第2話 待ち伏せ転校生
転校生が一人加入した初日は放課後になるまで外の雪が止むことはなく、また教室内では雪野さんに声をかける者が一人として現れなかった一日だった。
心の中では同情しかわいそうにと思ってしまったが異性である俺に声をかけられたところで逆に困惑させてしまうか気を使わせてしまうことが目に見えており己が役目ではないと自重した。何事も適材適所というもので転校生の窓口、クラスメイトとの橋渡しといった役目はクラスの委員長とか人見知りせず人付き合いの上手い生徒に任せるに限る。
教室の窓際最後尾の一個手前が自分の席ではあったが昨日までは俺が最後尾だった。だがずっと背後に存在していた空白で無人だった席は今日から転校生である雪野さんの席になっている。荷物をまとめ帰宅するべく立ち上がり後ろを振り返るとすでに新たな主人の姿は消え、これまでと変わらぬ空席だった。
放課後の教室に居残り声をかけてもらうのを待つなどやるだけ無駄という判断か。それとも自己紹介から受けた印象通り無理に友達を作るつもりも仲良くするつもりもないということか。
勝手な憶測を立てるならば現状が中学生ではなく小学生であれば今から関係を築き上げていったとしても未来での関係性の継続に期待を持てたかもしれない。しかし来年高校生になる3年5組の生徒の進路は木の幹から伸びる枝のように無数に分かれ数ヶ月で築いた交友関係など無に帰す可能性の方が高い。であるならば残りの数ヶ月くらいは一人で過ごして今から人間関係を気づいていく時間や心労を排除するという選択を下すことは理に叶った判断のように思えた。
現に放課後の教室内には多くの生徒が残っていたが誰一人として転校生の話をする生徒がいないどころか雑談に興じる生徒すら存在しない、今朝見た教室内の光景と同じ受験生の姿がそこにはあった。これではいくら転校生が友達作りに積極的であったとしてもたどり着く結末はどのような選択をしたとしても似たようなものになっていたのかもしれないと思わされる。
誰も彼もが意図して転校生を避けているわけではないことくらいは重々承知している。自分のことで精一杯で他人をかまう余裕がないだけであり、だからこそ誰かを責めたりもできないのだ。
血眼になって勉強するクラスメイトから不運な転校生の席に今一度視線を向けるとせめてもの安寧を願いそそくさと教室を後にした。五組の教室は校舎の一番端に位置しており廊下を歩きながら四組と三組の教室内の様子を伺えたがどこも似たり寄ったりで教室を出ても高校受験がすぐそこに迫っていることが伝わってきて仕方がない。一ヶ月前よりも今日、二ヶ月前よりも一ヶ月前というように月日が進むにつれて教室内の人数も増えていったのをよく覚えている。彼ら彼女らの一日中机に向き合う姿を見ていると勉学に本腰を入れ出した昨年冬からの勉強漬けの日々が思い起こされ目を背けると逃げるように急ぎ足で下駄箱へと向かった。
三年生の教室が割り当てられた校舎から離れると何かから解放されたような感覚があり体が軽くなった気がした。共用の廊下を歩いていると途中でこれから部活動だと体育館へ向かう生徒とすれ違ったが、下級生二人は和気藹々と談笑しながら廊下を歩いていた。校内ではありふれた光景なはずなのに二人の姿は実に微笑ましく喉に刺さっていた小骨が取れたかのように胸につっかえていたものが消える。
学校とはこういう場所だったと思い出させてくれた下級生に感謝しながら歩いていると昇降口に設置された下駄箱が見えてきた。普段であれば三学年分の靴が収納された下駄箱が存在感を示すのだが、今の俺の目には下駄箱は背景の一部へと成り下がっている。木箱に背を預ける転校生雪野さんの姿に目は釘付けになり惹かれいつの間にか足は止まっていた。
思い起こされた勉強漬けの辛い日々も二人組への感謝も全て何処かへ飛んでいき転校生は何をしているのだろうという好奇心が溢れ出し全てを塗りつぶしてしまった。
実は他クラスには知り合いがいて待ち合わせかなと予想し、そうであるならば残り少ない学校生活でこそあったが一人で過ごす必要がなく問題なさそうだとなぜか他人事なのに安堵し立ち止まっていた足を再び動かした。
「少年よ、右も左も分からない転校生に校内を案内してはくれないかな」
軽く会釈だけをして雪野さんの前を通り過ぎたその直後、背後から初めて使用された呼称で声がかかる。足を止めるとわざとらしく周囲を確認してみるが生徒は他に誰もおらず呼び止められたのは自分で間違いないとゆっくり振り返ってみた。
「えっと、少年っていうのは俺のことかな雪野さん」
少年と呼ばれる年齢は過ぎ去っており拭うことのできない違和感があり戸惑いながらの発言になってしまった。もしも俺のことを少年と口にしたのが年上の先輩であるならばまだ受け入れやすかったが現在目の前にいる人物は同い年で、さらに付け加えるなら初対面の転校生だ。残り二ヶ月弱しかない期間で自分の存在を印象付けるための雪野さんなりに考えたキャラ付ということも考えられたが、それはそれでやりすぎであり逆効果となって近付き難い印象を受けた。
「名前を覚えてくれていたとは光栄だな」
少年呼びについてはさも当然かのように触れられず、雪野さんは自分の名前が覚えられていたことを喜んでいた。教室内では一貫して無表情だった彼女がこの時初めて感情をあらわにしてくれたのだが、数秒でしかないにも関わらず口角を上げて微笑む様は無表情、鉄仮面といった印象を一瞬にして払拭してしまう。
簡単に魅了されてしまってどうすると身を引き締め少し冷静になるよう己を律する。つい浮かれてしまったが考えてみれば彼女の名前を聞いたのは日も跨いでいない今朝の出来事で光栄と称えられるほどのことでもなく忘れてしまうことの方が難しい。久しぶりの再会であれば気持ちもわからなくもないのだがそのような背景はなく雪野という名前が覚えづらいものでもないなどと思考が働く。その後も久しぶりに頭脳がフル回転し最終的にはもしかしたら
「そんな目で見ないでくれ少年。今朝の自己紹介では私の名前を覚えるくらいな英単語の一つや二つ覚えた方がいいという印象を受け取ったものだからな。つい嬉しくなってしまった」
「喜んでいるところこんなことを言うのは申し訳ないがどうやら雪野さんは判断を誤ってしまったようだ。俺に声をかけてしまったのは完全なる過ちで校内を案内して欲しいならもっと人当たりのいい委員長とかに頼むべきだった。残念ながら人を見る目がないと言わざるを得ない」
自己の評価を自ら下げているようで言い終わった後に少し悲しい気持ちになったが事実は事実であり適任者は他にいるのだ。案内だけであれば三年間通っている学校なので容易に出来るがその後のクラスへの溶け込み方については何一つとして力になってあげることができない。であるならば案内してもらった以降も関係性の拡大が見込める人物に声をかけるべきだという意味も込めて見る目がないと雪野さんを評価した。
「見る目がないとは心外だな少年。私の自己紹介に聞く耳を持ってくれていたのは少年だけであり、他の生徒はみな視線を机に広げた教材に向けていた。少年だけがこの時期に勉学に追われることなく余裕を見せていたんだ、そんな人物が適任でないと私は間違っているかな」
表情からは何も察することができなかったが教室の隅から隅までよく見ている転校生だった。受験に必死かそうでないかの観点で人選したのであれば彼女の目は正しく校内を案内する余裕も時間も俺にはある。受験勉強に向き合っているクラスメイトには気を使い自分に白羽の矢がたったのであれば何も言い返せない。彼女は正しく同情してしまったこともまた確かであり心の余裕を見抜かれ付け込まれてしまったとなれば校内の案内くらいであれば請け負うのもやぶさかではないと踵をつぶし脱ぎかけていた上履きを履き直した。
「わかったよ、大袈裟かもしれないが案内はクラスを代表して俺が受け持つ。だがその後の交友関係については力になってやれないから期待しないでくれ」
「そうか、それでは案内についてはよろしく頼むよ少年」
日がくれてしまう前にと早速歩き出したかったが校内を案内する前に一つだけどうしても雪野さんに伝えておかなければいけないことがあった。
「俺の名前は少年ではなく
少年呼びに対する皮肉も込めて遅まきながらに自己紹介を終えると主要な教室を案内するべくまずは全学年の下駄箱が設置された昇降口から一番近い場所にある職員室へと足を向けた。
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