二章『一年後の東京』
第1話 清算して横須賀から実家へ
海から地上へと降り立つ。
大きな感慨はない。
やってきました東京。と、と、東京……。あれ、あれれ。おっかしーなー。私がいない一年間で横須賀が東京になっちゃったのかな。
唇に指を当ててぐぐぐと首を捻る。
まぁ某夢の国みたいなものかって思考に辿り着けば、横須賀が東京に扮しているのもさほど不思議ではなくなる。むしろそういうものかと納得できるようになる。
「おー」
「わー」
「すっごいな」
「えぐ」
横須賀に降り立った四人は揃いも揃って感嘆の声を漏らす。
正直周囲の立地は感動に値しない。ビルもなければ、なにか特別高い塔があるわけでもない。自然と人が共存する街という感じだ。
これはこれで悪くはないと思うが、異世界の都会と同じくらいの発展具合だし。
それよりもすげぇーって感動しているのは船の方だった。
戦艦? のような船が何隻も停泊しているのだ。
ごつくて、異世界にいたら絶対に見る機会のない船。この世界で生まれた技術をギュッと濃縮したような船。まさに技術の結晶。
それが目の前に広がり、見せつけられる。
異世界から来た四人にはあまりにも刺激の強いものであった。
「あれのりたい!」
「いや、無理でしょ」
「えー」
ぐいぐいと袖口を引っ張ってきたタマは不服だと言わんばりに頬をむくーっと膨らませる。
でも興味を示してくれるのはこの世界で生きてきた者として純粋に嬉しい。
「タマ、この世界にはもっとすごい乗り物がたくさんある」
「かっこいーの?」
「もちろん」
「かわいーのは?」
「可愛いのは……あるのかな。探せばあるかも、しれ、ないね」
乗り物に可愛いという感性を追い求めたことがなかったので言葉が詰まる。
可愛い乗り物なんてあるのだろうか。
探せばあるのかもしれないが、少なくとも可愛いと思う乗り物に遭遇したことがない。
「さがそー、さがそー!」
ワイワイ楽しむタマの頭をニット帽の上から撫でる。
その手をガッチリと掴まれた。華奢な手だった。
「コヒナ様。タマ様を甘やかしすぎるのは……その、良くないかと、思うんです」
私の手首を掴んだ繊麗な手はすぐに離れた。
痛みもなければ、跡が残るわけでもない。
それよりもあまりに弱々しい態度を見せるカレナの方が気になってしまう。
「カレナ……?」
タマも不思議がる。
いつもならタマの頭を撫でるその光景を微笑みながら見守っているから。
「最近、魔王リリスともコヒナ様は大変親睦を深めているようですが」
「そりゃもうここまで来たら仲間だし。たしかに敵だったかもしれないけれど、今更仲間はずれにはできないでしょ」
「……な、なかまぁ!」
仲間という言葉を噛み締める魔王リリス。
どういう反応だよと笑ってしまうが、まあ本人は嬉しそうなので良し。
それよりも。
「魔王リリスと仲良くしているのが納得できない、と?」
タマを甘やかすことに突っかかってきた理由にはならない。
別にタマを甘やかすのを邪魔したから怒ってるわけじゃない。本当に怒ってない。ただいつもと違うカレナに困惑しているだけ。
「魔王リリスには思うところがないと言えば嘘になります。コヒナ様は異世界から来た勇者様ですが、私は元の世界の住人。魔王軍から受けた影響は多大なものでした。悔恨がなにもないとは言えません」
そりゃそうか。
私は実害を受けていない。
強いて言えば魔王を倒せと言われ無理矢理召喚させられたぐらいだろうか。
でもあの世界で住む人たちは私たちが想像を絶するような実害を被っている。故郷を追い出されたり、家族を殺されたり、職を失ったり。
ぜんぶ解決したら仲良くしましょうね、って無理な話だ。
私、なにも考えられてなかったなーって反省する。
「ですが」
反省して謝ろうとした時だった。
カレナはそう口を動かす。
そう言われると、私は固唾を呑んで次の言葉を待たざるを得ない。
謝りたいのに謝れない時のモヤモヤは異常だ。
「コヒナ様のおっしゃることはもっともです。それに魔王リリスは魔王ですが、私たちに刃を向けたのは先代魔王であり、魔王リリスではありません。彼女に敵意を向けるのは、私たちが先代魔王にやられたことをやるだけであり、誰も幸せにはなりません」
「よ、要するに?」
「魔王リリスとコヒナ様が仲良くされること。それ自体に不満があるわけじゃないのです」
ちょっと長ったらしかったセリフを簡単にまとめてくれた。
私に反省点は少なからずあるが、謝る必要はない。そう判断した。
タマもユキもうんうんと頷く。
この人たち心が広いな。私が同じ立場なら、先代がした責任を取れと殺していたと思う。
「不満があるのは、コヒナ様。最近私への態度が乱雑ではないか、ということです」
「態度が、乱雑……?」
眉間に皺を寄せる。
どういうことだ。え、どういうことだ。
「はい。タマ様へは相変わらず愛を向けておられます。ユキ様へは少し歪んでいるかもしれませんが、ユキ様の喜ぶ愛の形を与えています」
「それ私が変態みたいな言い草だな」
「事実です。というかまず人の話を遮らないでください」
きいっと睨む。
ユキはしょぼんと一歩下がる。
今のはユキが悪い。
「魔王リリスとは急激に仲を縮められました。しかも、まるで旧知の仲であったかのようなそんな雰囲気さえ醸し出されています」
「そうだっけ」
「はい。そうお見受けできます」
自覚はなかったが、そう見えていたらしい。
カレナがそう見えていたと言うのならば、きっとそうなのだろう。
「それに比べて最近の私への態度はどうだったでしょうか」
「……」
「雑用ばかりで活躍なし。それどころか迷惑をかける始末。ですが、コヒナ様は叱るわけでもなく受け入れてくれました。そのせいでしょうか。頭を撫でてくれなくなり、手を握ってくれなくなり、頬を触ってくれることさえなくなりました」
たしかに。
異世界にいたころと比べると、カレナとのボディタッチの回数は著しく減った。
求められているとは思っていなかったから。
「もしかして……して欲しいってこと?」
これで勘違いだったら恥ずかしい。そういうことじゃないって言われたら、本気で死ねる。その海に放り投げて欲しい。
「そう……ですよ」
「そっかー。そうだったかあ」
肯定されて反応に困る。
言われたからできるかと言われると難しい。急に気恥ずかしくなる。意識すればするほど動きが鈍くなる。
でもカレナが求めていることはしてあげたい。それだけ彼女には大きな恩があるし、私自身求められることを嫌だと思わないし。
「じゃあ、はい」
彼女の手をとる。
撫でてって言われて撫でるのはどっちも多分恥ずかしくなるし、頬を触るのはちょっと周りの目を気にしちゃう。あれこれ考えた結果、手を繋ぐくらいなら、まぁ良いかなって。
「コヒナ様」
「はい」
「私、今とても幸せです」
極楽浄土へ旅立つ、未練のない死人みたいな満足気な笑顔。儚さが全身を覆い、思わずギュッと強く手を握ってしまう。
「痛いです」
「あ、ご、ごめん」
言われて、ハッとして、握力を弱める。
同時に空いていた手に温もりが宿った。
「カレナ。独り占めはずるいぞ」
左手をユキが奪う。
「タマはかたー!」
化け物じみた身体能力で肩に跨る。しゃがまずに肩車が完成した。体幹が弱くてぐらっとよろめくが、すぐに体勢を立て直す。
「魔王リリスは……」
なんか仲間はずれなのが可哀想なので声をかけた。
けれど彼女はぶんぶんと首を横に振った。
あれ。もしかして私振られた?
「代わりに一つ……お願いしたいことが」
ただのツンデレかなと思ったが、どうやら違うらしい。
「私にできることならするよ」
「じゃあ……魔王リリスじゃなくて、リリスって呼んで」
「わかった。リリス」
「うん。そう。それが私の名前。魔王なんてとっくに捨てたから」
リリスは心底満足そうだった。
「それじゃあこっから歩こうか」
パーティー内における不満も解消し、憂うものはなにもなくなった。
晴れた今、なにも怖がることなく、大きく歩くことができる。
「コヒナ様。ここが地元なのでは?」
「うん、違うよ。こっからさらに歩くよ」
「おさんぽだー」
タマは楽しそうに私たちの先頭を歩く。
隣を歩くカレナと目を合わせて、苦笑する。
ちなみにだが、お散歩という距離感ではない。
スマホがない今、どのくらい距離があるのかも、どのくらい時間を要するのかもわからないが。少なくとも一時間歩いて到着する、みたいな生ぬるい距離じゃないのはわかる。
とはいえ、異世界で鍛えられている。
故にある程度距離があっても、いけるだろうと判断した。
「また歩くのか……」
リリスだけ面倒くさそうな表情を浮かべる。
「嫌?」
「そりゃ歩かなくて良いならそれに越したことはないでしょ」
あまりにもごもっともだった。
「ドラゴンとかいないの? 使役しよう」
「馬鹿言え。ドラゴンなんてこの世界にいないよ。ドラゴンみたいなやつは昔も昔、超昔にいたらしいけど、あいつらに進化した」
電信柱の上でちゅんちゅん鳴く雀を指差す。
「あれが……この世界の……ドラゴン……」
リリスは絶句している。
「コヒナー、あのとりさんはほのーはくの?」
「いや、吐かないし攻撃してこないよ」
「ころしとくー?」
「だから人畜無害だって」
畜に無害……、なのか。言っておいて考え込んでしまう。
なにはともあれ殺すのはやめて欲しい。色んなところから怒られる。って、人殺している時点で失うものはなにもないのだが。
「じゃあしょうがないわね。使役は諦めるわ」
「そうしてくれるとありがたい」
「歩くしかないってことなんでしょう?」
「そういうことだね」
私たちは歩き始めたのだった。
歩き始めて一時間ほど経過した。
誰も疲労を見せない。みんな元気だった。
「この世界の道路は凄いですね。ずっと舗装されていて、歩きにくさが全くありません。これならば一年中歩き続けられますよ」
カレナは純粋に感動していた。
たしかに異世界と比較した時に、この世界の道路は歩きやすい。山道は舗装されていない部分もあるが、街中になれば絶対にアスファルトで舗装されている。
舗装されているか、否か。
歩く上でその差は大きい。砂利道を歩くのと、アスファルトの上を歩くの。どちらが負担なく歩けるかと言われれば後者と答えたくなる。
とにかく私も共感はできる。アスファルトに感動するような異世界人ムーヴはしないけれど。
カレナの言葉通り、まだどこまでも行ける。どこまでも歩ける。そういう空気感が漂う中、足を止める。
「着いた……」
実家に到着した。
一日ずっと歩いていたような感覚がある。感覚なだけであって、実際どうかのかはわからないが。
少なくとも日は沈み、昇った。
起きていることで生じる眠気も襲ってきた。
ほぼ一日歩いていたのは間違いない。
「ここがコヒナ様の実家ですか」
そうやって言われると恥ずかしい。
良くある普通の一軒家だから。
広大な庭があるような豪邸なら自信を持って「ここ実家」と言えるのだろうが。
まぁ一軒家があるだけ恵まれた環境であるというのはわかっている。
「そう、ここか我が家だよ」
というか、今まで冒険をしてきた仲間に紹介するということに気恥しさがある。
高校の友達に両親を紹介する時のようななんとも言えない恥ずかしさだ。
「まぁとりあえず上がってよ」
恥ずかしさを誤魔化すように私はつかつか歩く。
庭を歩く。懐かしさが襲う。この世界ではたった一年だが、体感はもっと長い。だから一歩進む度に、心が若返る。
玄関の取っ手へ手を伸ばす。触ろうとした瞬間に、ガチャっと扉は開く。
「……」
見覚えのある中学校の制服に身を包む、清楚さのある女の子。とくに黒色のポニーテールが清楚さを際立たせる。
「こひねぇ……?」
「
「本当にこひねぇなの?」
「私は私だよ」
本人を本人であると証明するのは難しい。本人確認できるものもないし尚更だ。
一年間しか期間は空いていないとはいえ、もう居なくなったもんだと思われているはず。もしかしたら信じてもらえないかも、とぼんやり考える。
その時だった。
ドンッと正面から衝撃が加わった。
痛いという感情よりも先に温かいという感情が芽生える。
「こひねぇ、どこ行ってたの! ばか!」
我が妹に思いっきり抱きつかれた。
後ろの方から色んな感情が交わった視線を浴びるが、うん、気にしない。
とにかく、私はぶじ実家に戻ることができた。
異世界に召喚された時はもう一度この家に帰ることも、妹の顔を見ることもできると思っていなかった。
感慨深いとはこのことなのだと、思い知らされた。
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