第3話 校内を巡る転校生

 職員室から始まり校長室、保健室、視聴覚室、図書室、音楽室、家庭科室、技術室、理科実験室、生徒指導室、生徒会室、パソコン室、体育館と巡り雪野さんと校内を一通り見て回った。案内をしていると新たな学校に好奇心を刺激された中学一年生の頃を思い出し懐かしい記憶が道中蘇り卒業間近の今になって初心を思い出す。

 一年生の榊原少年は移動教室で上級生のクラスが存在する校舎へと足を踏み入れるたび、声をかけられることもましてや何かされたりすることもないと分かっていても緊張していたことをよく覚えている。だというの今では最高学年になり堂々と背を丸めることもなく廊下を歩き校舎間を移動し転校生を連れて案内まで出来てしまうとは我ながら偉くなったもんだ。

 そんな天下も来月には終わりを迎えこの学校を手放し飛び立たなければいけない。中学一年生からみた中学三年生はとても大人びて見え近付き難い怖い存在だったが果たして数ヶ月後、高校一年生となりまた最下級生に戻ってしまうわけだが高校三年生の姿はどう目に映るのだろうかと一つの疑問が浮かんだ。

 来月には卒業というこのタイミングで改めて校舎を巡ったことで懐かしい記憶が発掘された。もしも転校生である雪野さんがいなければ絶対に今日という一日は存在することなく卒業式の日をむかえていただろう。30分ほどかけて校内を見て回り再び出発地点の昇降口へと帰ってきた俺は不覚にも案内して良かったと充足感に満ち足りていた。


「いろんな教室を見たけど一番印象的だったのはやっぱり廊下を走る生徒の姿ね。

全くお咎めがないなんて羨ましい」


 廊下を走ることへの憧れと執着が凄まじい転校生だった。我が学校は最新鋭の教材や技術が施されているわけではないが様々な教室を見終えての感想が廊下を走ることの容認に感激とはせっかく案内を引き受けて良かったと思っていたのに気持ちが冷めてしまうことこの上ない。


 「どうして廊下を走っても怒られるどころか誰も注意すらしないんだ少年」


 職員室、校長室、保健室と同線上にある場所を案内し終えると階段を上り二階にたどり着くなり廊下に広がっていた光景を目にして雪野さんは疑問を呈した。こちらとしては彼女の疑問よりも自己紹介をしたはずなのに少年呼びが変更されていないことの方がよっぽど気になるのだが。


「彼らは部活の練習だから許されているだけで、普段は走っているところが見つかれば普通に注意される。前の学校では外で練習する部活動の生徒が悪天候でグラウンドを使えないとき校内を活用したりしていなかったのか」


 廊下を走っていたのは校則を守らない不良生徒ではなく、白のユニフォームという正装で身を包んだ野球部員であり梅雨の時期や冬の季節にはよく見られる光景だ。なので特に珍しいことではなく雪野さんが通っていた以前の学校でも見られただろうに彼女は興奮した様子で「私も走ってみていいか」と瞳を輝かせながら迫ってくる。圧に負け後ずさるように左足が一歩後退し身を退け反らせた。先ほどした忠告は全く聞き入れてもらえていないようだ。

 

「言っただろ帰宅部の俺たちが走っていたら教師が血相を変えて飛んで来るって。どうしても走りたいと言うなら頼むから外に出て勝手に一人で走り回ってくれ」


「少年は何も分かっていないな。外であれば誰もが平等に自由に走ることを許されている。私は走ってはいけないという校則を破る背徳感を味わいながら走りたいと言っているんだ」


 ルールを破ることについて気持ちは分からなくもないが、俺たちは部活動に所属しているわけではなくそもそも特例が認められていないのだ。練習のために走るのと快楽のために走るのでは大きく意味合いが異なってくる。前者は走ってはいけないという校則は破っているが掟破りを公認されている身、一方の後者はどうだろうか校則を破り教師から公認されてもいないただの違反者であり果たしてそこに彼女が求めた背徳感は存在するのだろうか。それでいいのであれば明日にでも一人で好きな廊下を好きな時間に思う存分走ってくれと、自分なりの反論を口にすると身を翻し一方的に話を打ち切るように次なる目的地だった視聴覚室へと歩みを再開させた。


「それもそうだな悪かった少年。引き続き案内を頼む」


 ということが案内開始早々にあった一場面なのだがまさか一番印象に残ったのがあのときの光景とは実に案内のしがいがない転校生だ。


「それじゃあ俺はこれで」


 どれだけ廊下を走りたいんだよとは思うが口にせず心に留めると、これで頼まれた役目は終了したので速やかにおいとまさせてもらいますと別れを告げ下駄箱へと歩き出した。冬の日没は早く再び戻ってきた昇降口は外から入ってくる光ではなく蛍光灯が灯され人工的な白に照らされており、出入り口から先は暗闇だけが広がっている。


「待ちたまえ少年、これも何かの縁だ今日くらい一緒に下校しようではないか」


 相変わらず少年呼びが改善される気配はないし、これ以上付き合わされる義務もないと足を止めることなく自分の靴の場所まで移動すると上履きから外靴に履き替え下校する。最初に俺は確かに忠告したはずだ雪野少女よ、校内案内以外を期待するなと擦り寄る人物を間違っていると。


「待たんか少年、さきほどまでの親切心はどこへいった。それともなにか私は嫌われてしまったか」


 背後から肩にかけていた学生鞄を掴まれ再度呼び止められる。外見の印象通り雪野さんは非力なようで鞄を掴まれようがそのまま力で彼女ごと引っ張り歩くことは容易にできた。だが足場は雪が積もり不安定であり足を取られたり滑ったりして怪我をされては堪ったものではない。


「たった数分校内を一緒に歩いただけなんだ、余程の事がないとそんなすぐに人を嫌ったりはしない。ただいくら転校生だからってなんでもしてやる義理はないし忠告も確かにしたはずだ」


「早計、いや思い込みが激しいのは少年の悪いところのようだな。少年に何かをしてもらおうなどとは期待していないしそもそもクラスメイトやらに興味もない。私は少年との関係性を気付きたいからこうして声をかけている、他意は無いと誓おう。それとも口にするだけでも羞恥に耐えていると言うのに少年はこれ以上の言動を求めるのかな」


 雪野さんが俺に声をかけたのは第一印象が受験勉強に精を出していない生徒であり声がかけやすそうだったからだ。そしてそんな俺を利用してクラスメイトの関係構築を企んでいるとずっと思い込んでいた。クラスメイトではなく俺自身との関係構築の模索など考えもせずに。雪野さんとは今朝面識が出来たばかりでこの言葉にどれだけの信憑性があるのか判断しかねるが恥も外聞も捨てて嬉しいことを言ってくれる。


「分かったよ、雪野さんの言葉を今は信じよう。提案を受け入れるのはいいがそもそも一緒に帰ろうにも雪野さんの家は俺と同じ方向にあるのか。場合によってはすぐそこで解散ってこともあるんだが」


 雪野芽述湖について知っていることがあるとすればそれは名前だけでありそれ以外の情報は何も知らない。雪野家の所在地はもちろんこの学校に来る前はどこにいたのか、どうしてこの時期に転向してきたのか、好きなもの嫌いなもの全てが謎に包まれている。

 未知に包まれてしまっているのは転校初日の自己紹介の場で雪野さんに興味関心を示さなかった3年5組全員の落ち度であり彼女に一切の非はない。転校生だからと甘くしすぎてしまうのもどうかと思うが朝の教室内の雰囲気を一身に受け止めた彼女の心情を慮れば、今現在こうして冷たくあしらったクラスメイトに話しかけてくれているのだからと甘くなってしまうことは仕方がないことなのかもしれない。

 それでも帰る方向が正反対となればすでに目視できる距離にある校門を抜けた先でお別れとなってしまうので確認するように聞いてみたのだが心配は無用だった。どこまで一緒なのかについては深掘りせず一つ目の分岐路となる校門での分かれ道が一緒であることだけを確かめると鞄から手を離してくれと告げた。少年呼びについても再度訂正しようとしたが早計だと揶揄された俺の本能が言っても無駄だと白旗を上げ諦めの姿勢で訴えかけてきた。

 多少ではあるが加算されていた重力から解放されると謎に包まれた転校生と下校することになった。そうとなればどこまで一緒で時間があるか分からないが雪野芽述湖について深掘りするのもまた一興だろう。

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