ep.7 邀撃の砲火
「艦長より砲術。本艦目標、敵2番艦」
「目標敵2番艦、了解」
『長門』艦長の矢野英雄が砲術長を呼び出し、旗艦『加賀』からの命令を伝える。
これまでは敵艦隊の背後からT字を描くような態勢だったため、敵の最後尾にいる艦に7隻で砲火を集中していたが、敵が同航戦に入ったため目標の再配分が行われたのだ。
「敵距離、
敵艦が直進に戻ったあたりで、報告があげられる。
夜戦とはいえかなりの近距離だ。先に直撃弾を得た方が圧倒的な優位となる。
長門の一番砲が咆哮し、4発の40センチ砲弾が宙を飛ぶ。数秒の時を置いて僚艦の『陸奥』も同様の砲撃を放った。
これもまた、敵の艦上に爆炎は認められない。
「弾着。全弾、近」
長門の砲撃が水柱を噴き上げると同時に、敵艦の艦上に発射の火焔が煌めく。
測的を行い、長門の二番砲が仰角を掛けたところで、敵の砲弾が唸りを上げて飛来した。敵の砲弾は長門を飛び越えて落下する。樹齢数百年はあろうかという大木のような水柱が、海水を激しく巻き上げた。
「これが40センチ砲か……」
矢野は思わず唸った。もちろん訓練で幾度も撃ったことはあるが、撃たれたのはこれが初めてだ。
着弾地点を見ただけで、凄まじいエネルギーが投射されていることがわかる。
「水柱3本を確認!」
「相手にとって不足なしだ」
艦橋見張り員の報告に、矢野はひとつ息を吐いてから、小さく呟く。
米軍の戦艦のうち、主砲塔3基を有する戦艦はノースカロライナ級しかない。他は全てが4基の主砲塔を装備している。奇しくも長門は開戦の初日に米軍最強の戦艦と砲火を交えることになったのだ。
個艦の性能ではノースカロライナ級の方が上だが、この局面では長門、陸奥の2隻で戦うことができている。
数の優位がある以上、先に直撃弾を得られれば勝てるはずだ。矢野としては砲術の人員を信じ、一刻も早く直撃弾が得られるように祈るだけだった。
互いに数度の空振りを繰り返したとき、事態は動いた。
「だんちゃーく、今!」
直後、『長門』左舷側の海上に閃光が走った。
「やった!」
副長の近野信雄が反射的に喝采の声を上げ、矢野も身を乗り出した。
遠くで弾けた光は消えることなく、火災となって闇の中で輝いている。それは敵2番艦の姿を吊光弾とは比べ物にならないほど照らし出していた。
交互撃ち方でありながら、長門は早くも直撃弾を得たのだ。
「砲術より艦橋、次より斉射に移ります」
「了解!」
砲術長からの報告に矢野は力強い声で応答する。
その声に敵弾の飛翔音が重なった。
瞬間、長門の左右両舷に水柱が吹き上がり、小刻みに艦橋が揺れた。
「見張りより艦橋! 夾叉されました!」
敵もやられっぱなしではない。長門とほぼ同時に夾叉を得た。
最新鋭戦艦というだけあって、腕の良い乗員が集められているに違いない。
次からは40センチ砲9門の斉射が襲ってくることになる。
(耐えろよ、長門)
内心で矢野は呼びかけた。
ここからは我慢比べだ。
直後、交互撃ち方を遥かに上回る砲声が辺りをどよもし、反動で長門の艦体が大きく震える。実戦で初めて斉射を行った瞬間だった。
「だんちゃーく、今!」
矢野が見守る中、敵2番艦の中央と後部に爆炎が躍った。敵艦の姿がくっきりと浮かび上がり、甲板からは黒煙が噴出している。少なくとも2発が命中したのだ。
さらに10秒ほどして、今度は前甲板に直撃弾命中の閃光が走る。
「いいぞ!」
思わず矢野は声を上げた。
前甲板への命中弾は間違いなく陸奥の戦果だ。長門よりも多くの空振りを繰り返した陸奥だったが、ここにきて直撃弾を得たことになる。
これで長門と陸奥は2隻揃って敵2番艦に斉射を浴びせることができる。2隻で斉射を繰り返せば、長門型よりも新しいノースカロライナ級であっても、長くは持たないはずだ。
そんな歓喜を打ち消すかのように、敵弾の飛翔音が轟音となってやってくる。
交互撃ち方の比ではない。怒り狂う獣の咆哮のようだった。
轟音が最大に達した瞬間、凄まじい衝撃が長門を襲った。
艦橋の床が大地震のように震え、艦橋要員の多くがよろめく。遅れてやってきた炸裂音と共に、金属が破壊される叫喚音が艦を駆け抜けた。
(喰らったか……!)
矢野は全身が熱くなるのを感じた。
夾叉を受けた時とは比べ物にならない衝撃から、どこかに被害が生じたことは明らかだ。
「どこをやられた!」
「副砲長より艦橋! 3番、5番副砲損傷!」
近藤の声に副砲長が報告を上げる。
右舷側に位置する14センチ副砲2基が吹き飛ばされたのだ。
致命傷ではない。矢野は胸を撫でおろした。
戦艦同士の砲戦において重要なのは主砲と指揮所、そして機関だ。それらさえ生きていればどうとでもなる。副砲の損失程度は小さな瑕疵でしかない。
報復のように長門が斉射を放ち、陸奥もそれに続く。
「陸奥、被弾!」
砲撃の余韻を残さずして、僚艦の状況が飛んで来る。
艦橋からは確認できなかったが、このとき『陸奥』は敵3番艦――レキシントン級からの砲撃を被弾していた。
「陸奥も……か」
「どうしたんだ第三戦隊は……!」
艦橋から途切れ途切れに声が上がる。
日本側は長門、陸奥の2隻で敵2番艦を、そして金剛型4隻で敵3番艦に火力を集中しているが、米軍はオーソドックスに自艦と同じ番号の艦を狙いに定めている。
そして『陸奥』に砲を向けてくるであろう3番艦はレキシントン級だ。主砲こそ40センチ砲を搭載するが、防御力は巡洋戦艦相応のものでしかない。金剛型4隻、すなわち第三戦隊と第十一戦隊の実力であれば、短いうちに戦闘不能に追い込めるはずだった。
4隻がかりで対処しながら陸奥への直撃弾を許すとは。
そんな感情が呟きとなって漏れ出たのだろう。
近藤はちらと矢野の方を見た。
だが慌てる様子など微塵も見せず、ただ平然と次の弾着を待っている。
艦長たるものかくあるべし、そんな言葉を無言のうちに体現しているようだった。
砲火の応酬は続く。互いに直撃弾は得るが、致命傷を与えるには至らない。
そんな中、長門の斉射が6回を数えた時だった。
長門の周囲を水柱が囲み、艦橋の窓を突き抜けるような閃光が視界を満たす。同時に黒い影が炎と共に舞い上がり、衝撃ともいえる轟音が響いた。
艦橋がひっくり返るのではないかと思わんばかりに揺れ、詰めている者の多くが転倒した。
「砲術より艦橋! 第二砲搭被弾!」
「火薬庫注水急げ!」
砲術からの報告と同時に、矢野は叫ぶように命じた。
敵弾が命中した第二砲塔は艦橋の眼前に位置している。先ほどの、天地がひっくり返るような衝撃も納得だった。弾薬庫の誘爆を起こさなかっただけまだ幸運と言えるが、長門は主砲火力の4分の1を失ったのだ。
「艦長より砲術、指揮所は無事か?」
「問題ありません。砲撃を続行します」
矢野の問いに砲術長が即答した。艦橋トップにある射撃指揮所は艦橋以上に激しく揺れたはずだが、声色に動揺は欠片も感じられない。
次の斉射は陸奥の方が早かった。
追いすがるように長門も斉射を放ち、反動が艦体を震わせる。主砲を1基失っても、まだ十分な戦闘力を残している。そう思わせるだけの衝撃だった。
長門、陸奥の斉射が、ほぼ同時に敵艦を捉える。
一瞬だけ後部が光ったように見え、ひときわ大きな炎が上がる。何か大きな影が宙を舞う様子が見え、もうもうとした黒煙が噴出し始めた。
(どうだ……!?)
致命傷を負わせたのではないか。
そう思った直後、敵艦が斉射を放つ。
その光量はこれまでより小さい。発射炎が確認されたのは前甲板だけだ。
今の集中射撃は、敵2番艦の第3砲塔を破壊したに違いない。
これなら勝てる。そう思った直後だった。
艦首付近に水柱が噴き上がる。凄まじい轟音に重なって、後ろから蹴り飛ばされるような衝撃があり、金切り声のような叫喚音が響く。
「砲術より艦橋、第四砲塔損傷。砲撃を続行します」
「なんてこった……!」
絶望的な報告に近藤が呻く。
ようやく敵の主砲を破壊したにもかかわらず、主砲を更に1基もぎ取られたのだ。
陸奥の斉射が着弾するに次いで、火力を半分に減じた長門の斉射が敵2番艦を捉えた。長門の周囲にも敵弾が落下して巨大な水柱がそそり立ち、被弾の衝撃が襲う。
苦境に表情を歪める近藤を横に、矢野は自分でも驚くほどに冷静だった。
被害報告を受けずとも、『長門』が相当の被害を受けていることは想像できる。轟沈という最悪の結末を迎えることも覚悟している。
だがせめて敵2番艦は仕留めたい。最新鋭戦艦と刺し違えることができるというならば、長門も本望というものだ。
敵2番艦が姿を現す。火災煙が艦の半分以上を覆い、大量の黒煙を後方に引きずっている。
だが速力は衰えていない。長門や陸奥が斉射を行うたびに、健在な2基の主砲塔を振りかざして反撃してくる。
その時だった。
「陸奥より信号! 第三戦隊、第十一戦隊が変針、戦列を離れます!」
「何だと!?」
「陸奥、被弾多数! 火災発生!」
見張りからの悲鳴じみた報告に、思わず矢野は声を荒らげた。
報告が正しければ、金剛型の4隻が唐突に砲戦を中断し、離脱を図ったことになる。
これでは数の優位が完全に消滅してしまう。
長門は既に大きな被害を受け、陸奥も敵3番艦の斉射に襲われている。
一方日本側は、まだ敵を落伍に追い込むことすらできていない。加賀からの通信がないことを考えると、敵1番艦も健在だと思われる。
「か、艦長……」
近藤が引きつった声を漏らす。表情は蒼白に歪んでいた。
「落ち着け、副長」
矢野は努めて冷静な口調で諭す。
「本艦も陸奥もまだ健在だ。敵2番艦を仕留めた後で、敵3番艦を始末する」
被弾のたびに長門の艦体は激しく震え、軋むような悲鳴が上がる。
もはや甲板の副砲や高角砲、機銃といった副武装は全壊状態だ。瓦礫の山を積み上げたような有様になっている。
永遠に続くかと思われた撃ち合いは、唐突に終わりを告げた。
長門の斉射が12回を数え、陸奥の砲弾が艦中央部で火炎を巻き上げた時だった。
敵2番艦の砲撃が唐突に止んだのだ。
「やったか?」
矢野は身を乗り出して敵2番艦を見つめた。
同時に、続く長門と陸奥の斉射弾が落下し、艦上を明るく照らす。
反撃はない。
「見張りより艦橋、敵2番艦、速力低下! 落伍します!」
「艦橋より砲術、撃ち方止め」
敵2番艦が戦闘力を失ったのは明らかだった。
艦首から艦尾までが黒煙で覆いつくされ、艦上では小規模な爆発が連続している。どのような状態になっているのかは分からないが、少なくとも戦列に復帰することはないだろう。
長門は大きな被害を受けながらも、陸奥と共にノースカロライナ級に勝ったのだ。
「砲術、目標敵3番艦!」
矢野は即座に砲術へ命じた。
傷ついたとはいえ長門はまだ戦える。敵3番艦を砲撃し、陸奥を援護するのだ。
「通信より艦橋、旗艦から緊急信です!」
測的を命じようとした矢先、通信室からの報告が飛び込んだ。
まさか加賀がやられたのか。
一抹の不安を覚えながら報告を受け取る。
矢野の表情が凍り付いた。
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