円卓の魔導師達

アイモスの弟子達はその数の多さ故にいくつかの派閥に別れていた。ファジルとウマルが所属している派閥は円卓派と呼ばれ、それぞれ分野の違う若く優秀な弟子が集まった十二人の集団である。結成から四年ほどにも関わらず、絶え間なく成果を出し続ける新鋭であった。


ファジルとウマルが円卓派が集会に使用している書庫に入ると、まず本棚に囲まれた巨大な円卓とそれを囲む十人の若者の姿が目に入る。円卓派と呼ばれる由縁となった卓で思い思いの時間を過ごしていた彼らは、入ってきた二人に一斉に視線を向けた。


「とんだ大遅刻ね? ファジル」


鈴のようだが、どこか悪意が滲んでいるような声がする。見れば、扉から見て最も奥の席に座る、扇で口元を隠した赤毛の少女が、ファジルを嘲りを隠さない目で見ていた。ファジルは機嫌が悪そうに言い返す。


「ムーサ、遅刻はウマルもしているではありませんか。何故私だけ……」


ファジルがそう呼んだように、彼女の名はムーサ。ファジルのもう一人の幼馴染であり、円卓派の長を務める人物である。ファジルの文句を聞いたムーサは、表情を隠す扇の裏でせせら笑った。


「何故ですって? ウマルは事前に遅刻する事を伝えてくれていたもの。あなたからは何も聞いていないのだけれど?」


ファジルが反論する前にウマルが口を開いた。


「ファジルは先生の長話に付き合わされていたんだ。僕が証人になるよ。だから許してあげて欲しい」


「そうよムーサ。先生のせいで遅刻者が出るなんていつものことでしょう? 」


ゆったりとした長髪の女性、フィレーネがウマルに同意した。


「そうだとも、先生の唯一にして最大の欠点を知らぬ訳ではないだろう?」


フィレーネの隣に座る夫、メトロスもそれに続く。


「先生の長話の犠牲になるのはもっぱら功績のある弟子だ。君もその例に漏れぬのだから、あの恐ろしさは身に染みているはず。いくらファジルが恋敵だからといって――――」


ムーサの扇が大きな音をたてて閉じられ、メトロスの言葉を遮った。ムーサが誰かを黙らせたい時に行う動作だった。ムーサの眼があからさまにメトロスを睨み付ける。フィレーネの咎めるような視線と肘もメトロスに突き刺された。


「うぐっ……その、すまん」


メトロスの謝罪を受け、ムーサは再び扇を広げ口元を隠した。そして、扇の上から覗く眼をファジルに向け、挑戦的に貫く。ファジルも負けじと見つめ返した。ファジルの隣では、ウマルが気まずそうに視線を宙に揺らしている。


火花を散らすムーサとファジルに、フィレーネは大きく息をつく。そして、ムーサに対して諭すように言った。


「……いい? あなたとファジルがその……ちょっとした、いがみ合う理由があるのは知っているけれど、一派の長として不公平な言動は良くないわ。普段のあなたは、あなたより少し年長の私達も惚れ惚れする指導者よ。ファジルに対してもそうであってくれると嬉しいのだけれど……」


「……フン」


ムーサはファジルを睨んだままいかにも受け入れ難いと言うように鼻を鳴らしたが、ファジルに対しそれ以上何か言う事はなかった。


追及が終わった事を察し、ファジルとウマルは空いている席に座る。


「よぉウマル」


ムーサの隣に座る軽薄そうな男、ティマーズが人を苛立たせるにやけ面でウマルに声をかけた。


「……なんだい?」


ろくなことは言わないだろうという確信の元にウマルが尋ねる。


「久しぶりにファジルちゃんと二人仲良く来たじゃないか。最近はうちのお嬢様に心移りしたのかと思ってたが、やっぱりファジルちゃんが良いみたいだな?」


瞬間、ティマーズのにやけ顔を目掛けて机上のペンが跳ね上がり、眉間を打ちすえる。


「あだっ!」


驚愕の速度に加速したペンの打撃を受けたティマーズは、芸術的な阿呆面を披露し床へとひっくり返った。円卓の何人かから笑い声があがる。


「君は良い友人だけど、その軽い口だけは君の大きな欠点だと認めざるを得ないな。君を従者として長年側に置いていおけるムーサを尊敬するくらいにはね」


ファジルがウマルの方を見ると、ウマルはティマーズに向かって手を伸ばしていた。ウマルが魔術でペンを動かしたのだ。ティマーズは床に転がったまま顔を押さえ呻く。


「わ、悪かった! お嬢様の恋模様をからかうのが楽しくてついやっちまうんだ。多分治らねぇ!……あだっ!」


再びペンが宙を舞い、床に転がるティマーズを矢の如く襲った。そして、顔を抑える指の隙間を縫って眉間に直撃する。今度はムーサの仕業だった。


「そろそろクビにしても良いのではないかと思っていたところよ、ティマーズ。せっかくウマルが向けてくれた尊敬を失うとしてもね。そうなりたい?」


ムーサはティマーズをゴミを見るような目で見ている。


「申し訳ありません……!この軽口はどうにか治し……治す方向に善処しますんで、クビだけはどうか……!」


ティマーズはムーサの従者だ。アイモスの門下に入ったのはムーサの付き添いが理由だが、彼自身の魔術の才能にも目を見張るものがあった。(無様に両の手のひらと額を床につけて詫びる姿からは想像もつかないが)


「ティマーズ、お前の軽口で一騒動起きるのは何度目だ? お前の努力なんぞ当てにならん。舌を引っこ抜くべきではないかと思うのだが」


向かいの席でティマーズを呆れた目で見ている体格の良い男はハーロル、その隣の席で眠そうに頭を揺らすファムムという少女の恋人である。


ふと、船を漕いでいたファムムが顔をあげ、目深に被ったフードから覗く目をティマーズに向けた。


「ティマーズの舌、引っこ抜くの? ちょうど人の舌が必要な魔術があるから欲しいな」


ぎょっとするティマーズをよそに、ハーロルは迷う事なく懐からナイフを取り出すと席を立ち、ティマーズに向かって歩きだした。


「ファムムがお前の舌をご所望だ。丁度良いことだしな。ティマーズ、お前の舌を貰い受けるぞ」


「お、おい、あんたが言うと洒落にならねぇのよ。助けてくれ! エウフォリオン!」


ティマーズは隣でだらしなく席にもたれ掛かり、天井を見つめる男へと助けを求めた。


「ああ? 面倒くせぇな……」


気だるげに上体を起こした男、エウフォリオンはハーロルを指差し、それから椅子に向かって指を動かした。すると、ハーロルの身体が不可視の力によって椅子に引っ張られていく。


「む? なんのこれしき……!」


驚いたのもつかの間、ハーロルは気合いを入れるように腰を落とすと、引っ張られる身体を前に進めていく。その様子を見たティマーズは情けない悲鳴を上げてエウフォリオンを盾にした。自身の魔術に抵抗するハーロルに、エウフォリオンは愉快そうに口角を吊り上げる。


「やるじゃねぇか」


エウフォリオンがより力強く椅子を指差すと、不可視の力はますます強まり、ついにハーロルの動きを止めた。エウフォリオンの魔術とハーロルの肉体が拮抗する。円卓は声援を送るものと呆れの視線を送るものに二分した。


「ぬぉぉぉぉ!」


ハーロルは雄叫びをあげる。すると、この喧騒の中で図太く寝入ろうとしていたファムムが呟いた。


「ハーロル、うるさい。寝られない」


「む、そうか」


ファムムの苦言を聞いたハーロルはすぐさま抵抗をやめ、力に引っ張られるままに椅子に着席する。せっかくの遊び相手を失ったエウフォリオンは面白くなさそうに舌打ちをし、再び椅子の背にもたれ掛かって天井を見つめ始めた。ティマーズは危険が去った事にほっと息をつく。


二人の対決を静かに見ていた男が、いかにも知的そうな眼鏡の奥から、ハーロルに氷河に吹く風のような目線を送っていた。彼はゴットラム、円卓随一の真面目野郎である。凍てつく視線に晒されたハーロルは身震いをした。


「その凍傷を起こしそうな目をやめてくれないか? ゴットラム」


「……お前はティマーズを糾弾する資格がない事を自覚せよ。ティマーズの軽口は言うまでも無いが、ファムムの世迷い言を気軽に実行しようとするお前も騒動の大きな種なのだぞ? 少しは自重というものをだな……」


ゴットラムはハーロルに対してくどい説教を始める。しかし、アイモスに次ぐ話の長さだと謳われるゴットラムの説教は度々聞き流される運命にあった。例に漏れず、ハーロルもゴットラムの説教など夜に延々と鳴く蛙の声だと言わんばかりに聞き流し、ついに眠りに落ちた愛しき少女を撫でる事に集中している。


ゴットラムとアイモスに違いがあるとすれば、彼には話を聞き流されている事に気づく事ができる観察眼があることだろうか。


「私の話を一切聞いていないようだな?」


「悪いが静かにしてくれないか? ファムムが寝ている」


語気を強めるゴットラムに顔すら向ける事なく、机に突っ伏したファムムを撫で続けるハーロル。流石のゴットラムも諦めのため息をついた。周囲からの視線も呆れを含んだものが多かったが、ファジルは羨望の目でハーロルとその恋人を見ていた。ウマルにあのように愛されたらどれだけ幸せだろうと夢想し、ほどなくして現実を思いだして項垂れた。


円卓につかの間の静寂が訪れる。それを破るように 一人、なにかを思い出したかのように笑い始める男がいた。


「ククッ……それにしてもさっきのティマーズの間抜け面は傑作だったよなぁ? 惚れ惚れしちまったよ。ティマーズ、しばらく芸の練習に使わせて貰うぜ。あだっ! ってな?」


笑いだした男、特徴の薄い顔のタランはティマーズの醜態を再現し、鮮やかにひっくり返って見せた。驚いた事に、その顔はティマーズの見事な阿呆面を精密なまでに写し取っている。それは、タランの学ぶ魔術の応用であった。


「アハハッ! 似てる似てる! 流石は芸人あがり!」


妖艶な黒髪と豊満な身体をした女性――――ライラがタランの芸に大笑いをして賞賛した。それに賛同して他の円卓からも多分に笑いを含んだ賞賛が上がるが、当のティマーズは絶望的な表情でタランを見つめていた。タランの琴線に触れた場面は正確に切り取られ、周囲に披露されるに違いないのだ。


「タランよぉ……頼むからそれを外でやらないでくれよ……? せっかく良い感じになれた女の子達に失望されちまう……」


ティマーズの懇願をタランは晴れ渡る笑顔で黙殺した。力なく円卓に崩れ落ちるティマーズに、ライラが誘うような声色で話しかける。


「なんだい? ティマーズ、女とイイコトがしたいならあたしがいるじゃないか。あたしなら、あんたがどれだけ醜態をさらそうが愛してあげるよ」


そう言って自身の身体を見せつけるように揺らすライラを、ティマーズは胡乱な目付きで見上げた。


「あんたの取り巻きの男の一人になれって? 馬鹿言わないでくれ、顎でつかわれるのはお嬢様一人でもう満杯なんだよ」


言い切ってからティマーズは、隣から向けられる主人の切り裂かれるような視線に気づき、背中を冷や汗で濡らした。ライラは残念と一言言って肩をすくめる。


ムーサはティマーズに人を呪えそうな視線を送った後、手にした扇をたたみ、手で打ち鳴らした。まさに混沌と言うべき惨状の円卓であったが、扇の音が鳴り響くと空気が一変する。眠っていたファムムは起き上がり、だらしなく座っていたエウフォリオンや床に転がっているタラン、円卓に突っ伏したティマーズも正しく席に座り、姿勢を正す。


十一人の仲間の視線を一斉に浴びるムーサは、威厳を漂わせながら口を開いた。

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繰り返すもの ザルジス @TheBookofZarzis

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