『エンチャントキット』を探しにいこう

海青猫

第1話

「お買い物に来たんじゃないの? 女の子なら『ウィッチガールズの道具箱』とか、『エンチャントキット』を買いに来たんだと思ったけど」

 勇気を出して、話しかけるとその子はこちらを振り向いてくれた。しばらくとまどっていたけど、そう尋ねてきた。アクセントが変わっているから日本人ではないのかもしれない。

 なんて言ったかは、とにかく無我夢中だったから覚えてない。そもそも買い物といわれても辺りには何もない。さらにこの場所がどこかもわからない。結構歩いたはずなのに太陽の場所は全く変わっていなかった。周りが全部地平線なんて日本にはかった……はず。

 目の前の子は、あまり整えられていない黒髪に、烏の羽を思わせるような真っ黒い服を着ている。肌はあまり露出してなくて、スカートでなくズボンをはいていた。近い服はジャージみたいに見える。靴もどこかで見たことない素材で、どこにも売ってなさそう。まるで自分で一から作ったような感じにも見える。

 髪は黒いけど、顔の作りはどこか日本人ぽくない。どこか現実にないようなかわいらしさを感じさせた。

 首からは肌色の小さなポーチをかけている。

 柔らかい笑みを口元に浮かべ、やや小首を傾げてその子はこちらをみた。

 背の高さは同じくらいだから、はっきりとお互いの視線が絡まった。

 夕焼けの色を反射したのだろうか、黒い瞳がやや赤みかかってみえる。

「じゃ、何しに来たの?」

「気が付いたらここにいて、学校帰りで道を歩いてただけなのに」

 周りを見渡すと、まったく風景は変わってなかった。果てしなく地平線が広がる草原が見える。空は青から地面に近づくにつれて赤く染まっている。まるで日の沈みかけの空だけど、いくら待っても日が沈むことはなかった。

 辺りには全く人の気配もなかったけど、しばらくうろうろしてたら、この子がいつの間にか目のまえに立っていて、きっと、自分と同じ状況だとおもっていたけど、どうも違うようだ。

「学校? そこから歩いてきたの?」

「歩いていたら急にここにいたの。いくら待っても、何もなくてそこで貴方が現れて、私と同じくここに迷い込んだ人じゃないかなって」

「迷い込んではないよ。私は用があってここに来たから」

 彼女はそういうけど、周りは全く何もない。人の気配もない。それどころか生き物がいるかもわからない。

「ここ 誰もいないし、何もないよ? お店もないし……」

「うん。まだないね。時間はもう少しかなぁ 場所は間違ってないから」

 彼女は猫のようにすり寄ってきた。警戒心がまったく浮かばない。まるで、前から友達だったような変な親しみを感じさせるくらいだった。

 辺りを見渡した。感覚的に三十分以上たっているけど、空は全く変化しない。人の気配もなかった。さすがにこれは現実ではありえない。

「どうしたの? 不安そうな顔して、何か怖いの?」彼女は不安そうな表情を読んだのか優しく尋ねてきた。

「きっと、私死んだんだ。ここは死後の世界なんだ」

 死後の世界は、川があって死んだ人と再会するって聞いたことがあるけど、こんな世界だったなんて……。

「ふふ、あははは。面白いこと言うね。それはないよ。ほら」

 右手を握られた。細い指が指にからまってきた。思ったより体温が高い。しっとりとした汗の感覚が伝わってくる。細い指だけどおもったより力が強い。

「冷たい手。冷えているね」

 なぜか不思議と落ち着いてきた。ふわりと抱きしめられる。まるで母親に抱きしめられている感じだった。

「私は、…リア、お嬢ちゃんはなんて名前?」

 名前は長くて聞き取りにくかった。アクセントから日本語には聞こえなかった。ようやくリアと聞き取れただけ。

「私は、秋月梓です」

「アキツキ? アズサちゃんかぁ。いい名前だけど。変わった感じの名前かな」

 リアと呼んでいいかと尋ねたら、それでいいと答えてくれる。

 余韻を残しつつリアが離れる。

「これからどうしようか?」

 家に帰りたくないと思っているのも確かにある。でもこの世界にとどまるのは不安がある。

「とりあえず、『エンチャントキット』を買いにいこうか?」

「何それ? 私お金あんまないよ……」お財布にはおやつ代のおつりで小銭が数枚あるくらいだと思う。

「お金? そんなのいらないよ。代価はなんでもよかったはずだから。ちょっと何かをお手伝いするとかでいけるかも、いらないものでも実は値打ちがあったりするし」

「リアちゃんも何か、買うの?」

「ううん。前回は買えなかったから、興味があるだけ。今回は人探しが目的できたからね」

「え、前も来たの?」

「結構前だけどね」

「誰を探しているの?」

「うん、子供かな。たしか、来るはずなんだけどね」

 子供を探してるって、この子、いったい、いくつくらいなんだろう。年齢は近いくらいにみえるけど、もう少し上なのかも。妙に落ち着いて見えるし。

 多分、一緒に回る友達を探しているんだろう。と考えて納得する。

「それまで一緒に回ろう」

 この子もよくわからないけど、独りよりはずっといい。

「じゃあ、その『エンチャントキット』っていうのを買いにいってみるよ。なんか、怖いことあったりしないよね」

 見知らぬところだから、不安が多い。

「うん。大丈夫。私が守ってあげるから」

 リアはそういって笑みを浮かべた。なぜか妙に安心感がある。独りじゃないからだろうか?

 周りの風景は変化しない。空も夕焼けのままだ。

「歩いて行ったらいいの?」

「歩く必要はないよ。ここでマーケットは始まるはずだから」

「でも何もないよ」

「うん。今はね。まだもう少し時間があるから、おしゃべりでもしようか? 食べる?」

 リアは、首からかけたポーチから飴玉をとりだし手渡してきた。

 包み紙から赤い色の飴玉を取り出して口に入れた。甘い味が口の中に広がってくる。飴をなめているとわずかに塩味が伝わってきた。

 リアはのぞき込むように見てきて、にっこりと意味ありげにほほえんだ。

「座ろう」

 促されるままに、道の上に腰掛けた。スカートを通して冷たさが伝わってくる。

 行儀が悪いかもしれないけど、人が誰もいないので気にする必要はない。

 リアも目の前に腰掛けた。

 お互い向き合って座る。

 クラスにいる気になる男の子の話や、両親の離婚の話。母親が再婚して、義父とうまくいっていない話。

 ひどい虐待というほどではないが、家に帰りにくいという話を一方的に話していた。

 リアはすごく聞き上手で、相槌を会話の間に入れてくれるし、笑顔も絶やさない。

 話し終わる前に口を差し挟むこともしなかった。

 クラスに親友といえる子もいるけど、リアはこの短い間により親しくなったようにおもえた。

「離婚? ああ、結婚を解消するってこと? 私のときはそんなのなかったなぁ。梓ちゃんって、どこに住んでるの?」

「日本だけど……」

「二本? ああ、にほんね。言葉が今ひとつ把握しきれてないから、ごめんねぇ」

 確かにリアのアクセントは、日本人のそれとは異なる。明らかに外国人のようだけど、でも無理矢理日本語を使っているような違和感はない。

「どんな国なの? 人が殺されまくったりする?」

「そんなことは滅多にないよ。長く戦争もしてないし、基本平和だよ」

「ふうん。ちょっと行ってみたいかなぁ、どんなところだろ?」

 自分が知っている限りのことは話してみる。

「リアちゃんはどこの国の人?」

「ううん。色々回っているから、特定の国に住んでる訳じゃないかなぁ。ちょっと住んでみて飽きたら別のところに行く感じかな。色々なところを見て回るのが好きなんだぁ」

「うらやましいなぁ。私、外国旅行に行ったこともないから。でも、日本語うまいよね」

「うん? ああ、この言葉? 梓ちゃんの言葉を聞いて大体の文法とかわかったから、使っているだけ。日本語はしらないよ。色々な国を回って、言葉のパターンは大体わかるから会話には困らないよ」

 そんなものだろうか? 英語の文法一つ覚えるのに苦労している身としては、すごいと思う。

 リアがいうには、言葉は人間の思考のパターンから大体類推できるらしい。

 どうしたらそんなことができるのかは、全く検討もつかないけど。

「そろそろかなぁ?  ほら立って」

 立ち上がった瞬間。

 ものすごい喧噪が伝わってきた。

 周りに人があふれている。何もなかったはずのところにいくつものテントが立ち並び、すでに行列ができていた。

 空がわずかに暗くなる。日が少し沈んだようだ。時間が動き出したみたい。

「これから、夜が開けるまではお祭りだよ」

 テントは地平線の彼方まで続いて見え、たくさんの人が出入りしている。

 聞いたことがない言葉が、たくさん飛び交っている。

 よく見ると、人の他に明らかに妖怪っぽい存在もいた。

 人の背丈くらいの、立って歩く猫や、犬。さらに機械でできている人? もいる。

 ふらつくと毛皮みたいな感触にぶつかった。

「ご、ごめんなさい」

「いえいえ」

 ぶつかった虎が言葉を発した。虎はこちらをじろじろ見て舌なめずりする。初めて向けられる殺意と、食欲が混じった視線が肌に突き刺さる。

 虎の視線がリアの姿を捉える。牙をむいていた虎は、くるりと反転して尻尾を丸めて立ち去っていった。

 肌が総毛だった。足がわずかに震える。

「はぐれないでね。ここは『にほん』と違って、人が死ぬのは普通だよ」

 リアが手を握ってくれる。少し安心できた。わずかに体温が手に伝わってきて、震えが収まっていく。

「なんで、あの虎逃げたのかな?」

「どうしてかな? 私を知ってたのかな? ……。抑えてるつもりだけど、殺気がもれちゃったかな?」

 リアが破顔した。わずかに首筋の毛が逆立つ。

「ん~。残念。襲ってこなかったね」

 なぜか悔しそうだ。襲ってこないことが何故残念なんだろう?

 微妙に違和感がある。心の中に棘がささっているような不安がある。とはいえ、ここで別れたら独りだけになってしまう。それは避けたい。

「どうしたの? 私が怖い?」

「そ、そんなことはないよ」

 語尾が少し弱くなった。なぜか、暗雲のように不安が心に広がってくる。

「大丈夫。何も怖くないから、別に殺さないよ……まだ」

 若干、引っかかる言葉があったが、気にしないでおくことにした。棘が刺さったように心が不安でうずく。

 思わず、リアから目をそらすと、辺りをみた。

 テントの他に、地面にビニールを広げた露店が立ち並んでいる。

 売り物らしい品物を見ても、蛸か烏賊かわからない像や、錆びた釘とか、値打ちがあるかもわからない。

「あれが『エンチャントキット』……じゃないよね?」

「うん。違うよ。売っているのはこっち」

 指さされた方向を向くと、一瞬だけ、視界の端にこちらに向かって手招きする人影がみえた。

 大きな黄色いテントの脇に女の子が立っていて、あきらかにこちらに視線を向けている。

 人込みが増えてきた。

 このまま、ついて行っていいのだろうか? という思いもある。といってもはぐれたら怖い。

 青い肌で角が生えた毛むくじゃらの男が、近づいてきた。腕も太く女性の太ももの二倍はありそうだ。

 牙が生えた口を広げ、にやりと笑う。鬼を思わせた。

「ひっ」声にならない叫びが漏れた。

 鬼は太い腕を振り上げると、思い切り振り下ろそうとした。

 リアが一瞬で、鬼との間に入ってきた。軽く腕を上げたようにみえただけで、鬼の腕が切り落とされている。重い音をたてて腕が地面に落ちた。

 赤い血が降り注ぐ。

「ひ、ああ」

 恐怖で体が動ない。

「うん。相手から襲ってきた場合は、正当防衛で殺していいんだっけ? そうだったよね」

 こちらに語り掛けるというより、何かを思い出している感じだ。リアは一人で納得したように、うんうんとうなずく。

「え、えっと」

 体が固まって反応できない。さらにうまく言葉が出てこない。視界が赤い。地面に尻もちをついた。

 思考がまとまらない。

 リアが軽く腕を振ると、鬼の首がずるりと右にずれた。

 盛大に血を噴き出して、ほこりを巻き上げて巨体が倒れた。

 ふるえる足で立ち上がると、思わず駆け出した。

 頭の中は真っ白だった。方向はわからない。人の隙間をくぐって走る。遠くから呼ぶ声が聞こえたけど、怖くて振り返れない。 

 息が乱れた。心臓の鼓動が胸の中で激しく騒いでいる。足がもつれた。目の前が赤くなる。

 限界を感じて足を止めると、大きな黄色いテントの近くだった。

 乱れた息を整える。汗が目に入る。袖で鬼の返り血と、汗を拭った。

「あれ? ここどこ?」

 無心に走っていたので、方向もわからない。足が震えている。こんなに走ったのはいつぶりだろう?

 乱れる息を整える。周りを見渡すと人はいない。

 どうやって帰ったらいいのかもわからなくなってきた。とたんに心細くなってくる。

 テントの入り口は大きく開いていて、中はみることはできない。

「えっと、誰かいますか?」

 中に呼び掛けてみる。

「どうぞ、入ってきて」

 声からは若い女性のようだった。声から女の子っぽい。

 不安があるが、中にはいってみることにした。

 中は思ったより広い。というか空がみえる。空気も澄んでいた。

 テントの中に入ったとは思えない。

 草原がひろがっていて、地平線が見える。後ろを振り返るとテントの入り口が虚空に浮かんで見えた。

 遠くからキィーキィーと蝙蝠の鳴き声が聞こえる。

「いらっしゃいませ」

 背後から声がかけられた。

「ひやぁ」

 驚きで変な声がでた。

「驚かせてしまいました? ごめんなさいね」

 振り向くと、一人の少女が立っていた。黒い髪と、黒い瞳だが、どこか日本人とは異なる雰囲気だった。どこかリアに似ている気がする。

 服装は白いシャツに紺のズボンで、割と線の細い感じの子だった。

「よいしょっと」

 彼女が空間のチャックを閉めると、テントの入り口が閉じられてしまう。まるで何もなかったかのように空が広がっていた。

 よく見ると、ちょっと前に手招きしてた子だった。

「ここは、どこですか?」

「ちょっとした世界の狭間って感じです。色々な世界の隙間みたいな感じでしょうか? たまにうっかりここに迷い込む人がいて、私はそんな人たちを助けたりしてます。信じるか信じないかは貴方次第。貴方は明らかに迷い人って感じですし、助けたいって思ってます」

 リムと名乗ったその子は、助けてくれるようなことを言ってきた。なんか長い言葉だったかもしれないけど、聞き取れたのはやっぱりそれだけだった。

 信用できるかはわからない。といって、誰も頼る相手もいない。一か八かこの子に頼ってみるしかない。

「元居た世界に帰してくれるの?」

「ええ、このままだと殺されるか、永遠にさまようことになるでしょうから、ただ、一つお願いを聞いてほしいんですが」

「私にできることなら」

「では、一つ買ってきてほしいものがあるんです。私が買ってきてもいいですが、『あれ』が来てるから、できればうろつきたくなくて」

「『あれ』って、もしかしてリアちゃん……?」

「リア? 貴方と一緒にいたあいつのことなら、そうですね。今はそんな名前を名乗ってるんですか?」

 そういえば、もっと長い名前を名乗っていた気がする? うっかり聞き違えたのかもしれない。

「貴方、気に入られているみたいだから、そのうち殺されるかも……。とにかくあいつにはかかわらないほうがいいですよ」

 どうやってか、鬼をあっという間に殺したのを思い出す。恐怖が浮かんできた。

 あんな風に殺されるのだろうか? 背中に冷たい汗が滴り流れる。

 助けてもらったは確かだし、もう一回会ってお礼を言いたいという気持ちもあったが、このまま、逃げてしまった方がいいという気持ちが上回る。

「じゃあ、買ってくる。何を買ってきたらいいの?」

「もちろん、『エンチャントキット』ですよ。特に対価はかかからないはずです」

 また、『エンチャントキット』だ。もう、嫌になってきた。

「なんで、必要なの?」

「難しいことは説明省きますが、運命を変える必要があるんです。『エンチャントキット』はそういうものでして」

「『エンチャントキット』ってそもそも何なの?」

 リアに聞けなかった疑問を聞いてみる。

「うーん。定められた形はないんですよね。形式的にそんな風にいわれているだけで、もしかして女の子かもしれませんけどね」

 もうわけのわからないものとはかかわりあいたくなかった。

「もう帰りたい。そんなよくわからないものにかかわりあいたくないよぉ」

 できることなら、何でもすると決意したものの、得体のしれない体験が積み重なって、心が限界だった。涙がこぼれてくる。視界がぼやけてきた。

「泣かないでくださいな。うーん。仕方ないですね。帰すことならできないこともないです。ただ、『エンチャントキット』を入手しないと、完全に運命は変えられませんよ?」

「それでいいよぉ」

 運命がどうこうとか、リアとリムの関係も少し気になったが、それよりも早く家に帰りたかった。

「わかりました。では、私の権限で元の世界に戻します。『エンチャントキット』なしでは、記憶とかは消えませんから悪しからず、忘れた方がいいかもですけどね」

「ありがとう」不安もあったが、帰れるという安堵感が上回る。

「いえいえ、では、あいつ――リアにあったら、また会おうって言っといてください。私との約束をきちんと守っているみたいですし」

「約束って」

「攻撃されなかったら殺したら駄目よって約束したんです。あいつ殺しだしたら際限ないですから。まったく前は散々、私に手間を……あ、これはただの愚痴です。じゃ、ごきげんよう」

 リムはにっこり微笑むと、地面を指さした。思わず地面を見る。真っ暗闇だった。突然、足下の地面が消える。

「きゃあああああああ」

 叫びながら、何も見えない闇を下に向かって落ちていった。




 楓が病院を出ると、空が赤く染まっている。日が暮れそうな時刻だ。今日は入院している祖母の見舞いに来ている。

 面会時間は限られているが、祖母とは仲がよく、ついつい話し込んでしまった。事情が事情なので、病院も目をつぶってくれていたのだ。

「梓ちゃん、やっと追いついた。いきなり逃げたりしてって、別の子かぁ。よく似てるね」

 明らかに患者ではない少女が語り掛けてきた。梓というのは祖母の名前だ。女の子は楓と同じくらい十代半ばに見える。

 ただ、そのファッションが奇抜だった。売っている服でなく、自分で裁縫したようなデザインだ。烏の羽を思わせるような真っ黒い服だが、よく見ると、髪の毛で編まれているのが分かる。

 首からは肌色のポーチをぶら下げていた。

「ええと、私は孫の楓で、梓はおばあちゃんですけど」

 服装は変だが、不信感をまるで感じさせない不思議な子だ。まるで友達のような親しみを感じてしまう。

「孫? 梓ちゃんの子供の子供? 私子供はいるけど、孫はいないんだよなぁ ちょっと梓ちゃんの面影あるね。匂いも似てる」

 体温が感じられるくらいの距離まで近づかれたが、不思議と警戒心が浮かばない。

 その子の年齢で子供がいるようには見えない。ちょっと変な子だろう。

「私は梓ちゃんのお友達。今日はお見舞いに来たの」

 訝し気に視線を向けるとそんなことを言ってきた。お友達と言っているが、年が離れすぎている。おばあちゃんにこんな若い友達がいたとか聞いたことがない。

「じゃあね」

 特に名乗ることなく、猫のように足音を立てず、その子は病院に入っていった。




 そろそろ、お迎えも近いのかもしれない。少しずつ体が動かなくなっている。入院回数も増えてきている。今回はまだ大事なかったが、次はどうなるかわからない。

 賑やかだった孫も帰宅した。梓は病院のベッドに何となく腰を掛ける。

 病室は個室だ。看護師が検温に来て、消灯時間の二十時を過ぎている。

 ふと、リアの事を思い出す。今となっては夢かと思うが、あまりにも鮮烈で脳裏に焼き付いている。六十年以上経った今でも鮮明に思い出すことができた。

 電気を消して眠ろうと思ったとき、個室の扉がゆっくり開く。看護師かと思ったが、入ってきたのは孫くらいの少女だった。

「やっと追いつけた。梓ちゃん。日本に来るのも大変だったけど。久しぶりに会えたね」

「リア……ちゃん?」あの時とまったくリアの姿は変わってない。

「う~ん。なんで、そんなに姿が変わるのかなぁ。同じ匂いがするから梓ちゃんとわかるけど、どうして??」

「人は年を取るのが普通……」と考えて、では何故、目の前の子は年を取ってないのだろう? という疑問をもった。孫という感じはない。リア本人としか思えない。

「梓ちゃんは、私の血が混じった飴をなめたでしょ? どこに行っても絶対見つけられる。ちょっと時間がかかっちゃったけどね。でも間に合った」

「間に合った?」

「ん。死んじゃう前にまた会えたってこと。人は仲良くなってもすぐに死んじゃうからね」

 恐怖、不安、色々な感情が渦巻いた。それでも口をついたのはこんな言葉だった。

「リアちゃん。逃げてごめん。あの時、助けてくれてありがとう」

 心の中にあった悔恨の念が解けていく。このリアが、死出の旅にでる自分が見た幻でもいいように思えた。

「どういたしまして。追いつけたから問題なし」

 リムから伝えてほしいといわれたことを伝えておく。約束守っているから、また会いに来てもいいと言っていたことだ。

「あの子も、殺したいんだけど。なかなか捕まらないし、また会いに行ってみようかな。伝えてくれてありがと」

 こちらを見るリアの瞳が猫のように細められた。透明な殺意を感じる。憎しみや怒りは感じない。それでも、人は人を殺せる。多分、自分を殺しに来たと直感的に分かった。

 もう充分生きた。前のように死の恐怖はない。結婚して孫もできた。振り返るといい人生だったと思う。

「何故、私を殺すの?」

 疑問がついてでた。

「何かに殺される前に、私が殺したいから。病気とか、事故とかに梓ちゃんをうばわれたくないし」

「攻撃されないと、殺したら駄目なんでしょう?」

 孫に話すような口調になってしまった。

 リアを攻撃するなどありえないし、この体では物理的に不可能だろう。

「ん~そういう約束だよね。でも好きな子は別。あの子も納得してくれるはずだよ。それにね。殺す以外、もう一つ選択があるの」

 リアがこちらを見つめた。漆黒の瞳に、最初に出会ったときよりずっと老いてしまった姿の自分が映し出される。

「ねぇ、今度こそ、一緒に『エンチャントキット』を探しに行かない? 運命を変えるため。そしてずっと一緒にいよ?」

 それでもいいと思えた、しかしもう自分には時間がない。

 首からかかったポーチから、リアは黒い丸薬をとりだした。

「これを探すのに時間かかって」

「その薬は?」

「この薬で、私と出会ったときの梓ちゃんに戻れるから。一旦は死なないで済むよ。それでも死ぬかもだけど、運命は……うん、『エンチャントキット』で変えられる」

 どうやら、若返りの薬を探していたらしい。

「外国……いろんな世界を回るのがうらやましいって言ってたよね? 連れて行ってあげるから」

 そういうとリアが微笑んだ。その笑みからは親愛の情しか感じない。孫が向けてくるものとはまた違った愛情だ。断れば、即座に殺されるだろう。それでもいい気もする。

 最初に出会った時と、まったく変わらない白く細い腕が差し伸べられた。

 立ち上がるだけでも体中に痛みが走る。

 リアの手に枯木のようになった自分の手をのば……。

                  

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