第3話 カレナに趣味を与えたい

 私は部屋でとある人物を待っていた。

 昨日呼び出したから来るはず。スマホはないので、部屋にある小さな置時計で時間を確認する。


 「まだ、か」


 ぽつりと呟く。

 約束の時間まで残り五分。

 五分前行動をしろ、と常々言われていた運動部出身の人間であればきっともう私の前に現れるのだろうが、今日私が約束した相手は運動部出身ではない。というか五分前行動という概念を持っているのかすら怪しい。というわけで五分前行動は期待しない。そもそも五分前行動とかしないで欲しい。されたらこっちもしなきゃならないし。時間を決めたんだから、その時間通りに来てくれ。


 この五分間なにをするか。

 特になにもしない。

 五分でできることなんてたかが知れている。強いて言えば部屋の片付けとかになるのかな。でも片付けるほど部屋は汚れていない。毎日両親が掃除していたらしいので、本当に綺麗だった。散らかす人が居ないので尚更だ。汚れる理由がない。


 「つまり、無の時間……ってわけか」


 しょうがない。

 精神統一でもしてよう。


 待ち合わせをしている人物が来るまで待った。






 カチッと時計の音が鳴る。

 短針と長針が同時に動いた。

 時計を見る。目的の時間になったらしい。その瞬間だった。


 ノック。


 扉が叩かれた。


 「どうぞ」


 ベッドの上で女の子座りをしながら待つけれど、気分は面接官であった。面接するような姿勢ではないが。


 「コヒナ様、遅れて申し訳ありません。到着いたしました。お邪魔いたします」


 ぺこりと頭を下げる。金色のながーい髪の毛が揺れる。髪の毛を邪魔そうに耳にかける。そうすることで長い耳がより一層主張される。

 久しぶりに長い耳を見た気がする。数日ぶりだ。

 この方が、カレナと話しているという感じがして良い。


 「頭上げて。あと、遅れてないからね」

 「いや、遅れてます」

 「お、遅れてる……かなぁ」


 チラッと時計を見る。

 どう見ても時間ピッタリだと思うのだが。

 もしかして私、約束の時間間違えていたのだろうか。カレナが間違えるとは考えにくい。ということはやっぱり私が間違えたと結論付けるのが自然である。


 「三秒遅れてしまいました」


 たしかに、三秒くらいは経過していたかもしれないが。そんな細かいことを気にしていたらキリがない。三秒なんて五十メートルも走れないくらいちんけな秒数だ。そんな細かい数字気にしたってしょうがないだろう、と思うのだが。彼女にとってはたかが三秒、されど三秒なのだろう。


 「そっか、うん。じゃー、次から気を付けてねー」


 良いんだよ気にしなくても。三秒くらいで謝らなくて良いよ。そういうことをあれこれ説明して説得しようとしてもどうせ納得しない。それがカレナだ。だったら、こうやって適当に流してやった方が良い。異世界で長年付き合ってきたからこそわかる。


 「はい」


 ほらね、素直に頷くでしょ。


 「それでコヒナ様どのようなご用件でしょうか。この世界でも私はコヒナ様の手となり足となるつもりです。ですから、なんなりとお申し付けください」

 「とりあえず座って良いよ」

 「え、座る……ですか」


 一瞬驚いてから、キョロキョロ辺りを見渡す。

 ちょこちょこ歩いて、なんにもない角っ子を確保し、こそっと座る。


 「そんな端っこに座らなくても……」

 「ここが一番落ち着きます」

 「そうなの? でもなぁ、うーん、私が話しにくいから……」


 そんな端っこに座ることは想定ていなかった。けれど、少し考えればわかるようなことだったなとも思う。カレナの性格や思考パターンを考えれば容易に想像できた。これは完全にわたしの読みが甘かった。反省点だ。


 「カレナ、こっち来て……」


 とんとんと私の隣を叩く。

 カレナは私の手をじーっと見る。


 「良いのですか?」

 「むしろダメなのですか」


 口調が移った。


 「ダメではないですが。私なんかが二人っきりの時に隣りを陣取るなんて烏滸がましいような気がしてしまって」

 「いや、そう言うけどさ、こういうパターン結構多いよね。私とカレナだけしかいないパターン」

 「それは……そうですね。ただそれって外とかの話じゃないですか。こうやって密室で……というのは珍しいので、その、かなり、緊張してしまうと言いますか」


 言われてみればたしかにそうか。

 あまりそれは意識はしていなかった。

 意識すると、なぜだろうか。こちらも変に緊張してしまう。あぁ意識なんてしなきゃ良かったな。


 「わかりました。ではお言葉に甘えて失礼させていただきます」


 私が無言を貫いていると、彼女は観念したのか私の隣にやってきた。そしてしばらく立ち尽くし、天を見上げふぅっと息を吐き、覚悟を決めたような表情を浮かべながら、座る。そのまま処刑でもされるのかなってくらいの表情だった。


 「……よ、ようこそ」


 こちらはこちらで黙りたくて黙っていたわけじゃなかった。

 なので気の利いた言葉をかけようにもかけられず、驚くほど変な言葉をかけてしまう。猛烈な後悔に襲われるわけだがもう遅い。


 「……」

 「……」


 なにこの空気。

 初めてできた彼氏が家に遊びに来たけど、二人っきりで気まずくて、これからどうしたら良いかもわからずに戸惑って、喋るような空気でもなくなって、相手がなにを考えているのかもわからなくなり、これから本当にえっちするのかなと不安になる時みたいな空気だ。


 「えーっと、とりあえず。今日来てもらったのはこの世界のルールとマナーと常識を教えようと思ったからだよ」


 思考を停止させて、夜な夜な作って脳みそに置いてあった定型文をそのまま口にする。

 若干棒読みになった自覚はあるが、このまま黙り続けて、謎の沈黙の中でただただ時間を潰すよりは幾分もマシだろう。言い訳でも強がりでもなく本気でそう思う。


 こうして、私は彼女にこの世界での生き方を教えてあげた。

 まぁ大層なことは教えていないがな。






 とりあえずこの世界の常識は叩き込めた。というか、日本人の価値観と異世界とこの世界の違いを教えたって感じだ。

 挨拶をしておけば第一印象は良くなるよとか、人の命はとても大事なものだよとか、魔法は無いけど技術はあの世界とは桁違いだよとか。

 赤信号は止まって青信号は進んで良いとか、教育、勤労、納税の国民の三大義務があるとか、百円は一万円より価値が低いとか、そういう生活する上での常識は教えていない。教えようと思ったがキリがないので、その時その時で教えようと妥協した。


 「あっちの世界とは違ってこっちの世界は平和そのものだよ。ってのはすこし語弊があるかな。この国、日本は平和そのもの。だからまぁ、すんごい暇なわけだよ」

 「そうですか? 私はコヒナ様と居られるだけで暇は潰せますが……」

 「暇なんだよ」

 「……」

 「暇 なん だよ」

 「そ、そうですね」


 思いっきり圧をかけた。押し潰してやる、くらいの気概で圧をかけた。

 さすがにカレナは折れた。


 「というわけで、暇潰しアイテムを進呈しようと思う」

 「暇潰しアイテムですか」

 「うん、そう。娯楽だね」

 「娯楽ですか。お祭りとかですか」

 「……ああ」


 そういやそうだった。あっちの世界ではお祭りとかが娯楽に分類されている。娯楽が無さすぎるせいでそんなことになっているのだ。暇潰しに村単位でお祭りをする。なにかにかこつけてお祭りをする。お祭りのためにお祭りをしたりする。そういう世界だ。


 「広義的に見れば間違ってないね」


 一々説明するのも面倒なので、そうまとめてしまった。

 楽しいこと、面白いこと、好きなこと。そういう考え方自体は変わらないし。


 「カレナに渡すのはこれ」


 本棚から既に取っていた一冊のマンガ本を渡す。

 誰もが一度は耳にしたことがある超有名マンガ。呪術師が呪霊と戦う系のマンガだ。


 「本、ですか」

 「そう。マンガって言ってね……絵の小説みたいな感じかな」

 「なるほど。私の世界で言うところの旅行記みたいなものですか」

 「そうそう。それそれ」


 あっちの世界の旅行記は文章半分、イラスト半分であった。マンガというよりも、絵日記という感覚ではあったが。写真なんてあっちの世界にはないからね。あるわけないじゃん、カメラなんて。カメラ代わりの絵である。


 「これを読めば良いんですね?」


 マンガを持つエルフ。

 だいぶ不思議なシチュエーションだ。

 異世界では絶対に見ることのできない光景。


 「義務じゃないから見たくないなら読まなくて良いよ」


 彼女から義務感が滲み出ていたので、一応逃げる理由は作っておく。

 私が知らないだけで、カレナが大の活字嫌いという可能性もあるからね。無いとは言えない。

 娯楽じゃなくて地獄を押し付けるようなことはしたくない。


 「読みます」

 「そ、そう」


 私の心配は杞憂に終わった。あまりにも覚悟の決まった「読みます」という言葉にそう反応するしかなかった。

 ぺらっとページを捲って読み始めた。

 ぺらっ……ぺらっ……というスピード感。じっくり読んでるなぁと思えば、段々とスピードは上がっていく。ペラッペラっペラッ、と。え、ちゃんと呼んでるの? ってくらいの速さだった。

 気付けば彼女は自分の世界に入り込む。没入感がすごい。一切顔を上げない。

 マンガの力ってすげー!




 十分もしないうちに顔を上げた。

 つまらなかったのかなと心配になる。


 「読み終わりました」

 「え、もう終わったの?」


 十分って早過ぎないか? それともそんなもんなの? 一巻を読了するのに二十分、三十分かかってしまう私が遅すぎるのだろうか。

 人が漫画を読み終える速度なんて普段気にしていなかった。だから基準がわからない。


 「はい。とても面白かったです」

 「それは良かった……」

 「続きはないんですか?」

 「続き……」

 「はい、続きです。次が気になります。続きあるんですよね。読みたいです、続き」


 うずうずしているのが伝わってくる。


 「じゃあ……ちょっとまってて」


 と、言いながら立ち上がり、本棚まで向かう。

 そして二巻から二十八巻まで回収する。


 「はい、どうぞ」


 そして今あるだけの巻数を渡す。


 「おお、これがぜんぶですか」

 「今出てるのはこれがぜんぶだね」

 「読んで良いんですか?」

 「もちろん。そのために持ってきたんだし」

 「ありがとうございます。では、遠慮なく……」


 もう私になんて興味がないようで、マンガに没頭する。

 好きなことを見つけられたのはとても素晴らしいことだろう。ただなんだか寂しさを覚えてしまう。

 私じゃマンガには勝てないか。まぁしょうがないね。マンガ面白いからね。と、負けた己に言い聞かせた。






 黙ってマンガを読んでいる人を眺めるというのはあまりにもつまらない。顔が良ければ眺めるだけでも楽しい、みたいなことを言う人と出会ったことはあるが、本当に面白いのか? と思ってしまう。

 というわけで、私は途中で寝ていた。いいや、寝落ちしたという表現が正しいのか。気付いたら寝ていたのだ。

 しょうがないね。マンガを読む人を眺めるという虚無な時間を過ごしていたから。寝ちゃうのは仕方ない。うん。


 「コヒナ様、コヒナ様」


 揺さぶられて、完全に目を覚ます。


 「カレナ、どうした?」


 鬼気迫る表情で私を呼ぶ。異世界感覚がまだ抜け切らないので、一瞬敵襲かと焦り、臨戦態勢をとった。構えてからここ実家だったと気を緩める。


 「あの! 続き! この続きはないんですか」


 彼女の近くには綺麗に二十八巻分が積み上げられていた。

 もう読み終えたんだなってのがわかる。

 え、もう読み終わったの? いくらなんでも早いよね。早すぎない?


 「続き?」

 「はい」

 「残念ながら今手元にあるのはそれだけだよ」

 「そうなんですか」


 ガックリと肩を落とす。露骨にショックを受けたような顔をするので、こちらの心が痛む。これが犬に「待て」を仕込む飼い主の気持ちかぁ。

 読みたいと言われても、単行本は未発売なわけで我慢してもらうしかない。


 「そうだ、じゃあ他の漫画でも読む? こっちなら百巻以上あるし……しばらく時間潰せるでしょ」


 そう言って、某少年名探偵の単行本をどかんと渡す。


 「コヒナ様……もしかしてお金持ちなのですか?」

 「え、なんでって……あぁ、そっか。こっちでは紙の価値はさほど高くないんだよ。だからマンガは庶民の娯楽品」

 「……これが庶民の娯楽品。考えられません」


 絶句。空いた口が塞がらないとはまさにこのこと。

 でも異世界の価値観からすればそうだ。異世界では紙の価値は異常に高かった。その上で上質な紙というわけでもない。だから旅行記なんかは貴族の趣向品という扱いであった。一家庭に一冊置いてあるかどうか。そのレベル。


 「こっちの世界ではそうなんだよ」

 「しかもこんなに面白いのですから、この世界の人は幸せ者ですね……」


 こっちの世界の人間は異世界に羨望を向け、異世界の人間はこちらに羨望を向ける。

 隣の芝生は青く見える、ちゅーわけか。

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