第2話 社畜は自分が社畜と気づかないから、社畜なのである。

私が氷雨澤青ひさめさわあおを訪ねたのにはワケがある。


一年ほど前、私は勤め先の人事から「配置換え」の打診を受けた。

私が勤めているのは業界最大手の出版社であり、小説や漫画に児童書など「本」と名の付くものは全て出版しているといっても過言ではない大企業だ。

もちろんアニメ化や映画化した作品も数えきれぬ程あり、メディアミックス事業にグッズ関連事業、デジタル書籍班やSNSマーケティング部など、数えればキリがないほど様々な部署がある為、同じ社内の人間であっても顔と名前が一致しない人間の方が圧倒的に多い会社だ。

そんな中、私にとって唯一友人と呼べる男、岸辺大五郎きしべだいごろうの元へと配置換えの打診がきたのは夢にも思わぬほど意外なことだった。

「いやぁん、茜がうちの部署に来るなんて僥倖〜♡」

人事からそういう打診がきたとメッセージを送ると、返ってきた文章から大五郎の顔が見えるようだった。

日本人離れした堀深い端正な顔で、ラグビー部のような大柄な体を揺らし、語尾にハートマークがつく喋り方をする男、岸辺大五郎は同期入社の友人であり、いわゆる悪友だ。

ピンクのジャケットがトレードマークで可愛いものが大好きな大五郎とは、趣味も考え方もまるで正反対といっていいのに、なぜか妙に馬があった。

新入社員の頃からお互いに暇さえあれば酒を飲み、仕事の愚痴もそこそこに大五郎はいつも「可愛い彼女が欲しいわぁ」という話をする。もし彼女ができたら誕生日プレゼントにはネックレスをあげたいだの、プロポーズするなら百万ドルの夜景を背景にするだの、子供は男の子と女の子の一人ずつがいいだのと、乙女チックな趣味を全開にしてくる。

そんな大五郎の話を「甘々な妄想は捨て去れぃ」とハイボール片手に一刀両断するのが私の役割で、私の「パチスロでいくら負けた」「競馬でいくらスった」「麻雀大会で優勝したから、その優勝賞金をまたパチスロにぶっ込んだ」というような話を、「アンタほんといい加減にしなさいね」と母親のように嗜めるのが、岸辺大五郎という友人だった。


しかし、そんなバカみたいな話をする機会も随分と少なくなっていた。

別部署に配属され徐々に時間が合わなくなっていったこともあるが、互いに仕事が出来ることが理由としては最も大きく、順調にキャリアを重ねていく中で「暇な時間」というもがそもそも無くなっていた。

岸辺大五郎がいるのは「ジュエル」という月刊少女漫画雑誌の編集部だ。

一昨年の暮れ彼はそこで史上最年少の若さで編集長を拝任した。「ジュエル」という雑誌の中で一番権限のある人間になったということだ。

その話を人伝に聞いた時「まぁ順当な采配だな」と思ったものだ。

ロマンチックながら論理的な大五郎は、大物漫画家についても新人と組んでも大きな業績を残し、彼を担当編集にしたいと希望する漫画家が後を絶たないという話が、私のいる部署まで漏れ伝わってきていたのだから、同期として鼻が高いと同時に負けてなるものかという思いもあった。


大五郎の昇進祝いにはバカみたいなデザインのトロフィーを贈った。

入社時はそれこそ何人いるのか分からなかったのに、今となっては片手で数えられるようになった同期たちで金を出し合い、宝石の形をしたトロフィーを贈ろうという話になったのだ。

私はその提案を聞いた時、最高に馬鹿馬鹿しくていいと思って送金したが、同時に「私がもしも昇進しても絶対にトロフィーとかいらんからな」と釘を刺すことは忘れなかった。

トロフィーなんて貰っても邪魔なだけだ。

私が送った金額の何倍かをかけてトロフィー作るくらいなら、そのまま現金でくれと思った。まぁ私がこう思うということは、大五郎は馬鹿みたいに喜ぶだろう。基本的な考え方が正反対なのだから。

結果、トロフィーを贈った翌々日、私のデスク宛に高級チョコレートと共に丁寧にデコレーションされたお礼状が届いた。

ピンクのレターセットにシールが貼られ、その上に「美空茜サマ♡」と書かれた丸っこい独特の文字を見た瞬間、大五郎からのものだと悟った。

お礼状には自分の昇進を同期が気をかけてくれていたこと、みんなでお金を出し合ってくれたこと、宝石を模したトロフィーに感動して涙したことなどが書いてあり、私としてはほとんど悪ふざけで贈ったトロフィーに彼は心底喜んだのだと分かって、一人デスクの前で笑った。

だが、その礼状には少し気になるところがあった。

基本的には礼の言葉で埋め尽くされている便箋に「現場大好きなアタシとしては、編集長はちょっとって思ってたんだけどねぇ」との言葉があったのが少々気に掛かった。その一言に大五郎の苦悩を垣間見たような気がしたんだ。

編集長といえば雑誌の生き死にを決める最終決定権を持つ人間だ。

雑誌がなかなか売れない時代に、雑誌を、そこに関わるすべての人の命を守っていかねばならない。その責務が重くのしかかっているのだろうと思った。


直接弱音を聞いたわけではないが、ジュエル編集部へ配置換えの打診がきた際、大五郎の元で働いてみるのもいいかもしれないと思ったのは、心のどこかに「悪友の助けになりたい」と思う気持ちがあったからだと思う。

そうでなければ少女漫画の担当編集には天地がひっくり返ってもなっていなかったと思う。

かくいう私はこれまで推理小説家の担当編集をしていた。

雑誌に載せるものの編集に関わっていたこともあるが、多くは人気作家の新作に携わる仕事をしていた。

「人気作家」なんていえば聞こえはいいが、人気の推理小説家なんてのは偏屈な天才だったり、奔放な天才だったり、奇妙な天才だったりする。

そんな一癖も二癖も、いや、極限まで少なく言っても七癖はある天才たちの手綱を握って新作を書かせるのが私の仕事だった。

天才作家というものは腕に余程の自信があるのか、締切間近になるまで全くといっていいほど仕事をしない。飄々と酒を飲み、クラブのお姉さんの尻を追いかけ、平気で締切を破ったりする。

新人の頃こそ天才作家になんとか作品を書いてもらおうと「お願い」をしていたが、奴ら天才作家には「お願い」よりも「自尊心を擽る」ほうが効果的だと悟ってから、私の仕事のやり方は変わった。

なるべく見た目を麗しく繕って「こんなことも出来ないなんて作家失格ですね」「もちろん出来ますよね作家なら」「出来ないわけありませんよね、あなた作家なんだから」の三段活用。

天才作家たちは私の見目が麗しくなればなるほどいいところを見せようと張り切ったし、私が冷たく生意気であればあるほど、言うことを聞くようになった。

男とはどこまでいっても格好を付けたがる生き物であり、美人を屈服させたい願望があるものなのだろう。まぁ絶対に屈服などしないのだが、人類創世から刻まれたカッコつけの遺伝子を利用しない手は無かった。

黒いパンツスーツに身を包み、高めの身長をさらにハイヒールで底上げしては、原稿を取りまくった。そうやって働くうち、いつの間にか私は「原稿取りの鬼悪魔」と呼ばれるようになっていた。

「美空茜に任せればどんな偏屈作家からも原稿が取れる。冷酷無慈悲な鬼悪魔だからな」

そんな話が囁かれるようになり、鬼悪魔という噂にはどんどんと尾鰭も背鰭も、なんだったら胸鰭や腕や足まで付いていった。

噂を聞いた新入社員に初対面で泣かれた時は流石に「なんでやねん…わし何もしとりませんがな」と地元訛りが小さく出てしまったが、まぁ大切なのは社内の噂でも、大物作家でもない。大切なのは作品を心待ちにしている読者だ。読者に作品が届くのなら、何だって出来た。

私は田舎町の本屋の孫娘として産まれた。古いながらも皆に愛されていた祖父の本屋。発売から二日、三日遅れでやってくるのは当たり前のど田舎の店だったが、だからこそお客は皆、目当ての本を手に取った時、本当にいい顔をする。あのキラキラした笑顔が見たくて、いつもレジ横の小さな椅子に座り、祖父の隣で客がやってくるのを待っていた。

そんな祖父の本屋はギャンブル好きの父の手にかかり潰れてしまったのだが、今でも私の原動力はお客が本を手に取った時のあの笑顔だ。

出版社に勤めて早十年、鬼悪魔と言われようとも、読者に最高の笑顔を届ける為なりふり構わず働いた。

読者が笑顔になるのなら、美しく取り繕った見目を使うことも、私生活が多少荒れることも、作家を極限まで追い込むことだって厭わなかった。

だからこそ、この十年の経験があまり役立ちそうにない「少女漫画」という人事の采配には首を傾げていたのだが、少女漫画にだって待っている客がいる。

客がいるなら働くだけだ。そう腹を決めた。


人事の打診から一年後、諸々の引き継ぎを終えた私は、岸辺大五郎率いる月刊ジュエルの編集部へと向かったのだった。

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