花鋏
黄猫
花鋏
最初に彼女が声をかけてきたのは、僕が駅のホームから線路へ吸い寄せられるように歩いていくのを咎められた後のことだった。
白線をまたいで、線路へ飛び降りようとしたところで背中から服を引っ張られて尻もちをつき、快速の電車が通り過ぎる際にともなう轟音と風と、背後の怒号と周囲の戸惑った声で、僕は我に返った。でも、立ち上がることができなかった。周囲の目から放たれる視線でその場へ縫い付けられたように身体が動かず、本来乗るはずだった電車もそのまま見送った。それまで周囲にいた人間はみんないなくなって、電車から吐き出された人々が辻斬りでもするみたいに僕を視線で刺しながら通り過ぎていく。
こんなことをするつもりはなかった、と言えば半分嘘になる。半分は本気だった。
確かに死ぬつもりではあった。でも、いま、このように死のうとは思っていなかった。だから僕自身も呆然としていた。
「だいじょうぶですか」と声がした。
ゆっくりと顔を横に動かすと、屈んで僕の顔色を窺う、二十代くらいの見知らぬ女性がいた。肩の辺りで切り揃えた黒髪が朝日に艶っぽく光り、着込んだスーツの袖から覗く骨張った手首に腕時計が巻かれている。表情は、うまく認識できない。あらゆる感情をかき混ぜて顔に貼り付けたような無表情がそこにはあった。
なんと言えばいいか分からず、僕はとりあえず「すみません」と言った。
「見てましたよ」と見知らぬ女性は言う。「あなたの人生、つまんなそうですね」
僕はもう一度顔を上げて、見知らぬ女性の顔を仰いだ。彼女は薄く笑っていたが、憐れみや蔑みのような感情は微塵も感じられない。そこにはただ、躊躇なくアリを踏み潰す子どものような無邪気さや、見たことのないものに触れてみたいというような好奇心のような興味が浮かんでいた。でも、目は暗く濁っているようにも見え、つまるところよく分からない人だった。そしてそれらすべてが、僕にとってはどうでもよかった。
「提案なんですけど」と見知らぬ女性は言った。「いっしょに暮らしませんか?」
*
あの時どうして僕といっしょに暮らそうなどと言ったのかと訊くと、彼女は「あなたの人生がつまらなそうだったから」と答えた。
自殺が未遂に終わった日から数日が過ぎた夜、彼女は青い花柄のワンピースを着て、ほんとうに僕の家までやってきた。
確かに住所と電話番号を訊かれたから答えはしたが、ほんとうに来るとは思っていなかった。いったい何を考えているのだろうと思いはするものの、もはやそれ以上他人に興味を割く精神的な余裕は僕にはなかった。美人局だろうが宗教勧誘だろうが勝手にすればいいと思い、僕は彼女を家に入れた。
これまで誰かをこの家に入れたことはなかったが部屋は片付いていた(そもそも物がない)し、部屋もひとつ余っていた。だから勝手にすればいいと言ったが、彼女は僕のいるリビングにいた。
「どういうつもりですか」と僕は居心地が悪くなって訊ねた。
「あなたと同じですよ」と彼女は言った。
「それは、どういう……」
「いい部屋ですね」彼女は背の低いテーブルと、そこに乗っているハサミだけが置かれたリビングを見回して言った。「物が全然ない。ミニマリストってやつだ」
はあ、と僕がため息を吐くと、彼女は続けて言った。
「わたし、フウカっていいます。風に、花で、風花」
「そうですか」
「あなたは?」
「笹川」
「それ、名字ですよね? 名字じゃなくて」
「生凪」
「ナギ。いい名前ですね。あなたの人生そのものって感じで」
「はあ」
「歳はいくつですか?」
「二十四」
「じゃあ、わたしの方がひとつ上ですね」
「そうですか」
「ナギさん」と風花は言う。「わたし達これからいっしょに暮らすので、ルールをひとつ決めませんか」
「いっしょに暮らすと言っているのはあなただけで、僕はそんなことひと言も言ってませんが」
「どうせ死ぬつもりだったんですよね。じゃあ、どうでもいいじゃないですか」
「まあ、それもそうか……いや、だったらルールを決める必要もない」
「確かに。でもそれはあなたの都合なので。わたしはルールを決めたいです」
「勝手にしてください」
「そうだなあ」と風花は言う。「花を飾りましょうよ。花瓶を置いて、そこに花をさす。いまは夏なので、三日に一回は花を替えましょう。わたしとナギさんが、交互に」
「嫌だと言ったら?」
「決まりです。ルールはこれだけ。他はなんでもオッケー」
風花はまともな人間ではないようだった。でも、まともでない人間のみがこの場にいたことで、それは普通に変わった。僕も風花を追い出したりはしなかった。
次の日に仕事から戻ってくると、リビングのテーブル上にはハサミ以外に、フラスコみたいな形のガラス瓶に、青や薄い紫や白の花が挿して置いてあった。風花はテーブルに頬杖をついて、それをぼんやりと眺めていた。
「おかえりなさい」と風花は花を見たまま言った。
「それは、なんて花?」と僕は社交辞令的に訊いた。
「アガパンサスです」と風花は答えた。「愛を意味するギリシャ語アガペーと、花を意味するギリシャ語アンサスがくっついて、アガパンサス」
僕は鼻で笑った。「じゃあ花言葉は『愛』か」
「さあ」と風花は言った。「わたし、花言葉って嫌いなんですよね」
「なるほど」と僕は言い、リビングを出た。
洗面所で手を洗い、鏡に映る自分の目から逃げるように視線を落とすと、コップのなかに立った一本の歯ブラシと、大きなハサミが目に入った。
風花はこれを見ただろうか、と僕はぼんやり考えた。見たとして、何を思っただろう。
どうしてこんなところに大きな裁ちバサミを置いているのだろうと、きっと思ったことだろう。
もし訊かれても、答えるつもりはなかった。言わなくても、風花には分かるはずだ。
服を洗濯かごに入れて、着替えてからリビングに戻ると、風花は先程と同じ姿勢でそこにいた。
「何か食べたんですか」
僕は風花から離れたところに腰を下ろした。
「ううん、何も。わたし、少食で。きょうはお腹空いてないみたい。ナギさんは?」
「まだ何も」
「そう、ですか」と風花は言い、黙り込んだ。何か考えているようだった。
「何か食べないんですか?」と僕が訊くと、「ナギさんは?」と風花が訊き返してくる。
「僕は、もうすこし後で。あんまりお腹減ってなくて」
実際、ここのところ食欲があまりなかった。欲求という欲求が、徐々に空気を吐き出す風船のように萎んでいっていた。夜もあまり眠れず、異性である風花を前にしても、これといったものが湧き上がることはない。
「じゃあわたしも、その時いっしょに食べます」
「何か食べるものがあるんですか?」
「ないです。なので、ナギさんにひと口もらいます。わたしはそれで、充分なので」
僕はアガパンサスの花に視線を置いてから、風花の方へ滑らせた。風花は昨日と同じ青い花柄のワンピースを着ていて、そこから骨張った青白い腕が伸びている。お世辞にも健康的な人間の腕には見えない。まるで慢性的に食事から離れているような印象を受ける。そこにどういう事情があるのかは分からなかったが、訊ねてみようとも思わなかった。
それからふたりでぽつぽつと話をした。リビングの硬い床で寝て起きた風花は僕を見送った後、花屋でいま着ているワンピースに似た色の花を見て、それを買ってきたと言った。顔も歯も洗わず、風呂にも入らず、化粧も昨日のものを落とさず外に出たらしく、ヒヤヒヤしたと語った。
初めて会った時はスーツを着ていたから、仕事はどうしたと訊くと、風花は「辞めました」と言い、「合わなくて」と付け加えた。僕はそれを聞いて、「いいですね」と答えた。実際、それは心の底から出た言葉だった。真偽の程は定かではなかったが、それについてはどうでもよかった。
僕にとっての悩みのタネのひとつは、職場の人間関係だった。職場には派閥のようなものがあり、根も葉もない噂話と同調圧力が跋扈している。そこに仕事の能力の有無は関係なかった。そういうものに辟易としているのが顔に出ているらしく、ある日それを指摘され、僕は反省をするふりをしたが、やがて職場に僕の居場所はなくなった。
出ていこうと何度も思ったが、その先にもまた同じものがあるかもしれないと思うと、億劫だった。ついには自分に世の中を生きていく能力が備わっているのかさえ分からなくなり、時々我を忘れて、死の淵に立った。
ハサミは、そのためにあった。気持ちが昂った時、あるいは沈みきった時、いつでも手に取れるよう家の至るところに置いてある。風花と出会った朝も、カバンのなかにはハサミがあった。ほんとうは、それでここまで続いた命を断つつもりだった。決して電車を止めようなどとは思っていなかった。
風花は、僕の人生をつまらなそうと言った。それに間違いはなかったし、見ず知らずの人間にそう言われたことに腹が立つこともなかった。ただその通りだという言葉だけが胸からこみ上げて、喉に詰まった。
「ねえ」と風花は言う。「聞いてます?」
「ああ、いや」と僕は咄嗟に言った。「すみません」
「花を替えるの、忘れないでくださいね。それ以外なら、何をしてもいいので」
「花を替えるって言ったって、どうすればいいんですか」
「駅前に花屋があるじゃないですか。そこで好きな花を買えばいいだけですよ」
「好きな花って……そんなのない」
「なんでもいいですよ。ナギさんが選ぶ花なら何でも」
はあ、と僕はため息を吐いた。
「思うようにやってみると、案外楽しいかもしれませんよ」と風花は言った。「わたしも花なんて買ったことありませんでしたし」
「じゃあ、どうしてまた切り花なんて」
「憧れてたので。花のある生活に」
「自分の家でやればよかったんじゃないですか?」
「最後にこういうのもいいかなと思って」
「最後?」と僕が訊くと、風花は「ナギさん、きょうは何を食べるんですか?」と話を逸らした。
携帯電話で時間を確認すると、二十一時を過ぎたところだった。キッチンへ行って冷凍庫を開け、なかから冷凍のスパゲッティを取り出して電子レンジに入れて、また風花から離れたところに腰を下ろした。
数分の沈黙を挟んで、電子レンジがピーピー鳴いた。僕は腰を上げてキッチンに戻り、きのこの香りと湯気の立つスパゲッティを皿に盛って、いちおうフォークをふたつといっしょにリビングのテーブル上に置いた。ガラスの花瓶に張られた水が小さく揺れる。僕はそれから風花の向かい側に座った。
「フォーク、ひとつでいいですよ」と風花は言う。「洗い物が増えるじゃないですか」
「じゃあ手で食べるんですか」と僕は言った。
「どうせ二本くらいしか食べられないので、それでもいいかも」
「少食にも程があるんじゃないですか」
「そうですね。困ったもんです」
「べつに僕は困りませんけど」
「わたしは困ってるんです」と風花は花から視線を落として言った。
「食べたくても食べられないってことですか」と僕は訊いた。
風花は頷いた。
僕は立ち上がって、キッチンの戸棚からもうひとつ皿を取り出してから戻り、冷めつつあるスパゲッティを半分に分けた。
「こんなに食べられませんよ」と風花は曖昧に笑いながら言った。
「べつに捨ててくれても構いません」
僕はフォークでスパゲッティをくるくると巻き取って口のなかに押し込んだ。味という味を捉えきることができず、ただ麺の形と感触を舌で確認してから咀嚼して、嚥下した。
食事がこうして無味乾燥としたものになったのはいつからだっただろうと考えたが、思い出せなかった。そうやって食事を進めているうちに胸がむかむかしてきて、ただでさえあまりなかった食欲は一気に消え失せた。
皿の上には、ちょうどひと口分くらいのスパゲッティが残っている。満腹感はなかったが、その残った数本の麺を口に入れることを想像すると、吐き気がした。向かい側には、さらに量の多いスパゲッティが乗った皿がある。それを見るとほんとうに吐きそうになったので、急いでキッチンまで行ってコップに水を汲んで一気に飲み干し、大きく息を吐いた。
「つらそうですね」と風花は言った。
「お互い様じゃないですか」と僕は言う。「食べないと、しんどいですよ」
「食べるのもしんどいですよ。ナギさんにも、そういうことってあるでしょう」
「そうかも。よく分かりますね」
「吐いちゃえばいいんですよ。わたしが片付けてあげますよ」
「いらない」
もう一度コップいっぱいに水を汲んで、半分飲んでそこに置いた。テーブルまで戻ってフォークといっしょにスパゲッティが残っている皿ふたつをシンクまで運び、コップに半分残った水を飲み干す。コン、と空のコップが空虚な音をたてて、カチカチとふたつのフォークが震えながら鳴いた。
「あるものは勝手に食べてくれていいです」と僕は言う。「あと洗濯機も風呂も洗面所とかも勝手に使ってください。要るものがあったら、持ってきてくれてもべつにいいです」
「分かりました」と風花は言う。「出ていけとは言わないんですね」
「出ていってくれても構いませんよ。いずれ僕のゲロを片付けることになるかもしれませんし」
「そういうのには慣れっこなんで、どうってことないですよ」
どういう意味か訊いてみようと思ったが、言葉に詰まった。差し込まれた沈黙を追いやるように風花は「それに」と付け加える。
「それに?」と僕は反復した。
「ナギさんが花を替えたら、今度はまたわたしが花を替えないといけませんし」
風花は曖昧に笑った。僕は呆れて笑うしかなかった。
「寝ますね」と僕は言った。
「明日は土曜日ですよね。もう寝るんですか?」
「いまから布団に入らないと、ぜんぜん眠れないので」
「ああ」と風花は納得したように零した。「おやすみなさい」
覚醒と気絶を繰り返すような、短く断絶された眠りの淵で、何度か夢を見た。
夢のなかの僕は、誰かのために本を探していた。それがどんな内容で、どんな装丁なのかさえ分からなかったが、僕は本棚の中にその本を見つけたらしく、手に取った。そこで一度、目が醒めた。
夏の夜の闇を見つめながら、あれはどんな本だったんだろうと考える。本なんてもう長いあいだ読んでいないのに、どうしていま本を探す夢なんて見るんだろうか。本を読めるほどの集中力はもう内からは湧いてこない。紙をめくる音でさえ、気に障るかもしれない。かつて僕のなかにあったあらゆるエネルギーは、いったいどこへ行ってしまったのだろう。
そんな意味のないことを考えているうちに、また意識は途切れた。
目の前に、姉が立っていた。彼女は僕のふたつ歳上で、名前を
夢のなかの窈は高校の制服を着て、僕の部屋の戸の前に立っている。見覚えのある光景だった。
そのとき僕は中学二年生で、窈は高校一年生だった。めずらしく窈が戸をノックしてから僕の部屋へ入ってきた。夏休みが終わる一週間前の夜ということもあって、僕はスピーカーで音楽を聞きながら、義務感に駆られてのろのろと宿題を進めていた。
「ナギ」と窈が言った。小さく、掠れたその声は、すこし震えていた。
僕はいつもと違う窈の声色にすこしびっくりして、すぐに振り返った。見ると、窈の表情は見たことないくらいに暗くて、疲弊しているようだった。
「なに」と僕は訊いた。
「ナギ」と窈はもう一度言った。「音楽、とめて」
僕は窈の機嫌を損ねないよう、言われた通り音楽をとめた。エアコンが風を吐き出す音だけが部屋を満たし、それに重ねるように窈は長く息を吐いた。
何か言われるな、と思った。窈の機嫌が良くないのは確かだった。ただ、いつもはもっと勢いよく喋ってスパッと話を終わらせて出ていくのに、今日は違っていた。
何かヘンだった。よくないことが起こる前触れのようなものが、窈の背後に見えるみたいだった。
締め切られた部屋の戸により掛かっていた窈は、一歩、二歩と僕に近づいてきた。椅子に座っていた僕は身構えた。まさか手を上げるつもりなのかと警戒したが、そういうわけではなさそうだった。窈の表情は、怒りではなく、悲しみを湛えているように見えた。
窈は手を伸ばせば届くところで一度立ち止まり、そこからもう二歩近づいてきた。自分とは違う、家族の匂いがした。
顔を上げて、窈と向き合う。いまにも泣き出しそうな顔が、間近にあった。
「ナギ」と窈は言い、着ていたシャツのボタンをひとつずつ外していった。
僕は驚きつつも、窈の指先から目が離せなかった。
すべてのボタンが外されると、窈はだらりと両腕を下ろした。シャツの隙間から、着けている下着と、つるりとした肌と、そしてお腹の辺りには、切り傷のようなものがいくつも見えた。
「ナギ」と窈は僕に両手を伸ばして言った。「きて」
目が醒めると、全身が汗で濡れていた。部屋の中はまだ暗く、朝には程遠い時間帯であることがわかる。
きょうはもう眠れる気がしなかった。時間を確認すると、午前三時になる前だった。幸い、明日が土曜日でよかった。眠らなくても、まだだいじょうぶだ。
上半身を起こすと、頭痛がした。痛みと重さを持った頭を動かして立ち上がり、僕はリビングに向かった。
リビングには、小さな灯りを点けて、テーブルに頬杖をついてぼんやりしている風花がいた。薄っすらと目がひらいていて、眠っているわけではないようだったが、起きているとも言えないような状態だった。
「風花さん?」と僕は言った。
「んあ」と風花は返事ともつかない声を出した。
「ちゃんと寝たほうがいいですよ」
「そう……でも、お母さんが……」
「お母さん?」
「んや……なんでも、ありません……」
風花からは意識が朦朧としているような不安定さと危うさを感じたが、僕にはそれをどうすることもできなかった。
僕はキッチンでコップに水を汲んで飲み干して、風花からすこし離れたところに座った。
静かな時間が、朝まで流れた。
*
電車に乗り遅れる夢を見て、目が醒めると、カーテンの隙間から淡い光が射し込んできていた。月の光か、街灯の光だろう。おそらくようやく外は白んできているところで、まだ朝と呼ぶには薄暗くもある。時間を確認しようと思ったが、すこし動いたら頭が鋭く痛んで、僕はその場にうずくまった。
眠れなかった日の朝は、いつもひどい頭痛がした。その反動のようにぐっすりと眠れる日がまれに訪れるが、そんな時でも次に目醒めると、やっぱり頭痛がした。僕の身体は適切な睡眠時間をちゃんと把握しているようだが、それとすこしでもズレが生じると、脳が拒絶反応を起こすみたいに頭痛がやってくる。
僕はしばらくその適切な睡眠を得ることができなくなっていた。でもそれをどうこうしようという気は微塵も湧かなかった。僕の精神は、半ば諦めの沼に浸っている。
「だいじょうぶですか」と風花が言った。
「ああ」僕は和らいだ頭痛の隙間から、呻くみたいに声を絞り出した。「起きてたんですね」
「起きているというか、眠れないというか」
「ほとんど眠ってるみたいな感じではありましたけど」
「……どんな感じでした? わたし」
「なんというか……眠れないというより、眠りたくないってふうに見えましたけど」
「なるほど」
「あと、お母さんがどうとか」
僕の言葉を聞いた風花はびくっと身体を震わせて、「わたし、何かヘンなこと言ってました?」と言った。
「いえ。お母さんが、としか」
「……そうですか」
風花のわかりやすい反応から、母親と何かあったんだろうな、と思った。でもわざわざそれについて掘り下げはしなかった。結局のところ、僕は風花のことを深く知りたいとはまだ思えない。
「何か飲みます?」と僕は訊いた。「それとも、まだ寝ますか」
「きょうはもう眠れないと思うので、起きてます。水だけもらってもいいですか」
僕はガラスのコップに水を汲んで、テーブルの上に置いた。
「ありがとうございます」と風花は言い、両手でコップを持って水を飲み干してから、ふう、と息を吐いた。
「必要なもの、取りにいってくださいね」と僕は言う。
「必要なものって、たとえばなんでしょう」
「あなたがいちばんわかってると思いますが」
「ほんとうに必要なものって、実はそれほどないんじゃないかって思うんです」
「まったくないということはないでしょう。人として最低限の生活を送れる程度のものでいいので、持ってきてください」
「じゃあ、ついてきてください」
「嫌だと言ったら?」
「決まりです」
実際のところ、ほとんど眠れていないのを知ったうえで要るものを持って来いというのは酷なような気もしたので、ついていくことにした。フラフラした人間がひとりからふたりに増えたところでどうしようもないという気もしたが、ひとりで倒れるよりもふたりで倒れたほうが目立って助かる確率はすこしでも上がるだろう。
とはいえまだ外は日が射し始めたばかりで薄暗く、風花の家へ向かうには時間が早すぎる。まだ(比較的)涼しい朝のうちに用事を済ませたいが、流石にいまから家を出ようとは思えない。頭も身体も重く、胃の中が軽かった。捻出されるエネルギーは、効率が悪く消費されている感覚がした。固く絞った雑巾からさらに水を出そうとしても無駄であるのと同じことだ。
「シャワーだけでも浴びたらどうです」と僕は提案してみた。「お風呂、入ってないですよね」
「お化粧が落ちちゃうので」と風花は言った。
他に気にすることがあるだろうというふうにも思ったが、それ以上はもう何も言わないことにした。
時間の経過を待つだけの時間は、長く感じられた。特に何をするでもなくリビングにふたりで座り込んでいると、カーテンの隙間から射し込んでくる光が徐々に強まっていって、窓の向こうからは、蝉の鳴き声が聞こえてくるようになった。そこでようやく世界が目覚めたような気がした。そうなると僕も動かなければならないように思えて、立ち上がった。
「家、どこですか」と僕は訊いた。
「そんなに遠くないですよ。最寄り駅が同じですからね」
「たしかに、そうか」
「もうちょっとゆっくりしませんか」
「後に予定があると何も手につかなくなるタイプでして」
「何も手につかないって、きょうは何かするつもりなんですか?」
「いえ、そういうわけではなくて、ただ落ち着かないんです。ずっと何かに追いかけられてるみたいで」
「ああ」と風花は静かに言う。「じゃあ、早めに取りにいきますね」
「そうしてもらえると助かります」
「ついてきてくれるんですよね?」
「はい。ほんとうは嫌ですけど」
「じゃあ、行きましょう」と風花は言い、立ち上がった。
「着替えるので、待ってもらえますか」と僕は言った。
平日なら学生でごった返している駅までの道も、土曜日の朝ということで空いていた。蝉の鳴き声が乱反射するアスファルトの上に陽炎が生まれてくる前に、僕らはきびきび歩いた。いつもそうするように駅に向かい、花屋がある場所を風花に教えてもらい、その前を通り過ぎた。それからいつもは通らない道を十五分ほど歩くと風花が立ち止まったので、僕も立ち止まった。
勝手にどこかのマンションに連れて行かれるものだと思っていたが、目の前にあったのは二階建ての普通の一軒家だった。表札には『守谷』とあった。彼女の名前は守谷風花というらしいことがそこでようやくわかった。
黒いアルミの門扉を押して風花が家の敷地内に入っていくので、僕も続いた。近づいて見ると、外壁の塗装はところどころ剥げていて、そこかしこに亀裂が走っているのが確認できた。遠目には立派できれいな家に見えるが、けっこう年季が入っているようだ。白い砂利に浮かぶような飛び石の上を歩き、左側を見ると、雑草の生い茂る庭に、白い鉢植えが埋もれているのが見えた。
風花はドアノブに手をかけ、玄関扉をひらく。不用心なことに、鍵はかかっていないようだった。もしかすると、中に誰かいるのかもしれない。
僕はポーチの上で立ち止まり、「ここで待ってます」と言った。すると風花は「入ってください」と言う。
「誰かいるんじゃないですか。急に知らない人が来たら、迷惑かもしれませんし」
「だいじょうぶですよ。誰もいませんから」
風花はそう言うと、ふらふらと家の中に入っていった。目の前で戸が閉まると、ばたん、と仰々しく鳴った音が虚しく響いた。しばらく待っても内から戸がひらかれる気配はなかったので、僕は自分でもう一度戸を開けて中に入った。
薄暗い玄関内の空気は外よりもすこしひんやりとしていて、慣れない芳香剤の匂いがした。タイル張りの土間には風花の脱いだ靴だけが置いてあって、他の人間の気配が感じられない。
ほんとうに誰もいないのだろうか、と思う。ならどうして鍵がかかっていなかったのだろう。
僕は靴を履いたまま、框に腰掛けて風花が戻ってくるのを待った。時折どこかから足音が聞こえてくるが、風花が家のどの辺りにいるのかはよく分からなかった。
十五分ほど経って、風花はすこし大きめな手提げカバンを持って戻ってきた。
「それだけ?」と僕が訊くと、「はい」と風花は答えた。
まあそんなものかと思うことにして、僕は立ち上がった。風花は靴を履いて、先に戸を開けて外に出た。追うように屋外へ出ると、蒸し暑さに全身を包まれた。風花は振り返らずに、開けっ放しにしていたアルミの門扉をくぐって道まで出ていた。まるで一刻も早くこの家から立ち去りたいみたいだった。
「鍵、閉めた?」と僕は訊いた。
「どうでもいいですよ、こんな家」
ふたりで来た道を引き返した。駅前の花屋を見ておこうかと思ったが、まだひらいていなかった。携帯電話で時間を確認すると、まだ八時を回ったところだ。人はまばらで、なんだかいつもより気持ちが軽く感じられた。ただ頭は重く、空腹感が強まってきた。花屋の前を通り過ぎて、駅からすこしずつ離れていくと、パンの匂いがどこかから漂ってきた。そういえば、どこかにパン屋があったなと僕は思い、風花の背中に言った。
「パン屋に寄ってもいいかな」
風花は振り返って言う。「はい。寄りましょう」
パン屋は花屋の三軒隣にあって、土曜日だというのに朝の七時から営業しているようだった。戸を押して中に入った途端、香ばしい小麦の匂いに全身を包まれ、反射的に舌の裏から唾液が湧いてきた。でも、いざパンを食べようと思うと、おそらくこうはならない。振り返ると、ガラス越しに風花は手を振った。入ってくるつもりはないらしい。
僕は自分で食べるつもりのクロワッサンをふたつと、いちおう風花にも何か買っておいたほうがいいだろうと思って、シナモンロールをひとつ買った。店を出ると日陰で休んでいた風花が立ち上がって隣に並んだので、そのまま歩き続けた。
家まで戻り、鍵穴に鍵をさして開けようとしたが、すでに開いていた。どうも鍵をかけるのを忘れていたらしく、自分が人のことを言えるような立派な人間ではないことを思い出した。鍵が空回りするのを見て、風花が微笑んでいる。それを横目に戸を開けて中に入ると、玄関には夏の朝の熱が入り込んで巣食い始めていた。靴を脱いでリビングまで歩くとその熱は濃さを増した。カーテンをひらいて窓を開け放ち、外の暑さも屋内の暑さもほとんど変わらないのを確認してから冷房をつけて、窓を閉めた。
シャワーお借りします、と言って風花が浴室に向かったので、僕は冷蔵庫から取り出した紙パックのコーヒーと牛乳をコップに注いで、さっき買ってきたクロワッサンをひと口頬張った。柔らかくて、噛んだ周囲の生地がぽろぽろと崩れて、欠片が落ちる。舌の上にはほんのりと甘い味がある。咀嚼しているうちに口の中が乾いてきたので、コーヒーを飲んだ。口の中がからっぽになると、苦い後味だけが残った。
結局、ふたつ買ったクロワッサンはひとつしか食べなかった。一度手の中にあったパンがなくなると、もう一度べつのパンを持とうという気が起きなかった。空腹感ももうないので、とりあえず置いておくことにした。
コーヒーを飲み干してシンクに持っていくところで、戻ってきた風花と鉢合わせた。化粧は落ちていたが、別段驚くほど顔が変わったようには見えない。頭にバスタオルをかぶって、紺のルームワンピースを着ている。当然そんな服はこの家にはないので、これは持ってきたものだろう。袖から覗く腕は棒きれみたいに細く、すこし見える足首もすぐに折れてしまうのではないかというほど頼りなく見えた。
じっと見ていると、風花は「なんですか?」と訝しんだ。
「いや」と僕は咄嗟に言う。「ワンピースが好きなんだなと思って」
うーん、と風花は言う。どうやらそうでもないらしい。言ってから、きっと僕と同じなんだろうと思った。ただそれで過ごすのがラクで、周囲から奇異の目で見られることもないから、無難なものを身につける。それを好きと言っていいのかがわからない。そんなところだろう。
「パン、食べますか」と僕は訊いてみた。
風花はすこし悩んだあと、「いただきます」と言って、花の置かれたテーブルの前に座った。
「クロワッサンとシナモンロール、どっちがいいですか」
「ナギさんはもう食べたんですか?」
「はい」
「何を?」
「クロワッサン」
「じゃあわたしもクロワッサンで。で、ナギさんがシナモンロール」
「もう食べたって」
「いっしょに食べましょうよ」
「なんか機嫌いいですね」
「そうですか?」
「そう見えますけど」
「じゃあそうなのかも」
僕は無視して言う。「コーヒー飲めますか」
「甘いやつなら」
僕は自分が飲んでいたものと同じものを別のコップに注いで、花の前に置いた。
「すみません、いただきます」
風花がコップに口をつけ、唇を湿らせるためだけみたいにすこしコーヒーを飲んだ。それからクロワッサンをじっと見つめ、意を決したように口に運んで小さく齧った。時間をかけて咀嚼して、時間をかけて飲み込んだ。動作はどことなくぎこちなく、苦しそうに見えた。普段ほんとうに食べないんだろうな、と思いながら、僕は風花を見たりアガパンサスの花を見たりしながら、わずかに聞こえる歯と歯の当たる音を聞いた。
「おいしい」と風花はぽつりと言った。「やさしい味がします」
たっぷり時間をかけて味わうように、風花はクロワッサンを半分食べた。そして半分を残した。
「食べてください」と言うので、僕はその食べかけのパンを食べた。やさしい味がしたような気がした。
*
風花が花を買ってきてから三日が経って、僕が花を替える日になった。とはいえ駅前の花屋は僕が平日の朝にそこを通る時にはまだ開店しておらず、仕事が終わって帰ってくる頃にはもう閉店している。
どうしたもんかな、と僕はシャッターの降りた花屋の前を歩きながら思う。花を買って帰らなかったら、風花は怒るだろうか。それとも悲しむだろうか。あるいは何も思わないかもしれない。いずれにせよ、僕にはもう花を持って帰る方法がない。調べてみたところ、駅前以外にも近くに花屋はあるが、いま通り過ぎた花屋がこの辺りでいちばん遅くまで営業しているようだった。
結局、手ぶらで帰った。玄関の扉を開けると、紺のルームワンピースを着た風花が廊下に立っていて、僕が花を持っていないのを見ると、悲しそうな顔をした。
「ごめん」と僕は思わず言った。
謝ってから、何を謝ることがあるのだろうと思った。
「平日は花屋が開いている時間に花屋へ行けないことが分かった」と僕は続けて言った。
「ああ」と風花は納得したように言い、表情をすこし明るくした。「たしかに、そうですね。ナギさん帰り遅いですもんね」
「ごめん」と僕はもう一度言った。
「うーん。じゃあ、こうしましょう」風花は人差し指を立てて言う。「水曜日にわたしが花を替えて、土曜日にナギさんが花を替える」
「なるほど。じゃあ、そうしましょう」
「嫌だとは言わないんですね」
「べつに嫌なわけじゃないですよ。それに、嫌と言っても無駄でしょうし」
「そうですね。決めたことですから」
僕はそんなこと決めた覚えはないんだけど、と思いはしたが、口には出さなかった。
「ナギさんがどんな花を買ってくるのか、わたしたのしみにしてるんですよ」
風花はそう言い、リビングへ戻っていった。後を追うようにリビングに入ると、そこに置かれた背の低いテーブルの上に、この家に来たときよりもすこしだけ首をもたげたアガパンサスの花が、まだ枯れまいと生命力をみなぎらせていた。
*
次の土曜の朝に花屋へ行って、花の香りに包まれながら花を選んだ。人の良さそうな初老の女性が店主をしているらしく、切り花用の花を買いに来たが花にはあまり詳しくないと伝えると、ニコニコしながらいくつか花を選んでくれた。
夏は気温も湿度も高く、そうなると切り花の持ちは悪くなるらしく、三日から五日に一度は交換するのがいいと教えてくれた。とはいえ数ある花の中には当然夏の花もあり、ユリやトルコキキョウがそれにあたるらしかった。こういった花は夏場でも長持ちし、人気があるということだった。
そのような話を聞きながら、僕は見知った花に目を奪われていた。
店先に、ひまわりがあった。ちゃんと見るのは初めてのような気もしたが、初めて見たという感じはせず、むしろそのひまわりを見たことでしか感化されないものが、僕の心の中にあった。幻の夏を見ているようなノスタルジーが脳裏に現れて、波にさらわれるように消えていった。
「夏の花といえば、ひまわりですよね」と店主の女性は笑った。
白髪交じりの髪を首の後ろで束ねていて、顔にはいくつかの皺が見えたが、背筋はまっすぐ伸びていて、動きもキビキビしていた。早足で僕の横のやってきて、「ひまわりにしますか?」と訊いてくるので、僕は「そうします」と答えた。
ひまわりの花を五輪買って、店をあとにした。長持ちさせるためにはいくつかのコツがあるらしく、具体的にいくつかの方法を教えてもらったが、結局覚えられたのは「水揚げ」という言葉だけだった。曖昧に返事をしてしまったからそれが何を意味していたのかは分からなかったが、きっと風花が知っていることだろう。僕はそのまま三軒隣でパンをふたつ買って帰った。
「ひまわりですか」と風花は嬉しそうに言った。「いいですね、ひまわり。ナギさんっぽい」
「どういう意味?」
「そのまんまの意味ですよ」
玄関でひまわりを渡して、風花に続いてリビングに入った。テーブルの上には、水曜日に風花が替えた青紫色のキキョウの花がある。全体的に淡い空間の中心に置かれたキキョウの花は、その色彩と生命力を以て存在感を放っていた。
花がある生活は、すこしずつ僕に馴染んできていた。とはいえ特別丁寧に手入れをしたり愛でたりするわけではなく、ただそこに存在していることに慣れてきているというだけだ。でも風花は花が可愛くて仕方ないらしく、よくテーブルに頬杖をついて花を近くで眺めている。物がなさすぎて、それ以外にすることがないのかもしれないが。
風花はシンクで鍋に水を張っていた。何をしているのだろうと訝っていると、風花はそれを察して言った。
「水揚げをします」
「水揚げ」と僕は反復する。花屋で聞いた覚えはあるが、具体性を伴って想像できない言葉。
風花はシンクでひまわりの茎を鍋に張った水に浸し、ハサミでその先端を斜めに切った。パチ、と小さい音が鳴る。風花の手元には、世話をされている一輪のひまわりと、見たことのないかたちのハサミがあった。持ち手の部分は青い色をしていて大きく、刃の部分は短い。
あんなハサミ、家にあっただろうか。そう思った時には口が動いていた。
「そのハサミは」
「
パチ、と次のひまわりの茎が水中で切られる音がする。
「ふつうのハサミじゃだめなんだ」と僕は風花を見ながら言う。
「ふつうのハサミだと、茎が傷んだり、道管が潰れたりしちゃうかもしれないので」
「それって、切らなきゃだめなの?」
「だめというわけではないと思いますけど、その方が長持ちしますから」
「そうなんだ」
「せっかくナギさんが選んで買ってきた花ですしね」
パチ、とやさしい音が響いた。
「どうしてひまわりにしたんですか?」と風花が言う。
「どうして」と僕は呟いて、考える。難しい質問だったが、思うまま言った。「目が離せなくなって」
「いいなと思ったってことですか?」
「いいなというよりは、懐かしいと思った」
「何か思い出があるんですか?」
「いや、ない。でも、懐かしいなと思ったんだ。たぶん……よくわからないけど」
「そうですか」と言って風花は笑った。「素敵なことじゃないですか。わたしも好きですよ、ひまわり」
「そうなんだ。あまりにも夏の花ど真ん中って感じで、馬鹿にされるかと思った」
「思いませんよ、そんなこと。ちゃんと好きですよ」
「どういうところが?」
「んー」と風花は目を閉じながら言う。「難しいですね。でもわたし、ゴッホが好きで」
「ゴッホ」と僕は反復する。「絵画の?」
「そう、絵画の。フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ。有名なひまわりの絵があるじゃないですか」
「うん。あれが好きなんだ?」
「あのひまわりの絵そのものが好きというよりは、ゴッホという人間が好きで、そのゴッホが描いたひまわりだから好き、みたいな感じです」
「好きな人の好きなものが好き、みたいなことか」
「はい。きっとナギさんも好きだと思いますよ」
「そうなのかな」と僕は言う。「ゴッホって、どんな人?」
「よく狂気の画家だなんて言われますね。確かに、狂気を思わせるエピソードはいくつかあります。自分の耳を切り落とした、というのがたぶんいちばん有名な話ですかね。精神病院に入っていた時もあって、三十七歳の時に、拳銃で自殺しました。そういう人といえばそれまでですが、ゴッホの狂気の裏側には、たくさんの孤独と苦しみがあるんです」
「うん」と言って僕は話の続きを待った。
「ゴッホの祖父はキリスト教の高名な牧師で、フィンセントという名前は、そこから取られたものです。ゴッホは小さな頃から癇癪持ちで、気難しくて、繊細で、思い込みが激しくて、なんでも思い詰めてしまう、そんな人でした。彼は最初、家柄のこともあって、キリスト教への関心を深めて聖職者になろうとしていました。でも、うまくいかなかったんです。二十五歳くらいの時、ゴッホは伝道師としての仮免許を貰っていたのですが、ゴッホ自身の常軌を逸した献身や自罰的な行動により、聖職者への道は閉ざされてしまいました。これはつまり、自分の情熱や愛が、当時の社会に受け容れられなかったということを意味します。ゴッホは誰からも――弟のテオを除いて、家族からも求められなかった人でした。人としても理解されず、いまでは有名な絵画でも理解されず、死んでいきました」
パチ、と音が鳴る。
「わたしは、ゴッホの抱えていた孤独と憂鬱に、惹かれてしまいます。きっとそれは彼が子どもの頃から、長い時間をかけて育まれた苦しみです。なんとなく……なんとなくなんですけど、ナギさんの中にも、そういうものがあるんじゃないかと思います。だからわたしは、いまこうしてここにいるのかもしれません」
僕が黙っていると、風花が続けた。
「ゴッホが画家になろうと決めたのは、二十七歳の時です。意外と遅いですよね。それから死ぬまでの十年間、彼は絵を描き続けました。でも生前に売れた絵は、たったの一枚だけです。ゴッホって、画家として食べていくことができなかったんです。そんな彼を支えていたのは、弟のテオでした」
弟という言葉が、妙に耳の奥へ響いた。僕は話を聞きながら、姉である窈のことを思い出した。その姿が、目の前に立っている風花とすこし重なった。
「ゴッホの唯一の理解者で、画商をやっていたテオが、献身的に仕送りをしていたんです。ゴッホが三十七歳まで生きて絵を描き続けられたのも、黄色い家にゴーギャンが来たのも、テオがいてこそです」
「黄色い家、ゴーギャン」僕は聞き慣れない言葉を機械みたいに繰り返した。
「ええと」と風花が言う。「画家のポール・ゴーギャン。『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』の、ゴーギャンです」
「うん」と僕はとりあえず頷いた。
「黄色い家というのは、ゴッホが描いた絵画の名前でもある、ゴッホがゴーギャンと共同生活を送っていた建物です。たったの二ヶ月間だけですけどね。有名なひまわりの絵は、その黄色い家を飾るために描かれた絵とされています。見方を変えれば、そのひまわりたちは、黄色い家にやってくるゴーギャンのために描かれたと言えるかもしれません。その頃のゴーギャンは経済的に苦しくて、それを知ったゴッホが黄色い家にゴーギャンを誘ったんです。『ふたりで自炊すれば、テオからの仕送りでなんとか暮らしていける』って」
「でも、二ヶ月しか続かなかったんだ?」
「そうですね。ゴッホは小さな頃から癇癪持ちで、気難しくて、繊細で、思い込みが激しくて、なんでも思い詰めてしまう、そんな人でしたから、ゴーギャンとも相容れなかったみたいです。こと絵に関しては、意見が合わなかったようで。そしてゴッホは、自分の耳を切り落としてしまいました」
「唐突だな」
「夢見ていた風景が、音をたてて崩れていったわけですからね。でもその一方で、切り落とした耳を娼館の女性に渡しにいったんですよ」
「どうしてそんなことを?」
「愛情表現なんじゃないですか? 彼なりの、真面目な」
脳裏に、高校の制服を身にまとい、右手にハサミを持った窈が現れた。僕がそれに見惚れていると、風花が続けた。
「ゴッホは以降、何度もそういった発作に苦しめられましたが、それについてもいろんな説があります。てんかん、統合失調症、メニエール病、双極性障害……わたしなんかには想像もつかないほどの苦しみのなか、それでもゴッホは絵を描き続けました。『星月夜』が生まれたのも、療養所でのことです」
『星月夜』がどんな絵なのか想像はできなかったが、有名な絵であることだけはなんとなく伝わってきたので、僕は「そうなんだ」と言った。
「悪いことばかりではなかったんですよ。ガシェという医師と仲良くなったり、すこしずつ絵が評価されてきたり……でもそんな中、ゴッホは亡くなってしまいました。三十七歳の時、拳銃で自殺したんです。それから一年後、弟のテオも後を追うように息を引き取りました」
「テオも、自殺?」
「いえ。テオはもともと病弱で、兄の死をきっかけに徐々に衰弱していって、精神病院で最期を迎えました。テオはたしかその時、三十三歳だったと思います」
パチ、とまた音が鳴る。
「ゴッホはたくさんの拒絶に打ちのめされながら、たくさんの絵を残しました。たった十年のあいだだけですけどね。でも、わたしにとっては神様みたいに思えたんです。ゴッホにとって、ひまわりがそうであったように」
どういう意味だろう、と僕は思った。確かにゴッホはある種の狂気と情熱を具えた画家であることは間違いないように感じられる。でもそれがなぜ風花にとって神様なのか、理解できなかった。
「どうですか、ゴッホ」と風花は言う。「ナギさんも好きなんじゃないかと思うんですけど」
「ああ」と僕は言う。「僕は、テオのほうが好きかもしれない」
「それは、どうして?」
「僕が弟だからかな」
「お兄さんがいるんですか?」
「姉がいる。窈って名前の」
「へえ。歳はいくつ離れてるんですか?」
「ふたつ」
「じゃあ、わたしよりひとつお姉さんですね」
「いや」と僕は言う。「窈は十六の時に死んだ」
一瞬だけ完璧な静寂が部屋に現れて、消えた。
「僕が殺した」
「そうですか」と風花は言った。「わたしも、そうなんですよ」
「何が」
「わたしも、お母さんを、殺しちゃったんです」
また一瞬だけ沈黙が現れて、その場を支配した。
「そうか」と僕が静寂を破ると、「そうなんですよ」と風花は弱々しく笑った。
パンを買ってきていたことを思い出したが、食欲は微塵もなかった。
その日は朝食も昼食もとらず、一日中ぼんやりと過ごし、夜にはふたりで小さなピザを分け合って食べた。少食というよりはほとんど摂食障害の気があった風花も、だんだんとものを口にするようになってきていた。その日は八等分にされた小さなピザのうちふたつを風花が平らげた。僕は四つ食べて、あとは残した。ただそれだけのことが、ちょっとした前進みたいだった。
とはいえ、僕らのような人間が平坦な道を歩くことは難しい。
その日の夜、僕はほとんど眠れず、布団の中で何度も寝返りをうっていた。浅く夢を見るような眠りさえ迎え入れることができずに、身体の重さだけが僕の現実に存在していた。
風花はちゃんと眠れているだろうかと、気を紛らわせるために考えた。耳をすませていると、戸の開閉音がした。すこし間があいて、また戸がひらかれて、閉じる音がした。それから微かに、水に何かが落ちる音と、風花がえずく音が聞こえた。
悪いことをしたな、と僕は風花がトイレで吐いているのを想像しながら思った。
ピザは重かったか。無理して食べたのかもしれないな。
すこしの申し訳なさを抱えながら、僕は風花が咳き込むのを聞いた。青白い顔をして、ぐったりして、もう一度便器に吐瀉しているところを想像する。腹の底に、何か熱いものが湧き上がるのを感じた。風花が何かを吐いているところを後ろから見てみたいという、素朴な気持ちが芽生えてくる。でも身体が重くて動かなかった。ただ腹の底の熱が、大きく膨らんでいくのを抑えるために、きつく目を閉じた。そうすると、音はもっと鮮明に聞こえてきた。
眠れるはずもなかった。
*
平日は緩慢な時間が流れ、休日は急速に過ぎ去った。そんなふうにしてまた一週間が経った。
風花は僕が姉を殺したことについて訊いてくることはしなかったし、僕も風花が母親を殺したということについて深く掘り下げなかった。それについて訊ねることで、何かが壊れてしまうような予感がお互いの中にあるのだと思う。だから風花は家の至るところにあるハサミに対して何も言わないし、僕が進んで話さない事柄については踏み込んでこなかった。身体は近くにあるが、心は遠いところにあるような感じだ。僕にとってはそれが、ちょうどいい距離感だった。
生活に入り込んできた風花の影は、すこしずつ濃くなってきていた。何もなかったリビングには棚がひとつ置かれて、そこに数冊の小説が並ぶようになった。洗面台のコップに入った歯ブラシはふたつになって、棚には化粧水が置かれるようになった。玄関に並ぶ靴は二足になって、立てかけられている傘の色はカラフルになった。
ただ、ハサミの量は風花の持ち込んだ花鋏を除いては増えなかったし、減らなかった。洗面台のコップの中、リビングのテーブルの上、寝室の布団の横、クローゼットの奥、キッチン、玄関、トイレ。ハサミは変わらずそこに存在していた。でもそれらのハサミが使われることはなく、時間は流れた。僕らが手に取るハサミは、風花が持ってきたあの花鋏だけだった。
*
風花が家に来てから三週間後の土曜日の夜に、また窈の夢を見た。
僕は壁に張り付きながら、部屋の真ん中に立ち竦む窈を見ている。窈は紺のルームワンピースを着ていて、右手に大きなハサミを持っていた。壁にかけられた時計は、十一時を指している。僕はそれを見て、この瞬間が八月三十一日の、午後十一時であることを理解した。
八月三十一日は、窈の命日だった。
窈は部屋の真ん中で、顔をくしゃくしゃにしながら泣いていた。徐々に壁に溶け込んでいく僕は、それを見ている。ただ、窈のそんな顔を初めて見たものだから、驚いた。そして、怖かった。自分の身体が壁と一体化していることもあって、なんだか全身が強張って、息苦しかった。
窈がそのハサミで何をしようとしているのか、僕にはもう分かっていた。だから止めなければならないと思ったが、壁である僕にはもうどうすることもできなかった。
窈は細い指で、ハサミを強く握りしめた。そして、腕を高く振り上げた。
「やめろ!」という自分の叫び声で目が醒めた。また全身に汗をかいている。こうなってはもう眠れない。夢に窈がでてくると、いつもこうなる。いまが土曜日と日曜日の隙間でよかった、と思う。
僕は起き上がって、暗闇の中リビングまで歩いた。リビングには、テーブルに頬杖をついて座っている風花がいた。最近はちゃんと空いていた部屋で眠っていたが、きょうは彼女も眠れない日らしかった。
カーテンの隙間から射す淡い月光が、テーブル上のクチナシの花を貫くように落ちていた。風花はそれを、虚ろな目で見ている。あるいは見ていないのかもしれない。とはいえ、以前あったように意識が朦朧としているという感じはせず、思索に耽っているような印象を持った。
「ナギさん」と風花は視線をクチナシから外さずに言った。「どうしてわたしの名前を呼んでくれないんですか?」
「何が」
「わたし、ここに来てから、ナギさんに名前を呼ばれたことが一度もないんですよ。もういっしょに暮らして三週間になるのに」
「まだ三週間だ」
「でも、寂しいですよ」
「ごめん」
「風花、です」
「風花」と僕は言う。
言ってから、以前風花の意識が朦朧としている時に一度名前を呼んだことを思い出した。あの時のことは、きっと記憶にないのだろう。
僕はその時のことを思い出しながら、気になっていたことを訊ねた。
「風花は、どうしてお母さんを殺しちゃったんだろう」
すこしの沈黙を置いて、風花は言う。「わたしのせいじゃないんです。でも、わたしが眠らなければ、お母さんは死なずに済んだ……時々、そう思うんです。お母さん、まだ若かったのに認知症になっちゃって、夜な夜などこかに行っちゃうんです。わたしが起きてないと、そのまま戻ってこれなくなっちゃうのに。それで、戻ってこれなくなっちゃったんです。夜中に車に轢かれちゃって。わたしが眠らなければ、そんなことにはならなかった……そう思うと、いまも眠れない時が、たまにあります」
「そうか」と僕は言う。「隣、座ってもいい?」
「はい」
僕は風花の隣に座って、ぼんやりと夜のクチナシを眺めた。花の匂いか、人の匂いかはわからないが、甘い香りがした。
「でも」と風花は言う。「死んでくれてよかったって、ちょっと思ったんです。ナギさん以外の人には、そんなこと言えませんけどね。わたしももう、疲れちゃってて。娘の顔を見てるのに、知らない人を見るみたいにわたしのことを見て……耐えられなかったんです。わたし、ほんとうは絵が描きたかったんですけど、それもできなくて。でもお金は必要で、仕事はしなくちゃだめで。そしたら駅で、わたしみたいな人を見つけたんです」
「へえ」と僕は言った。クチナシのひとつが、すこし揺れた。
「その人、いつも同じ時間に、死にそうな目で電車を待っているんですよ。人の顔なんか見てないっていうふうに……ナギさんは知らないでしょうけど、わたし、ずっと同じ電車に乗ってたんですよ」
「うん」
「そしたらその人、ある日急に線路へ吸い寄せられていっちゃって。わたしは、助ける気なんて全然なかったんですけど、周りのみんなは当然のように止めてて、えらいなあって思いました」
「みんな電車が止まったら困るから、後ろから引っ張っただけだよ」
「そうですね。みんなは、困りますもんね。わたしとしては、べつに電車が止まっちゃってもよかったんですけど」
「でもあの時の僕は、そんなつもりじゃなかった。言っても、信じてもらえないだろうけど」
「はい。全然信じられないです」
「あの時カバンの中に、ハサミが入ってた」と僕はクチナシの横にある花鋏を見て言う。「ほんとうはそれで死ぬつもりだった」
「はい」と風花は言う。「あの日のナギさんは、きょう死ぬんだろうなって目をしてましたし、べつに驚きませんよ」
「なんだそれ」
「あなたのこと、いつも見てましたから」
「怖いな」
「ナギさんが駅に現れなくなって、一週間経ったら、わたしも死のうと思ってました」
「そうか」
「そしたら目の前であんなことが起きて、ちょっとびっくりしました」
「風花は、なんであの時僕に声をかけたんだろう」
「あなたの人生がつまらなそうだったから、わたしも連れて行ってもらおうと思って」
「どこに」
「あの世」と風花は天井を指差して言った。「この人といっしょにいれば、いずれそうなるんじゃないかと思ったんです」
「思ったよりしぶとくて、期待外れだったか」
「いえ。最初はそう思ってたんですけどね。なんか、最後にやりたいことをやろうと思って、気になる人のところに押しかけて住み着いて、そこに花を飾ってみたりしちゃったりして、そしたらそれが、思いの外たのしいんですね、困ったことに。馬が合いそうな気だけはしている男性が近くにいて、その人もたぶん、わたしのことが嫌いというわけでもない感じで、ふたりでいるのも居心地が悪くなくて、でもわたしに女性としての魅力がないのか、べつに手を出してくるわけでもなくて、かといってそれが悲しいというわけでもない。なんというか……幸せって、こういうことなのかもなとか、柄にもないことを考えていたりして」
「うん」
「こういうのが、もうちょっとだけ続いたらいいな、なんて思ってしまっています。結局、わたしが死にたいと思っていたのも、そこにあったわたしを縛るものから逃れたかっただけで、たとえばそれはお母さんや仕事で、そういったものから開放された途端に、身体が軽くなった感じがします。単純なもんですね」
「いいことだと思う。でも、それでも僕がまだ死にたいと言ったら、風花はどうする」
風花はすこしの沈黙を置いた後、「わかりません」と言った。「ここ数日はそういうこと、考えないようにしていたので」
「そうか」
「ナギさん」と風花が言う。「もうすこし近くに寄ってもいいですか」
僕は返事をしなかったが、風花はそれを肯定と受け取って、ほんのすこしだけ身を寄せてきた。クチナシの香りが、強く感じられた。
しばらく無言の時間が続いた。僕の頭の中には、四角い部屋の真ん中で、首から血を流して横たわる窈の姿があった。夢の続きは、僕の気分を悪くさせた。
「風花は、何も訊かないんだ」と僕は言った。
「何がですか?」
「僕が姉を殺したことについてとか、家にハサミがたくさんあることについてとか」
「ああ」と風花は言う。「じゃあ今、教えてもらってもいいですか?」
「嫌だ」
「そう言うと思ったので、訊きませんでした」
「ありがとう」
「こちらこそ。話したくなったら、いつでも話してくださいね」
*
八月二十四日は両親の結婚記念日で、その日は毎年ふたりだけでどこかに出かけて、夜遅くに帰ってきた。その年も例外でなく、両親は家を空けていて、僕と窈だけが家にいた。
窈の様子がおかしかったのは、両親が結婚してから十八年目の八月二十四日のことだ。窈は十六歳で、僕は十四歳だった。
部屋に押しかけてきた窈は夏休みなのになぜか制服を着ていて、シャツのボタンを外しながら僕に迫ってきた。開いた胸元に見える下着や、丸みを感じるつるりとしたお腹よりも、僕はそこにあったいくつもの真一文字のかさぶたとケロイドに目を奪われた。
窈に自傷癖があることを知ったのは、この時だった。ただ、窈はリストカットやレッグカットは行わず、傷が目立たないようお腹に刃を入れていた。でも僕はその跡を目にしながら、何も言えなかった。ただ目の前に迫る女性の身体に、単純に興奮していた。
結局、僕らはそのまま性行為に及んだ。思えばそれも、窈にとっては自傷行為の延長線上にあったのだろうと思う。僕らはちゃんと血のつながった姉弟だった。それを承知の上で、僕らはお互いの身体を隅々まで確認するように交わった。高揚と気怠さが波のように交互に訪れて、頭の奥で点滅する光の糸が、次々に千切れていった。
お互いが満たされたか空っぽになったタイミングで、時間が静止したような瞬間が訪れた。僕らは服も着ずベッドに横たわって、酸素を求めて喘いでいた。
しばらくして窈が、「ナギ」と言った。
「うん」と僕は天井を見上げて言った。
「ごめんね、いままで」
お腹の傷と、部屋にやってきた時の表情から、窈が何をしようとしているのか、僕にはおおよその見当がついていた。でもその小さな背中にどうやって声をかければいいのか、わからなかった。
僕が不器用なら、窈も不器用だった。あの時僕はきっと、なんでもいいから窈に言えばよかったのだ。「いいよ」とか、「またやりたい」とか、思ったことをなんでも口にすればよかった。たとえそれが延命にしかならなかったとしても、そのあいだに窈を劇的に変える何かが起きていたかもしれない。でも、胸の奥の混沌は、ひとつとして言葉になって喉を通り抜けることはなかった。「たすけて」の四文字すら誰にも言えかった窈が、おそらく唯一SOSを発信したこの瞬間に、僕はそれを、見なかったことにした。暗い海でチカチカ光っている救難信号に僕は目をつむり、結果的に、船をひとつ沈めることになった。
窈が冷たくなって発見されたのは、夏休みが明けた九月一日の朝のことだった。死因は、頸部鋭的損傷による失血死。ハサミの刃で頸動脈を切ったらしかった。
遺書の類は残されていなかったことから、衝動的な自殺だったということになった。今になっても、結局窈がどうして死ななければならなかったのかは、よくわからない。
おそらく死の一週間前の時点で、窈の中にはそういった考えが巣食っていた。そういったものから逃れるために、窈はあの日、僕の部屋に押しかけてきたのかもしれない。傷を見せたのも、性交したのも、最後に謝ったのも、全身全霊で生にしがみつこうとのたうち回った結果なのかもしれない。でも窈は逃げ切ることができなかった。誰かに「たすけて」と言えなかったばかりに、頼ったのが僕であったばかりに、この世界から消滅することになった。僕が殺したも同然だった。
僕はいまもあの瞬間に囚われていて、事あるごとに窈と交わったことを思い出した。そこには刹那的な快楽と、底のない後悔があった。僕の意識はその白と黒の混ざった空間を漂い、時折、窈の亡霊に手を引っ張られた。身体がどれだけ大きくなっても、僕の心は老化も風化もせず、ずっと窈の腕の中にあった。そうしているうちにいつからか、自分も窈みたいに死ななければならないという考えに取り憑かれるようになった。
道具は悪くない。悪いのはいつも、道具を扱う人間のほうだ。ハサミは人を殺すこともあれば、救うこともあるだろう。でも僕にとってハサミは、
窈が、そう使ったのだから。
*
強いストレスを感じた時、まともに立っていられなくなることが度々あった。全身の毛穴がひらいて冷や汗が吹き出し、吐き気に襲われて視界が狭まり、手足がしびれてその場に崩れてしまう。近頃そういったことはなかったのだが、久しぶりに職場でそれに見舞われた。僕は周囲の人間から白い目で見られながら、早退することになった。
外では雨が降っていた。傘は持っていなかったが、わざわざ買いに行くほど雨脚も強くなかったので、そのまま駅まで歩いた。ホームで待っているあいだも雨は止まず、電車に乗って揺られているうちに強まっていって、降りる頃には土砂降りになっていた。
最寄りの駅前には、傘を差した人々が行き交っていた。どんよりとした空の下で、黒い傘や灰色の傘が、濡れて濃くなったアスファルトの上でのろのろと動いていて、まるでみんなが喪に服しているみたいに見えた。僕はその傘の群れの隙間を、傘を差さずに歩いた。時折すれ違う人間からの視線を感じたが、もうどうでもよかった。カバンの中身が濡れるとか、服が濡れるとか、気にかけているのがなんだか馬鹿らしく思えた。
よくないことがひとつでも起きると、その日はもう何に対しても意欲が湧かなかった。傘を差すことも億劫で、人目を気にするのも面倒だった。どうせもう終わった一日なのだから、ここから何をしても、すでに起こったことはやり直せない。失ったものは取り戻せないし、死んだ人は生き返らない。
だったらもう、いいじゃないか。僕は誰に言うわけでもなく、心の中でそう言い訳をした。
歩いても歩いても雨は弱まらなかった。僕は下を向いて、ゆっくり歩いた。身体の調子も悪く、うっすらと手足に痺れが残っていたものだから、そうするほかなかった。感覚の希薄な指先から、体温を奪って水が滴っていく。まるで全身から血が流れ出ているみたいだった。
すれ違う人達はみんな傘を差すか、早足でどこかへ向かっていて、立派だなと思った。僕は誰からも傘を渡されたりすることもなく、自分で自分に傘を差すこともなく、家まで歩き続けた。
家の戸を開けて中へ入る頃になって、雨音は弱まっていった。戸を挟んだ向こう側では、小降りになっているであろう雨を想像し、僕は脱いだ靴の横にカバンを落として脱衣所へ行った。
引き戸に手をかけてゆっくりと開けると、ちょうど驚いた風花がこっちを見ているのが目に入った。シャワーを浴びるためなのか、いつも着ている紺のワンピースを脱いだところのようで下着だけを着けていて、骨の浮き出た身体が露わになっていた。
「ナギさん?」と風花は目を丸くしたまま言った。「きょうは、早いんですね」
「うん」
僕は風花の姿に見惚れていた。血色の悪い肌に、浮き出た骨に、そして、腹の辺りの傷跡。
窈と同じ、真一文字のかさぶたとケロイドが、目に飛び込んできた。
力が抜けて、膝をついた。風花が驚いてこちらに手を伸ばした。脳裏に窈の姿がよぎって、僕は風花に抱きついた。鼻の先で腹のかさぶたに触れると、風花は僕の頭に手を置いた。
「ナギさん。びしょ濡れで、冷たい」
僕は黙っていた。
「何か、嫌なことでもありました?」
「寒い」と僕は答えた。
実際、雨に体温を奪われて、寒かった。手足には痺れが残っていて、頭も痛んできていた。でも本当に言いたいことは、たぶんそうじゃなかった。窈も同じだ。ほんとうは僕に謝る必要なんてなかった。僕はべつに、窈のことが嫌いなわけじゃなかったし、わがままに振り回されたことを恨んでいたわけでもなかった。
「先にシャワー浴びてください」と風花は言う。「わたし、リビングに行ってます」
僕は風花に縋った。「いかないでくれ」
「どうしちゃったんですか」と風花が言う。「わたし、ちゃんと待ってますから」
力が抜けて腕がほどけると、風花は僕をよけて脱衣所を出た。僕が水を吸った重い服に押さえ付けられるみたいに項垂れていると、風花が戻ってきて着替えを置いてまた出ていった。
僕は服を着たまま浴室に入って、そのままシャワーで熱い湯を浴びた。ある程度身体が温まってから、肌に張り付いた服を剥がすように脱いでいった。それから裸で床に座っていると、すこし冷静になった。
風花には、また悪いことをした。いっしょに居れば、これから何度もこういうことが起こるような気がした。風花の存在は、僕の頭の中に窈を連れて来る。風花にも、窈と同じように自傷癖がある。ただ、真新しい傷はないようだった。もしかすると、いまはもうお腹に刃を入れていないのかもしれない。とはいえ、風花にそういった性質が具わっているのは確かだ。窈と同じような穴が心に空いていて、もしかすると、衝動的に自殺に走る可能性だってある。
だからなんだというのだろう?
風花は風花で、窈は窈で、僕は僕だ。風花が死んだとしても、それは僕には関係のないことだ。でも、窈が死んだことは、僕を大いに変化させた。あるいは生きていたことが。もしも風花がそうなった時、僕の心は、ほんとうに動かないのだろうか。
目の前にあるのは、わからないことばかりだった。これから僕が風花に何をするのかとか、風花がいつまでここにいるのかとか、僕は死ぬことができないんじゃないかとか、何もかもがわからなくて、ただ恐ろしかった。まっすぐ立てない時間が増えれば、おそらく仕事も続かない。そうなれば、お金もいずれ底をつく。いや、そもそも死ぬつもりでいるのに、どうしてお金を稼ぐために働いているのだろう。
僕はいったい、何をやっている?
風花が置いてくれた服に着替えて、浴室の床に脱ぎ捨てた服を両手で絞り、すべて洗濯機に投げ入れた。それからリビングに戻ろうと戸に手をかけたが、開けるのをためらった。
風花になんて声をかけよう。いずれにせよ、まずは謝らなければならない。怖がらせたかもしれない。ちゃんと話を聞いてくれるかわからないけれど、そうするしかない。
そっと戸を開けて、リビングに入った。風花はいつものように紺のルームワンピースを着てテーブルに頬杖をつきながら、白いダリアの花を眺めていた。
「風花」と僕は言う。「さっきは、その、ごめん」
「なんで謝るんですか」と風花はダリアを見たまま言った。
「びっくりさせたかと思って」
「確かにびっくりはしましたけど、謝られるほどのことじゃないですよ」
僕は風花の隣に座った。
「たまに、まっすぐ立てなくなる時がある。視界が狭まって、手足が痺れて、吐き気がして、冷や汗が止まらなくなる。それで、早退させてもらった」
「ああ。それで今日は早かったんですね」
時間は午後の四時に差し掛かる頃だった。外ではまだ雨が降り続いている。だんだんと頭がぼうっとしてきて、雨音が幕に遮られているみたいに耳に響いた。
「だいじょうぶですか?」と風花は僕の顔を覗き込みながら言った。
「たぶん、寝たらすぐ良くなる」
「ちゃんと眠れるんですか?」
「わからない」
「そんな調子なのに、雨に打たれて帰ってきたんですか?」
「うん」
「それは、どうして?」
「全部、どうでもよくなった」と僕は正直に言った。「僕がその場に崩れたら、みんな白い目で僕を見て、それで」
「辞めちゃえばいいんですよ、そんな職場」
「たしかに、そうかも」
「……ほんとうに、だいじょうぶですか?」
「あんまりだいじょうぶじゃないかも」
「横になったほうがいいですよ」
僕はその場で横になった。
「そうじゃなくて」と風花は言う。「布団でって意味です」
「うん」
僕は冷たい床に耳を押し当てながら、遠くで鳴る雨音を聞いた。だんだんと体温が高くなってきて、意識が身体の奥の方に押し込まれていってるような感覚がした。沼に沈んでいくみたいにゆっくりと身体が重くなっていって、砂時計の中で砂に埋もれるみたいに、視界は暗くなっていった。
何か夢を見ていたが、どんな夢を見ていたのか思い出せなかった。ゆっくりと目をひらくと、いつもと同じように風花がテーブルの前に座っているのが目に入った。先ほどとは着ているワンピースの色が変わっていて、たぶんシャワーを浴びるか何かしたんだろうなと思った。風花は僕が目覚めたことに気づいていないようで、ぼんやりと白いダリアの花を見つめている。僕はその横顔を、黙って見つめた。
どれくらい眠っていたのだろう。時刻がわからない。まだ雨は降り続いているらしく、雨音がはっきりと聞こえる。僕はいつのまにか眠っていて、身体にはタオルケットがかけられていた。匂いから、これがいつも僕の使っているものでないとわかる。たぶん風花のものだろう。
手足の先にはもう痺れは残っていなかったが、身体が重くて、気怠かった。すこし寒気がして、弱く頭痛がして、関節が軋むみたいに痛い。
典型的な風邪の症状だ。きっとここから、もっと酷くなるだろう。そう思うと、なんだか憂鬱だった。
「風花」と僕は小さな声で言う。
「ナギさん」と風花は言った。「お姉さんの夢を、見てたんですか?」
「……どうして?」
「ヨウ、ヨウって、ずっと言ってましたよ。ヨウってたしか、お姉さんの名前ですよね。ナギさんが殺したっていう」
「僕が、殺した」
「……ナギさんが言ったことですよ」
「そうだ。僕が、殺した……」
風花は僕の頬に手を置いて言った。「ほんとうは、違うんですよね」
「窈は……」僕は風花の手に触れて言う。「窈は、ハサミで首を切って、死んだ。十年前の、八月三十一日の夜、誰にも看取られずに、自殺した。窈は僕に、助けを求めてた。死ぬ一週間前に僕の部屋に来て、僕らは、セックスをした。窈とは、ちゃんと血のつながった姉弟だった。でも、した。窈が、服を脱いで、僕の目の前まで来て……」
「はい」とだけ風花は言って、続きを待っていた。
「その時、見たんだ。お腹に、傷があった。風花と同じような傷が。窈には、自傷癖があった。僕はそれに気づいたけど、見ないふりして、それ以外のところばかりに夢中になった。でも、ほんとうに窈が見てほしかったのは、たぶん、その傷だった。あれは、助けてほしいっていう、サインだった。なのに僕は、そこから目を背けた」
「はい」
「最後に、謝られた。いままでごめん、って。僕は、何も言えなかった。なんでもいいから言えばよかったのに、言わなかった。それから一週間経って、窈は死んだ。なんで死んだのかはわからない。でもきっと、どうにかできた。僕はその機会を、永遠に失くした。謝るのは、僕の方だ」
「自惚れですよ」と風花は言う。「どうにかできただなんて、自惚れです」
熱を持った冷たい言葉が、頭の奥に響いた。
「たしかにお姉さんは、ナギさんと寝るまでは、揺らいでいたと思います。でも終わった後にはもう、覚悟を決めていたでしょうね。もう後戻りできないって、そう考えたんじゃないかと」
「じゃあ」と僕は言う。「僕らが交わらなければ、窈は、死ななかったのか?」
「いいえ」と風花は答えた。「たぶん、死んでいたと思います。ナギさんが拒んだら、それはそれでショックでしょうから。『この人もわたしを否定するんだ』って、そう考えるんじゃないでしょうか」
「どうして、そう思う?」
「わたしなら、そう考えます」風花は小さく笑った。「死ぬ覚悟のある人間は、ちゃんと死にます。わたし達がどんなに寄り添っても、励ましても、目を離した隙に、死んでしまう。血がつながっていようと、結局わたし達は他人で、心の底から分かり合うことなんてできませんから。そしてわたし達は――わたしとナギさんは、死ぬ覚悟のない人間です。きっとこのまま、ずるずると生きていく。そんな気がします」
僕は黙っていた。頭が割れそうに痛んで、何も言えなかった。
「たぶんナギさんも考えたことがあると思います。二十歳までに死のうとか、三十歳までに死のうとかって。それまでは生きていようって。わたしも、そうですよ。いまでも思います。でも、無理だとも思うんです。一度、こたつの線で首を吊ってみようと思って、やってみたことがあるんです。だんだんと顔が熱くなって、膨らんでいくみたいな感じがして……怖くて、やめました。それから、考えるのをやめてたんです。お母さんが死ぬまでは」
「うあ」と僕は声を吐き出した。
「だいじょうぶですか」と風花が言う。「顔、熱いですよ。熱があるんですかね」
「……風邪だろうな」
「そうですか」と言い、風花は僕の横に寝転がった。
「
「いいですよ。いっしょに風邪引きます」
「何を……」
「いっしょに死にましょうよ」風花は僕と目を合わせて言った。「それまで、いっしょに生きてみませんか」
「……寒い」
風花の顔をいままででいちばん間近に見ながら、僕は悪寒に包まれていた。
「ちょっと寒かったですかね、今のは。恥ずかしいな」
「違う……寒いんだ」
「ああ」と風花は言い、タオルケットの中に入ってきた。「これでどうですか?」
「変わらない……」
「震えてます? ほんとうに寒いんですね」
「だから、そう言ってる……」
「もうすこしこうしていれば、すぐあったかくなりますよ。わたしもいま恥ずかしくて、火が出そうなので」
「馬鹿が」
「お互い様ですよ。ナギさんのほうが、わたしよりもうちょっと馬鹿ですけどね」
*
翌朝、僕は薄暗いリビングで毛布にくるまりながら、テーブルの上に置かれた花といっしょに、風花の視界に収まっていた。身体が動かず、頭痛と倦怠感と悪寒に苛まれながら、元気そうな風花の足の裏を眺めることしかできないでいる。
「いい気分ですね。わたしより弱っている人を見るのって」
風花はテーブルに頬杖をつきながら、にんまり笑った。
「きょうは土曜日ですよ、ナギさん」
「だったら、なんだ」
「約束」と風花は言う。「土曜日はナギさんが花を替える」
窓の外ではまだ雨が降り続いていた。夜中もずっと降っていて、痛む頭に響いて全然眠れなかった。おかげで夢も見なかった。風花はそんな僕に、花を買いに行けと暗に言っている。
「ごめん」と僕は言った。
「しょうがないですね。貸しですよ」
「なんだそのシステム」
「いま思いつきました。あとでわたしの言うことを聞いてもらいます」
「もう勝手にしてくれ。眠いし、頭が痛い……」
風花は膝で歩きながら僕の隣まで来て、ごろんと勢いよく寝転がった。
「何」と僕は言う。
「花屋さんが開くまでもうすこし時間があるので、ゆっくりしようかなって」
「べつに花屋じゃなくてもいいんじゃないか。いまは花のサブスクとかがあるらしいし」
「でもそれってお花を選べなかったりするじゃないですか。それじゃあ意味がないですよ」
「なんで」
「ナギさんが選ぶ花じゃないと」
「だから、なんで」
「これナギさんが選んだんだ、ふーん。って思いたいからです」
「変なやつ」
「お互い様ですね」と言って風花は笑った。「ねえ、ナギさん」
「何」
「ハサミ」と風花は言い、両手でピースサインを作った。「もう全部いらないですよね」
僕は風花の傷一つない首を見ながら、窈のことを考えた。でも、窈の姿を脳内で思うように描けなかった。代わりに浮かんできたのは、四角い、窈の部屋だった。
四角い部屋の真ん中、血溜まりの外に、ハサミが落ちている。
窈は、どこにもいない。
「うん」と僕は言う。「
僕らはしばらく床に転がったまま、ぽつぽつと話をした。どれも意味のない話ばかりで、無為に時間が過ぎていった。雨は止まず、厚い雲の向こうには太陽の気配が感じられない。だんだんと瞼が重くなってきて、身体が熱くなってくる。状況は、何も良い方向に傾いていかない。ただ風花だけが、猫みたいに自由だった。
僕は猫が好きだ。
家の中を歩く夢を見た。
気がつくと、僕は玄関に立っていた。たぶん、どこかから帰ってきたのだろうと思う。時刻も季節もわからない。靴を脱いで廊下を歩き、洗面所まで行く。洗面台の上にはコップがあって、その中には二本の歯ブラシと、ひまわりの花が一輪ある。ハサミはなくなっていた。
手を洗って、リビングに入った。背の低いテーブルの上にはフラスコみたいな形の空っぽのガラスの花瓶と、風花の花鋏が置いてある。キッチンに備え付けられた引き出しを開けると、いつもはハサミが入っているところに、またひまわりが入っていた。
他のところも同じだった。寝室の布団の横、クローゼットの奥、玄関、トイレ。一通り確認したが、ハサミが置いてあった場所には、例外なく小さなひまわりが置いてあった。
風花はどこにいるのだろう、と思った。もう一度リビングまで行くと、空っぽだった花瓶に、花が入れられていた。僕はテーブルに頬杖をついて、それを眺めた。香りはしないが、僕にはそれがリンドウの花であることがわかる。秋の花だ。青っぽいものもあれば赤っぽいものもあり、白いものもある。どの花弁も瑞々しく生命力に満ちていて、美しかった。
しばらく眺めていると、カラスの鳴き声と、遠くを電車が通る音が聞こえてきた。カーテンの隙間から西日が差して、リンドウの花を寂しく照らした。玄関の扉がひらいて、「ただいま」と誰かが言った。
振り返ると、花と、パンの香りがした。
花鋏 黄猫 @kinekogame
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