あやかしはアヤシクテ、まやかしはマボロシ

橋本洋一

あやかしはアヤシクテ、まやかしはマボロシ

 私立武蔵坊学園には時代遅れの番長さんがいる。けれども、不良行為をしているわけではない。ただ彼よりも強い生徒がいないだけだ。それでも真面目な学生ではないらしい。授業をしょっちゅうサボっていて、彼の所属しているオカルト研究会の部室に引きこもっている。よく分からないのだけれど、先生たちに黙認されているようだ。


 私は二時間目の授業中だというのに、その番長さんに会いに来た。

 部室棟の最上階にあるオカルト研究会のドアの前で少し逡巡して――コンコンとノックした。


「あん? 誰だあんた?」


 ガチャという音と共にドアが開かれる――強面の男子高校生がいた。

 番長の名に相応しい背丈が大きくてがっちりとした体格で、それでいて眼光鋭い。

 しかもスキンヘッドだ。学生服――今どき珍しい黒の学ランだ――を着ていなければとても高校生には見えない。いや、着ていてもそうとは見えない。


「あ、あの……望月従吾もちづきじゅうご……さんですか?」


 噂では高校一年生で私と同学年だけど、一応さん付けしてみる。

 すると「違う。従吾に何の用だ?」とスキンヘッドの生徒が言う。

 さっきも思ったけど、声が低くて怖い……


「あ、あの、実は、助けてほしくて……」

「助けてほしい? そいつは他校との揉め事か? それとも――」


 スキンヘッドさんが言い終わる前に、奥のほうから「いいよ。通してちょうだい」と高い声がした。まるで女の子のようで声変わりしているのか分からなかった。


「おい。従吾。またそっち方面の相談事か?」

「だろうね。だって、その子――」


 スキンヘッドさんがどいて、奥のソファに座っている生徒が見えた。

 髪を長めのボブカットにしている男の子――中学生に見えるほど幼い――が私を見てにやにやしている。可愛らしい顔つきなのに悪そうな笑顔だった。


「――憑かれているよ。それもややこしくなっている」


 そう。私立武蔵坊学園の番長はオカルト関係に精通している。

 しかもそういった事件を解決できると噂されていた――


「お、お願いします……」


 私は涙を流しながら、番長さんに懇願した。


「私から、狐を祓ってください!」



◆◇◆◇



 まずは落ち着いてほしいとのことで、ソファに座らされて紅茶を飲むこととなった。

 一口含むと薔薇の香りが広がる――ローズヒップティーと番長さんは言っていた。初めて飲むけど上品で少しだけ平静に戻れた。


「俺は二年の赤井太陽あかいたいようだ。オカルト研究会の部長でもある」

「はあ。部長さん……」


 スキンヘッドさん――赤井さんが紅茶を淹れてくれた。見た目よりも乱暴な人じゃないようだ。

 番長の望月さんは私をじっと見つめている。よくよく見ると白い学ランを着ていた。校則違反じゃないかなと思うけど、授業をサボっている時点で破っている。

 私も人のことを言えたわけじゃないけど。


「あの、私は――」

「その顔は古森こもりこかげさんだね。確か、一年二組だったっけ」

「な、なんで分かるんですか?」


 望月さんは「一応、僕は番長だからね。全校生徒の名前と顔は記憶しているんだよ」と当然のように言う。だけど普通の記憶力では覚えきれないだろう。だって武蔵坊学園はマンモス校で総勢八百人以上はいるからだ。


「それで、狐に憑かれているって言ったけど。心当たりはある?」

「…………」

「沈黙は肯定と見なすけど、それじゃあ進展しないよ? 腹を割って話してほしいな」


 私は意を決して「こっくりさんをやったんです」と答えた。

 赤井さんが「今時やる奴なんているんだなあ」と呆れている。


「小説だって古典を好む人いるじゃない。それと一緒だよ」

「そういうものかねえ。それで、古森はどうしたいんだ?」

「狐を祓ってほしいんです……今も憑りついている……」


 望月さんは「僕には見えないけどねえ」とどうでも良さそうに呟く。

 見えない……? 今も私に憑いているのに、見えない?


「そんな……望月さんなら解決してくれるって……」

「誰から聞いたか分からないけどさ。解決自体はできるよ。でも……」


 望月さんは少しだけ困った顔になってから「どんな困り事があるんだい?」と訊ねた。


「……授業の内容が分からないんです。先生の書いている文字すら分かりません」

「それは学生にとって死活問題だね」

「ひらがなは分かるんですけど。漢字やカタカナはまったく……」


 赤井さんが「失語症じゃねえのか?」と首を捻った。


「いや、読字障害ってやつか? 病院に行ったか?」

「いいえ。家族に心配かけたくないので……」

「こっくりさんをやったこともバレたくないのも含んでいるんでしょ」


 望月さんの言うとおりだ。

 私は頭を下げて「狐を祓ってください」ともう一度お願いした。


「一緒にやった友達も私のことを変な目で見るんです。何とかしてください!」

「一緒にやったのは誰?」

糸川明美いとかわあけみさんです」


 すると赤井さんが「おいおい。二人でやったのかよ」と頬を掻いた。


「こっくりさんをやるときのタブーじゃねえか。他に友達いねえのか」

「…………」

「ああ、悪かったって。だから泣くなよ」


 そう言われても、涙があふれてしまう。

 望月さんが「そうだなあ」と腕組みをした。


「糸川さんからも話を聞きたい。だから今日の放課後、また来てほしい。こっくりさんをやったところは?」

「一年二組の教室です」

「じゃあ十八時にそこにいて。それまでは授業に出るなりサボるなりしておいて」


 望月さんは一転して安心させるように言う。


「安心して。絶対に解決してみせるから!」



◆◇◆◇



 それで放課後になって、私は言われた時刻、一年二組の教室にいた。

 暗くなった教室。電気は付けない。見回りの先生に気づかれたくないから。

 どうしてこうなっちゃったんだろうと思いつつ、机を見つめていると「お待たせ」と教室のドアが開いた。


 そこには望月さんと赤井さん、そして糸川明美さんがいた。

 望月さんは笑顔で、赤井さんは戸惑った顔をしていて、糸川さんは――怯えていた。

 私は「良かった。来てくれたんだ」と駆け寄った。


「さあ。早く祓ってください――」


 ぴたっと動けなくなった。

 金縛りのように、それか私自身が石になったように。

 全然、動けない――


「こ、これは……?」

「なあ。従吾。本当なのかよ」


 赤井さんが私を指差す。

 望月さんは「本当だよ」と応じた。

 いったい、なに――


「古森こかげさんは憑りつかれている。だけど、今の意識は狐のものだ」


 何を言っているの?

 意味が分からない……


「信じられねえ。俺たちが話していたのが狐、こっくりさんだっていうのか?」

「うん。こっくりさんはいわゆる降霊術の一種だ。文字の書かれた紙と十円玉を用意して行なう。普通は三人以上でやらなければいけないんだけど、今回は二人だけだった。これでは古森さんか糸川さんが依り代になってしまう。非常に危険なんだ」


 望月さんはゆっくりと私に近づく。

 そして自身の考察を皆に言う。


「こっくりさんの特性上、嘘は付けないことになっている。だから心当たりがないのかとか友達が他にいないのかの質問には答えられなかった。沈黙で返すしかなかったんだ」

「こっくりさんは聞かれた質問に正直に答えるもんだからな」

「そう。それに自分の友達を『糸川さん』ってさん付けする? どっかのお嬢様ならありえたけど、『ローズヒップティーを初めて飲んだ』反応からそれはないって思えたよ」

「それは偏見だと思うがな」

「授業でひらがなしか読めないって言ったのも、こっくりさんは『五十音表』でやりとりするからだね。あれはこっくりさんが漢字やカタカナが読めないからそうなっただけだよ」


 そんな、信じられない。

 私が狐だなんて――


「糸川さんから話は聞いたよ。突然、性格が変わったってね。狐に憑かれたから変わった……いや、狐に意識を乗っ取られたからそうなったんだ」


 視線を下に向ける。

 足元には変な模様が描かれていた。

 それが私の動きを縛っている……


「私、どうなるの?」

「元の世界戻るだけだよ」

「あの、何もないところに戻るの?」


 誰かに呼ばれるまで、何もない空間にいるなんて、耐えられない!

 私は「嫌! 誰か助けて!」と叫んだ。


「お願いします! どうか、どうか――」

「それは聞けない相談だね」


 望月さんが静かに呪文を唱え始めた。


「狐狸を境界へ戻したまえ――我が御名において!」


 ぱああと光が教室中にほとばしる。

 ああ、行きたくない――


「いやあああああああああああああああ!」



◆◇◆◇



 全てが終わった後、望月は放心状態の古森に話しかけた。


「終わったよ。気分はどうだい?」

「……最悪よ。今まで狐に憑かれていたなんて」


 ギャルメイクをしている古森は立ち上がって、震えている糸川に近づいて――頬を殴った。


「あんたのせいで、とんだ災難よ! あんたがこっくりさんをやりたいだなんて――」

「おいおい。その辺にしておけよ」


 赤井の険しい声に古森は挙げた手を下ろす。

 糸川は怯えながら「ごめんなさい!」と頭を下げた。


「明日からまたぱしるからね。金、用意しときなよ!」

「……うん」


 そして三人を残したまま、古森は帰った。

 俯く糸川を見て「本当に良かったのかよ」と赤井は望月に言う。


「あのまま狐に憑かれていたほうが良かったんじゃねえか?」

「糸川さんの願いはそれだったからね」

「あん? どういうことだ?」


 望月は窓のそばに移動した。

 赤井もついて行く。

 外は綺麗な満月だった。


「こっくりさんと称して狐を憑かせたのは糸川さんだよ」

「どうしてそんなことしたんだ?」

「いじめている古森さんへの仕返し。あるいは優しくなってほしいというわがまま。もしくは……単純に友達が欲しかっただけかもね」


 糸川はその場に座り込んで泣き始めた。

 赤井は「どうにかならねえのか?」と困った顔になる。


「古森にますますいじめられるんじゃあねえか?」

「そうだろうね。だけど自業自得ってことじゃないのかな」

「そりゃあそうだけどよ」

「もしも、糸川さんが『古森さんの狐を永久に憑けてほしい』って言えばその願いを叶えるつもりだった。だけどさ、糸川さん自身が『祓ってほしい』って言ってきたんだよ。今日の朝からね」


 赤井はそれを聞いて「罪悪感からか?」と訊ねる。

 望月は「当たり前だよ」と笑った。


「根は善人だからねえ。あのまま狐に憑かれているのは忍びなかったんじゃないの」

「ますます不憫に思えるんだが」

「聞かなかったら良かったのに」


 望月は赤井に向き直った。

 そして満月を背に言う。


「さて。帰ろっか。狐に化かされないうちにね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あやかしはアヤシクテ、まやかしはマボロシ 橋本洋一 @hashimotoyoichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ