第16話 乙女鉄人からの、打診。

「ちょっとお話聞いてもらえますか」

氷雨澤青の漫画掲載を聞いた翌日、ジュエル編集部に出社した私に愛らしい声がかけられた。

声の主は白石侑子しらいしゆうこだった。

超大物漫画家鳴宮麗子の担当編集であり、現在、異例の超ロングランヒットとなっている実写版映画「虹の窓」関連の事業に、新年特大号に掲載予定の新作漫画制作にで忙しいはずの白石が編集部にいること自体が珍しかったし、私に話があるというのも意外というか、話の内容に心当たりが無さすぎる。

小柄で色白、白のワンピースに白のジャケットを合わせる白石は、爪の先までピカピカに磨き上げられているうら若き乙女だ。

始めて会った時は白の入院服だったが、白い服は元々彼女のトレードマークらしかった。

初対面の印象はあまり良くなかった彼女だが、ジュエルで仕事をしていくうちに流石大五郎の部下というか、彼女の「凄さ」みたいなものを目の当たりにすることが何度かあった。私には決して真似できない「凄さ」を彼女は持っている。

言うなれば白石は「乙女鉄人」だ。

今も私の前に立つ白石は茶色に染めた髪をくるくると巻いており、くるんと上がったまつ毛にうるうるのリップが愛らしい。パッと見ではその凄さに気がつかないが、朝起きてメイクして髪を巻いて出社する、というのがどれほど大変なことか。

乙女鉄人白石はその愛らしさから他部署の上長からのウケがいいのにも関わらず、女子軍団も敵に回さないという、乙女力カンスト女子だったのだ。うーん、やっぱり乙女力2の私に話がある意味がわからないな。

とはいえ先輩からのお誘いだ。無下に断るわけにもいかない。

長い袖からほんのり見える拳を握って前のめりに立っている白石に、私はできる限りにこりと微笑んでみせた。

「いいですけど、どうしましょうか」

時刻は間もなくランチタイムだ。ここで話してもいいし、会議室をとってもいいし、飯を食いに出かけてもいい。そういった趣旨の「どうしましょうか」だったが、白石は「え?あ、え?」とあたりを見回す様子だったので、私は言葉を付け足すことにした。

「私カツカレーが好きなんですけど、白石さんは好きな食べ物ありますか」

そう言ったことで、飯を食いたいという意思を表したつもりだったが、白石は首を傾けて

「カレーは好きなんですけど、辛いのが無理で、食べられる辛さが子供用のやつだけなんですよ。知ってます?オマケにシールがついてるカレーなんですけど」

と明るく言い放った。

「いや、知ってはいますけど」

「本当ですか?魔法少女ものですか、それともモンスター系?」

「いや、知ってるだけで食べたことはなくて」

「そうなんですねぇ。よかったら今度食べてみてください!思ってる以上に美味しいですから」

そう言って私のデスクから離れようとした白石の背中に

「それでお話は?」

と声をかけた。

「あ、すみません私ったら」

白石は両手で口を覆って戻ってきたが、

「えっと、なんの話でしたっけ」

と首を傾けた。

なんというか、彼女とはテンポが合わない。

どこか空中をすれ違う会話に、編集長デスクに座っていた大五郎が息を吹き出して笑う。

「そこまで合わないと、もはや奇跡ね♡」

身を折り曲げて笑う悪友に、怨みのこもった視線を向けた。

「そう思うのなら助けてくださってもいいんですよ」

別に彼女のことが嫌いだとか苦手だとか、そういったことでは無いのだが、生きてる時空がずれているのでは無いかと思うことはある。

白石はカンストしている乙女力に加え最強レベルの鈍感力と少々の天然を装備している。かたやこっちはガチガチ理論武装といったところだ。テンポも属性も合わないし、そもそも話自体噛み合わないことも多い。

白石の気になることがコスパ最強のデパコスはどれ?みたいなことだとしたら、私の気になることは今週導入の最新パチスロ台のスペックだ。到底噛み合うわけもない。

そんな白石とサシで飯を食いにいくことに一抹の不安を覚えた私は、大五郎に救いを求める視線を送った。奴は息を吹き出して笑った。

「いいわ、せっかくだし三人でランチにしましょ。侑子ちゃんもそれでいい?」

「はい、編集長がついてきてくれたら心強いです」

ピンクのデスクチェアから立ち上がった大五郎に対し、白石は両手をグーにして気合いを露わにしている。何か?私はこの後討伐でもされるんか?白石に気合を込めた話をされるなぞ、やはり心当たりが無いのだが。

だが話を断る理由も見つけられないので、黙って二人について行くことにした。ランチの支払いは絶対に大五郎に付けるつもりだが。

RPGのパーティーメンバーよろしく大五郎の背について歩くと、ビル十階のレストランエリアにたどり着いた。

うちの会社のビルには一階、十階、三十階、最上階に食事がとれる場所があり、階層の高さに値段の高さも比例する。

十階のレストランエリアは和洋中様々な店が並び、大衆向けでありつつも、社外の人間は入れないので、そこそこ仕事の話ができる場所だ。中でも一番人気の洋食レストランは値段も手頃で、どのメニューを選んでもそこそこの味が保証されているが、大五郎の財布で食うならバカ高い店が良かったな。まぁ昼飯一回分の値段が浮くのはシンプルに悪くないか。

洋食レストランの奥にある個室が空いていたので、大五郎と白石が横並びに座り、面接でも受けるような形で対面に私が座ることとなった。

普段なら絶対に選ばない特上ランチ二千五百円を遠慮なく注文する。白石と大五郎はプチケーキなるものがついたレディースセットを注文し、三種類あるケーキをどれにするかできゃっきゃしていた。

「それで、どんなお話なんですか」

注文を終え、連れてこられた意図を問う。別に飯を食い終わってからでも良かったのだろうが、私は物事をあまり後回しにできないタイプだ。

「それが、そのぅ」

白石はカーディガンの袖からほんの少し出した人差し指同士をツンツンと突き合わせている。漫画以外でそれやってる人間初めて見たわ、と少々驚いていると、白石自身もその手癖を恥じているのか、ぱっと手のひらを離して顔を上げた。

「とってもお願いしにくいお話なんですけど、美空さんが担当されている氷雨澤さんに、麗子先生の臨時アシスタントをお願いできないかという話がありまして」

白石の言葉は心底意外だった。彼女の担当はあの鳴宮麗子だ。専属アシスタントにすらキャラクター作画を任せない大先生が、臨時アシスタントを頼む意図がわからない。

「専属の方がご病気とかですか?」

考えられる理由を聞いてみたが、白石は首を横に振る。

「いいえ、専属アシスタントさんは継続してお仕事をお願いしてまして。氷雨澤さんにはどちらかというと、作画ではなく取材方面のお仕事をお願いしたく」

「取材?」

「はい」

ますます意味がわからない。

確かに漫画家は新作を作る時、舞台になる場所に取材旅行に行ったり、職場や現場といったものを体験取材したりする。だがいずれも先生自身が体験しないと意味が薄いし、スケジュールの都合で難しいのなら担当編集が取材してくればいい話だ。

そもそも青は今、新年特大号に掲載する漫画の準備で忙しい漫画家だ。一日二日臨時アシスタントを請け負うことは出来ても、取材なんかやってる暇はないし、そもそもロボ姿の青を昭和漫画家である鳴宮麗子に見られたくはない。ロボットとAIは違うという説明に労力を割く時間がもったいない。

「お断りします」

にこりと微笑って言い放った。青にプラスになると思えない話だ。

白石は口を丸く開けたが、言葉はなかった。取り付く島のない私になんと言えばいいのかわからなかったのだろう。

「理由、聞いてあげたら?」

白石の横に座る大五郎が助け舟を出した。どんな理由であれ断る以外の選択肢はないのだが、あんぐりという表現がぴったりくるほど口を開けている白石に、なんだか子供をいじめたような罪悪感が湧く。別に悪いことしたわけじゃ無いのに悪いことした気になってしまうのが白石の「凄さ」のひとつだったりする。

「どうして氷雨澤なんですか」

ため息混じりに聞いてみた。

作画アシスタントじゃないのなら絵が上手いことは関係ないだろう。ではなぜ青に臨時アシスタントという話になったのかということは、断る上でも確認しておくべきか。

発言権をもらった白石は、再び指を突き合わせて話し始めた。

「それがその、麗子先生は「漫画家を夢見る少女と、年老いた男性少女漫画家との世代を超えた心の繋がり」を描きたいとおっしゃってまして」

「氷雨澤さんは男性ですよってお伝えしたんだけどねぇ」

お冷の入った透明なグラスを傾けながら、大五郎はにこやかに笑っている。

「それが余計に麗子先生のアンテナみたいなのに触れちゃったらしくて、ぜひ取材をさせてほしいということになったの。臨時アシスタントはそのついで、作画してるところが見てみたいっていうくらいなものみたいよ」

にこりと笑う大五郎からは圧倒的強者のオーラがみたいなものが出ている。気の弱い人間ならこの笑顔に負けて頷いてしまいそうな凄みだ。白石は大五郎の援護射撃に何度も頷き、私に期待の眼差しを向けてきた。

成程、漫画家を夢見る少女というものを描くために、才能ある若手の青に取材を申し込みたいということなのだろう。それなら青にもプラスはある。鳴宮麗子の仕事ぶりを間近で見られるわけだし、青をモデルにしたキャラクターが麗子の新作になるとなれば飛び上がって喜ぶだろう。

問題は青の体がロボなことのみとなったが、その一点の問題が大きすぎて、やはり断る以外の選択肢が無い。

「せっかくのお話ですが…」

言葉の接続詞を発し始めた時、白石のスマホが鳴った。

「あ、ちょっとすみません」

画面を覗いた白石の表情がみるみる青ざめる。

「すみません!ちょっと行ってきます」

慌てた様子で席を立った白石に、大五郎が「どうしたの」と声をかける。白石は真っ青な顔で

「麗子先生のアシスタントさんからの連絡で、先生が…」

「先生が?」

「北海道に飛んだと」

三人の間に短い沈黙が流れた。

私には全然意味がわからない話だったが、逃走か取材か、鳴宮麗子が北海道へ行ってしまったのだろうということだけ理解できた。

ちょうどその時赤いエプロンをつけたレストランの店員が私の特上ランチを運んできたので、大五郎がそっと片手を上げた。

「すみません、レディースランチを一つお弁当にしていただけます?」

店員にそう声をかけた後、白石に向かってほほ笑む。

「確か麗子先生には今、今月号に載せる新作告知の原稿を頼んであったわよね」

「はい」

今にも泣き出しそうな白石は、震えながら立っている。

「じゃあまず、アシスタントさん達にその原稿がどうなっているのかを確認して。それ以外のことはまだなんとでもなるから慌てずに」

「わかりました」

そういった白石は電話をかけるため、レストランを出ていった。

「天才の世話って楽じゃ無いんよな」

小走りで去った白石の背中に、つい言葉が転がり出た。

「まぁそうね」

大五郎はほとんど空になったグラスを傾け、テーブル上の特上ランチを指差した。

「食べちゃいなさいな、冷めるから」

ハンバーグと生姜焼きとエビフライ、白米とサラダにコーヒーが付いた満腹セット。確かに美味しいうちに食べたい。バタバタしている白石に多少申し訳ないと思いつつ、備つけられた箸を掴んだ。デミグラスソースのかかったハンバーグは割り箸で切るには少々骨の折れる硬さだが、ナイフとフォークは面倒臭い。

「ねぇ茜」

ハンバーグを一口放り込んで、白米を頬張る私に、大五郎はにっこりと笑っている。

「取材を断るのは、氷雨澤さんがロボットだから?」

私は思わず口元を押さえた。危うく肉と白米を噴き出すところだった。

私のその様子を大五郎は心底嬉しそうに見つめながら、銀のホルダーに入った紙ナプキンを差し出している。

「…いつから」

ハンバーグと白米を何とか飲みこみ、目の前の大五郎を見つめた。

「いつから知ってた?青が今ロボットだって」

「んーわりと初めからかしら♡」

銀のホルダーから紙ナプキンを二、三枚出した大五郎はそれを私の前に置いて笑った。

「まぁ編集長なんてやってると、いろんなところから話が入ってくるものだから。あぁ安心してね?」

置かれた紙ナプキンで口の周りを拭く私に、大五郎は満足げな笑顔を見せて頬杖をついた。

「アタシは脳波が本人なら体がロボットでも人間だと思うタイプだから。氷雨澤さんが描いた漫画はちゃんと本誌掲載するわよ。たとえロボの体で描いてもね」

雑誌掲載の話をされたのは昨日だ。大五郎は青がロボになっていることを知りながら掲載準備を進めていたことになる。私も青がロボなことを隠していた手前なんとも言えないが、とりあえず掲載が流れるようなことはなくてよかったと胸を撫でた。

「そもそも時代の話だと思うしね」

グラスに残る氷をカラカラと回す大五郎は、少し遠くを見ていた。

「今はまだ時代が追いついてないから、氷雨澤さんがロボットの体で漫画を描いたとしても、そのことは公表しないわ。ロボットの作画に不満を持つ人も多くいるだろうし、氷雨澤さんも人間に戻りたいと思ってらっしゃるしね。でも近い将来、超超高齢化社会になって、みんな医療ロボットにお世話になる日が来ると思うのよ。だからあと二十年もすれば、医療ロボットの体で漫画を描くのは「当たり前」になる時代が来るだろうって思う」

なるほど。ジュエルは創刊五十年の雑誌だ。高齢な先生方とも交流の深いジュエル編集長は、未来の漫画家の在り方について、医療ロボットに期待をかけているということなのだろう。心ではまだ漫画を描きたいと願うのに、体が動かせなくなった事で引退を余儀なくされる漫画家先生を救えるなら、医療ロボットの体で描かれる漫画というのは希望の光に違いない。

「それで、どうなの?」

「…ん?」

思考を未来に向けていたところに、大五郎のまっすぐな視線が刺さった。大五郎の言わんとすることはわからないが、奴は唇の端を引き上げて笑っている。絶対碌な話じゃない。

「いいや、どうなのかなぁって思って♡」

「…何が」

「氷雨澤さんがロボットだから他人に預けたく無いのか。それとも氷雨澤さんだから他人に預けたくないのか♡」

…面倒臭い問いかけだ。

青の才能に惚れ込んで四ヶ月も準備してきたのは私だ。今更誰かに攫われるのは嫌に決まっている。

だがそれを言うと、なんだか言い訳がましく聞こえるのも事実なのだ。

たぶん、ただ単純に、青を誰にも渡したくはない。

私はハンバーグを一口頬張って、大五郎に向かって眉を引き上げた。

「いつも思うけど、アンタってなかなかいい性格してるやんな」

「そうかしら」

大五郎はくすくすと笑っている。

「アタシはいつだって面白い漫画のために行動しているだけよ♡」

端正な顔から放たれるその笑顔に小さくため息をついた時、店員がレディースセットを持ってやってきた。大五郎は礼を言って食事を受け取ると、割り箸を掬い上げて持つマナーの良さを見せる。

「取材の話はうまく断っといてあげる」

その一言にホッと胸を撫で下ろす。編集長からの断りなら鳴宮麗子もそれ以上無茶は言わないだろう。

「ただその代わり、茜、アナタに頼まれて欲しいことがあるわ」

その穏やかな声に身を固めた。こういう時の編集長大五郎はとんでもない話を振ってくる。だが残念なことに逃げ場無し。全ての退路は既に塞がれている。降り注ぐ衝撃に備えて身を固める以外に手立てがない。

「…何?」

もはや味のしなくなったハンバーグを飲み込んで、視線を大五郎に向けた。奴は穏やかに笑っている。

「大丈夫よ。茜の得意なことだから」

その前置きが怖いんだってば。

「少女漫画に大切なのは、恋の駆け引き運命の不思議、会えない時間が愛育てるってね♡」

編集長のこれ以上ない美しい笑顔から放たれたのは、地獄に相当する過酷ミッションだった。

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