第10話 心奪われた夏

「少し話は戻るが受験が終わってていいなって言うけど未智瑠だって推薦を断らなければ今ほど勉強なんてしなくてもよかったんじゃないのか」


「それはその通りなんだけどさ、気持ちが切れちゃったというか全部出し切ったと言うか今年の夏で燃え尽きちゃったから。ありがたいことにいろんな学校から誘いはあったんだけど、高校でもバスケを続けたいって気力が湧いてこなくて全部断っちゃった。熱量が冷めた私がコートにいても邪魔なだけだし期待に応えることもできない。

あの時の選択に後悔はないし今は遅れを取り戻すように時間を全て受験勉強に費やしているよ。だけど私も一人の人間だもん羨ましくもなるよ」


 もったいないとかなんでという言葉は友人やチームメイト、顧問から散々言われうんざりしているだろうから今更野暮なことを言ったりはしないが、本音をいえば俺も多数派であろう意見に賛同だ。バスケットボール部における未智瑠の功績は目に余るものがあり、中学最後の大会では県二位という成績を修めている。一年生の夏からレギュラー入りして以降は三年間チームのエースとして活躍し無名だった我が学校の名を県中に知らしめた立役者だ。だからこそ引く手数多な強豪校に進学しバスケットボールを続けるものだと思っていたが、未智瑠の言葉を汲み取ると強豪校に行かないだけでなくバスケットボールすらもやめてしまいそうな雰囲気である。


「未智瑠の引退はバスケットボール界において多大な損失なんじゃねえの。俺はてっきりどこに行ってもバスケットボールだけは続けると思ってたし、なんなら同じ高校志望って聞いてまたお前の試合が現地で見れるとなって喜んだりもしてたんだぜ」


「そんなの初耳なんですけど。今更そんなこと言われても推薦を放棄した事実は無くならないしどうしようもないよ。そういうことはあの日、夏の総体が終わった後にすぐ伝えて欲しかったな。そしたら……。ほんと拓海はタイミングが悪いよね、大会が終わった後になんて私に声かけてくれたか覚えてる。お疲れ様の素っ気無い一言だけだよ、なんで今の言葉があのとき出てこないかな」


「素っ気無いって言われても仕方がないだろ。コート上で涙するあんな姿見ちまったら俺なんかがなんて声をかけたらいいかわからなくなったんだ」


 そしたらと何か遠い昔を思い出すかのように一瞬沈黙した未智瑠だったがその後は俺を責め立てるような文言が早口で飛んできた。なんでと言われても決勝戦に相応しい壮絶な試合を見せられた後にコート状に崩れ落ちた未智瑠に対してかけられる言葉など持ち合わせておらず、お疲れ様とただその言葉しか出てこなかった。今でも昨日のことのように思い返せる中学最後の県大会決勝。あの日は今日のような寒さとは無縁の外では太陽が照りつける快晴の日だった。


 中学三年生にとって夏の総合体育大会とは三年間積み重ねてきた全てを賭して戦う負けたら終わりの舞台だ。ライバル校に競り勝ち県のナンバーワンそして全国大会の切符を懸けて行われた一戦は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

 決勝戦は晴れ舞台に相応しい雲ひとつない晴天に見舞われ、体育館の開け放たれた窓からは涼やかな風が吹き抜けカーテンを揺らしていた。女子バスケットボール県大会決勝の舞台まで幼馴染は勝ち上がり俺は現地で応援するため試合会場となる学校の数倍は広い体育館に駆けつけ一戦を見届けた。

 試合展開は序盤から未智瑠のチームにとって厳しい時間が続き苦戦を強いられる立ち上がりだった。相手は県大会二連覇中の超強豪校でありエースの未智瑠は徹底的に対策され完全に封じ込められてしまいなかなか得点を重ねられず第一クオーター、第二クオーターが終わり前半が終了。

 これは後に知ったことだがバスケットボールの守り方としてマンツーマンディフェンス、いわゆる一対一の守り方が中学校では主流らしいが今回の相手はゾーンデイフェンを採用しており苦しめられたと後日未智瑠は語ってくれた。それでも後半第三クオーターからは未智瑠たちも対策を講じ徐々に得点機会も増えていき試合はより一層白熱模様を要する展開となって進行。そして最終第四クオーター開始数分、未智瑠のスリーポイントシュートが決まり一時は最大二十点もあった点差が無くなり同点となると会場からはこの日一番と言っていい大歓声が上がった。

 その後は両者一歩も引かぬ一進一退の攻防を見せ、点を取られたら取り返し止められたら守りきると呼吸も忘れてしまいそうになるほどの息つまる時間が続いた。途中からずっとこの試合が終わることなく見ていたいと夢見るほどに魅せられた試合だったが残り時間は一分を切り三十秒を切り得点は五十四対五十二とシュート一本差で未智瑠たちのチームが崖っぷちに立たされていた。次のプレーがもしかしたら中学最後になるかもしれない時間帯であり劇的な感動劇に期待を膨らませ握っている拳には力が自然と篭る。

 最後のタイムアウトが終わると十人の選手がコートに立ち全国をかけた最後の攻防が審判の笛の合図と共に始まり止まっていた時間が動き出す。残り時間は二十四秒しかないというのにコート上の選手からは焦りなど微塵も感じられず互いが互いを探り合う睨み合いの時間が続く。長かった試合も残りわずか十二秒ここでついにずっとボールを持っていた選手がゴールにアタックを仕掛け試合が動き出した。最初から最後までゾーンディフェンスを貫いてきた相手チームは素早い反応を見せボールを持つ選手には迅速に二人の選手がつき行手を阻んだ。

 しかし待っていましたとばかりに次の選手へとパスが出されボールが次の選手へ移りもう一度仕掛けるも、また素早く別の相手選手がディフェンスにつく。残り時間は残り五秒。ゴールを中心に右側のサイドで攻撃を仕掛けたことにより相手のディフェンス陣形は四人が右サイドに偏り左サイドでは味方が二人で敵が一人という二対一の布陣が出来上がっていた。そして左サイドのスリーポイントラインで仲間を信じボールを待つ一人の人物を俺の目は捉えた。

 全ては彼女に、絶対的エースである未智瑠にボールを繋ぐために組み立てられた一連の流れだったと気がついた瞬間、後ろの観客のことも忘れ立ち上がっていた。最後のシュートはエースに託すと右から左へ一直線の鋭いパスが送られチームの思いを受け取った未智瑠は深く沈んだ。そして全ての力を余すことのなくボールに乗せボールが手から離れた直後、試合終了のブザーが会場に鳴り響いた。未智瑠が放ったシュートをブロックできる選手はおらず綺麗な放物線を描きながらゴールへと飛んでいくバスケットボール。点差は二点、決まれば逆転優勝のスリーポイントシュート。会場にいる全ての人の視線が綺麗な弧を描くバスケットボールに釘付けとなり入れ入れと祈る者、外れろ外れろと願う者に別れる。

 二つの願いが交錯しまるで時が止まってしまったかのような永遠にも思われた時間はリングにバスケットボールがぶつかる鈍い音により進み出す。チームメイトから託され未智瑠が放った最後のシュートがゴールネットを揺らすことはなかった。リングにぶつかったボールは一度空中に跳ね上がりそのまま床に落下しダンダンと虚しい音を静寂に包まれたコートに響かせる。この瞬間勝敗が決まり相手陣地の応援席からは破れんばかりの歓声が轟き、コート上では見事三連覇を果たした相手チームの選手たちが歓喜の輪を作っていた。だというのに相手チームの選手たちがどんな表情で喜んでいたのかは記憶にすら残っていない。スリーポイントラインの上で膝から崩れ落ちうずくまる未智瑠の姿を目にした瞬間、胸が張り裂けそうなほどの苦痛に苛まれた。見ていただけだというのにこんなにも切なく苦しいと言うのに俺には三年間を賭けて戦った未智瑠の気持ちを推し量れず駆けつけることも声を届けることもできないまま立ち尽くす。それでも何かしてあげたい、ただその想いに突き動かされるように素晴らしい試合を繰り広げた両者を讃えるべく唯一動かすことが出来た手で称賛を込めた拍手を鳴り響かせた。


 あの夏からもう半年が経とうというのだから振り返ってみて驚きだ。今でも夏の試合は昨日のことのように鮮明に思い出せるというのに。壮絶なそして感動的な試合を目の当たりにしたからこそ言葉が見当たらず素っ気なくなってしまったことに関しては許しいて欲しいところだ。


「それじゃあ私はこっちだからここまでだね。私にバスケを続けて欲しいなら受験が終わったらトレーニングに付き合いなさい。そうじゃないと髪も爪も伸ばして高校ではギャルになってるかもしれないからね、それじゃあバイバイ」

 

 まるで演劇を見ていたかのような夏の一戦、一時間にも満たない時間を思い出し熱に当てられたように興奮気味に語っていると楽しい時間はあっという間で分かれ道まで来てしまっていたらしい。つい我を忘れて語ってしまったと反省しつつ俺は未智瑠に手を振り返し一人自分の家へと歩み出した。

 ギャルの未智瑠など想像も出来ず一度見てみたいという好奇心に駆られ不覚にも想像してしまったが、やっぱり俺は高校でもバスケットボール選手の未智瑠を見たいと胸を張って断言できる。運動など体育の授業でしかしておらず、未智瑠のトレーニングとなると授業のような生優しいものではないだろう。欲しいものはたくさんあったが今年のお年玉はトレーニングウェアとシューズになりそうだ。







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