ep.5 艨艟は動き出す

 その日、海軍作戦部長のハロルド・スタークは、太平洋艦隊司令長官のハズバンド・キンメルを呼び出していた。場所はアメリカ西海岸のサンディエゴ。真珠湾の以前に太平洋艦隊の本拠地となっていた場所だ。


「10月27日、大統領閣下が上下院で対日開戦についての議決を求めることになった。そこで可決がなされれば、合衆国から日本に対して正式に宣戦が布告される」


 スタークは努めて平坦な声色で語った。


「日本の外務省および駐米大使に最後通牒を手交するタイミングについては、太平洋艦隊司令部の希望通りとなった。東部標準時の10月28日、午前6時30分だ」

「理想的なタイミングです」


 頭の中で時差を素早く計算したキンメルは口元を吊り上げた。

 中部太平洋がちょうど闇夜に包まれている時分だ。


 日本に宣戦布告した場合の戦略について、太平洋艦隊には二つのプランが存在した。

 ひとつは中部太平洋をマーシャル諸島、カロリン諸島、パラオと侵攻し、フィリピンへ到達する西進案。

 もうひとつはビスマルク諸島に拠点を築くと共に、南から攻め上る北進案。


 だがオーストラリアが中立の構えを見せている以上、北進案は使えない。ビスマルク諸島やニューギニア島は歴としたオーストラリア領であり、ここを基地化するとなると同国と事を構える覚悟が必要になる。

 もっともアメリカの国力をもってすればオーストラリア軍をねじ伏せることは容易だが、そうなれば旧英連邦諸国がまとめて枢軸に回りかねない。


 必然的に太平洋艦隊が取りうるのは、中部太平洋を侵攻する西進案となる。

 だが、定石どおりに前進するつもりは、キンメルにはない。


「日本軍は艦隊をどのように配置するだろうか。戦艦と空母を集中して運用するか、あるいは分散配備してくるか」

「太平洋艦隊司令部では、敵の配置に応じた作戦を用意してあります」


 キンメルは言った。


「また、日本近海にいる潜水艦からも重大な報告が届けられております。現地時間の9月2日において、戦艦3隻を中核とした水上砲戦部隊が小笠原諸島近海で目撃されたとのことです。また9月5日には別の潜水艦が、グアム東方にて同一の艦隊を目撃しております。情報部ではこの艦隊はトラックに入港した、と判断しております」

「3隻とは中途半端な数だな。クラスは分かるか」

「潜望鏡で確認した限りですので正確な情報とは言えませんが、戦艦の内1隻はカガ・クラスであるとのことでした」

「『カガ』が出て来たか」


 スタークは僅かに目を輝かせた。

 戦艦加賀。日本海軍が保有する11隻の戦艦の中でも最強の存在だ。

 40センチ砲10門という火力は、イギリスのネルソン級やキングジョージ五世級、アメリカのコロラド級はもちろんノースカロライナ級をも上回り、竣工から15年以上が経過した現在でも世界最強の一角に数えられている。


 加賀と共に行動している所から考えて、残りの2隻は長門型である可能性が高い。

 日本海軍は保有する40センチ砲搭載戦艦の全てを繰り出して来たのだ。


「そのクラスと正面から戦うとなると簡単ではないだろうが、貴官を信じよう。だが、空母についてはどうするつもりだ?」

「日本の空母艦隊につきましては、こちらも空母で対抗する方針です。開戦初頭において、彼らが戦う相手は空母ではないかもしれませんが」


 少し考えてからキンメルは発言した。


「日本に宣戦を布告したその日のうちに、ワシントンは吉報を受け取ることになるでしょう」

「いいだろう。全て任せよう」


 スタークは大きく頷いた。


「くれぐれも言っておくが、東部標準時10月28日の午前6時30分までは、絶対に戦端を開かないでくれ。最初の一発を打つのは、あくまで開戦後だ。前線の部隊にも徹底しておいてもらいたい」


♢♦♢♦♢♦♢


 西暦1941年10月27日の早朝。

 呂号第四十二潜水艦は、マーシャル諸島の南東海域にいた。

 司令塔の上では艦長の坂本栄一が夜通しの監視を終えようとしている。東の水平線からは曙光が指し、蒼海を明るく照らし始めていた。


 アメリカとの緊張状態が続くにつれて、日米開戦の機運も高まっている。

 そのため海軍は常時20隻前後の潜水艦をトラックとマーシャル周辺に展開させ、哨戒任務に当たらせていた。


「艦長、右三十度に艦影が多数見えます」


 共に監視にあたっていた兵曹の若狭淳史の声に、坂本は双眼鏡を覗き込み、海上を見渡した。

 左右に移動していた双眼鏡が一点で止まる。

 太陽を背にする格好で、水平線からせり上がってくる艦影が見える。太陽の黒点が次々と増えてゆくようだった。

 詳しい艦型については分からないが、帝国海軍のそれでないことは確かだ。米艦隊で間違いない。


 思わず坂本の口元が歪んだ。

 米艦隊は太陽を背にしているため、その姿を呂四十二の前にさらけ出している。

 一方の呂四十二の海域はまだ暗く、米艦隊からは見つけにくいはずだ。


「若狭兵曹、艦種は分かるか?」

「戦艦と思わしき大型艦を伴っているようですが……それ以外は不明です」


 坂本に問われた若狭はしばらく艦隊を凝視していたが、首をひねりながら応答した。


「どうするかな……」


 自問するように坂本は呟く。

 第六艦隊司令部からの命令では「米艦隊を発見した場合は、発見されぬことを最優先とせよ。その上で可能であれば艦種を確認し、報告せよ」となっている。

 見つからないことを優先するならば、すぐにでも潜航を命じたいところだ。


(いや、本艦ならまだ大丈夫だ)


 呂四十二は中型潜水艦と呼ばれるだけあって、伊号と比べてかなり小さい。

 あれほど離れた距離から浮上した呂号を発見することは不可能だと判断した。

 静寂が続く。艦影は増えてきているが、こちらに気付いた様子はない。


「戦艦らしき大型艦3を確認! うち2隻は塔マスト!」

「潜航する!」


 若狭の報告を聞くと同時に坂本は断を下した。

 これ以上は危険だ。それにマストの形が分かっただけでも十二分である。

 若狭が艦内に戻り、坂本も梯子を滑り落ちるようにして発令所に戻る。


「潜航だ、深度二〇」


 艦がゆっくりと傾き、海水の音が響く。

 やがて沈降が止まる。

 呂四十二は海面から20メートルの地点で静止したのだ。


「推進音に変化はあるか?」

「認められません」


 坂本の問いに水測員が応答する。

 上手く行ったようだ。


(本級を多数建造したのは、我が軍にとって僥倖だったかもしれんな)


 坂本は内心で呟いた。

 マドリード軍縮条約によって、帝国海軍は主力艦の保有トン数を増加する引き換えとして、補助艦艇に対する新たな制限を受けることになった。それは潜水艦にも及び、2000トン級の大型潜水艦――いわゆる伊号潜水艦は、そのほとんどが保有を禁じられた。

 潜水艦を主力とする第六艦隊からは「これでは作戦行動がとれない」と相当な反発があったらしいが、一個艦隊の要望が国際会議の場に届くはずもなく、帝国海軍は潜水艦についての計画で大規模な見直しを余儀なくされた。


 その結果生まれたのが呂号潜である。

 排水量は1000トン程度と小さいが、そのぶん構造が簡易化されており、呂四十二を含めて3年間で31隻が就役している。補給や整備も容易であり、乗員も伊号の半分程度ですむことから、運用側からも伊号潜より扱いやすいという評価を受けている。

 マドリード軍縮条約が無ければ、呂号が量産されることもなく、これほどの哨戒網を敷くことも不可能だっただろう。


「奴らが行ったら司令部に報告する。ノースカロライナ級が出てきたとな」


 アメリカ軍の戦艦のうち、搭のような艦橋を持つのは最新鋭のノースカロライナ級だけだ。それ以外のクラスは、砦のような籠マストを持っている。


「以後、無音潜航。絶対に音を立てるな」


 艦種と艦尾に伝令が走り、艦内が急速に沈黙に包まれてゆく。

 米艦隊が海域を離れるまでの間、呂四十二はひたすら海面下で身を潜めていた。

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