第14話 パチスロと、日本ダービー。

「面白いとはつまり、共感なわけだ」

氷雨澤青と漫画作りを始めて二週間、私たちは東京競馬場にいた。

まぁ普段は東京競馬場なんて言い方はせず、府中競馬場、むしろ府中としか呼んでいない。多分ウチの父に東京競馬場と言っても通じないが、府中行こう、といえば嬉々としてこの競馬場に来る。そのくらい競馬ファンの中では馴染み深い府中の、五月下旬日曜といえば「日本ダービー」の開催日だ。

いくらネット中継でレースが見れる世の中になったとはいえ、数多の競馬ファンは現場を見たがる。かくいう私もその一人だ。仕事が忙しく、ここ数年なかなか現場に足を運べていなかったが、やはり競馬場の空気というものは格別だ。まぁ格別だと思っていたのは午前中までだったが。

陽がうっすらと残る夕方、軽くなった財布と重くなった足取りで府中駅へと向かって歩く。

「お馬さん、凄い迫力でしたね」

子供のような感想を話す銀のロボットは、最終レースの万馬券を的中させている。

玄人では絶対に買えない目が出るからこその万馬券なわけだが、財閥の息子というのは強運も持ち合わせているのかと思い、げんなりする。

「おい青、晩飯奢れや」

ドラム缶に腕を回し、どっかの輩のような絡み方をした。

「え、え、いいですけど、僕お店のご飯は食べられませんよ」

「かまへんわ。私の好きな店に行くんやから」

脳波の影響で腹こそ減るものの、人と同じものを食べるわけではないドラム缶に、体重を預けるようにしてだらだらと歩く。

現在の氷雨澤青のエネルギー源は電気だ。青本人の脳波が「腹が減った」という指示を出した時、家庭用コンセントから給電する。

昭和ロボの頭頂部には高性能太陽電池が搭載されており、コンセント給電しなくてもバッテリー切れになることはないらしいが、腹が減ったという脳波を安定させるために青は適宜コンセント給電する。体にエネルギーを与えたら脳が満足するということらしい。

ロボットになっても体と心は繋がっているみたいですごいなと思う反面、電気って不味そうだなとも思う。

「お前早く人間戻れよ、睢水亭の特上カルビ食いに行こうや」

銀色の腹に拳を作って軽く当てた。私は今すぐハイボールが飲みたいんだ。だがモノが食えない青の前でバカスカ酒を飲むのも違う気がして、ここ最近自主的に禁酒している。ゆえに元々気力が多くはないのに加え、軽くなった財布では気力どころか命の灯火まで尽きかけている…というのは大袈裟だが、青がいちいち「そうなんですね」とリアクションするのが面白くて、私の命の灯火はいつも消えそうということになっている。

大五郎の言いつけを守るためネットで買った服や靴はサイズが少し足りず、履き慣れない靴で足が痛い、命の灯火が消えそうだ。丈の足りないひらひらワンピースで人の目が痛い、命の灯火が消えそうだ。久しぶりにピアスしようと買ったのに穴が塞がってて心が痛い、命の灯火が消えそうだ。

大袈裟な物言いをする私と、いちいち驚く世間知らずな王子様ロボット。府中駅に向かって歩く縦長女と銀ロボットは周囲から見てかなり異様だと思うが、令和のいいところなのか特に話しかけられたりすることはなかった。遠くからチラチラと視線が届くだけだ。


府中に行ったのには一応、ワケがある。

氷雨澤青と漫画を作るにあたり、彼の漫画に足りないものは何かということを話し合った。物語の構成力がないというのが弱点なわけだが、じゃあどうすれば面白い漫画が描けるようになるのかというところで、私は古巣へと連絡を取った。ジュエルに来る前にいた小説の編集部だ。

編集長の許可をとり、これまで担当した天才作家たちに話を聞きに行ってみることにしたのだ。

「新人を育てるため、作品作りについて話を聞かせてほしい」というと、どの天才も色めきだった。

どうやら鬼悪魔と囁かれている私が「人を育てる」と言ったのが、天才たちにとってとんでもなく面白い話だったらしい。

どうして少女漫画の編集部に行ったのか、なぜ新人担当になったのかというあらましを話して聞かせる代わりに、作品作りのコツのようなものについて聞かせてくれるということになった。

嬉々として話を聞いてくる天才たちに、氷雨澤青がロボットになっているという一点だけ伏せて、これまでのことを話して聞かせた。

ロボットのくだりがなくても、鬼悪魔の私が人を育てるという話は、作家たちにとって面白いものだったようで、中には話を聞いてすぐに執筆室に飛び込んだ作家もいた。

一週間も経たないうちに、これまで担当したほとんどの天才たちから話を聞くことができた。

さすが天才といった「書いてりゃ書ける」みたいな参考にし難い意見もあったが、有用そうなものも数多くあった。

中でも一番多く話に上がったのは「読者との共感」だった。

主人公の性格でも境遇でも何でもいいが、読み手の心にある共感の鐘を鳴らすことが肝要だという話だ。「この主人公、自分に似てる」という共感を持ってもらうことができれば、その後の物語などを読者は「自分が体験していること」として捉えてくれ、主人公が悲しい目に遭えば悲しくなり、嬉しいことがあれば共に嬉しくなれるのだという。

共感性の話を聞いていくうち、ある天才が「君が担当している新人、絵が上手いんでしょ?なら料理漫画を描かせればいいよ」との話をしてくれた。

料理を食べたことない人間など存在しないわけで、人の心には必ず「美味しい」と「不味い」の思い出がある。魅力的な料理の絵を描けば読者から共感を得られやすいはずだ、との話だ。

これは成程と思い、さっそく氷雨澤邸に向かった。

「氷雨澤さんの好きな食べ物は?」という問いかけに「え、あ、特にないです」との答えが返って来た時には、はらわたが煮え繰り返る思いがしたが、よくよく話を聞いてみると、毎日決められた時間に決められた料理が運ばれてきて、あの馬鹿でかい食堂の何人掛けかわからんダイニングテーブルで一人食事をする、というのが人間だった時の日課だったそうだ。

だからなのか食事というものがそもそも好きではなく、特別な思い入れのあるメニューというのも存在しないらしい。

「家族と食べたりは?」という疑問に対しては「みんな忙しいので」との答えだった。

いくら忙しいといえど、家族で飯を食ったことがないということは有り得ないだろうと思い、突っ込んで聞いてみると、自分が氷雨澤財閥に必要のない人間だと悟り始めた時から、あの広い家に引きこもっているのだと白状した。

その時点で料理漫画は諦めた。

料理では読者との共感が取れそうにないと思ったからだ。

じゃあ逆に氷雨澤青が持つ共感性とはなんだろう、そう思って「氷雨澤さんの好きなことは」と聞いてみたが「漫画を読むこと」以外に特に好きなことは思いつかないという。こうなりゃとことんだと思って、私は氷雨澤青を深く探ることにした。


「漫画好きならアニメも好きやんな、好きな声優さんとかおらへんの?」

「すみません、祖父がテレビは悪影響だと言って観せてもらったことがないんです」

「ネットで観たりは?」

「あ、その、インターネット回線もうちにはないんです。動画サイトとかも悪影響だとかで」

「パソコンは?スマホは?」

「持ってないです」

「んじゃあ好きな動物くらいはおるやろ、なんや?」

「…猫?」

「何で疑問系?」

「すみません、引っかかれたり噛みつかれたら危ないとのことで、動物も本物をみたことがなくて」

「動物園とか水族館には」

「行ったことありません」

聞けば聞くほど氷雨澤青という男は浮世離れしていて、それではっきり理解した。

氷雨澤青の描く漫画が面白くないのは、彼の中に「一般的」という感覚が欠落しているせいだ。「一般的」という感覚がないから「共感」も産まれない。

つまり読者との共感が必要不可欠な漫画家という職業において、氷雨澤青という人間は圧倒的に出遅れているのだ。

「じゃあ友達から「氷雨澤くんてこんな人だよね」って言われたことは?」

私のその問いかけに、十分な間があってから

「友達と呼べる人はいません」

との答えが返ってきた時、私はある覚悟を決めた。

氷雨澤青に「漫画を描かせない」という覚悟だ。

別に連載を諦めたとかそういうことではない。元々作画の技量はとんでもないものを持っているんだから一ヶ月もあれば規定枚数の作画をこなすことはわけないだろう。大五郎に宣言した半年という期間に対して、四、五ヶ月の猶予があるということだ。その猶予の間に彼がこれまで経験したことの無いものをじゃんじゃんやらせ、人間としての経験値を増やそうと考えたんだ。

端的にいえば、四、五ヶ月の間はとことん遊ぶことに決めたということだ。

氷雨澤青という人間の中には「好きなこと」も「嫌いなこと」も存在していない。この豪華な家の中、好きも嫌いも何も考えなくていい状況下で暮らしているから「物語を考える力」が身についていないのだ。

じゃあどうするか。

遊ぶんだ。好きなことを好きなだけ。

氷雨澤青に好きなものが存在していないんだったら、まずは私の好きなものを一緒に遊ぶ。競馬にパチスロ、安い居酒屋でダラダラすること。淑女の嗜みを一緒に遊びまくる。別にそれが彼にとって「好き」でも「嫌い」でもどっちでも構わない。共感を産み出すためには好きでも嫌いでもどっちでもいいから、とにかく心が動いた経験を沢山作ることだ。

そこまで考えて、ふと笑いが込み上げた。

これまで担当してきた天才作家たちがいつも飄々と遊んでいたのは、やはり作品のためだったんだと気づいたからだ。

私はとても小さい。いや身長はデカいが、人としてとても小さかった。そのことに気付いたんだ。

「青」

銀のロボットに向かって名前を呼んだ。薄い銀の瞼がぱちぱち揺れる瞳に映る私は、ニヤリと悪戯に笑っていた。

「これから私と青は、編集者と漫画家の前に、友達な」

小学生のような宣言に、目の前のロボットは固まった。

フリーズしているわけではなさそうなので「お前の弱点克服のために五ヶ月遊ぶぞ」と伝えると、ガラスの瞳の中で渦巻が回り始める。

ローディング中ってこともなさそうなので「人間味のある人間になるには遊びが必要不可欠なんだよ」と説明すると、U字の手で頭を抱えていた。

「まずパチスロ行こうぜ、今日七のつく日だからマイホのイベント日なんだよ。んで週末日本ダービーな」という私の言葉を、彼がどこまで理解したかはわからなかったが、頭を抱えたまま銀の体を傾けたロボットが、なんだかとても愛おしかった。

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