最後の写真

執行 太樹

 




「ほら、見てみろ。これが、皆で有馬温泉に行ったときの写真だよ。そして、これはパパの小学校の入学式で、こっちは成人式だな」

 私は、膝の上に乗ってアルバムを覗き込んでいる孫の優太に、そう語りかけた。

「親父はいつも、そのアルバムを優太に見せてるな。優太はまだ3歳なんだから、わからないだろ」

 幸一は猫のタマを撫でながら、そう私に話しかけた。タマは気持ち良さそうに、ニャーと鳴いている。私は、いいんだよと返事をした。

 アルバムには、家族で出掛けた、色んな写真が飾られていた。みんなが笑顔で写っているものや、変な顔をしているもの、泣いた顔、色んな表情が、見ている私を楽しませた。どの写真も、大切な思い出だった。

 不意に、優太がアルバムの最後のページをめくった。そこには、海を背に笑っている妻の写真が挿し込まれていた。優太が妻の顔を指差していた。

「・・・・・・優太は覚えてるか。これは、お前のおばあちゃんだぞ」

 その写真は、家の近くの海岸へ散歩に行った際に、撮ったものだった。妻が優しい笑顔でこちらを見つめている。

「もう1年も経つのか・・・・・・。早いよな、月日が経つのは」

 幸一が言った。私は、妻の写真を見つめた。浜辺のベンチに座っている妻が、静かにこちらに微笑みかけていた。


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 妻は、笑顔が似合う人だった。どんな事があっても、悲しい顔ひとつせずに、いつも笑っているような人だった。私は、その笑顔に何度も救われた。幸一が生まれてからは、より2人で笑うことが増えた。笑顔の絶えない私たち家族の中心には、いつも妻の存在があった。

 そんな妻が余命宣告を受けた。55歳を迎えたばかりで、突然のことだった。

 ある日、妻が体調を崩した。風邪でもこじらせたのだろうと、初めは妻も私も深く心配をしなかった。しかし、熱がなかなか下がらなかったため、病院に連れていったところ、がんと診断された。そして、その日に私と幸一は病院の先生に診察室に呼ばれた。

「奥さんは、がんを患っています。しかも、かなり進行しています。奥さんの容態は、このまま悪くなる一方です。薬で抑えても、もって半年だと思います」

 あまりにも急だった。私も幸一も事態を飲み込めずにいた。

「先生。それは・・・・・・。それは、本当のことなんですか」

 私は、身を乗り出して、病院の先生に問いかけた。

 残念ですが・・・・・・。そう言うと、先生は視線を落とした。幸一は、黙って俯いている。

 先生には、奥さんに事実を伝えるかはお任せしますと言われた。私は先生に、わかりましたと応え、幸一と診察室を出た。

 私も幸一も、言葉が出なかった。待合室に2人で座り、しばらく黙っていた。

 どれくらい時間が経ったかわからなかった。しかし、このままじっとしていても仕方がなかった。

「幸一。ちょっと、外に出ないか」

 私は、そう幸一に話しかけた。幸一からの返事は無かった。私は構わず、病院の出口へと向かった。


「ほら、これ飲め」

 私は、黙って公園のベンチに座っている幸一に、缶コーヒーを渡した。そして、幸一の隣に座った。

「親父・・・・・・。先生の言ったこと、聞いただろ。あと半年だなんて、俺、信じられないよ」

 幸一は缶コーヒーを両手で握ったまま、小さな声で話した。

 私も、信じられなかった。先生は、がんはかなり進行していると言っていた。おそらく、妻は黙っていたのだ。家族に心配をかけさせないよう、だれにも打ち明けることなく、自分1人でがんと戦っていたのだ。つらかっただろう・・・・・・。

「おい、幸一」

 私は、声をかけた。幸一はこちらを見た。目が赤く腫れていた。

 少し時間が空いた。そして、私はこう話した。

「お母さんは、今までたくさん俺たちのことを支えてくれた。家族がつらいときも悲しいときも、お母さんはいつも笑顔でいてくれた・・・・・・」

 幸一は、黙って私の話を聞いていた。

「だから・・・・・・。最後はみんな、笑顔で居ようじゃないか」

 幸一は、遠くを見つめていた。そして、そうだよな、と小さく頷いた。


 それからは家族みんな、笑って毎日を過ごした。楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、つらいこと、色んなことがあったが、どんな些細なことでも、笑顔を絶やさなかった。

 ある日、妻が海へ行きたいと言った。体は大丈夫なのかと聞こうとしたが、私は尋ねなかった。

 私と妻の2人だけで、海へ向かった。車で10分ほどの所に、その海岸はあった。結婚してから、2人で何度も訪れた場所だった。

 私たちは車から降り、浜辺を歩いた。

「気持ちいいですね」

 夕暮れの海風を浴びながら、妻が言った。私は、そうだなと応えた。

 石のベンチを見つけ、そこに2人並んで座った。しばらく、お互い黙っていた。何の言葉もいらない、ただ優しい時間が流れていた。

「ありがとう・・・・・・」

 不意に、妻が言った。私は、黙って海の方を見つめた。そして、あぁとうなずいた。

「写真、撮ってくれませんか」

 妻が言った。私は、よし撮ろうかと言った。私は立ち上がり、カメラを準備した。海を背に、石のベンチに座った妻を、カメラのファインダー越しに覗いた。妻は、優しく微笑んでいる。

 急に、今までの妻との思い出が、様々に蘇ってきた。そして、感情がこみ上げてきた。

 妻を失いたくない・・・・・・。

 なぜ今、こんなことを考えてしまうんだ。妻はまだ目の前にいるのに。

 泣くな。家族の前では、妻の前では、笑っていようと決めたのだ。妻に、悲しい思いをさせたくない。だから・・・・・・。

 私は、妻の優しく笑った姿を自分の瞳に焼き付けるように、シャッターを押した。


 妻は余命宣告通り、半年後に亡くなった。病室のベッドで、家族に見守られながら、眠るように息を引き取った。

 私のカメラは、幸一に譲った。これで、お前の家族の思い出を残してやりなさい。それから幸一は、家族のどんな些細なことでも、写真に残すようにしている。


                 ▼


 息子家族が帰るのを見送ってから、私は1人、居間に戻った。親父もこっちの家に来いよ、と幸一は私のことを気にかけてくれていたが、私は断った。

 何かあれば連絡しろよ、と幸一は深く理由も聞かず、それじゃあと帰っていった。やはり私には、妻と暮らしたこの家のほうが居心地が良い。

 私は、テーブルに目をやった。アルバムの最後のページが開かれていた。私はアルバムを手に取り、最後の妻の写真を眺めた。

 ありがとう・・・・・・。

 私は、アルバムをそっと閉じた。足元にタマがすり寄ってきて、お腹が空いたと鳴いている。私は、居間の窓を開けた。外からの温かい風を肌に感じた。外は、少しずつ温かくなってきていた。

 どうやら、すぐそこに春が来ているようだ。





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最後の写真 執行 太樹 @shigyo-taiki

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