第18話 アクマ DE 天使
まさか恋をするなんて、思ってもみないことだった。
宝石のような瞳に見つめられた瞬間、僕の心臓は動き出したんだ。
優秀な兄姉を持つ僕は、家族にとても可愛がられて育った。
歩いても呼吸をしても転んでも泣いても可愛い可愛いと囃されるけど、代わりに何も求められなかった。
生きていてくれたらそれでいい、そうやって育てられることに有り難みを感じないわけじゃなかったけど、何も望まれない、期待されない人生は全然楽しいものじゃなかったんだ。
テストが0点でも100点でも同じように褒められる人生。きっと恵まれてる。それはわかってる。だけど僕はだんだん生きている意味を見出せなくなっていったんだ。
次第に人と話すのが億劫になって、一人でいることを選ぶようになった。
学校にも行かなくなった。学校にいかなくなったら少しは叱られるだろうかと期待したが、行きたくなければ行かなくていいよ、そのままでいいよと認められた。
生きているだけでいい人生を歩む人間は、本当に生きているのだろうか?
そんな気持ちをかき消そうと勉強だけは頑張った。
0点でもいいのに勉強をする意味はわからないけれど、ただ同じ歳の子たちが学校でやっていることをやれば少しは安心できる、それだけのことで、なんの役に立つのか、なんの役に立てたいのか、何にもわからないままひとり勉強だけ繰り返した。
高校二年生に上がったある春の朝、家族が起きるより早く家を出た。
いつものように教科書ノートを詰めた学生鞄を抱えて、目指すはファストフード店の二階。駅前店に行くと学校の生徒に会いそうで嫌なので、わざと郊外店へと歩いていく。国道沿いのファストフード店はドライブスルーの利用客がほとんどで、二階席なんかはがらんとしている。僕にとって絶好の店だ。
二階の窓際にはコンセントが使える横並びの一人用席が複数あり、昼過ぎになればサラリーマン風のくたびれたおじさんや、クリエイター風の若いお兄さんなどが利用しにくるが、早朝と言って差し支えない朝七時、開店したばかりのファストフード店二階に人はいない。いつも僕が一番乗りで独り占めだ。…そのはずだった。
いつも僕が使っている窓際一番端の席に、黒髪の女の子が座っていた。
背中が隠れるくらいの長い艶髪が目を引くが、着ている服に僕は目を背けたくなった。黒いセーラー服に赤いラインが二本入るだけの、なんともいえないセンスのその服は、僕の通っている学校の制服だ。これを見たくなくてわざわざ国道沿いの店に来ているのに、なんで朝一番から見なくちゃいけないんだ、という僕の憎悪が伝わってしまったのか、女の子はくるりと振り返った。
切り揃えられた前髪、黒曜石のような艶のある大きな瞳、スラリとした高い鼻。
朝限定メニューのバーガーを齧りながら振り返ったその姿に、僕の心臓は大きく波打った。
まるで人の心を弄ぶ悪魔のような美少女が、早朝のファストフード店でハンバーガーを頬張っている。
煩く鳴る胸とは裏腹に、体は石にでもされたかのように動かなくて、僕はその子から目が離せなかった。
悪魔のような美少女は、固まる僕にかまわずバーガーをもりもりと食べ進めていく。永遠とも呼べるような数十秒後、最後の一口を飲み込んだ少女は、マヨネーズのついた指で僕の胸を差した。
「勉強?」
抱えている学生鞄を指しているのだろう、僕は顎を引くことで「YES」の意思を示した。
「よっしゃぁ天の助けや!」
そう言って立ち上がった女の子の背中から、真っ白な翼が飛び出した。
黒い艶髪、黒い瞳、黒いセーラー服、白い翼。加えて頭の上十センチ程度の場所に浮かぶドーナツ状の光の輪。
あまりの出来事に思考の整理が追いつかない。
僕の通う学校の制服を着た、悪魔のような顔をした美少女から、天使の翼が生えている。
「この世は地獄か思うたけど、地獄に仏っちゅー話はホンマやったんやな」
怪しい関西弁を操る美少女は、広げた両手より尚幅広い翼をはためかせ、空中を滑るようにして僕の目の前に舞い降りた。
「ワイ天使、訳あって人間を幸せにしなくちゃならんのやけど、お前不幸か?」
口調は滅茶苦茶フランクだが、蠱惑的で美しい瞳に見つめられては、まともな受け答えなんかできるわけがない。なんとか言葉を発しようと思っても、喉の奥から小さく息が漏れてくるだけだった。
だがそんなこと知ったこっちゃないと言わんばかりに、美少女は僕にずいずいと顔を近づけてくる。
「なぁ不幸か?いや、こんなところで勉強しようとしてんだ、不幸だよな?できれば不幸であってくれ、マジ頼む」
僕の目の前で、美少女は両手を合わせて天に祈る。
「こい、こい、親がネグレクトで、食うに困ってて、学校ではイジメられてる、不幸の三連単!マジでこい!」
他人の不幸を強く望むその背中に、真っ白な翼が揺れる。
天使の羽を背負うにしてはあんまりな願いを放つ美少女に、僕はようやく息を吐き出した。
「そういった事実はありません」
そう伝えると、美少女は空に向かって何かを放り投げるように腕を開いた。
「おい、ふざけんなや、不幸とちゃうんかよー」
「どうして不幸な人間が必要なんですか?」
思い切って聞いてみると、美少女はまだマヨネーズのついたままの人差し指を僕に突きつけてきた。
「ワイ天使なのな?天使ってのはよ、神の言葉を人間に伝えたりするマジ神聖な職業なのな?やから俗世に染まっちゃならんのやと」
そう言い放ってから指先のマヨネーズに気づいたのか、美少女はテスト用紙を返却する教師のようにペロリと指を舐めた。その姿に僕の胸はさらに喧しく音を立てる。
「せやけどさぁ、俗世メチャクチャおもろいやん?」
悪魔のように魅惑的な姿をした、天使の羽をもつ関西弁の美少女の話は、なかなか頭に入ってこない。だが彼女はかまわず話を続けている。
「パチンコ行って、競馬行って、安い居酒屋でハイボール飲んでクダ巻いてんのが最高の幸せなんやけど、そんなん天使としてアカン言われて、このザマや」
お手上げというように両手を天に向ける少女は、深いため息を吐く。
「人間からバチコリ見えるようにされて、人を幸せにしまくらんと天界に帰れないっちゅーこっちゃ。しかも神様の趣味で女子高生にされてんで?引くやろ」
腕をガックリと下げた少女に、僕はそっと「大変ですね…」と放った。すると少女は素早く顔をあげ「ふーん」と言って僕を見つめる。近い。天使か悪魔か関西人か、とにかくこの美少女はパーソナルスペースというものがぶっ壊れている。
「よし決めた」
身をのけ反らせる僕の前で、少女はパチンと指を鳴らした。
「お前を幸せにしてやる」
「ええ?いや、僕そんなに不幸では」
「お前天使舐めんなや」
僕に向かってまた一歩踏み出してきた天使に、僕は三歩後退りする。
「お前が心から幸せだと感じているかなんてなぁ、お見通しなんよ。ワイ天使やぞ?」
少女は天使を名乗るが、詰め寄りかたは昔ゲームセンターで絡まれた輩のものだ。
「お前は自分を不幸だとは思っちゃいない、だが幸福だとも思うてない、せやろ?」
いつの間にか壁を背負ってしまった僕に、少女はずいっと詰め寄ってくる。
「何より、生きる意味を持っていない」
壁に片手をつけて迫り来る、天使の壁ドン。
「自分の強運に歓喜しろ?天使のワイがお前を幸せにしてやるんやからな」
そうやって彼女はニヤリと笑った。
なんの不幸か幸運か、僕は悪魔みたいな天使に取り憑かれてしまったんだ。
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