第9話 ときにはいない転校生

 転校生との関わりがなければお隣さんの誤解を招くこともその結果嘘をつかなければいけない立場に置かれることもなかった。運命とは実に面白くときに理不尽であるからこそ未知数で計り知れないものがありその結果ではあるが俺は図書室の居心地の良さを身に染みて感じていた。

 雪野さんがいなければ図書室を一度も利用しないまま卒業していただろうから、今後利用する機会があるかどうかはわからないが今日だけでも図書室で過ごす放課後の時間を味わえたことはよかった。らしくもないことを思うのは時間も忘れ四人がけの席に一人占領して座り寒さに震えることもなく本を読み、気がつけば窓の外に見える空は真っ黒に染まり完全下校五分前のチャイムが鳴るまで一人の世界に耽っていたからだろう。

 途中で他の生徒が図書室を利用していたかなど記憶にないがチャイムで現実に戻ってきたときには入室した時と同じ受付に図書委員が一人と俺だけという状況だった。もしかしたら俺がいなければ図書委員の後輩はもっと早くに帰れていたかもしれないと思うと少し申し訳なくなり、急いで読んでいた本を元の場所に返すと来た時と同様に受付前で一礼してから図書室を出て帰宅する。

 完全下校時刻ということもあり普段の倍速で廊下を歩き靴を履き替え外に出たので考えが及ばなかったが下駄箱で雪野さんが待っているということはなかった。彼女の性格を考えると本人が口にした待っているという言葉通り本当に待たれている可能性も完全に否定できず今更ではあるが校門前にたどり着くと一度足を止め、ゆっくりと石の裏手側を覗いてみる。

 当たり前だ確認するまでもないと言われたらその通りなのだが校門の石の裏に雪野さんの姿はなかった。上体だけを傾けた姿勢で頭部を出して覗き込んだため体を支えるべく石に両手を当てたせいで手は氷に触っていたかのように一瞬にして冷え自分はなにをしているんだと後悔の念に駆られる。

 良くも悪くも人はそう簡単に心身ともに変わることはできなと実体験して大きくため息を白い息と共に吐き出した瞬間だった、自分の勘は間違っていなかったと実感させられたのは。


「ちょっとそこの怪しい少年くん、なにをしているのか教えてもらおうか」


 少年呼びをするのは雪野さん一人のはずなのだが、現場を目撃したような警官口調の声音は転校生のものとは似ても似つかなかった。だがその声は初めて聞くものでもなく聴き馴染みのある小学校から今日まで九年間の付き合いになる未智瑠のものであると一発で正解へと辿り着く。


「ただの気の迷いだから見なかったことにしてくれ。あと、少年呼びには訳あって敏感になっているからいつも通りに名前を呼んでくれ」


 雪野さんが実は隠れていてドッキリを仕掛けてきたのではなくてよかったと安堵しつつ、見られたくないところを見られたくない人物に目撃されてしまった。慌ただしく動揺したりせずに平然を装い何事もなかったかのように弁明を口にするとまた一つ大きく白い息が溢れた。


「気の迷いなんて日々受験勉強に追われる私たちが起こすもので、なんで自由な拓海がおかしくなってんだか。まあそんなことどうでもいいや、帰るのが一緒になるなんて滅多にないんだし途中まで歩きながら話そ。」


 受験勉強が終わったにも関わらず頭がおかしくなったと思っているようだが、俺は現在受験勉強よりも難題の謎の転校生に振り回されているんだと現状を教えてやりたい。だが俺の口が動くよりも早く未智瑠は寒いから先行くよと、こちらの気も知らないで平然と歩き出し置き去りにされた。雪野さんもそうだったが人の話など聞いてもくれず勝手に行ってしまう女子が身の回りには多いのかもしれないと思い当たる節があるのは偶然か。

 成り行きではあるが未智瑠と二人で下校することになり、雪野さんと二人という状況こそ免れたが結局今日も女子と一緒に帰路を歩いている。安心材料があるとすれば相手が未智瑠であり、僕たちは小学校の頃からよく一緒に帰っていたので彼女などと噂されることがないことだ。冬の日没の早さのせいで暗すぎて判別がつかず女子とだけ認識してお隣さんの思い込みにさらに確信を持たせてしまうリスクはあるがそこまでは手の施しようがなく考えるだけ無駄。一緒に帰らないなどと論外な結論はすぐに捨て去ると、誤解を増長させるなどと頭を悩ますよりも久々の未智瑠との帰り道を有意義なものにしようと頭を切り替えた。

 小学校を卒業し同じ中学校に進学した俺たちだが未智瑠は中学校入学と共にバスケットボール部に所属し放課後は部活動に精を出すようになったため一緒に帰る時間は自然と失われていった。三年間でクラスが同じになることは一度もなく接点は小学生の頃に比べたら明らかに少なくなったが、腐れ縁というべきか未智瑠の人柄の賜物か移動教室や合同授業、学校行事のときは未智瑠に方からよく話しかけてくれる。また年に一回は家族ぐるみの付き合いがあることも要因としては大きいのかもしれない。おかげさまでと表現するのが正しくこんな俺にも幼馴染に近い存在がいてくれることは感謝してもしきれない幸運だ。


「こうやって二人で帰るのはいつぶりだろうね。すごく懐かしい気がする」


 未智瑠という存在にありがたやありがたやと言葉にするのは恥ずかしいので胸の中で手を合わせていると、未智瑠も似たようなことを感じ取っていたらしい。いつぶりだろうと記憶を遡り思い返してみると中学一年一学期の中間テストの時に一緒に帰ったのが最後のような気がする。


「長い付き合いでもさすがに気持ち悪いかも」


自分の記憶力を恐ろしく思いつつ答えると未智瑠は何故か引き気味の反応を示していた。転校生に気持ち悪いなどと言われたら己の言動を見つめ直し一週間は寝込んだかもしれないが気心知れた未智瑠の言葉であればノーダメージに等しい。


「拓海はいいよね受験が終わって浮かれてるみたいで。風の噂で聞いたよ転校してきた女の子にチヤホヤされてるって」


「ば、ばか、未智瑠までおかしなこと言うなよ。本気で信じてるわけじゃないよな」


「ちょっとからかってみただけ。拓海のお母さんみたいに彼女ができたなんて信じてないから」


 面白おかしそうに笑いながら安心してと口にする未智瑠だが、こちらとしては見過ごすことの出来ない情報をさらっと口にされたことにより心臓の鼓動が激しく鳴り止まない。未智瑠は間違いなく拓海のお母さんみたいにと言った。俺が母から彼女が出来たなどと聞かれたのは今朝であり未智瑠がすでにその情報を知っているということは昨日のうちには知っていたということだ。そうなるとお隣さんの口から母に情報が伝わりさらにそこから母の情報網を伝って様々な人へと伝達されている可能性が浮かび上がる。母親が息子に彼女が出来たことが嬉しくて言いふらしているなどとは根本から全力で否定したいが悲しいかな目の前には言い伝えられた張本人がいるのだ。


「また母親の悪い癖が出たと思って彼女が出来たとかいう与太話は忘れてくれ」


「思い出した、小学生の時も拓海の家に私以外の女の子が遊びに来てそんなことがあったよね。懐かしい」


 俺は苦笑いを浮かべることしかできず、未智瑠はほっこりするような朗らかな笑みを浮かべ正反対の表情をした二人が夜道を仲睦まじく歩く光景が出来上がっていた。


 





 

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