第6話
一勝二敗。
とりあえず最終戦に勝利すれば、五分五分に持ち込むことができる。そもそもいつから争いになったのか。多分争いだと思っているのは俺だけだし。
「やるぞやるぞやるぞやるぞやるぞやるぞ」
とにもかくにもやる気は大事。やる気さえあれば人生どうにかなる。
ベッドの上で意気込む。喝を入れる。
そうこうしているとノックが響く。
「入って良い?」
と、声が聞こえる。
だから、
「どうぞ」
と答える。
ベッドの上に立っている姿を観られるのはいくら私でも恥ずかしい。見られる前にそっと降りる。そしてなにもしていませんよ、みたいな澄ました顔をする。
扉の向こうに現れたのはリリスだった。
「コヒナ。なにか趣味を見繕ってくれるんでしょ。こっちの世界の趣味を早く教えてよ。私だけ教えてもらっていないのどうかと思うけれど」
やってきたリリスは早々に矢継ぎ早に言葉をぶつけてくる。
「どうどう。落ち着いて、落ち着いて」
興奮する犬を宥めるように声をかけた。
若干不満そうな表情をうかべるが、反抗的な態度は見せない。
なんだかんだ言って、リリスはパーティーメンバー内ではまとも組。魔王なのにまとも側に属するのは色んな意味でどうなのだろうと思うが。
「落ち着いたが」
「うん、さすがだね」
「さすが……?」
「あー、うん。こっちの話。気にしないで」
リリスは魔王なのにまともなんだね、とは言えなかった。別に言っちゃいけないってこともないが。なんとなく、言っちゃいけない。そんな気がした。
だから適当に笑って、誤魔化す。
話を逸らしたいという私の気持ちにリリスも気付いたのか、少しは気になるような仕草を見せるが、決して彼女の口から追及されることはない。そういうところが、まともさを際立たせる。大体リリスは自身がまともであることに対してどう思っているのか。この前魔王を捨てたとか言っていたし、さほど魔王に対するこだわりはないのかもしれない。であるならば、自身がまともであることに関しても、良くも悪くも感情は持っていないのだろう。
と、話が逸れてしまった。
「それよりもー、趣味……だよね」
こくこく頷く。
「とりあえずリリスにはこれを付与します」
私は段ボールからノートパソコンを取り出した。
そう。彼女にはインターネットにのめり込んでもらうつもりだ。
「なにこれ」
「ノートパソコン」
「のーとぱそこん」
「全知全能の脳みそにアクセスするために必要な機械、とでも思ってくれたら良いかなー。ちょっと、いいや、だいぶ語弊があるかもしれないけれど。全知全能って言う割には間違いだらけだし。悪意のあるデマとかガセばっかりだし……というか攻撃的な内容ばっかりで見てれば見てるほど気分が悪くなる……」
考えれば考えるほど、ノートパソコン……インターネットに対する悪口が出てくる。溢れんばかりに。
「なんかよくわかんないけど、あんまり面白くなさそうじゃん」
「いや、面白いよ」
「でも面白くないんでしょ。気分悪くなるって」
「使い方次第だよ。有意義に使おうと思えばいくらでも有意義に使えるし、楽しもうと思えばいくらでも楽しもうと思える。肥溜めに入り込んだら、当然だけど気分悪くなる。どう使うか次第だよ。本当に」
りりすだったら有意義に活用することができる。そう思っていパソコンを渡すことを決意した、みたいなところもある。
正直、趣味なのかと言われれば、微妙かもしれない。
生活を豊かにする道具だから。でもまぁカメラとか車とかも生活を豊かにする道具でありながら趣味にもなっているわけで。そう考えると、パソコンも極めれば趣味と言って差し支えないのかもしれない。
「……そう言われると不安」
「大丈夫。リリスなら大丈夫」
「なにが大丈夫なわけ?」
「それは……」
「それは?」
「わからん……」
「一番不安っ!」
リリスは嘆いた。
リリスにパソコンの使い方を教えた。傍から見たらパソコン教室だ。彼女用のアカウントを作ってあげて、キーボードの操作、マウスの操作を丁寧に教える。ただキーボードで文字を入力するのは難しいらしい。異世界の言語と日本語はご都合主義な世の中なので勝手に翻訳されるのだが、ローマ字を介すと翻訳は不可能になる。まぁローマ字は言語だけど言語じゃない。翻訳なされなくて当然か……と思うが、同時にご都合主義ならそこまでしっかりやってくれとも思う。
「コヒナにはわかるの?」
「そりゃもちろん。何年間も向き合ってきたからね〜」
「じゃあ私にもできるかな……」
「それってどういう――」
「あっ、ダメだ。暗号にしか見えない」
リリスはぐてーっと机に突っ伏せる。
その気持ちはわからなくもない。
異世界の古代文字と向き合った時に同じことを思った。同じ感情を抱いた。しかもあっちの世界では古代文字というのは比較的メジャーなものだったようで、読めること前提で話を進められて苦しかった。今考えれば変なプライドはさっさと捨てて、読めない、わからないと素直に言っていれば良かった。
「経験あるのみ、だね」
私は古代文字とひたすら向き合うことで克服した。完全に独学だった。ただ答え合わせはしていない。故に実は間違って理解してました……みたいなものがあってもおかしくない。
っと、話が逸れた。
言語関係はひたすら場数を踏んで覚えるしかない。だから経験あるのみ、という言葉に尽きる。ただ、基礎がわからなければ場数を踏むことさえできない。土台に立てないのだ。
「経験を積むためにプレゼント」
A4サイズの紙を一枚プレゼントした。
受け取ってじーっと見つめ、ほどなくしてゆっくりと首を傾げる。
「これは……?」
「なんだと思う?」
「質問に質問で返さないで」
耳の痛い指摘だった。私の悪い癖である。
「ごめん。これはね、ローマ字早見表って言うんだよ。日本語……つまり、今私たちが喋ってる言語だね。その中にひらがながあってね。そのひらがなと対応したローマ字がそのローマ字早見表には――」
「ひらがなってなに?」
「ひらがなっていうのはね、日本語の中にある、ある……あるぅ?」
ひらがなの説明を試みるが、四苦八苦してしまう。説明しようとすればするほど、ひらがなとはなんなんだと悩ましい問題が浮上する。
小学生から……いいや、幼稚園児、下手したらそれよりもうんと前からなにげなく使っているひらがな。私たちにとってはひらがなはひらがなでしかない。日本語の中にあるそういうものというふわっとした認識だった。
だからいざ、ひらがなってなんですかって言われると……こうやって言い淀む。言葉に詰まる。
「……」
リリスはじーっと私のことを見つめる。
と、とりあえず、ここでうだうだ考えていても、答えには辿り着けない。わからないもんはわからない。無理なものは無理。
「こういう時は先生に頼る。それが一番」
「先生? コヒナに先生いるの?」
「……いないけど、いるんだよ」
「ふぅーん……?」
リリスは納得しているような、納得していないような。どちらとも受け取れる微妙な反応を見せる。
まだこの世界に揉まれていない可愛い女の子だ。
そんな彼女を横目に私はカタカタとプレゼントしたパソコンを使って調べ物をする。ついでにブラインドタッチも見せておく。もちろんドヤ顔も忘れない。
検索ワードは『ひらがなとは』である。なにについて知りたいのか、単純明快な検索ワードだと自画自賛したくなる。
某グー先生を頼るだけでなく、某ペディア先生にも力を借りる。某ペディア先生は『平仮名(ひらがな)は、音節文字の一つ。かなの一種である。異体字は変体仮名と呼ばれる。』って言っている。ふむふむ、なるほど……ってなるかぁ!
音節文字も変体仮名とかちゃんと説明できる気がしないんですが。無理だな、無理。
「とにかく……『あ』なら『A』だし『い』なら『I』だから。書いてある通りオッケー?」
「説明になってないんだけど……」
「オッケー?」
「こ、高圧的だ……わかったよ……」
時には押し通すことも大事。
異世界での教訓だ。
「っていうのが基礎の基礎ね」
「基礎の基礎……」
「そう。ローマ字を覚えてやっとスタートラインに立つの」
「……」
リリスは心底面倒くさそうな表情を浮かべた。
そう思われるだろうなというのは想像していた。というか、私が初めてパソコン触った時もその感情を持っていたし。気持ちは良くわかる。良くわかるが、ローマ字が普及している以上、覚えないわけにもいかない。一応かな入力もあるが、それで覚えると多分不都合が多い。だからここは心を鬼にする。さもそれが当然みたいな雰囲気も出しておく。
「で、これがパソコンの面白いところ」
某動画アップロードサイトを開く。
私のアカウントでログインをして、おすすめに出てきた適当な動画……音MADを視聴する。一部の界隈で絶大な人気を誇るトリオ芸人の音MADだった。一時期このお笑い芸人の音MADばかり見ていたので、おすすめが完全に汚染されている。
懐かしいなぁという気持ちを抱きつつ見る。右から左へとコメントが動画上で流れていく。
「色んな動画が観れるってわけ」
「どうが」
「そう。動画……映像……いつでもみれる劇、はちょっと違うか……」
動画とはなにかを説明しようとしたが、これと言って適切な説明が思い浮かばずに一人で悶々とする。あっちの世界には映像という概念が存在していなかった。ユキは馬鹿なのでテレビやパチンコの映像を「そういうもの」だって深く考えていなかったみたいだが。リリスは賢いのでユキよりも一歩先を考える。その結果、こうやって私が苦しめられるのだから面白い。
……。面白くない。全然面白くないよ!
「とにかく色々触ってみて!」
思考回路がオーバーヒートしそうになって、ぶん投げた。
「適当すぎない?」
「って言われても……触ればわかるとしか言えないし」
諦めもあるが、そう思っているのもまた事実。
やいのやいの文句を垂れるリリスを全力で無視して、部屋を後にする。
後悔は……ない。
数時間後。
私の部屋に戻る。
リリスはパソコンと睨めっこをしていた。
キーボードをカチャカチャ鳴らし、マウスをカチカチ触る。手馴れている。うつ伏せになって、顎をクッションに乗せている。その姿勢のせいで、仕事をしているというよりもニートみたいに見えてしまうのはちょっと問題かなぁと思ったりするが。けれど、パッと見た感じ、つまらないという感想は抱いていなさそうで一安心だ。
「お、コヒナ」
私に気付いたリリスは動画をストップして顔を上げる。
ひょいっと上体を起こして、ぐーっと背を伸ばす。
「なんか……目がしゅばしゅばする」
「画面と顔が近いからだよ。そんな姿勢でそんな至近距離で画面と睨めっこしてたらそりゃ目しゅばしゅばするよ。目悪くなるよ」
「それ早く言ってよ」
「うん……ごめん」
その通り過ぎて、素直に謝罪する。謝る以外の選択肢がなかった。
「使いこなせた? パソコン」
「どうだろう? 自信持って使いこなせる……とは言えないかな」
謙遜というにはあまりにも自信のなさが顔に浮かんでいる。
本気でそう思っているらしい。まぁそう思うってことはそれだけパソコンと向き合った証拠でもある。パソコンに興味を持てば持つほど、パソコンを使いこなせるとは豪語できなくなるからね。その言葉が聞けた時点で、もしかしたら私の勝利なのかもしれはい。
「ただパソコン? いんたーねっとから学べることはたくさんあったかな。特にこの世界のことについて」
「この世界のこと……?」
「そう。例えばちょっと前までの私みたいな性格を『ツンデレ』って言うとか。なにか面白いことがあったら『草』って言うとか。挨拶は『うぽつ』とか」
「……なんか絶妙に違うの混ざってるけど、まぁ良いや」
「なんか言った?」
「いや、なんにも」
わざわざ修正するのも馬鹿馬鹿しいので見て見ぬふりをする。
というか、若干口調に変化が見られたのはそれが理由か。ツンデレだって自己分析できたのは良かったと思う。でもそれがリリスの個性だったからなぁ。個性が失われるというのはただただ寂しい。
私の寂しさなど気付かぬリリスは「そうそう」と口にしながら、思い出したようにパソコンをまた触り始める。
手を止めるのと同時に視線をこちらへ向ける。
「あと便利なのも見つけたんだよね」
「べ、便利?」
「これ」
彼女が見せてきたのは某ネットショッピングサイトであった。
「これをこうすると……買えるの。すごくない?」
「ねー」
ネットショッピングを既に使いこなすリリス。凄いという感情と同時に恐ろしさも湧いてくる。
「お金湧いてくるわけじゃないからね。ご利用は計画的に、だよ」
「おけ」
あっ、コイツはインターネットに染まるな……。
淡白過ぎる返事を聞き、リリスがインターネットという大海原に両足をどっぷり浸からせていることをなんとなく悟った。
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