第13話 チョコ作りを習得した転校生
二月十三日金曜日の放課後、俺と雪野さんと未智瑠の三人は家庭科室に集合しエプロンを身に纏っていた。今日がチョコ作りを教える約束の日であり、場所は雪野さんが確保してくれるという話だったのでついに雪野さんの家に招待してもらえるかと期待していたのだが当てが外れたらしい。
未智瑠が快く俺に変わって教える代役を引き受けてくれたので無事に今日を迎えることができたのは良かったが、新たな貸しを未智瑠に作ってしまい俺はまた一つ言うことを聞く羽目になった。未智瑠の条件は雪野さんに比べたら可愛いもんで俺が得意とする勉強を教えて欲しいともってこいの内容で気が楽ではあるが。
チョコ作りの代役を未智瑠にお願いするにあたってどう頼み込んだものかと昨日は悩んだが、転校生からの依頼ということにして頭を下げた。勝負に負けたことを素直に言っても良かったが、些細な情報を口火に根掘り葉掘り聞かれ夜遊びのことがバレてしまうことを俺は恐れた。未智瑠と雪野さんの接触だけは避けようのないことで、後に隠し事がバレるときが訪れるかもしれないがそのときはそのときの俺に任せる。
「そんなとこでサボってないで拓海も何か手伝え」
家庭科室の利用時間は限られており集合するや作業に取り掛かった二人を離れた場所で眺めていると、泡立て器を手動でかき回していた未智瑠から檄が飛んできた。今日は現場監督のように見ているだけでいいと思っていたのだがそういうわけにはいかないらしい。重い腰を上げるように立ち上がると二人が作業している調理実習台へと向かった。俺にできることがあるとすれば味見係くらいのものだが許されるだろうか。
「雪野さんが刻んだチョコを溶かすために湯煎するから拓海はそこの鍋でお湯を沸かしておいて」
二人に続いて調理実習台に立つとすぐに未智瑠からの指令が言い渡されたが、お湯を沸かすくらいであれば鍋に水を入れて火に掛けるだけで終了なのでお茶の子さいさいだ。
未智瑠の性格からして特に危惧していたわけではないが、水道で水を入れているとお互い初対面であろう雪野さんと未智瑠の明るいやり取りが聞こえてきて親心のような微笑ましい気持ちが芽生えていた。雪野さんに友達を作ってあげたかったとかそんな高尚で恩着せがましいにも程がある思惑が俺にあったわけではないが、今日という日をきっかけに今後も良好な関係を築いていって欲しいと柄にもなく願う。
「転校生が気になったから今日ここに来たっていうのもあったけどいい子だねゆきちゃん」
一通りの作業が未智瑠のおかげで滞りなく進み最終工程の焼き上がりを待つのみとなったため俺と未智瑠は後片付けとして洗い物をし雪野さんはオーブンの前で目を輝かせている。お湯を沸かして以降というもの、ほとんど俺は役に立たなかったため洗い物ぐらいは一人で引き受けるつもりだったのだが、未智瑠も手伝うと言って聞かず結局二人で流し台に立っていた。
「ゆきちゃんってもうそんな仲になったのか。さすがというか何というか、それはそうと今日はありがとうな頼みを聞いてくれて。おかげで雪野さんも満足してくれたみたいだ」
未智瑠の社交性については小学生の頃から目に見張るものがあり今更驚きはしない。将来は外交官あたりが適任なのではないだろうかという素質であり、将来国を跨いで活躍する未智瑠が本当にいるかもしれないと想像できてしまう。
未智瑠がいなければ俺は昨日徹夜でチョコ作りの手順を頭に叩き込み一睡もできないまま今日の放課後を迎えていただろうから本当に頭が上がらない。俺だけでは時間内に完成したら上出来で完成できないまま終了する可能性の方が高く、今俺の目に映るオーブンの中を食い入るように見つめる高揚した雪野さんの横顔はきっと拝めなかったことだろう。
「教えるだけのつもりが途中から一緒に楽しませてもらっちゃったからなんか複雑。ずっと勉強ばかりだったからいい気分転換になって逆にこっちがありがとうって感じ。ま、家に帰ったらまたすぐ勉強なんだけどね」
ほとんど俺の自己都合を押し付ける形になってしまっていたので本人が楽しかったと言ってくれるのであれば両者共に有意義な時間を共有できたとみていいのだろう。もしかしたら三人で何かをするというのは中学校生活ではこれが最初で最後になるかもしれないが、雪野さんにとってはこの学校で生まれた貴重な思い出に刻まれる時間ではなかっただろうか。まだ全てが終わったわけではないが今日という少しだけ特別な放課後の時間が三人にとっていい思い出になったそんな気がした。
「そういえばさ聞いたよ、一昨日花火したんだって。しかも夜中に二人で。今日のことも実は関係があるとか、そうなると手伝った私にも聞く権利はあるよね拓海くん」
雪野さんが自ら喋ったのか未智瑠が言葉巧みに聞き出したのかは判別つかないが情報収集が早く嗅覚が鋭い親友だった。外交官よりももしかしたらスパイの方が未智瑠には適職なのかもしれない。危うく洗っていた包丁が手から滑り落ちるところであり、二重の意味で冷や冷やしつつまずは包丁についている泡を全て洗い落とし安全な位置に置いた。
「花火はただの成り行きで若気の至りっていうか俺たちそういう年頃だろ。確かに今日は線香花火で負けてその罰ゲームみたいなもんだけど、本当にやましい関係とか未智瑠が想像しているような間柄じゃないから」
時折苦笑いを挟みつつ弁明してしまったことで余計に未智瑠の疑念を膨張させ逆効果になってしまったかもしれないが全ては後の祭り。だが本当に俺と雪野さんはただのクラスメイトであり、出会って間もない友達と呼んでいいのかも怪しい関係性なのだ。赤の他人にどう思われようが直接冷やかされたりしなければ気にしないが、相手が未智瑠となると母親以上に誤解をされたくない。
「ふーん、小学生からの付き合いである私ともそんなことしたことないのに出会って数日の転校生とねえ……。まあ今は信じてあげる、今日の貸しとして約束も取り付けてあるし」
榊原家と未智瑠家の付き合いで小学生の頃から夏にはよくバーベキューをして夜には花火を何回もした記憶があるがそれと今回の件は別なのだろう。中学に入ってからは未智瑠が部活で忙しく思い返してみるとバーベキューをしたのも中学一年の夏が最後だった。高校生になったら出来ることも行ける場所も今より幅広くなるだろうから保護者同伴でなくとも活動の幅が広がる。未智瑠とそして雪野さんと三人で来年の夏は満喫しようと未来予想図を俺は勝手に思い描いた。
「未智瑠、焼き上がったから完成でいいか見てくれないか」
待ち時間に未智瑠と話しながら洗い物を片付けていると、熱々の鉄板を手に持った雪野さんからお呼びがかかった。未智瑠は後はお願いと調理器具を拭いていた布巾を俺に手渡すと最終チェックに向かった。未智瑠が雪野さんのことをゆきちゃんと呼んでいたので未智瑠はなんて呼ばれるのか少し気になってはいたが当たり障りのないごく普通な呼び方で少し期待外れ感が否めない。俺が少年ならせめて未智瑠は少女であってくれと思うのだがこの差は一体何なのだろうか。ここに来て新たな事例が生じたことにより俺は雪野さんに遊ばれているだけだという説が再浮上した。そんな事実はあってはならないし知りたくなかったと俺は残されていた器具を心の涙を拭くように水滴一滴残らないように綺麗に拭き上げるのだった。
雪野さんのお願いはチョコ作りを教えて欲しいということだったので完成品は当然チョコレートだと思っていたのだが、雪野さんが包丁を手に切り分けていたのはホールケーキだった。黒茶色の生地の上に雪のように白い粉砂糖がかかったケーキは俺でも名前くらいは知っているガトーショコラだ。チョコ作りと言われて俺はそのままの意味でお店で売っているような四角や丸いチョコレートを作ろうと考えたが、チョコはチョコでも機転を利かせてガトーショコラとは俺にはない発想でありこれが女子力だと見せつけられた気分だった。
「一日早いがこれは私からの気持ちだ受け取ってくれ。そしてこれは未智瑠の分だ。今日は色々と教えてくれてありがとう、勉強の休憩にでも食べてくれ」
綺麗に切り分けられたガトーショコラは一個一個丁寧にラッピングされ完成の時を迎えると俺と未智瑠それぞれに手渡された。本命なのか友チョコなのかなど聞くだけ野暮であり空気が読める俺は素直にありがたく今年初となるバレンタインチョコを受け取った。一切れ一切れ丁寧に切り分けていた雪野さんだったが何故か半月型に切り分けられて以降手付かずだったガトーショコラがそのままラッピングされ不思議だったのだが、まさかそれが俺の分だったとは。とんだサプライズもあったもんだが二人を差し置いて俺が受け取るのは流石に気が引ける。
「本当に俺が半分ももらっていいのか。俺は何もしてないしこれは未智瑠か雪野さんが食べた方がいいんじゃないか」
「一人で食べていいとは言ってないぞ。妹の分も一緒に私は渡したのだ」
サイズが大きいのは雪野さんの俺に対する気持ちの大きさなどではなく、ただ単純に二人分だからという理由だった。二人分にしても半分は多い気もするが妹の分まで用意してくれたのであれば気兼ねなく受け取れる。雪野さんに妹の存在を明かしたことはないので未智瑠の
妹の分までもらってしまってはお返しは少し気合を入れなければならないなと今後に控えるホワイトデーに向けて俺は思考を巡らせなければいけないらしい。一応雪野さんからのチョコという体面だがほとんど未智瑠との合作のようなもので、二人にいや妹も含めた三人に返さなくてはならないとなるとモテモテも辛いもんだ。
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