第8話 誤解を招く転校生
三年五組に一人の転校生が加わり一週間が経過したがやはりといって然るべきか雪野芽述湖に新たな友達と呼べる人物は現れていない。クラスメイトと雪野さんの関係に限ればの話で俺と彼女の関係はというとお昼を一緒に食べる昼食仲間、または毎日一緒に下校する帰宅仲間とでも呼べばいいのだろうか。一週間が経過した今でも関係性に大きな変化こそないが雪野さんと一緒にいる時間が多々ある日々。
もう八日目になる今日も今日とてお昼を一緒に食べ放課後を迎えた。いつも通りであれば速やかに筆箱や教科書を鞄に乱雑に詰め込み直帰するところだが本日は訳あって、居残り勉強するクラスメイトと同じく椅子に腰を据えたままである。
「どうした放課後だぞ。帰らないのか」
勉強するわけでもなくなにもせずただ座っているとどうしたと疑問が投げかけられる。やはり逃してはくれないかと少し項垂れてから通路側に立つ人物の方へと顔を上げると不思議そうに座ったままの俺を見る瞳が二つこちらを見つめていた。一週間継続されたことはほとんど当たり前の日常に組み込まれたといって差し支えなく、雪野さんは今日も一緒に帰るつもりだったのだろうが俺がなかなか立ち上がらないことに違和感を覚え自ら声をかけてきたのだろう。
「放課後なのはわかってるけど、今日は用事があって一緒に帰れなさそうなんだ」
「そうか。ではその用事とやらが終わるまで待っていよう」
そうか、わかったと納得して早々に帰宅して欲しかったところだが思うように簡単には引き下がってくれない転校生だった。こうなると色々と理由をつけてなんとか納得してもらうしかなく、待たせるのが心苦しいとかどれくらい時間がかかるか分からないからとかそれらしい言い分で説き伏せにかかる。
「何か裏がありそうだが今日のところは一人で帰るとしよう。また明日だ少年」
色々と御託を並べた甲斐あってか納得してくれたまではよかったのだが雪野さんは去り際にとんでもない置き土産を残していった。他人がいるところでの少年呼びは現在進行形で禁止のはずだが、法の抜け穴を見つけ細い糸を通すように仕掛けられたそれは俺にしか聞こえない耳元で少年と囁くという不意をつく一太刀。なにも出来ず目だけで雪野さんの姿を追い教室から出ていくところを見届けたがしばらくの間、体は固まってしまって動かなかった。
耳元で囁かれたとなれば二人の距離感は相当に近いものであり見方によっては教室内で口づけをしていると受け取られても仕方がない。自意識過剰かもしれないがクラスメイト全員がこちらを見ているような気がして俯いたままでいると雪野さんとのキスシーンを脳内で想像してしまい耳だけでなく顔も熱くなってきた。こんなことになるはずではなかったと胸中で嘆きつつ、天罰が降ったのだと逃げ出すように机の横に掛けられた鞄を掴み取り俯いたまま床の木目だけを見て教室から逃げ出す。
上着も羽織らず廊下に出ると一気に気温が下がり寒さが身を襲ったが茹で上がった頭を冷ますには程よい寒さであり、用事があると嘘をついたからには真っ直ぐ下駄箱へ向かうこともできずしばらくあてもなく頭を冷やしながら廊下を彷徨った。一緒に雪野さんと帰らず無駄に校内をフラフラと歩くことになってしまったのにははっきりとした理由があり、全ては今朝の母の一言から始まったのだ。
「あんた彼女が出来たんだって。なんで母さんに教えてくれないのよ」
いつものように妹に起こされ朝食を食べていた時だった、室内で洗濯物を干していた母が手を止めこちらを振り返ったかと思うとなんの前触れもなく爆弾が投下された。口にしていた食パンを全て吐き出しそうになるのを即座に手で防ぎ慌てて咀嚼して一気に飲み込むと立ち上がって聞かなければいけばいことがあると母に詰め寄る。
「人がご飯を食べているときにいきなりなにを言い出すんだ。朝から変な冗談はやめてくれ母さん」
「冗談じゃないわよ。昨日聞いたんだから、あんたがここ最近は女の子と二人っきりで帰ってきてるって」
誰から聞いたかは聞き返さなくてもおおよその見当はついていた。こういうときは大概の場合お隣さんである安原さんの口が災いのもとであることが多い。確かに思い返してみれば雪野さんと二人で下校するとき変装したり裏道を使った試しはなくいつもの通学路を堂々と歩いていた。目撃情報があることは仕方がないことだがまさか恋人だと誤認されたうえに、一番知られたくなかった母に情報が渡ってしまうとは。
口では違うと否定するが心中では恋人に見えるんだと嬉しく思う自分がいて完全に意識してしまう原因になってしまった。その結果一緒に帰りづらくなってしまい嘘をついてでも雪野さんには一人で帰ってもらう必要があったのだ。
出会ってまだ一週間しか経っていない関係で恋人なんてあり得ないと理性で何度も自分を言いくるめながら放課後の廊下を歩く。全てお隣さんのせいだと恨みつつ外でこそないが廊下でも徐々に体が冷えてきてどこか暖まれる場所を探し求めた結果たどり着いたのは図書室だった。
振り返ってみると中学校生活三年間で一度も図書室を利用したことがなく、何か調べ物をするときはいつも学校のすぐ近くにある図書館を利用していた。受験勉強をするのにも何度か利用させてもらったが自分の学校の図書室で勉強をするなどとは考えもしなかった。
存在すら忘れていた自分とは違い学校の図書室を受験勉強場所にしている生徒がいたら嫌だなどうしようかなどと思いつつも恐る恐る扉を引いた。扉を開けると暖かな風が頬を撫で初めて図書室へと足を踏み入れると室内に広がっていた景色は無人の空間だった。無数の本が置かれた本棚の他に四人がけの机と椅子が三つほど設置されていたが利用者はゼロ。鍵はかかっていなかったので入って問題ないだろうと思いつつ受付の辺りまで入室したところで一人の女子生徒の存在に気がついた。彼女は貸し出し受付の場所に座り本を読んでおり、名札の色は青だったので後輩らしいと推察する。
流石に一般生徒が入れないであろう受付内に座っていることから図書委員の生徒だろうと軽く会釈をしてから受付前を通り過ぎ本棚へと向かう。室内は暖房が効いており他の生徒もいないという好条件の場所であり一冊の本を手に図書室で放課後の時間をつぶさせてもらうことに決めた。
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