ep.8 炎の一水戦

 一戦隊の『加賀』『長門』『陸奥』が敵戦艦と砲門を開いたとき、第一水雷戦隊は旗艦『阿武隈』を先頭に突撃を開始していた。


「敵距離一〇〇1万メートル! 駆逐艦10以上!」


 34ノットで疾走する駆逐艦『潮』の艦橋に、見張り員の報告が届く。


 突撃は『阿武隈』を先頭に、第七駆逐隊、第十七駆逐隊、第十八駆逐隊の順番だ。

 七駆の司令駆逐艦『曙』に『潮』『朧』『漣』が続き、その後方に十七駆の『谷風』『浦風』『浜風』『磯風』、十八駆の『不知火』『霞』『陽炎』『霰』が続く。

 七駆は吹雪型、十七駆と十八駆は陽炎型に属しており、いずれも強力な雷撃力を誇る。夜戦であれば、戦艦でも葬ることすら可能な兵装だ。

 ただ大物を仕留める前に、水雷戦隊にはやるべきことがある。


 当然ながら敵駆逐艦も雷装を持っている。一戦隊の戦艦が被雷しようものなら、海戦は圧倒的に日本側に不利になる。そうなれば敵への雷撃どころではない。

 まずは敵の駆逐艦を掃討し、大物を狙うのはその後だ。


 今のところ、敵駆逐艦から砲弾は飛んでこない。

 夜間にこの距離では当たらないと、敵も考えているのかもしれない。

 当たりもしない距離から発砲などすれば、それこそ発射炎で自身の位置を暴露し、集中砲火を浴びる危険性が極めて高い。多少の被弾なら耐えられる戦艦と違い、駆逐艦はただの一発の被弾でも致命傷となりかねないのだ。


「旗艦より信号。左魚雷戦」

「了解、左魚雷戦」


 旗艦『阿武隈』からの指示に、『潮』艦長の上杉義男はその意図を悟った。

 敵は一水戦とすれ違うように突撃してきている。これにそのまま反航戦の態勢を取り、未来位置を狙って投雷するつもりなのだろう。


「敵距離八〇8千メートル!」


 報告の直後、敵駆逐艦の甲板に発射炎が光った。

 敵の発砲は連続する。数秒間隔で駆逐艦の姿が映し出される。


「旗艦より信号。砲撃開始。七駆目標、敵1番艦。十七駆目標、敵2番艦、十八駆目標、敵3番艦」

「了解。目標敵1番艦、撃ち方はじめ!」


 上杉が砲術長に下令する。

 『潮』の前甲板の12.7センチ主砲が火を噴く。どす黒い海面が火炎を反射し、照り返しで赤く光った。

 同じ砲声が連続する。僚艦の『曙』『朧』『漣』も砲撃を開始したのだ。


「敵距離、七五7千5百メートル!」


 報告と同時に、前を行く『曙』を囲むように水柱が上がり、その後甲板に火炎が躍るのが見えた。


「曙、被弾!」


 見張り員が叫ぶ。

 火災が揺らぎ、曙の姿を映し出している。

 数秒後、新たな水柱が曙を取り囲む。炎という格好の目印を得たためだろう。次々と曙めがけて敵弾が殺到し始めた。

 さらに炎を背にする形になった『阿武隈』にも砲撃が相次ぐ。噴き上げる水柱を艦首が突き抜け、艦全体が水しぶきを上げた。


「こいつはまずいぞ……」


 火焔が奔騰し、破片が塵のように舞い上がる。

 曙は集中砲火によって急速にその原型を失ってゆく。


「見張りより艦橋、阿武隈に被弾集中!」


 さらに阿武隈にも敵弾が命中し始めた。

 主砲への直撃弾は瞬時に砲撃を沈黙させ、甲板への命中は板材を貫通し艦内で炸裂する。


 直撃を受けてから阿武隈が炎に包まれるまで、数分とかからなかった。


「阿武隈、大火災、通信断絶! 曙、落伍します!」

「全艦に通信。我、一水戦の指揮を執る」


 曙が旗艦の役目を果たせない以上、七駆の指揮権は2番艦である潮の指揮官に、つまり上杉へと移る。さらにこれは、旗艦の落伍によって曙が継承した一水戦の指揮権をも、上杉が受け継いだことと同義だった。


「敵距離、七〇7000メートル!」

「七駆、十七駆、十八駆、全艦魚雷発射はじめ!」


 報告を受けると同時に上杉は命じた。距離は遠いとも近いとも言えない微妙なところだが、これ以上接近を試みれば、射点に取り付く前に過半が沈みかねない。

 ここは水雷員の腕を信じると決めた。


「朧より信号、魚雷発射完了! 漣も魚雷発射完了!」

「本艦、魚雷発射完了!」

「十七駆、十八駆も魚雷発射完了!」


 信号員が報告を上げて来る。

 これで健在な艦の全てが魚雷発射を終えた。七駆の吹雪型は1隻あたり9本、十七駆と十八駆の陽炎型は1隻あたり8本の魚雷を発射できるから、11隻合計で91本の魚雷が海中に踊り出したことになる。


「水雷より艦橋、命中まで5分」

「了解。十七駆、十八駆全艦は魚雷の次発装填急げ」


 上杉は新たな指示を送った。

 十七駆と十八駆の陽炎型は魚雷の次発装填装置を持つため、もう一度雷撃の機会が残されている。


 通信が完了したとの報告があったとき、敵弾の飛翔音が聞こえて来た。敵弾が次々と飛来し、まばらに水柱が上がる。一水戦も負けじと撃ち返す。各艦が六門の12.7センチ砲を振りかざして砲撃を浴びせた。


「一水戦、右一斉回頭。敵と距離を置きつつ、同航戦に切り替えて砲撃を続行する」


 本来ならばこのまま敵とすれ違い、避退するのが一般的である。

 だがそうした場合、雷撃を逃れた駆逐艦がこのまま一戦隊に向かう可能性がある。

 さらに雷装の標準装備となっている九三式魚雷は列強海軍のそれと比べ、射程、炸薬量など各方面において圧倒的な性能を持つ。このまま避退しても、3万メートルという最大射程などが露見することはないが、日本が米海軍よりも高性能な雷装を持つことは知られてしまう。


「全艦、右砲戦! 目標、右同航の敵駆逐艦! 準備出来次第、個別に撃ち方はじめ!」


 ここで距離を取りつつ砲戦を続行すれば、猛射に射すくめられ、雷撃の機会を伺っている水雷戦隊をよそおえる。さらにそう認識した敵が同航戦に乗ってくれば、雷撃への回避行動を取らないことになるから、魚雷の命中率も向上するはずだ。

 九三式魚雷は動力源に純粋酸素を使用しているため、航跡を引かないという特徴も持っている。目視で発見され、そこから回避されるという心配も限りなく低い。


「水雷より艦橋、4分経過」


 魚雷の到達まであと1分。幸い敵は投雷に気付いた様子はない。同航戦に移りつつ距離を空けてゆく一水戦に、微妙に距離を取りながら主砲で応戦してくる。

 敵も一水戦の意図を測りかねているのかもしれなかった。


 そんな時、潮を衝撃が襲った。

 何かが壊れる音が後部から響き、艦がグラグラと震える。

 被弾した。そう思った上杉が被害状況を問うよりも早く、報告が飛び込む。


「後部発射管に被弾! 航行に支障なし!」


 思わず上杉は安堵の長い息を吐いた。

 潮の属する吹雪型は、魚雷の次発装填装置を持たないため、予備魚雷を搭載していない。敵の砲弾は、空になった魚雷発射管を砕いただけで終わったのだ。

 潮が陽炎型であれば、予備魚雷に引火し乗員もろとも吹き飛んでいたに違いない。

 その瞬間だった。


「水雷より艦橋! 時間です!」


 艦橋に声が響く。

 右舷側海面に、砲撃とは比較にならない巨大な水柱が奔騰し、その水柱はみるみるうち火柱に変わった。一拍遅れて、艦橋の窓が割れ砕ける程の爆裂音が次々と轟き、大気そのものを揺るがせた。

 轟音は幾度も続き、最終的には9回を数えた。

 91本中9本。距離7千メートルで命中率は凡そ10パーセント。満足のゆく数値だ。


「見張りより艦橋、駆逐艦7隻に9本の命中を確認」

「よし! やったぞ!」


 上杉は右の拳を思わず振るった。会敵時点で敵駆逐艦の数は10隻程度だったから、少なくとも半数以上を戦列から奪い去ったことになる。

 大戦果だ。そう確信するとともに、敵戦艦への突撃を命じようとしたタイミングで、新たな飛翔音が聞こえ始めた。


 敵の駆逐隊が放った砲弾かとも思ったが、明らかな違和感がある。

 駆逐隊の艦砲などとは比較にならない。より大きく、重い砲弾が飛ぶ音だ。


(六戦隊と八戦隊がしくじったのか?)


 敵巡洋艦の阻止は、六戦隊の妙高型2隻と八戦隊の最上型4隻の役割だったが、失敗したのだろうか。


 上杉がそう考えたとき、飛翔音は潮の舷側に抜けた。

 その音が遠ざかり、消えた。

 瞬間、海面に閃光が走り、巨大な水柱を噴き上げた。


「どういうことだ、何故……!」


 これほどの水柱を噴き上げるのは、巡洋艦の砲撃ではありえない。

 だが戦艦クラスの敵艦は、一戦隊が相手をしていた3隻だけのはずだ。


 混乱が上杉の脳内を覆いそうになった時、見張りからの報告が飛び込んだ。

 それは、ほぼ悲鳴だった。


「見張りより艦橋! 後方に新たな敵艦隊! 戦艦多数を認む!」


 遥か後方で幾つもの閃光が走り、艦影が幻惑的に浮かび上がった。


♢♦♢♦♢♦♢


 作戦において、思わぬ幸運が訪れた時ほど、軍人として痛快なときはないだろう。

 アメリカ合衆国海軍、第一任務部隊TF1を率いるウィリアム・パイは、麾下にある戦艦群の砲声を聞きながら口元を嘲弄に歪めた。


「ジャップめ。その程度の戦力で、我々太平洋艦隊が来るとでも思っていたのか?」


 戦艦群がトラック環礁を奇襲するにあたって、太平洋艦隊には問題があった。


 艦の速力である。


 在泊艦艇に艦砲射撃を行うにしろ、基地施設を攻撃するにせよ、夜が明ける前に敵の空襲圏内から離脱する必要がある。だが合衆国海軍の戦艦はそのほとんどが最大速力21ノット以下の低速艦であるため、奇襲を行う艦隊はどうやっても小規模にならざるを得なかった。


 いきなりの躓きだったが、太平洋艦隊司令部は逆にこれを利用することを考えた。


 速度に勝る『ノースカロライナ』『ワシントン』『レキシントン』をTF2に預けて奇襲攻撃を行わせるとともに、速度に劣る戦艦6隻をTF1に配属し後詰として控えさせたのだ。


 仮にTF2が奇襲に成功し在泊艦艇の殲滅に成功した場合、TF1はマーシャルに向かい日本軍の拠点を覆滅する。日本軍はマーシャルに有力な航空部隊を進出させていないから、鈍足戦艦であっても空襲を受ける心配はない。

 また、日本艦隊が砲撃を受けながらも泊地からの脱出に成功し、TF2が反撃を受け損傷した場合は、TF2を即座に撤退させてTF1がトラックへの艦砲射撃を行う。この折には飛行場などを徹底して叩き、航空攻撃そのものを封じる。


 このためにはTF1の移動を日本軍に悟られないことが必須だ。

 パイは6隻の戦艦に、軽巡2隻と駆逐艦4隻という最低限の護衛だけを付け、南太平洋のイギリス領であるフェニックス諸島、エリス諸島付近を航行し、南太平洋経由でトラックに回り込んだのである。

 イギリスは対日戦において不干渉を宣言しているが、領島付近の航行について文句を言うことはしなかった。


 とはいえパイの作戦案には、反対意見の方が多かった。

 そこまでする必要があるのかという意見や、真珠湾をガラ空きにして、万が一攻撃を受けたらどうするのかという詰問じみた反発もあった。


 しかし結局、司令長官のキンメルをパイが直々に説き伏せ、計画は実現した。


 パイの思惑は思わぬ形で功を奏した。

 日本軍の戦艦は予想された倍以上の数であり、数的不利のTF2は大きな被害を受けている。TF1が動いていなければ、TF2の方が殲滅されていたかもしれない。

 日本艦隊が環礁の外で待ち伏せしていたために戦闘の推移が早く、救援に入るのが遅れてしまったのは不幸だったが、それでもパイは一切悲観していなかった。


 TF2からの緊急信では、日本艦隊は戦艦7隻を擁している。

 これを撃滅すれば、ウィリアム・パイという名は、開戦と同時に日本海軍を壊滅に追い込んだ偉大な提督として語り継がれることだろう。

 空母という存在も最近は目立ってきているが、所詮航空機など補助兵力にすぎない。海戦の結果を左右するのは戦艦なのだ。


第20駆逐隊DDG20より緊急信。我、雷撃を受く。第17駆逐隊DDG17および第24駆逐隊DDG24の被害極めて大。7隻炎上。至急来援を乞う」

「敵水雷戦隊、反転、離脱を図る模様」

第5巡洋艦戦隊CD5、敵巡洋艦と交戦中」


 TF1の旗艦に定めた戦艦『ペンシルベニア』に次々と報告が飛び込む。

 先ほど巨弾を叩きこんだ敵の水雷戦隊は一目散に逃げ出している。雷撃を阻止することはできなかったらしい。

 情報から判断する限り、駆逐隊は極めて劣勢、巡洋艦戦隊、戦艦群については互角といったところだった。


第8巡洋艦戦隊CD8第13駆逐隊DDG13第5巡洋艦戦隊CD5に合流。敵巡洋艦を攻撃せよ」


 パイは素早く断を下した。

 麾下にある軽巡2隻と駆逐隊4隻を、既に敵巡洋艦と交戦している第5巡洋艦戦隊と合流させ、これを一気に叩くのだ。


「司令官、敵の水雷戦隊は叩かずともよろしいですか?」


 『ペンシルベニア』艦長のチャールズ・クック・ジュニアがパイに問いかける。

 あと数射もあれば直撃を得られると言いたげな表情だった。


「無用だ」


 パイは即座に断じた。


「駆逐隊が7隻も被雷したということは、少なくとも発射魚雷は100本を越えているだろう。敵の水雷戦隊の規模からすると、全艦が魚雷を使い果たしたと考えるのが妥当だ。魚雷を持たぬ駆逐艦など、何ほどの脅威にもならぬ」

「レキシントンより緊急信! 敵戦艦四面舵、貴隊に向かう!」


 パイが言い切ったとき、不意に通信員が声を上げた。


 水雷戦隊から警報を受けたのだろう。

 日本艦隊の戦艦4隻が舵を切りTF1の針路を塞いだのだ。

 TF1に横腹を向け、T字を描くつもりかもしれない。


「レキシントンより続けて通信、敵戦艦四はコンゴウ・クラス!」

「クルーザー風情が」


 パイは小さく呟いた。

 金剛型は元々、巡洋戦艦バトルクルーザーとして起工された艦だ。

 当然ながら防御力も戦艦バトルシップに準ずるものではない上、日本軍の戦艦の中で最弱の火力しか持たない。

 その程度でTF1の戦艦6隻を止められると、本気で考えているのだろうか。


 だとしたら、舐められたものだ。


「戦艦群全艦、撃ち方始め! 蹴散らせ!」


 パイは怒号した。

 TF1旗艦の『ペンシルベニア』に続き、戦艦『メリーランド』『ウェストバージニア』『アリゾナ』『テネシー』『カリフォルニア』の主砲が次々と咆哮を上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る