第17話 一ヶ月の時間が過ぎ去った転校生
月日は二月から三月へと移り変わり、いよいよ中学校卒業までのカウントダウンが両手で納まりそうな日数に迫りつつある最後の一ヶ月が到来した。そして雪野芽述湖が転校して来てからも早一ヶ月である。
二月は内容の濃い日が多くあり振り返れば雪野さんに初めて声をかけられた下駄箱での関わりをきっかけに俺の日常は大きく変化していった。一番の変化はやはり一人で帰ることがなくなったことであり、そのせいで彼女が出来たと見間違えられて雪野さんと距離を置こうとしたのも今となっては懐かしい。中学校卒業を目前に校内案内、図書室の利用、夜遊びで花火など俺は転校生からたくさんの初めてを貰い様々な経験を得ることができた。
三月に入っても雪野さんとの関係性は付かず離れずでありふれた日常と化した日々を送っていた。来週末にはいよいよ受験当日を迎え、カレンダーを捲らなくても本番の日付につけられた赤丸印を確認できる。そのため教室内の空気はより一層緊張感が高まり、何が原因でいつ感情の起伏が爆発してもおかしくない状況であることを肌で感じ取りつつ俺は今日も今日とて足早に放課後になると教室を出た。
「榊原くん、この後時間ないかな。実はちょっと勉強に行き詰まってて教えて欲しいなって。いきなりで悪いんだけど、どうかな」
下駄箱で靴を履き替えようとしたところで、見計ったかのように呼び止められ外靴に伸ばしかけていた手を引っ込めると俺は声の主人の方を見た。聞こえてきたのは雪野さんとは正反対の弱々しい声音で聞き覚えがない声で俺を呼び止めたのは同じクラスの女子生徒だった。名前は確か吉野さんで普段は大人しい感じの生徒であり、数ヶ月前の俺と同じように教室内ではよく一人でいる姿が見受けられたいわば同士だった存在だ。同じクラスではあるが互いに接点はなく知っていることは名前くらいのものだが、吉野さんが勉強を苦手にしている印象は受けなかった。
吉野さんからしても俺からしても互いに一番離れた場所に位置している関係性のはずなのにどうして俺に声をかけようと思ったのだろうか。疑問は浮かぶが回答はすでに一ヶ月前に明かされていることを俺は隣で靴を履き替えつまらなさそうに待っている雪野さんの顔を見てふと思い出した。当時は俺が受験を諦めた人物として雪野さんの目に映っていたという認識の齟齬こそあったが、他の生徒に比べて言葉をかけやすい立場にあるのが榊原拓海という男であり吉野さんをも引きつけたのだろう。
勉強を教えることについては得意分野であり引き受けやすくはある頼みではあったが、ほとんど初対面に近しい吉野さんにとなると悩ましいところだ。付け加えて隣には雪野さんがいて頼みを聞くと一人で帰ってもらうか待っててもらうことになるので悩む余地もなくお断りしようと結論はすぐに出た。というわけで「悪いけど」と他をあたってもらうよう話を切り出し断ろうとしたのだが……
「お願いします。今日じゃないとダメなんです」
人こそ少ないが他の生徒や先生の目がどこに潜んでいるかわからない昇降口で言葉を遮られた挙句、頭を下げられては流石に焦りが芽生え俺は慌てて宥めるように顔を上げるよう言葉をかけた。そしてなぜか涙目の吉野さんが顔を上げてくれたことを確認すると、助け舟を求めるように背後の雪野さんの方へと振り返った。
「私には関係のないことだ、好きにするといい」
確かに呼び止められたのは俺だけであり、雪野さんには微塵も関係ない話ではあるが友達が困っているというのに返答は冷たく素っ気無いものだった。断りたいのは山々だが、吉野さんからは勉強を教えて欲しいだけには思えないほどの切羽詰まっている様子が伝わってきて心が揺れており、断ろうとしている自分は間違っていると理性が否定する。今日断ったとしてもまた明日、明後日と付き纏われる可能性もあり、そうなると面倒だと先のことまで考慮して最終的に吉野さんの頼みを聞くことにした。
「そうか……では、私は先に帰らせてもらう」
決意を新たにすると今度は雪野さんに断りを入れなければならず伝えると、一瞬何か考えるように沈黙があったがすぐに先に帰ると返答があった。待っていると言われたら待機場所として図書室を勧めようと思っていたのだが放課後の図書室の心地よさを雪野さんと共有することは叶わなかった。結果としては待っててもらった方が雪野さんのことが気になってこの後の勉強会に集中できなかっただろから帰ると選択してくれて一安心ではある。急なことで申し訳なさがありつつ雪野さんにまた明日と別れを告げると俺は付いて来てと言う吉野さんの後を追って歩いて来た廊下を引き返すのだった。
「雪野さんには悪いことしちゃったかな、明日会ったら謝らなくちゃいけないね」
教室に戻るものだと思い込み吉野さんの後について歩いていたのだが、吉野さんは教室方面と別の方面へ向かう分岐路で教室には向かわずさらに上へと続く階段へと足をかけた。クラスメイトが多く残る教室ではなかったことにどこか安堵しつつも、どこに向かっているのだろうと一人思考を巡らせてみる。会話もなく静かな廊下を歩いていると吉野さんは沈黙に耐えかねたのか先に帰ることになった雪野さんへの謝罪を口にした。
確かに雪野さんは何か思うようなところがあるような様子ではあったが、大事な予定を潰されたりしたわけではないので謝るまではしなくてもいいのではとも思う。謝るよりも残り数日ではあるが話せるクラスメイト、それも同性として明日から関わってあげた方が喜ばれるのではないかと思うのだが間違っているだろうか。間違っていようがいまいがお節介を進んで口にするわけもなく、俺はそうだねと適当に相槌を返した。
「教室は人が多いから今日は多目的室を使わせてもらうことにしたの。私はこれから勉強道具を取りに教室に戻らないといけなくて、悪いんだけど榊原くんは先に中に入って待っててくれないかな」
吉野さんに任せて歩き辿り着いた先は多目的室とネームプレートが掲げられた教室だった。人が多いからと言う意見には大いに賛同するが図書室と違って多目的室を許可なく一般生徒が使っていいのだろうかと心配ではある。それに普通は荷物を全て持ってから目的地へ向かうべきで順番が逆ではないかと気になるところが多く、吉野さんは本当に勉強を教えてもらうつもりなのか疑わしくなってきた。
疑念はあってもここまでついて来てしまったからには段取りの悪さには目を瞑ろうと俺は多目的室の扉に手をかけた。鍵が閉まっていて入れませんでしたというオチであればもう付き合ってられるかと、どんなに懇願されようが泣き脅しされようが吉野さんを放って帰るつもりでいた。だが扉は余分な力を一切必要とせず横にスライドされ真っ暗な室内を目にして残念に思いつつ多目的室へと入室した。
真っ暗な原因は外からの光を完全に遮断してしまっている閉じられたカーテンだった。明かりを求めて入り口付近に設置されているであろう電気のスイッチを探しに壁際へと足を向けようとした瞬間、背後からドンと大きな音が響き渡り耳をつんざいだ。一瞬の硬直の後、振り返ると唯一の明かりであった廊下側から差し込む光は失われ俺は暗闇に包まれた教室に佇む。
扉に手をかけて開けようとしたが入って来たときみたいに力いらずで廊下に出ることは叶わず、両手でさらには全体重をかけて開けようとしても扉はびくともしない。扉の向こう側で吉野さんが抑えているような話ではなく、棒か何かで固定してこちら側からでは絶対に開けられないようにされている。
扉を蹴飛ばす乱暴な方法以外脱出方法はなく、抵抗を諦め扉の向こうにいるであろう吉野さんに開けてくれと呼びかけた。何度語りかけても扉の反対側から言葉が返ってくることはなく、意図は不明だが吉野さんに騙されて多目的室に閉じ込められてしまった。普段は大人しそうな吉野さんが一人で何の関わりもない男子生徒を呼び出し教室に閉じ込めるなどという犯行をするとは考えられず、誰かが吉野さんを利用した計画的な犯行だとそんな気がしてならなかった。
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