをかました時だった。


「あ、あきら、くん……?」

「わぁっ⁉」


 欠伸一歩手前の所で声をかけられたせいか、変な声を出してしまう。

 途切れ途切れで、誰かに縋るような臆病な声。一発で誰かが分かった。


「し、篠崎……お前かよ」


 溜め息の出そうな声でそう呼ぶと、何か嬉しそうな表情をしていた。


「あ、やっと名前呼んでくれた……」


 確かに呼ぶときは決まって「お前」「おい」ばかりだったからな。

 ただ、厳密には苗字だが、篠崎的には大きな第一歩かもしれない。


「ていうか何、ここは立ち入り禁止だろ?」

「え、えと……楠木くんが入っていったから、それで……」


 気分的に、篠崎とはあまり会いたくなかった。

 どっか行ってほしいと思い嫌味交じりの質問をする。


「今日もあいつらに茶化されてここまで来たのか?」


 すると、篠崎は慌てて返事をした。


「そ、そうじゃない、の……今日は、私が行こうと思って……」


 これは自分の意思だと言わんばかりに。

 先日の説教が利いているのか。だったらこういうのはどうだろう。


「へぇ、じゃあ俺に何かしてくれんの? とりあえず、パンツでも見せろよ」


 そんなセクハラ発言にぽかんと口を開ける。

 数秒の後、何か納得したかのような顔になり


「は、はい……どうぞ」


 するり——と、スカートの裾をたくし上げた。


 ……本当に見せてきやがった。

 素直も度が過ぎるというか、普通マジでやるだろうか。


「俺さぁ、目が悪いんだ。もう少しこっちに来てくれよ」

「え、あっ、はい……!」


 寝転がった姿勢でいると、スカートを捲った卑猥な女がこちらにやってくる。

 どこかの石油王にでもなった気分だ。

 その光景が非常にバカらしくなり、俺は立ち上がって髪の毛を掴んだ。


「あ、あう……っ」

「お前、頭悪い? 俺が喜ぶと思ってんの?」

「やっ、違うの……これは……」

「キモイし下品で終わってんな、なぁ?」


 などと、チクチク言葉を重ねると俯き始める。


「ご、ごめんなさい……」


 そして、篠崎の落ち込む姿を見た瞬間——


 ビリッ……。

 もっと……やれ……。


「……っ」


 俺は不快感を覚えて咄嗟に手を放し、篠崎を自由にしてしまった。

 今すごく良い所だったのに……。


「すごく良い所だったのに……い、良い所……?」


 俺は何を言っているのだ。

 この妙な不快感のせいで、妙な事を口走ってしまった。

 何故、彼女に暴力を振るうとあの不快感が出てしまう——?


「……で、何しにきたんだよ」


 考えても仕方ないので、俺は落ち込んだ篠崎に尋ねた。。


「あの、あの……これを、持ってきたの……!」


 それは、赤い風呂敷に包まれていた。


「ゴミ?」

「ち、違うの……っ」


 そう言って、篠崎は風呂敷を解くなり、四角い形をした弁当箱が見え始めた。


「あー弁当? ここで食うの?」

「いや、その……ね?」

「俺、今日コンビニで買うつもりだから」


 断ったつもりだったが、彼女は何か言いたそうだった。

 もじもじと、気恥ずかしそうに、何かを俺の目の前に差し出す。

 つまり、そういうことか。


「俺に食ってくれと?」


 作って来てくれたんだ、嬉しいな。

 それは俺にとって、歪な嬉しさ。

 とても良いことを考えたのである。


「へーすごいじゃん、お前の手作り?」

「そ、そうなの……昨日一人で……作ったの」

「んじゃ見て良い?」

「う、うん、うんっ……!」


 返事は一回で良い。

 親のよく言う台詞ベストテンのツッコミを心の中でするなり、俺は蓋を開けた。


「ほー」


 棒読みな返事とは裏腹に、非常に見た目の良い中身だった。

 一段目には卵焼きとウインナー、ひじきとカボチャの煮付けが入っている。

 二段目には白米と梅干が入っていた。


 頑張ったんだろうな。

 それにフタをし、俺は遠くへ投げつけた。


「え」


 空中で弧を描くプラスチックケースが、床に落ちる良い音がした。

 そのまま弁当箱の中身は、鳥たちのエサへと変貌を遂げるのだ。


「……え、どう……して?」


 篠崎は、二本足で立つハムスターのような恰好。

 まるで、世界が終わりを告げたかのように、身体が硬直してしまっている。

 そんな彼女に、俺はこう言ってやった。


「お腹すいてなかったんだよな。あーてか、コーヒーとパン買って来いよ」


 悪いと一言も言わないで、命令をした。

 どうだ、あり得ないだろ? 嫌ってくれよ。

 そう言わんばかりに顔を向けると、平然とした顔の篠崎がいた。


「あっ、うん……分かった、行ってくる……ね?」


 たたたっ、とすぐさまコンビニの方まで行ってしまった。


「……え、マジかよ。おい」


 弁当を放り投げられた直後なのに、何も思わないのか?

 ……一体何なんだ、あいつは。


「あ、あきらくん……」

「なっ!?」


 少しだけ驚きそうになった。

 突然戻ってきた篠崎は、俺に申し訳なさそうに言う。


「あの、謝らなきゃいけないことが、あるの……」


 何の事だろうか。普通に考えて俺の方が謝るべきだと思うんだが。

 けれど、そんな常識では測れないのが篠崎のようだ。


「わたし、お金持ってないの……」


 そんなこと……?

 だけど、俺は嫌がらせをやめようと思わない。


「……いやいや、小遣いくらい持ってるだろ」

「ううん、わたし、お小遣いもらった事ないの……」


 じゃあ弁当を忘れた時はどうするのだろうか、昼飯を抜くのだろうか。

 何というか、妙な家庭事情を知った気持ちになった。


「ほら、千円渡すから買って来てくれ」


 俺は財布から札を取り出し、篠崎へ強引に手渡した。

 宝石でも握るかのように大事に、篠崎は胸の中にそれをしまいこんだ。


「は、早く行ってくるね……っ」


 またもや、彼女は屋上からコンビニへと走り出していった。

 俺は時計を見るなり溜め息をついた。


「あいつと絡んでたら飯食う時間なくなったな……」


 自業自得だ。

 けれど、飯を一食抜くくらい平気だ、慣れている。


「さて、屋上から出て行くか」


 何とも奇異な時間を過ごしたが、良い経験になったのではないかと。

 誰もいない屋上の扉を閉じて、俺は巧みな手付きで鍵をかけようとした。


「あ、弁当だけは後で返しておくか」


 よく見ると、幸いなことに弁当の中身をぶちまけられていなかった。

 拾い上げた弁当箱を布で包んで、俺は篠崎の机の上に置くことにした。


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