サプライズな贈り物

いちはじめ

サプライズな贈り物

「やっと終わったんですかね」

 隣の敷地に目をやりながら、妻がため息混じりにつぶやいた。

 今日は建築中である隣家からの騒音が止んでいる。工事は内装の仕上げに移ったようだ。

 それは二か月前のことだった。

 突然、建築会社の責任者が挨拶に来た。隣の二階建て古いアパート二棟を取り壊し、ある芸術家――知らない名前――の新居を建てるという。施主は後日改めて挨拶に来るとのこと。

 私にはそれを止める権利はないのだから、そうですかと返すしかなかった。

 そうして建築が始まったのだが、解体時の埃や騒音は思ったよりひどかった。妻は洗濯物も外に干せないし、窓も開けられないと愚痴をこぼしていた。また業者の車が頻繁に出入りするものだから、仕方ないとはいえ、全く落ち着かない日々を過ごしていた。

 棟上げ式の日、施主が夫婦で挨拶にきた。

 男は五十歳くらいで、少し白髪の混じった長髪を後ろに結わえ、奇抜な色合いのジャケットを着ていた。

「この度は拙宅の建築工事で、ご迷惑をおかけしておりますが、もうしばらくご容赦ください」と男は深々と頭を下げ、奥さんが携えていた手土産を差し出した。

 その後奥さんを交えて少し言葉を交わした。

 男は「アートディレクターの幡 久志です」と名乗った。本人によれば、自分でも作品を制作する傍ら、国内外のアート関連のイベントや若手発掘のコンペ等を企画しているという。幡氏は熱を込めてアートについて語り続けていたが、経理一筋で生きてきた私にはまるで別世界の話で、悪いとは思ったが何の興味や感慨も湧かなかった。

 そんな私を見て取ったのか、奥さんが肘で幡氏の脇を突っついた。我に返った幡氏は、「アートの話をするとつい夢中になりまして……」と頭を掻き、奥さんにせかされるように帰っていった。

 芸術に関して並々ならぬ情熱を持っていることはわかったが、芸術家にありがちな非常識な隣人でないことを願うばかりだった。

 しばらくは何事もない平穏な日々が続いたが、ある日、幡氏宅の塀全面に落書きされるという事件が起こった。

 何者かが昨晩のうちに、白いコンクリートの壁――あろうことかキャンパス地を模した加工が施されている――に、場末の盛り場などで見かける、一見して不快になるような稚拙な文字や記号などを描いたようだ。

 気付いた近所の住民が眉をひそめるなか、当の幡氏は怒るどころか興味津々で、まるでコンテストの審査員であるかのようにそれらの落書きを見て回っていた。

 これに触発されたのか、しばらくして幡氏はとんでもないことを言い出した。なんと自宅の塀をキャンパスに見立てて、落書きコンテストを開きたいというのだ。

 近隣住民と同様に、私はこの閑静な住環境が乱されるのではないかと懸念を示した。

 反対する住民と幡氏の数度に渡る協議の結果、自宅の塀だけを使うならよいだろうということになった。

 幡氏の熱意に押し切られる格好で始まったこの試みは、最初は散々だった。

 ストリートギャングさながらの若者たちが描いた落書きは、不快の域を超えるものではなく、住民たちは集まってきた若者達の恰好や態度にも辟易していたが、それでも幡氏は嫌な顔一つせず、そんな彼らに絵の指導をしていた。

 周りから白い目で見られながらも幡氏は辛抱強くこの企画を進めていった。すると次第に知名度が上がり、全国から多くの参加者が集まってきた。そして落書きにも作品と呼べるようなものが目に付くようになっていった。

 だが規模が大きくなるにつれ、危惧していた問題も表面化するようになった。街の各所で勝手に落書きをする者も増えたのだ。私の家も頻繁に被害を受けるようになった。

 当然苦情が幡氏の元に殺到し、コンテストの廃止を求める声が上がったが、その界隈ではすこぶる評判がよく、さらにそれが地域の活性化に一役買うほどになっていたため、事態は紛糾。最終的にはコンテストの形態を見直し、市の行事として管理実行するということで決着した。

 事態が落ち着いたころ、幡氏が訪ねてきた。

「ご迷惑をおかけしました。ようやく再開の目処が立ちました」

「頼みますよ、本当に。私にはあのような落書きに如何ほどの価値があるのか、未だによく分かりませんが」

 幡氏は私の言葉に苦笑しつつも、「落書きもアートであり、価値あるものなのです。そのうちにわかりますよ」と言って帰っていった。


 そんなやり取りをすっかり忘れてしまった頃、また落書きされた。

 ――やれやれ、またですか。

 ちょうどその日はTV番組の取材日で、落書きを消しているところを取材されるのはさすがにまずかろうと、夜半になってからそれをきれいさっぱり消した。

 次の日、朝食をとっているとTVにその取材の映像が流れてきた。

「あ、あなた。うちの塀の落書きが……」

 まさにうちの落書きの前で、若い女性レポーターがしゃべっている。

『ご覧ください、すごいことです。評価額は軽く一億円は超えるといわれる、あのバンクシーの落書きがここにあります』

「え、えっ!」

 私と妻は絶句した。

 私は隣人の正体とあの言葉の意味をその時初めて理解した。

                                   (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サプライズな贈り物 いちはじめ @sub707inblue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画