第2章 開戦 ロンパイア作戦
ep.6 闇夜の号砲
アメリカ合衆国海軍、
現在地は中部太平洋のトラック環礁、中でも最大級の島であるモエン島の東方海上。厳重な灯火管制下にあるTF2とは異なり、要地であるはずのトラックは無防備な姿を横たえている。警戒など全くしていないような明るさだった。
TF2の核となるのは3隻の巨艦だ。
旗艦を務める戦艦『ノースカロライナ』と姉妹艦の『ワシントン』、そしてレキシントン級巡洋戦艦のネームシップ『レキシントン』。
ノースカロライナ級の2隻は、マドリード軍縮条約の後に合衆国海軍が満を持して送り出した最新鋭戦艦だ。40センチ三連装砲三基九門の主砲火力は、合衆国海軍の擁する戦艦の中で最強を誇る。
一方の『レキシントン』は、マドリード軍縮条約により日本海軍が戦艦『加賀』の保有を認められる引き換えとして建造された巡洋戦艦だ。全長266.5メートル、最大幅32メートルという艦体は、数ある合衆国海軍艦艇の中でも最大級である。
主砲には50口径の長砲身40センチ砲を連装四基八門、最高速力は33.3ノットを発揮する。火力と速力を併せ持ち、長らく合衆国海軍の象徴として君臨してきた。
元々は6隻が建造される予定だったが、軍縮条約の結果、1番艦の『レキシントン』のみが巡洋戦艦として完成。2番艦『コンステレーション』と3番艦『サラトガ』は空母に転用され、サラトガ級空母として空母艦隊の一翼を担っている。
火力、速力ともに合衆国最強の水上砲戦部隊といってよい3隻の戦艦と巡戦は、環礁の外からモエン島の錨地に対して主砲を向け、いつでも在伯艦艇を砲撃できるよう大仰角を掛けている。
今より少し前、TF2は太平洋艦隊司令部より「東部標準時10月28日、午前6時30分。アメリカ合衆国政府は日本国政府に宣戦を布告せり」との緊急信を受信した。
TF2の行動は全て、戦時国際法上なんの問題もない行為だ。
開戦と同時に、トラック環礁に投錨する日本海軍の主力艦隊を港湾設備や飛行場もろとも撃滅すること。情報部の話では、日本海軍は保有する戦艦のうち、『加賀』『長門』『陸奥』という最も有力な3隻をトラックに集中配置している。これを開戦と同時に葬り去れば、太平洋における日本軍の脅威は大きく減ずる。
それがTF2に与えられた任務であり、足の速い新鋭戦艦と巡洋戦艦が編成に選ばれたのはそのためだった。
はずだったのだが……。
「一体どういうことなのだ、これは」
旗艦『ノースカロライナ』の艦橋で、TF2の指揮を執るアイザック・キッドは思わず声を漏らした。
各艦から偵察に出た水上機の報告はいずれも共通している。
――モエン島錨地に艦影なし。
報告が事実だとすると、太平洋艦隊の計画は初手でいきなり躓いたことになる。
「偵察機の誤認ということはないか」
「一機ならともかく、全機が同じ報告を上げてきております。モエン錨地には一隻の艦艇もいないと判断するべきです」
キッドの言葉に、TF2参謀長のジョナサン・ロックウェルは冷静な口調で答えた。
しばし考え込んだ後に、キッドは口を開いた。
「デュブロン島に飛ばした偵察機の報告を待つ。そこにも敵艦がいなければ、モエン島への艦砲射撃を実施する」
デュブロン島はトラック行政の中核であると同時に、中部太平洋を管轄する日本艦隊の司令部が置かれているとの情報がある。同地を砲撃すれば、艦隊を潰すほどではないものの、日本に対して有力な打撃を与えることができるはずだ。
「日本艦隊の出現が予想されます。主砲弾は温存すべきでは」
「仮に環礁の外に日本艦隊がいるのなら、我々はそれを誘い出す必要がある。隠れられていては困るからな」
現状、日本軍に対して作戦行動をとっているのはTF2だけではない。
開戦初頭で日本の国防計画の根幹に打撃を与えることを目的に、太平洋艦隊司令部が立案した作戦――コード名ロンパイアに従って複数の部隊が連動して動いている。
「艦隊がいない、危険だから引き上げよう」という選択肢はTF2にない。
「まずはデュブロン島の偵察報告を待つ。各艦艇には、いつでも射撃を実施できる態勢で備えるよう伝えてくれ」
♢♦♢♦♢♦♢
初めに異変に気が付いたのは、3隻の最後尾を航行する巡洋戦艦『レキシントン』の見張り員だった。
上空から轟音が近付いてくる。1機や2機ではなく、複数のエンジンが共鳴するような音だ。
「見張りより艦橋。敵味方不明機、複数、後方より接近」
報告し、艦橋からの応答を待つ。
おそらく偵察に出した水上機のうちの何機かが戻ってきたのだろう。
考えている間にも轟音は近づいてくる。
同じところをグルグルと旋回しているようだ。
もしかすると母艦を見失っているのかもしれない。
なるほど夜間の偵察飛行ではよくあることだし、加えて初めての実戦だ。
今頃は艦橋で所属艦を確認し、着水の準備が始められているはずだ。
見張り員がそんなことを考えた瞬間、レキシントンの頭上に突如として青白い光が出現した。
すぐさま報告をしなければならない状況にもかかわらず、見張り員は口を開けずにいた。頭では分かっているが、身体がついていかない。
「まさか……!」
レキシントンをうっすらと浮かび上がらせる視界の彼方。
闇の中で巨大な閃光がきらめき、夜空を照らし出す。
裂けたような光の中に一瞬だけ、巨艦のシルエットが見えた。
♢♦♢♦♢♦♢
第一艦隊旗艦の加賀が主砲弾を放ったのは、軍令部からの緊急信が入った直後だった。
――米国は対日宣戦を布告せり
長らく続いた日米の対立は、ついに開戦という形で炸裂したのである。
「とうとう始まってしまいましたか」
第一艦隊参謀長の醍醐忠重が小さく呟いた。
敵艦隊を開戦と同時に闇夜から奇襲するという絶好機にありながらも、日米開戦という現実に憂色を隠せないような声色だった。
「仕方あるまい。我々は与えられた戦場で最善を尽くすだけだ」
第一艦隊を率いる古賀峰一が、醍醐を励ますように言う。
「まずは、GFの予想した通りだったな」
事の始まりは、駐英日本大使館からもたらされた情報だった。
イギリスの戦況が極めて悪化しており、アメリカに対しひときわ強く対独参戦を望んでいる。米国が日本を足掛かりに、枢軸に対して宣戦を布告する可能性が高い。
さらに時を同じくして駐米大使館からは、米国における反日感情が高まっている。ルーズベルト大統領の公約である不戦の誓いを撤回する世情が出来上がりつつある、といったなかば警報に近い情報が寄せられた。
GFはこれらの情報と、ホノルルにある日本領事館が伝えて来た真珠湾の情報を統合し、アメリカの側から戦端を開く可能性が高いと予想した。
そこで取った策が、主力艦隊のトラックへの移動だった。
主だった艦艇がトラックにいれば、米軍は必ず同地を狙ってくる。それを待ち受け返り討ちにする、というものだった。
しかし第一艦隊は伝統的に連合艦隊司令長官が直卒するものであり、この策をかなえるためには長官の嶋田繫太郎をはじめとするGF司令部がまるごとトラックに出向く必要がある。嶋田はそれをやる気満々だったらしいが、軍令部総長の山本五十六や海軍大臣の堀悌吉が強硬に反対した。
砲戦に絶対はあり得ない。仮に勝利したとしても、加賀の艦橋トップに直撃弾を受けようものなら、開戦初日に司令部が全滅という未曾有の事態となりかねない。
第二艦隊に『加賀』『長門』『陸奥』を配属した上でトラックに投入する、ということも考えられたが、結局GFは第一艦隊司令部を新設。司令長官に古賀峰一を任じトラックへ送り込んだのだった。
そして先日、マーシャル沖で哨戒任務に出ていた呂号四十二潜水艦が『米艦隊発見。位置、マーシャルよりの方位145度、300里。戦艦3を伴う。戦艦2はノースカロライナ級と認む。0753』という報告をGF司令部に送ってきた。
さらに午後には、トラックの東方で哨戒任務にあたっていた別の潜水艦、呂号三十七が同様に米艦隊発見との報告を送ってきた。
古賀はこれらの情報を基に「米軍はトラックを開戦と同時に奇襲することを目論んでいる」と判断、第一艦隊に出撃を命じた。
結果的にその判断は正解だったということになる。
「砲術より艦橋! 敵艦に直撃弾なし!」
「流石に初弾命中とはゆかぬか」
古賀が漏らした直後、主砲発射を告げるブザーが鳴り響いた。
鳴りやむと同時に、前甲板2基、後甲板3基の主砲から火炎が噴き出す。
艦の周囲の闇が一瞬だけ取り払われ、数百の落雷をひとつに束ねたような炸裂音が鳴り響く。4万トンを超える加賀の艦体が反動で身震いした。
艦の後方でも、続けざまに巨大な砲声が連続で響く。
「長門、陸奥、二番砲発射。第三戦隊、第十一戦隊、続けて発射」
後部見張り員が報告を上げて来る。『加賀』に次いで同じ第一戦隊の『長門』『陸奥』、さらに第三戦隊の『金剛』『榛名』、第十一戦隊の『比叡』『霧島』も主砲弾を放ったのだ。
もともと第三戦隊と第十一戦隊は、機動部隊である第四艦隊に属していたが、トラックで敵襲に備えるという作戦のため、まとめて第一艦隊に転属となっている。
――奇襲を行う艦隊は、夜明け前に空襲範囲から逃れる必要があります。必然的に艦艇の編成は速力重視となるでしょう。数に勝る艦隊で迎え撃つことができれば、開戦劈頭の奇襲をもって、逆に米艦隊の機先を制することも可能ではないでしょうか。
このいびつな編成は、作戦参謀の三和のそんな提案によるものだった。
苦労したのは艦隊の位置の秘匿である。
トラックの周囲にあるマーシャル、パラオは日本領であるため、泊地が直接偵察されることはまずない。だが本国から艦隊を回航するにあたって、米領グアムの存在が懸念された。
このため7隻の戦艦をトラックに移動させる際、まず『金剛』は本国を経由せず、スマトラ島から直接トラックへ向かわせた。
本国から移動した6隻については、艦のクラスを誤認させるよう巧みな偽装を施したうえで3隻ずつを二隊に分けて回航した。一隊は小笠原、一隊はマリアナにそれぞれある米潜水艦の哨戒エリアをあえて通過するなどして、回航されているのは一隊3隻だと誤認させるという手の込んだ芝居まで行った。
博打の要素が強すぎる、との反発もかなりあったが、現況を見る限り偽装は見事に成功したといえる。
「だんちゃーく、今ッ!」
砲術の声に、古賀は左舷側の海面を注視した。
吊光弾の光だけでは水柱まで確認することはできない。だが敵艦に命中すれば、それは爆炎という答えになって表れる。
一発でも当たれば、と古賀は期待しながらその時を待った。
だが、闇の彼方に炎が浮かび上がることはなかった。
加賀は第二射も外したのである。
「観測機より入電。全弾、近」
しばらくして、新たな閃光が加賀の巨体を震わせた。後方からも新たな砲声が響く。
「見張りより艦橋! 敵中小艦艇一斉回頭、向かってきます!」
「了解。一水戦は突撃せよ。敵駆逐隊を突破し、敵戦艦へ肉薄雷撃を行え。第六戦隊、第八戦隊は敵巡洋艦を牽制、一水戦を援護せよ」
古賀は二つの命令を続けざまに発した。
一水戦こと第一水雷戦隊の軽巡洋艦『阿武隈』と駆逐艦12隻。
第六戦隊の重巡洋艦『妙高』『羽黒』。
第八戦隊の軽巡洋艦『最上』『三隈』『鈴谷』『熊野』。
これらが増速し、7隻の戦艦から離れ始めた。
「敵戦艦変針、同航戦を挑む模様!」
報告の直後、敵の大型艦にも変化が現れた。
多数の閃光が煌めき、艦影が瞬間的に浮かび上がる。直撃弾ではない。敵艦もまた砲撃を開始したのだ。
「見張りより艦橋! 敵1番艦、2番艦はノースカロライナ級! 3番艦はレキシントン級!」
加賀の第三射が空振りに終わったタイミングで、古賀は命令を発した。
「一、三、十一戦隊、砲撃目標を変更。『加賀』目標敵1番艦、『長門』『陸奥』目標敵2番艦。金剛型は敵3番艦に火力を集中。奴らをこの海から生かして返すな!」
古賀の声に呼応するかのように、加賀が第四射を放った。
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