きみの隣

槙野 光

第1話 恐れ

 俺の恋人は、少しばかり寝相が悪い。


 夏だというのに鼻下あたりまで布団で隠れているし、ベッドのど真ん中を占領しては俺を隅に追いやってくる。初めの頃は胎児のように丸くなって眠っていたというのに、今や四方八方から手足が飛んでくる始末。


 生意気になったもんだなとユヅルの寝顔を眺めていると、「んー」と朧げな唸り声が上がった。ふわふわとした薄茶色の髪が揺れ、眉間に深い縦皺が刻まれる。


 全く、手の掛かるやつだな。


 やれやれと小さな溜息を漏らし顎下まで布団を下げてやると、端正な顔立ちが顕になって眉間の皺がみるみる間に解けていく。世間に蔓延る理不尽さをこそげ落としたかのような安穏とした表情に、一瞬にして心が緩んでいった。


 ああ、幸せだな。


 できればずっと眺めていたいが、朝ごはんの支度をするのは俺の役目だ。

 ユヅルを起こさないよう布団をそっと捲り、ベッドからしぶしぶ足を落とす。立ちあがろうと足底に力を入れ、


「うっ」


 静電気に触れたかのようなざわざわとした痺れが、一瞬で脹脛を包み込んだ。


 老いを自覚してから二年。


 三十代も折り返しを過ぎ、昔は一晩寝れば疲れが吹っ飛んだ身体は今やビスが吹っ飛ぶようになった。呻きながらも立ち上がり、気持ちよさそうにすやすやと寝入るユヅルを瞳に映し出す。


 ユヅルは、俺の白髪なんて気にしない。俺の頭を覗き込んでは「タケさん、またあったよ!」なんて言って無邪気に笑うし、俺が息せき切れていても「体力ないなあ」て顔いっぱいに笑みを浮かべる。


 それでも、年老いていく自分に憂いを覚えずにはいられないのは、十個下の恋人とできうる限り一緒にいたいからだ。


 愛しくて愛しくて――、大好きだからこそ、堪らなく怖い。

 

 どうして時は、歩みを止めないのだろう。

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きみの隣 槙野 光 @makino_hikari

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