フェルマルスィ

めいき~

シレーナ

ここは予約制の読書喫茶、名をsirena(シレーナ)。

椅子が貝殻のデザインとなっており、店内はかなり明るい。


 この、読書喫茶が普通と違う所。それは、読書に集中させてくれる事。

飲み物には蓋がされ、料金は時間。予約がしてあれば、音量が小さめの音楽も用意してくれる。この音楽と本のラインナップが漫画喫茶と一線を越える様な書籍を多数そろえており、ここを訪れるのは基本的にオタクや古本屋の店主等。



 読書喫茶でありながら、会員カードに栞の機能が入っていて。専用アプリから検索して予約する形。栞は店主や店員が押し花や和紙などのしっかりとしたものを用意し、それを予約した本のアプリに記憶されたページに入れて机の上に置いてくれるサービスもやっている。もちろん、栞は料金に含まれている。


 半面、本を粗雑に扱うペナルティはかなり重く。古本屋の店主が来るような店だけあって絶版やら、希少本は山の様にある為。お金には変えられないし、読めると言うだけで感謝しなくてはならないレベルの本がゴロゴロある。


 この、店の店主。無灯 沙織(むとう さおり)はゆっくりとした動きで今日の予約をした人の席を片付けていた。この店を始めた時から着ている赤と白のチェックガラのエプロンを揺らし、最近数本混じって来た白い毛を含む髪の毛を後ろで束ねていた。


「沙織さん、もうそろそろ壇(だん)先生が来る頃じゃないのかい?」

 常連の一人に、そんな声をかけられて。沙織が微笑しながら、そうねぇと考える。



 この店には、アマチュアもプロも来る。それ故、問題を起こす人は大体決まっており。色んなイベントに提出するような人は、常連同士で討論している事もあるくらいだ。もちろん、個室にはちゃんと防音がされているし。監視する為の防犯装置も万全ではあるのだが、そもそもこの店に来る人間でも奥の個室や相談室を使わせてもらえると言う事自体が一種の特別扱いな為。長年来ている連中でも知らないという事は多い。


「壇先生は、いい先生なのだけれど。時間にルーズなのがねぇ……」溜息と共に沙織がこぼす。


 常連も肩を竦め、「悪い人じゃないんだがな」と短く言うとアプリでページ数を残すいつもの処理を終えて机の上に平積みで置いておく。


 それを、沙織がその場でチェックして問題なければ退店できるという訳だ。


「隆志さんは、いつも綺麗に読んで下さるから助かるわ」と微笑むが、隆志と呼ばれた方は少し心外だとばかり口を尖らせた。



「僕の方こそ、ここは本当に助かってるよ。変に、古本屋を百件以上はしごしなくても間違いなく希少な本が読める。紙の本に対して感謝があるもので、これらの本を丁寧に扱えないなら僕はそいつを軽蔑するね」それだけいうと、にこりと笑っていつもありがとうとだけいうと席を立って退店していった。


 その後ろ背を眺めながら、「そんな人ばかりなら、誰も苦労しないのよね」とそれだけ言うと本を先に片付け、次に飲み物などを撤去。最期にしっかりと机を拭いて、机の下の足まで拭いて掃除を終える。


 ふと、サンゴをモチーフにした自分の店の壁紙が眼に入る。

 窓から入る、夕暮れ時の朱い輝きがまるで海辺で沈みゆく夕日の様に見えた。



 沢山の紙の本に囲まれて、それが草原で嗅ぐ旅立ちの風の様に店内を満たす。

人生は短い、余りに短い。奏でられる曲も物語も数多あるし、出会う事が叶わない物語もある。生きている間に、日の目を見る事がなかった物語もある。



「ねぇ、由香里。貴女は言ったわよね、天才や秀才なんてのはその辺にゴロゴロいると。但し、花開く前に潰れる人も大勢いると」



 自分を見て欲しいものは沢山いても、自分を選んでもらえるかは運なんだって。

 貴女はずっと、口癖の様にいっていた。愛される事ができない奴は、才能を抱いたまま死ぬんだって。


 人はみんな花の様に懸命に咲いて、一輪で咲く花もあれば。花束になって、渡されるものもある。一方で、咲かずに大地に消える花もある。地面に近くて太陽の光を浴びられない花もある。どんなに色鮮やかでも、背や葉を伸ばしきれず。根から養分がすえない事もある。だから、いつか背を伸ばそうとする事を止めてしまうのだと。




<私はそんな由香里が好きだった>



私はあなたの最初のファンで、最後のファンになってしまった。


貴女は、書く事を止めてしまったから。

誰にも読まれないと判っていても、貴女の原稿は全部製本してバックヤードにおいてある。貴女は本の世界には居ないけど、私は貴女の描く世界が今でも好き。



「真の価値に感謝しないのなら、読む資格はない……か」私も商売をしていれば、敬意を忘れてしまう事だってある。それを、常連のお客から言われる度に自問自答しているのだから。


 人魚姫は、最後は泡になって消えるの。

 私の店も、いつか消えるのだと思っていたのだけど。


 私がのんびり、本を読めたら良かったと。


 そしたら、常連が増え。支えに支えられて、もう腰にくるとこまで来てしまった。

紙の本は重たい、本棚が倒れて来たらそれでおしまい。保存にも気を使い、虫に喰われてもページが取れるなんて事もある。


 だから、つど補修したり削ったりしている。


「こんな事なら、人魚姫なんて店の名前にするんじゃなかったかな……」


 扉をあけたなら、ちりんと古いベルが鳴った。

 そこには、裕子が居た。「渡辺さん、いらっしゃい。予約はもう少し後よね?」と尋ねるとゆっくりと頷く。「楽しみで、早めにきちゃった」そういうお客さんが来る度に。


(もう少し、もう一日だけ店をあけようかな)


 毎日がこれの繰り返し、今窓から差し込む光がなくなって空に星が瞬く様になったとしても。ここは、田舎だから凄く空気が澄んでいて。季節によっては、虫や鳥がよく鳴いている。それらを聴く度に、一年がもう過ぎたのだと。



 まるで、自分だけが取り残されて映写機で時代の流れを見ている様で。

あぁ、太陽よ。君は昇りて沈みゆく。されど、直ぐに顔をあげ。


 私の日々の様。昔々に手を引かれ、夕日に向かって歩いた帰り道。


 家に帰れば、殺風景な鏡台と並ぶ森の様に並ぶ瓶達。

はっきり、言えば寝に帰っているだけのそこに癒しはなくて。

 あの時、手を引いてくれたような優しい光もそこには無くて。

毎日だけが過ぎていく、疲れた体を癒すはずのお風呂でさえ時折沈んでしまいたい棺桶の様ねと思う事すらある。楽して食う飯は旨いかい?なんて聞く人は、本当の極限を知らないからそんな事が言えるのよ。


  <本当の極限になればそもそも味など感じない、ただ口に押し込むだけになる>


 火を使うストーブは怖くて、店内を温める時は季節柄コタツなどになり。

 床から温まる店内で、今日もしっかりと蓋の閉まるカップを傾け。


もう、年季が入りすぎてよれてしまった。最初は、子供の頃家で飼っていた茶色の毛並みの猫柄だからという理由で買った座布団が座椅子の上に一つ。


そこへ、由香里がやってきた。


「あら、相変わらず薄幸な顔してるわね」「余計なお世話」

 それだけでえくぼが出来る様に笑う二人、夜型の由香里は夕方にやってくる。

 朝が弱い上に、太陽の光に極端に眼が弱く。日中出歩くのは厳しいからだ。

 それでも、日常生活でどうしてもの時はサングラスをして無理矢理買い物にいく。



 夢が泡になって消えない限り、このsirenaは支え合う優しさと笑顔で出来ていて。今日も優しさに満ちた店内に、紙と人のぬくもりと。温かい飲み物の香りだけが、寄り添うように咲いていた。



(おしまい)


※フェルマルスィはイタリア語でfermarsi意味は、止まる、停まる、予約する等。

※シレーナは同じくイタリア語で人魚姫。

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