第2話 邂逅

 元々俺は、身の内を晒すのが苦手だ。


 「真面目すぎる」とか「疲れる」とかでフラれるのがオチで、半年続いた恋人からは、


武雄たけおさあ、男同士の関係に何求めてんの? そろそろ現実見ろよ。この関係に未来なんてないんだよ」


 なんて言われたこともある。


 遠ざかっていくその背を見た瞬間、胸の奥が冷えていって、どうせ離れていくなら初めから期待しないほうが良いんだと諦めるようになった。

 それでも人恋しい時はあって、そんな時は都合の良い相手を探した。でも、事が終わってひとり歩く町中は冬の空気よりも冷ややかで、時折ひどく虚しくなった。


 このままずっと、独りなんだろうか。


 考えると、胸の奥に影が差した。空虚な行為を繰り返す度それは膨張していって、痛くて痛くて堪らないのだと子どもみたいに喚き散らしたくなった。


 でも、できなくて。

 そんな時、ユヅルと出逢った。


 二年前の七月七日。七夕でのことだった。


 その日は珍しくとんとん拍子に仕事が進んで、久しぶりに定時退社をした。家畜のようにぎゅうぎゅうに詰められた車内で家に着いたら何をしようかと妄想に耽り、お目当ての缶ビールを買うため、少し遠回りして七を掲げたコンビニに立ち寄った。


 すると、しとしとと雨が降ってきた。


 ビールと一緒に買ったビニール傘を空に向かって開き歩くと、ぱたぱたと傘布に落ちた雨が露先に溜る。雫が垂れ、ふと、縦長のガラスボックスが視界に入った。

 その中には若葉色の公衆電話が鎮座していて、そのすぐ隣には公園があった。中を覗くとたこ滑り台の先にも出入り口が見えて、早く帰りたい一心で足を踏み入れた。


 そして、ユヅルを見つけた。


 ユヅルは、リュックを枕にしてベンチで眠りこけていた。公園の街灯に照らされた口元は雨に打たれているというのに緩んでいて、その呑気な顔に呆れながらも目を逸らすことができなかった。


 まるで雨で見えない筈のひとつ星を見つけたような、そんな感覚だ。


 今思うと、多分その時にはユヅルに惹かれていた。でもその時は分からなくて、こんな所で寝るなんてと心の中で言い訳をして声を掛けた。


「おーい、風邪引くぞ」


 ユヅルは微動だにしない。反面、雨音は叩きつけるように強くなっていく。

  

 夏でも、夜の雨はほんの少しひんやりとしていた。


「ううん……」


 ユヅルが、身震いして身体を丸く縮める。その姿を目にした瞬間、纏っていたジャケットをユヅルの身体にかけ、背後に庇うようにビニール傘を差していた。


 前を向いて、何やってんだろうなってため息を漏らす。でも、不思議と嫌な気持ちにはならなくて、ユヅルの寝息を聞きながら、街灯の下で儚げに光る雨糸をずっと眺めていた。


 結局、ユヅルが起きたのは雨が止んでからで、ユヅルは上半身を起こして俺を見ると「お兄さん、だあれ?」とへにゃりと笑った。

 盛大に肩を落としながらも話を訊けば、知人宅に泊まっていたが恋人ができたからと追い出され、財布もスマホもどこかに落としたという。


 ツイてないにも程がある。


 込み上げてきたため息をぐっと堪えると、ユヅルが軽い口調で言う。


「困っちゃうよねえ」


 へらへらと笑っていたが、緩やかな弧を描いた目の縁からは涙の稜線が見えていて、ほんの少し触れただけで崩れてしまいそうな脆さを纏っていた。それが何だか痛々しくて、無性に腹が立った。


「じゃあ、うち来るか?」


 口を突いて出た言葉に、はっとした。すぐに撤回しようとしたが、「いいの?」とユヅルが窺うように訊いてきたから、慌てて言葉を呑み込んだ。


 見ず知らずの他人だぞ、とか。怪しいとか危ないとか思わないのかよ、とか。言いたいことは沢山あったけれど、不安げに瞳を揺らすその姿を見ていたらどうでも良くなった。


「いいよ」


 強く頷くとユヅルは瞬きを繰り返し、目元を和らげて無邪気に笑った。


「ありがとう」


 その笑顔は、夜だというのに燦然と輝いて見えた。


 結局のところ、ユヅルを拾って家に居座らせたのはただの気まぐれで、どうせいつかはあっさり出ていくのだと思っていた。でも、予想に反しユヅルの私物は徐々に増えていき、いつの間にか肌を重ねるようになり、同じ布団で寝て同じ朝を迎える関係になっていた。


 ユヅルとの出逢いは、ほうき星みたいなものだ。だからと言って、劇的なドラマなんて起こらない。ひとつひとつ積み上げるような平凡な日々の繰り返しで、傍から見たらきっとつまらないだろう。


 それでも、穏やかな今の関係が好きだと心から思う。


 誰かと一緒にいて心地よさを感じたのは初めてで、今なら何でフラれ続けてきたのか、その理由が分かるような気がした。


 俺が見ていたのは彼らじゃなくて、誰かといる自分だった。独りぼっちじゃないって、多分、証明したかったんだ。

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