第7話 気に入っている転校生
転校生である雪野芽述湖を加えた三年五組の二日目は一日目同様に何もなく終わりを迎えた。雪野さんとクラスメイトが会話しているところをまだ一度も見ていないというのはいくら受験期であっても少し異常事態に感じる。彼女の一挙手一投足全てを見ているわけではないので移動教室の合間や休み時間など知らないところで繋がりがあったらわからないので異常だという知見は教室内に限ればの話だ。
誰にも相手にされない不憫な転校生はというと放課後を知らせるチャイムが鳴ると教室に居残ることなく真っ先に帰宅したのだった。これまでは居残り勉強するクラスメイトをよそにほとんどの日、一番手で教室を出ていたのでわずかばかりの罪悪感を抱いていたのは確かだ。だが雪野さんが真っ先に教室を後にしてくれたおかげで少しだけ背筋を伸ばして歩けている今日はそんな気がした。
教室を出て真っ直ぐ下駄箱へ向かういつもの道程、もしかしたらまた靴箱にもたれかかる転校生がいるかもしれないと想起し身構えたが昇降口に雪野さんの姿はなく、開け放たれた出入口から吹き抜ける冷たい風が代わりに出迎えてくれた。
靴を履き替え外に出ると物理的に頭が冷やされ転校生のことを考えてしまっている自分に気が付かされる。思い返せば中学三年間で交友関係はほとんど広がることなく一人の時間が多かったと思わぬ形で目を背けていた事実に向き合わされた。学校生活の思い出など一ページで事足りる俺が力を入れて頑張ったことがあるとすれば勉強くらいで他者から見ればつまらないものだと鼻で笑われるかもしれない。
勉強も一段落して暇を持て余している中学三年三学期の後半も後半に勉強しかしてこなかった俺に話しかけてくれる時期外れの謎めいた転校生が現れた。認めたくはないが自分は転校生に気に入られたと思い込み自惚れてしまっているらしい。これまで女子から相手にされてこなかった男子生徒が夢を見てしまうようなもので傍から見れば馬鹿らしく思っていたものもいざ自分自身が体験してみるともう馬鹿にできない。これまで馬鹿にしてきた彼ら彼女らの気持ちが理解できてしまいまた一つ賢くなってしまったから。
この経験を糧に恥ずかしい自分は水に流し以前までの転校生が現れる前の自分に戻ろうと頬を両手で叩いた。戒めとして気を引き締めるように軽く叩いたつもりだったが寒さのせいか頬が痛い。自業自得ではあるが今はこの痛みも悪くないと歩み出すと校門を通過し学校の敷地外に出た。
「待っていたぞ少年。今日も一緒に帰らないか」
耳へと少年という単語が入ってきた瞬間慌ててその場で一周回転し声が聞こえた範囲内に人がいないか確認したがすまし顔をした転校生以外は誰も見受けられなかった。いつ来るかもわからない人物を極寒の中待っているとはたいした根性であり、それほどに一緒に帰りたかったのかと数秒前の自分だったら勘違いしてしまっていたかもしれない。危ない危ない気を引き締め直しておいてよかったと内心ホッとしながら咳払いを一つ俺は口を開いた。
「こんな寒い外で待つくらいなら教室で声をかけてくれたらよかったのに」
「今朝のこともあって少年が嫌がると思ってな、ここで待たせてもらった。人がいるところではアプローチが難しくてな、私にとっては外で待つ方が効率がいい。それに少年のことだ教室に残ることはなくすぐに出てくるとふんでいたしな」
寒さと配慮の二択で前者を選んでくれたことは心遣いに痛み入るが気温が常時一桁のこの時期、さらには日没間近の時間帯であるからに風邪をひく可能性も高まっている。効率云々の話はよくわからないが彼女の目測は決して誤ってはいないことは確かだが個人的な意見を言わせて貰えば今日限りにしてもらいたい。せめて前回と同じ昇降口であればなどと逡巡している間にも体は瞬く間に冷えていき結局なにも口にすることなく同意し、立ち話もこの辺にして昨日と同じく二人で下校することにした。
「雪野さんは人の名前を呼んではいけない呪いにでもかかっているのか」
一日を通してずっと気になっていたことであり雪野さんから少年以外の呼び方で一度も呼ばれていないのは彼女が一種の呪いにかかっているように思えてならなかった。少年呼びの禁止は守ってくれてはいるがだからといって他の呼び方をされたかというとそうではなく、少年呼びは言葉ではなく行動として肩を叩くという動作に置き換わった。少年と呼べなくなったら榊原くんとでも呼んでくれたらいいものの雪野さんがそうしないのはなぜか。ことの真相が気になり少し歩いて多少気休め程度ではあるが寒さが和らいだタイミングで呪いと大げさに冗談めかして切り出してみた。
「そんな奇妙な呪いなど聞いたことがないが面白いことを口にするな少年。なぜそう思う」
なぜと問い返されると是非とも今日一日の言動を思い返してほしい。今朝少年呼びを例外を除き禁止してから一度も名前を呼ばれていないのだ。関わる機会はあっても名前は口にされず肩を叩かれただけ。普通なら肩を叩くなどといったまどろこしいことをせず名前を呼ぶのが一般的だろう。一般的というのであればそもそも少年という呼び方が一般的ではないので彼女には一般的という言葉自体が当てはまらないのかもしれない。
「なぜそう呼ぶようになったかなどの理由は明言しないが、簡単に言えば少年呼びを気に入っている。この一言に尽きる」
あくまでも呪いや契約で名前を口にできないのではなく、少年と呼ぶことを気にいっているから他の別称を使わないというのが彼女の持論らしい。さすがに禁じられてしまっては普通に名前を呼んでくれてもいいのではと思うがそこは雪野さんのプライドか何かが許さないのだろうか。現状のような二人の時の少年呼びは許してしまったが、いかなる場所でも少年と呼ぶことを禁止したら彼女はどうやって今後接してくるのか気になるところだ。
「少年は一つ禁を破った。この代償はでかいぞと言いたいが今朝のこともある。今日のところはお互い様ということにしよう。だが次はないことをくれぐれも忘れないようにな少年」
日常の好奇心からなる些細なことだと思っていたものも、昨日言われた詮索してはいけないという禁に触れてしまうらしい。今朝の貸しがあってよかったと思いつつもこれではなにも聞けないではないかと視線で訴えかけてみる。だがぶつかった視線はすぐに外され雪野さんは雪の上を器用に跳ねるようにしてスキップしながら一人数歩先へと進んだ。
雪野芽述湖が転校してきて二日目、彼女の全貌を明らかにすることは前途多難であることを知る。そして経緯はよく分からないが少年呼びをお気に召していることを知った一日だった。
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