第15話 借りを返す一日(上)
「私も受験生じゃなかったらゆきちゃんに付き合ってあげるんだけどな。絶対に受験が終わったら遊びまくってやる」
勉強の息抜きにここ一週間の出来事を未智瑠に話終えると羨望のこもった声が返ってきた。聞く分には楽しそうに感じられたかもしれないが実際に付き合わされた身としては楽観的なことを口にできるのは今だけだと言いたい。楽しいか楽しくないかではなく未智瑠からしたら勉強もしないで遊んでいる俺たち二人が以上でひがみの対象なのかもしれなかった。
バレンタインデーからちょうど一週間が経った土曜日、俺は未智瑠への借りを返すため数年ぶりに未智瑠の家へとお邪魔していた。お昼頃に未智瑠の家を訪れるとすぐに勉強は始まり二時間ほどが経過して一度休憩を挟むことに。もともと未智瑠は成績が悪いとか苦手な教科があるというわけではないので、俺が何か特別なことを教えるようなことはなく、聞かれたことに答えるだけで本当にこれでいいのかと不安になっていた。一足先に受験した身として試験の傾向から出題されそうな範囲を予測して教えたりはしたが効果があるかどうかは本番になってみないと分からない。
「そういえば飲み物も何も用意してなかったね。ちょっと取ってくるよ」
俺のことなどお構い無しにと引き止めはしたものの未智瑠はいいからいいからと何故か少し楽しみが待っている子供のようにルンルンで出て行った。女子の部屋に一人取り残されてしまったが、未智瑠の部屋ということで落ち着かないとか目のやり場に困るとか居心地の悪さはなく平常心で待っていられた。これが雪野さんの部屋だったら大人しく待っていられたかどうか怪しい。
未智瑠の部屋を訪れたのは小学生の時が最後だったと記憶していて、以来三年ぶりとなるわけであり部屋の印象は記憶の中に残っているものとはだいぶかけ離れていた。それでも初めての部屋だと感じないのは所々に昔からある懐かしい家具が残されたままだからだろう。
俺の記憶の中に無いもので特に目を引いたのは棚に飾られていた数々のトロフィーや盾だった。飾られていたものは全て未智瑠が中学校三年間で獲得した輝かしい功績で、優勝や最優秀選手といった誇らしい称号が記載されている。他人に自慢したり見せびらかしたりする気はさらさら未智瑠にはないだろうが、自分が成し遂げた実績が形として残されているのは羨ましく思うと同時に六畳の小さな部屋に置かれていることがもったいなくも思った。
「女の子っぽい部屋じゃなくてがっかりした。ゆきちゃんの部屋の方が可愛かったかな」
扉の開く音が聞こえて引き寄せられるように目の前のトロフィーから視線を外すと未智瑠と目が合った。棚の上に並べられた一部だけを切り取って見れば確かに女の子っぽいとは言い難いが、それは一部の話であり場所を今まさに未智瑠が立っている扉前に移せば景色は一新して可愛らしい家具やおしゃれなアイテムに目が行き十二分に女の子らしい部屋と言えるだろう。それと勝手に俺がもう雪野さんの家に上がり込んでいるみたいに付け足されているが、そういった事実は一切ないのでやめてほしいと二つまとめて否定した。
「来年はもう女子高生だしトロフィーを部屋に置いておくのも可愛くないかなって思ってたから受験が終わったらリビングに移動させるつもりなんだ」
運び込んできたマグカップやお皿をテーブルに並べながら未智瑠はトロフィー移動計画を話してくれた。リビングに移動となると次もし来る機会があったとしても、再び拝めることはないのだと思い未智瑠の功績をしっかりと目に焼き付けてから床に腰を落とした。
テーブルの上には茶色い液体が注がれたマグカップが二つとチョコレートが並べられた大皿が一つセッテイングされていた。頭を酷使した後は糖分を欲するというのが人類の本能であり自然と手が伸びるもチョコを一つ掴む前に待ったがかかった。
「別に食べるのはいいんだけどさ、その前に一つだけ……ハッピーバレンタイン。先週は予定が詰まってて準備できなくて一週間遅れちゃった。本当は箱に詰めて飾り付けもしたかったんだけど固まるのに時間がかかっちゃって、ごめんね」
なんだなんだと固唾を呑んで停止しているとまさかの一週間遅れのチョコレートがサプライズでプレゼントされた。予想外の贈り物でありてっきり今年のバレンタインは三人でチョコ作りをした日、家庭科室でチョコを受け取ったときに終わったものだと思っていたので反応が遅れ咄嗟に言葉が出てこない。
「もっと喜んだりなんかあるんじゃない普通。先週ゆきちゃんに貰ったからそれで満足しちゃった。拓海も変わっちゃったね、小学生の時なんて……」
過去の恥ずかしいエピソードを今になって掘り返されるのだけは勘弁と俺は未智瑠の話を遮り言葉だけでなく体全体で喜という感情を表現した。今日がバレンタイン当日であればちょっとは意識して俺も未智瑠の家を訪れ期待しただろうが、まさか翌週にサプライズがあるとは誰も思わないだろう。
確かに大皿に並べられたチョコレートをよく観察してみると大きさが違ったり不格好な個体が存在し手作り感を際立たせている。未智瑠の手作り、それも俺のために作ってくれたものとなると急に食べることが惜しくなり躊躇いが生まれていた。次はいつ貰えるか、それどころか今回が最後かもしれないと思うとこのまま密封して冷凍庫で永久的に保存しておきたいくらいだ。
「うん、味は問題なさそうでよかった。ほら早く拓海も食べないと私が全部食べちゃうよ」
あろうことか未智瑠はなんの躊躇いもなくお手製のチョコレートを一粒掴み上げると流れるような動作で口に入れ味を確かめた。どれだけの葛藤がこの数分にも満たない時間の間に脳内で繰り広げられていたかと教えてやりたい。そもそもこのチョコレートは俺へのプレゼントではなかったのかと不服に思いつつも、永久保存できないうえに未智瑠に全て食べられるくらいなら今ここで噛み締めながら食べようと腹が決まり手を伸ばした。
チョコレートは四角や丸と定番の形だけでなく星型なども存在し眺めているだけでも楽しめたが、味はさらに上をいく美味しさで口にしたチョコレートは一瞬にして口の中から消滅した。未智瑠に比べたら大して頭を使っていたわけではないが手が止まる気配はなく大皿の上のチョコレートは一個、また一個と二人で食べているとは思えない速度で消えていく。食べ始める前の躊躇いはなんだったのかと伸ばした手が何も乗っていない大皿の底に触れたとき、我に返るように些細な悩みが思い出された。
「そんなに食べたいなら、まだ沙羅ちゃんの分とは別にちょっと残してあるから帰るときに一緒にあげるよ」
雪野さんと一緒に作っている時もそうだったが、妹の分までしっかり用意してくれているとは本当にありがたいが毎度毎度用意してもらっては申し訳ない気持ちも少しある。まだ幼稚園児の妹には分からないことかもしれないが、いつか兄の友人たちの親切心を知り感謝する日が来るのだろう。そして俺は後何回、妹からチョコレートがもらえるのだろうかと食後のコーヒーを啜りながら意味もなく想像した。
「そういえばさ、お母さんが晩ご飯食べて行くかって言ってたけど、別に夜に用事があったりしないよね」
空になったマグカップと大皿を乗せたトレイを片手に出て行こうとした未智瑠は半歩廊下に踏み出したところで立ち止まり、危ない危ないと晩ご飯のお誘いを口にした。本日の予定は未智瑠との約束で一日埋まっており、もちろん用事などありはしないが晩ご飯までいただくのはさすがに遠慮しようと思っていた。しかし予定はないけどと口にするとオッケーと勝手に了承して未智瑠は出て行ってしまう。夜ご飯をいただくにも関わらず未智瑠のお母さんにしてあげられることは何もないので、せめて娘である未智瑠の受験合格にささやかながら尽力しようと休憩が終わりこれから始まる後半の部に向けて一人意気込んだ。
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