しゃち&ロボッ!~限界社畜OLさんはロボットと心探しの旅に出る~
山下若菜
第1話 風薫る家と、ロボ。
「新緑の五月、風薫る季節ですね」なんて話を朝のニュースで聞いたけれど、人生で一度も「あ、今、風が薫ったなぁ」なんて経験はない。むしろ「薫る」なんて文字を見ると、値の張るウィンナーを思い出しては一杯呑みたい気分になる。
そんな私、
近未来的な建物が立ち並ぶ神奈川県は横浜。数年前空中散歩ができるロープウェイができたことでさらに賑わいをみせる桜木町駅からタクシーに乗り、五分ほど経っただろうか。
デートを楽しむカップルやら観光客でごった返していた駅前とは打って変わり、デザイン性の高い家々が建ち並ぶ閑静な住宅街へと車は入っていた。
そう広くない片側一車線道路を車は穏やかに進む。できれば時速100キロくらいでカッ飛ばして欲しいのだが、緩やかなカーブを描くこの道では不可能な注文だろう。苛立つ気持ちに蓋をして、法定速度通りに進むタクシーの車窓から外を眺めた。
平日の昼ということもあってか、駅前の人口爆発が嘘のように人っ子一人見つからない。
―金持ちが好んで住みそうな街だな。
おそらくスーパーマーケットは成城石井だし、ファミレスはロイヤルホスト、コンビニはナチュラルローソンだろう。ハイボール缶を片手に棒に刺さった唐揚げを頬張って帰るのが毎日の楽しみな私には、絶対に住めない街だ。
そんなことを考えているとタクシーがT字路に差し掛かった。
正面に白い外壁が立ちはだかっている。車は右に曲がったが、外壁はずっと付いてきた。そのままずっと外壁沿いをタクシーは進んでいく。
古い城でもあるのだろうか、そんなこと思っていると初老のタクシー運転手が声をかけてきた。
「お客様が向かっているのは、このお家ですよね」
ん?疑問が頭に浮かんだが、私が口を開くよりに先に運転手はおおらかな声で話しを続けた。
「この辺は御屋敷と言っていいお家も多いですけど、その中でもここが一番古くて大きいお家ですよねぇ。まぁこの家を訪ねる人を乗せたのは、お客さんが初めてですがね」
その言葉に不安を覚えた私は、抱えていた分厚い茶封筒を座席シートに置き、鞄から手帳を取り出してページを捲った。
つい一時間ほど前に走り書きした住所と、タクシーのカーナビに入力されている住所を見比べる。住所は見事に一致している。
言いようの無い不安を胸に車窓から外を見た。永遠にも思える外壁沿いをタクシーは緩やかに進む。「もしかして適当な住所を言われたんじゃ…」浮かんだ嫌な予感を払おうと頭を振った。考えても仕方がない。今は言われた住所に向かうしか手立てはない。やるしかないんだ。
滑らかな道路を滑るように走ること五分、ようやく現れた壁の切れ間にタクシーが止まった。おそらく正面玄関といったところだろう。荘厳な白亜の門柱が立っており、アンティーク調の白い鉄柵が付いている。
料金を支払ってタクシーを降りたが、本当にここで合っているのかという不安が募る。
白い鉄柵の向こう側、門柱から十数メートル先に白い煉瓦造りの豪邸が聳えているのが見えた。壁面には緑鮮やかな蔦が巻き付いており、築年数はだいぶ古そうだが不衛生という印象はなく、むしろ自然が作り出した芸術作品にすら思える。
白煉瓦と緑の蔦を撫でて吹き抜ける五月の風は、確かに「薫る」なんて表現がピッタリかもしれない。
だがそんなことを考えて呆けている時間は一秒だって無い。
今はとにかく、この家の住人に仕事を頼まなければならないのだ。
分厚く大きな茶封筒を抱え直し、あらためて門柱を見た。仰々しい門に小さな長方形の呼び鈴。古びた印象の音符マークに指を伸ばすと、どこかカサついたピンポーンという音が響いた。
その音が吸い込まれるように消えた家を見上げてしばらく待ったが、応答はない。もう一度呼び鈴を押してみたが、やはり応答はなかった。
薫る風が嫌にまとわりつき、茶封筒を持つ腕が途端に重くなる。
その重さを払うように腕時計に目をやった。午後二時半、いたずらな住所を言われたのだろうか…そうだとしたら終わりだ。もう何もかもが間に合わない。
ここに来たのは間違いだったのかもしれない。そう思い始めた時、ふと視線を感じて顔を上げた。
視線は家の二階から注いでいた。白い木枠で囲われた大きな窓が細く開いており、こちらを覗いている人影が見えたような気がした。
だが一瞬のうちに影は消え、レースのカーテンがひらひらと揺れているばかりとなった。
―いる。咄嗟にそう思った。
「失礼しますね」
誰にともなくそう言って、鉄柵についている掛け金に手を伸ばした。掛け金はくるりと回り、柵は抵抗なく開いたので、勢い任せに門柱を潜った。
石畳が敷き詰められた道を大股で歩き、白煉瓦の家の玄関ポーチへと足を踏み入れる。これまたデカい玄関扉は二枚の扉が中央で合わさっており、金獅子の形をしたドアノブがついている。二匹の獅子は互いに寄り添うようにして、やって来た人間の侵入を拒んでいた。
腹立たしい気持ちをぐっと抑えて辺りを見回すと、玄関扉の横壁に小さな呼び鈴がついていた。一応押してみたが、やはり応答はない。
「すみません、いるんですよね
呼び鈴を鳴らしながら声を掛けるが、その声は固く閉ざされた玄関扉に響いて返ってくるだけだ。だが、ここで諦めるわけにいかない。
―この家に間違いなく「彼」は居る。
「あなたが協力してくれると言ったから私はここまで来たんです。なのにどうして出て来ないんですか?」
扉に言葉をぶつけているとだんだん腹が立ってきた。
都心から電車とタクシーを乗り継いで約一時間。普段なら決して遠いと思う程の道程ではないが、逼迫した状況を打破するため賭けに出た私にとって、遥か三千里よりも遠いものだった。
「あなたは仕事をすると言った。世界中の人があなたの仕事を待っているんです」
ふざけとるんとちゃうぞこのドアホがっ、と口汚く罵りたいところをグッと堪えた。彼にへそを曲げられたらこの仕事は間に合わない。だがここでじっとしていても仕事が完成するわけじゃない。
小さな呼び鈴を何度も鳴らしながら、代替案はないかとぐるぐると思考を巡らせる。だがそんなものがあれば、そもそもここへは来ていない。
もう駄目か…そう思った時、カチャリという小さな音が聞こえた。
玄関扉で寄り添っていた金獅子が垂直になって一匹ずつ独立している。扉が開かれた合図だと咄嗟に思った。
「氷雨澤さん!?」
無我夢中で獅子を掴んで引っ張ると玄関扉は大きく開いた。
だが、開いた扉の先に「彼」は居なかった。
その代わりとでもいうかのように私の目の前には…「ドラム缶」があった。
テカテカと安っぽく光るアルミ製のドラム缶に半球状の頭のようなものがついている。
おそらく、ロボットだ。
だが今どき小学生だってもう少しマシな工作をする。
空き缶にガチャガチャのカプセルを半分にして取ってつけて、折れ曲がるストローで手足をつけた…そんな見た目ながら背の高い私より一回り大きなロボット。
白煉瓦の豪奢な家の中、玄関扉の先に居たのは、昭和の香り漂うロボットだった。
私は玄関扉の獅子を掴んだまま、しばらく固まっていた。
多分、目の前の光景に脳の処理が追いついていない。現れたロボをじっと見ていると、ロボはギギギと音を立てこちらに向かって倒れてきた。
―潰される、と身構えたが、ロボは私の顔の前でぴたりと止まった。
「…すみません」
眼前のガチャカプセル頭が言葉を放つ。
「あの、その、すみません。こんな格好で」
休日に配達員が来たような台詞を吐くロボットを、私はじっと見つめ返した。
半球状の頭には顔と思しき部分があり、ガラスをはめ込んだような青い目に銀色の瞼。目の上には薄い板を貼りつけたような眉毛もあり、今は八の字を描いている。いわゆる困り眉というやつだ。前傾している筒状の胴体から生える腕の先には、馬の蹄のようなU字型の手が付いている。
「あ、その、僕です。
半球状の顔にある四角い口がぱかぱかと動いて音声を発した。
その姿を見て私はとあるフィギュアを思い出した。
幼い頃、ギャンブル好きな父親がフリーマーケットで買ってきた白黒テレビ時代の特撮ロボットフィギュアだ。
『見てみぃ茜、百円って値札が付いとるやろ?アホやでこれ。然るべきところに売りゃ数万の値がつくんになぁ』と意地汚い笑いをしていたっけ…
あの時父が高らかに掲げていた昭和ロボットと、目の前のドラム缶が重なって見えた。
「あのっ、信じられないと思いますが、今は僕が
ドラム缶は銀色の体をガチャガチャと鳴らし、私に向かって何度も頭を下げている。
昭和ロボットを前に意識が遠くなっていたが、今は意識を失っている場合でも、古い記憶を懐かしんでいる場合でもない。
とにかく時間がないんだ。この昭和ロボットが「氷雨澤青」だというのならば、私のやることは決まっている。
「その手」
ガチャガチャと頭を下げているドラム缶の、U字型の手を指差した。
「その手、マンガ描けるんですか?」
私の言葉の意味を察したのか、氷雨澤青を名乗るドラム缶は、U字の手をOの字に変えてみせた。
その合図を見た私は、抱えてきた茶封筒をまるで敵将を討ち取った戦国武将のように、高らかに天へと掲げていた。
「なら今すぐ原稿に背景入れてください!」
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