鳩に懐かれる能力

秋都 鮭丸

1

 時刻は16時11分。爽やかな春風踊るキャンパスは、今年も人で溢れている。パステルカラーを身にまとい、初々しく歩く新入生たち。そんな彼らを引きずり込もうと、タダ飯を文字通りエサにする、サークル新歓勧誘在学生一同。あちらへおいで、こちらへおいで、各所で行われる苛烈な押し引きを横目に、私はふらふら歩いていた。

 正門前の通りを抜けて、大学図書館裏を抜け、工学部棟の一角抜けて、ひっそり佇む庭風エリア。人工的に作られた起伏に岩を添え、囲む植え込み、茂る木々、周囲の水路はため池に注ぐ。さながら、小さな森の様相を呈するその場所に、彼女はいた。大量の「鳩」とともに。


 少し突拍子もない話をするんだけど、まぁ、とりあえず聞いて欲しい。

 私は、物心ついた頃から、太陽の方向を常に把握できていた。太陽っていうのは、あの太陽。地球を有する太陽系の、あの太陽。晴天の日に空に見える、あの太陽。表面温度は約6000度、直径が140万キロくらいで、アップで見ると、実は表面がツブツブしているあの太陽。活動周期が11年って言われていたりして、磁場がぐにゃぐにゃ渦巻いていて……あ、もういい?

 とにかく私は、太陽の方向が分かる。そんなのみんな分かるって? 私もそうだと思っていたんだけど、案外そうでもないみたい。

 天気も時間も関係ない。晴れでも雨でも曇りでも、朝でも昼でも夜でもなんでも、太陽の方向が正確に分かる。視覚とか、経験測とか、計算とかじゃなく、感覚で分かる。1ミリもずらさず、正確に。私はこれを「太陽を指し示す能力」って呼んでいる。

 「能力」なんていうと聞こえはいいけど、ぶっちゃけなんの役にも立たない。本当に、太陽の方向が分かるだけだから。日時計の理屈を知ってからは、正確な時刻把握に応用できているけど、まぁ、そのくらい。

 こういう、ささやかだけど、明らかに常人とは異なる能力を持っている人が、この世には何人かいるらしい。赤信号に引っかからない能力とか、外出時に雨を小雨にする能力とか、靴下を片方紛失する能力とか。まさに「チョイ能力」。そんなチョイ能力者が、そこかしこに潜んでいると思ったら、もう探さずにはいられない。どんな能力で、何が出来るか、知りたくなるのが人の性。私の趣味は、すっかり「チョイ能力者探し」になった。


 そんな私に、ある情報が舞い込んできた。今年の新入生の一人が、「平和の使者」と呼ばれているらしい。随分かっこいい通り名。正直ちょっとうらやましい。話を聞くと、どうも彼女は大量の「鳩」を引き連れているんだとか。それだけ聞くと、周囲が鳩のフンで大変なことになりそうなものだけど、そういう被害は上がってきていないらしい。鳩と話が出来る、みたいな能力なんだろうか。俄然興味が湧いた私は、彼女を探してキャンパスをふらふらしていたワケ。


 そうして現在。無事に見つけた「平和の使者」は、苔むした岩に腰を掛け、噂通り、大量の鳩に囲まれていた。ばさばさばさと羽ばたく鳩、ふっくらもさりと丸まる鳩、首を揺らして歩く鳩。時折増えたり減ったりしながら、おおよそ15羽前後の鳩が、一人の少女を囲っている。彼女の膝にも1羽の鳩が丸まっている。羽毛をふわふわ撫でながら、優雅に佇むその姿は、さながら西洋の彫刻のよう。「平和の使者」と呼びたくなる気持ちもわかる。

 彼女は私に気が付くと、ごく自然なことのように声をかけた。

「こんにちは」

 絹糸のように滑らかな声。上げた顔をわずかに傾げ、こちらを伺うその様は、やっぱり西洋芸術チック。思わず面食らって、少し長めの間ができる。

「あぁ、えっと、こんにちは。隣、いい?」

 彼女の右隣、苔むした岩の空いたスペースを指さし、私はなんとか取り繕う。

「えぇ、どうぞ、構いませんけど……大丈夫ですか?」

 そう言いながら、彼女は周囲を囲む鳩たちに視線を落とした。

「それが目的みたいなものだし……え、噛んだりしないよね?」

 ちょっとごめんよ、と手を合わせつつ、鳩達の隙間を縫って彼女の隣を目指す。道を譲ってくれた鳩だが、「なんやコイツは」とでも言いたげな目。軽く羽をぱたぱたさせて、ゆらゆら2、3歩場所を移すと、何事もなかったかのように丸まった。

「こちらから攻撃したりしなければ大丈夫だと思いますけど、その、『目的』とは?」

 なんとか岩にたどり着き、彼女の右隣に腰を下ろす。少し暖かい春の陽気に、じんわり冷えた岩の感触。木々に囲まれたこの空間に、水気のある空気が鼻を抜ける。湿っているけどジメジメはしていない。空気が美味しいとはこんな感じだろうか。

「君、平和の使者って呼ばれているんでしょ?」


 私は事の経緯を彼女に話した。「太陽を指し示す能力」のこと、他のチョイ能力者のこと、趣味でチョイ能力者を探していること、彼女もその一人じゃないかと思っていること、「平和の使者」とかちょっと羨ましいってこと、鳩って意外とかわいいじゃんってこと、あと長時間座っているとお尻が痛くなりそうこの岩ってこと。

「太陽の方向が分かる、ですか……夜でも曇りでもっていうのは確かに超常的ですね」

 ヒラトカズハと名乗った彼女は、顎に手をあて目を細めた。長い睫毛が上から下から、羽毛のように世界を横切る。

「そうらしいね、私自身は物心ついた時からだから超常感あんまりないんだけど」

 私にとってはこの景色の方が超常的、と言って辺りをぐるりと見渡した。羽ばたき丸まる灰色の鳥々。「平和の使者」と言えばどちらかというと白い鳩だが、ここは日本。灰色のグラデーション、モノクロの柄、首元の緑と紫がアクセント。嘴に眼鏡をかけたような造形に、よく見れば愛くるしい瞳。あれ、気付いたら30羽くらいに増えていない?

「この子達のことは、私もよくわからないんです。いつも気付いたら側に寄ってきてくれていて、悪いことは何もしないんですけどね」

「あれ、鳩と話せたりするんじゃないの?」

「え、鳩とですか? 話せませんよ、全然。ただ膝まで来たら撫でているだけです」

 鳩と話せるワケではないらしい。ただただ鳩が寄ってくるだけ。ふむふむなるほど。となると彼女は——

「『鳩に懐かれる能力』、ってとこかな」

「懐かれる……確かにそうかもしれませんね。懐かれるだけ」

 彼女の膝で丸まる1羽が、返事をするように「クー!」と鳴いた。


 「平和の使者」ことヒラトカズハ、彼女の能力は「鳩に懐かれる能力」。鳩と話せるワケでもなく、操っているワケでもない。とにかく鳩に懐かれているだけ。いわゆる、「やたら動物に好かれる人」の鳩限定版って感じ。噂に違わぬ、実に「平和」な能力だった。



 時刻は18時23分。いつのまにやら日も落ちかけ、辺りは薄暗くなってきた。木々の向こう、工学部棟のさらに向こうで、人々のざわめきが大きくなる。各種サークルの新歓勧誘活動が、ピークになる時間帯だ。

「あれ、そういえばヒラトちゃんは新入生だよね? サークルは入ったりしないの?」

 相変わらず膝上の鳩を撫でながら、彼女は目を細める。

「あんまり興味のそそられるものがなかったもので。それこそ、今一番興味があるのは、あなたの『チョイ能力者探し』ですよ」

「え、ホント!? 一緒にやる?」

 予想外の言葉に、つい反射的に口を出てしまった。彼女の能力は見た目にもわかりやすいし、説明が楽になりそうだなぁと思っていたところ。渡りに船とはまさにこのこと。

「あなたが良ければ……この子達、邪魔になりませんかね?」

 そう言って、膝の灰色をぽんぽん叩く。

「全然! むしろこの子達、人探しとかできるんじゃない? 毎日ヒラトちゃんを見つけて、わざわざ近付いてくるんだから、人間を見分けられているってことでしょ?」

 彼女は一瞬目を丸くし、それから「その発想はなかったです」と笑った。もしこの鳩達を手懐けられたなら、彼女の能力の応用範囲は果てしなくなる。空の上から人探し、物探し、伝書鳩よろしく、情報伝達もできるかも。……いや情報伝達は携帯でいいか。

 とにかく、彼女の能力ももう少し研究してみたいし、「チョイ能力者探し」の仲間も欲しい。ついでに可愛い後輩も欲しい。一石三鳥。いや、ちゃんと数えたら多分一石三十二鳥くらい。

「それじゃ、まずは連絡先を——」

 その時、一際大きな声で鳴く鳩が、私達を囲う群れの中に入ってきた。灰色の羽をばさばさと羽ばたかせ、ヒラトカズハの足元に降り立つ。抜けた羽毛が3枚ほど、何もない空をふわふわ漂う。降り立ってからもその鳩は、必死に「クークー!」と鳴いている。なにかを訴えているような、ただ事ではないその勢い。周囲の鳩も不審がって、鳴き叫ぶ鳩を覗き込む。

「どうしたの?」

 膝上の鳩を岩上に、両手で丁寧に移し替え、ヒラトカズハは立ち上がる。彼女が鳴き続ける鳩に近づこうとすると、その鳩はくるりと背を向けた。必死に叫んでいたその声を止め、首を揺らしながらてこてこ歩き出した。数歩進むと立ち止まり、振り返ってこちらを見る。そうして再び「クー!」と鳴いた。

 付いてこい、と言っている?

 私とヒラトカズハは、思わず目を見合わせた。


 なにやら面白くなってきた。私は岩を飛び降り、固まったお尻を払う。そうして彼女に頷いた。

「行ってみよう」


 てこてこ歩く鳩を追い、私と彼女がゆっくり歩く。移動するヒラトカズハを追い、30羽近い鳩が付いてくる。庭風エリアをひょいと抜け、工学部棟の横を抜け、大学図書館裏を抜け、正門手前が見えてくる。鳩の群れを引き連れた大行進に、道行く人々はびっくり仰天。皆おずおずと道を空け、ひっそりカメラを向けるなり、関わらぬように離れたり、鳩に威嚇をかまされたり、とにかく構内を横切った。通り過ぎたその後ろに、数枚の羽毛だけが、ゆらゆらと宙を舞っていた。

 先頭を行く、例の鳩が立ち止まる。正面を見据え「クー!」と鳴く。羽を広げて、高らかに。その視線の先を追うと、合わせて4人の人がいた。

 内1人は、おそらく今年の新入生。大き目の手提げ鞄を肩にかけ、パステルカラーの服を着た、大学生らしい女子。そんな彼女が、3人と話している。話しているというより勧誘されている。チラシを持たせ、囲んでいる。勧誘されているというより囲まれている。勧誘熱心、というには少々やり過ぎだ。そして何より、勧誘側の1人は明らかに学生ではない。初老の女性だ。

 大学のサークル勧誘期間には、毎年必ず注意喚起が行われる。まだ右も左もわからぬ新入生を狙い、サークルと偽り囲いこもうとする、いわゆるカルト集団の存在。幸運にも私は、その注意喚起でのみ存在を認識する程度だったが、まさか実在していたとは。仮に違ったとしても、勧誘されている側は明らかに帰りたがっている。迷惑行為に他ならない。


 私達に(正確にはヒラトカズハに)叫び続けたこの鳩は、迷惑勧誘行為を止めて欲しかったということだろうか? そのためにここまで連れてきた? 大量のお仲間を引き連れて?


 思考がふわふわ飛び交う中で、向こうもこちらに気が付いた。勧誘側は先ほど言及した初老の女性に加え、20代半ばに見える男性と女性の3人組。一方こちらは女子2人。私はうら若き乙女だし、ヒラトカズハも芸術的乙女。力づくでは勝ち目がない。着いたはいいけどどうしたものか。距離があるうちに逃げたほうがいいか。大学の事務員を呼ぶのが良さそう。うん、その方がいい。


 駆け出そうと体重を移動しかけたその時、周囲の鳩が一斉に、ばたばたと羽を動かし始めた。羽毛を散らし、宙を飛び交い、羽を広げて周囲を回る。

騒ぎ始めた群れの先頭。あの鳩も空に飛びあがり、そして、迷惑勧誘3人組に向かって行った。それを合図に、次々と、集った鳩が彼らを襲う。襲うといってもばたばたと、彼らの周りを飛び回るだけ。嘴やら爪やらで攻撃している様子はない。とにかくばたばた飛んでいる。それでも、向かってこられる側はたまったものではない。両手で鳩を払おうとするが、すぐに彼らは諦めた。配布用らしきチラシをまき散らしながら、3人揃って駆けていく。どうやら正門から校外に出るらしい。


 迷惑勧誘3人組を、鳩達が退治してしまった。


「あ、あの、えぇっと、ありがとうございます? ですか?」

 勧誘被害を受けていた新入生の彼女は、自信なさげに私達に言った。感謝の行先がよくわからなくなるのも無理はない。実際に勧誘を撃退したのは鳩達だが、その鳩を連れてきたのはどう見てもヒラトカズハだ。そして任務を終えた鳩達は、再び彼女の周りに集まり、くつろぎ始めている。

「私は、何も。この子達が勝手にやってくれただけですから」

「この子は『鳩に懐かれる能力』、まぁそういう体質なの。もしかして、お姉さんも鳩に好かれる体質だったり?」

「え、体質……?」

 きょとんとする彼女の足元に、1羽の鳩が舞い降りた。この鳩はおそらく、私達をこの場所に導いた、「クークー」鳴いていたあの鳩だ。

 その鳩はそのまま、彼女の足元の周りをうろうろし、そして彼女の目の前に立つと、「クー!」と鳴いて羽を広げた。まるで挨拶でもしているみたい。目を丸くする彼女に満足したのか、その鳩は背を向け、どこかへと飛び去っていってしまった。

「あ、もしかして……」

 何かを思い出したように、彼女は口を開いた。

「去年、オープンキャンパスに来た時に、釣り糸が絡まって動けなくなっている鳩を見つけたんです。外すのは簡単そうだったので、外してあげました。元気に飛び立って行ったので、それっきりなんですけど、まさかさっきの鳩は……」

「鳩の恩返し?」

「だとすれば、貴方を助けたのは、貴方自身ですね」

 鳩が飛び去った方向を、彼女はしばらく眺めていた。


 時刻は19時15分。心優しき新入生の帰りを見送り、私はヒラトカズハと再び大学構内を歩いていた。

「さっそく『鳩に懐かれる能力』が役に立ったんじゃない?」

 新入生を囲んでいた迷惑勧誘3人組を、鳩の大群で撃退した。この事件は、「平和の使者」の名をさらに轟かせることになるだろう。「チョイ能力者探し」もやりやすくなるかもしれない。

 しかし、ヒラトカズハは浮かない顔をしていた。

「彼女でなければ、この子達は助けなかった」

 相変わらず足元を付いて回る鳩の大群。彼らに目を落としながら彼女は続ける。

「どちらかと言えば、私がこの子達に使われている、といった感じです。集会所代わりというか、待ち合わせの目印というか」

 新入生に恩返しをしたかったのであろうあの鳩は、お仲間の集まるヒラトカズハの元に訪れた。そしてヒラトカズハ自身を動かすことで、鳩の大群ごと移動させた。確かに、「鳩に懐かれる能力」を鳩自身に応用された感じがする。

「それでも、鳩が集まっていたのはヒラトちゃんの能力だし、それがあの新入生ちゃんを救う一助になったのは確かじゃない?」

「それは……そうですね、ありがとうございます。でも……」

「『使われる』のは嫌?」

「それが間違ったことでないのなら、使われることも嫌ではありません。でも、私自身が、私の意思で、この能力を活かしたい」

 羽ばたく灰色の羽毛の中で、彼女の瞳は前を向く。

「他のチョイ能力者の話を聞いて、この『鳩に懐かれる能力』がどれだけ特異な力か気付いたんです。私にしかできないことが、きっとあるはずだ、と」

 それから私を振り返り、滑らかな髪をなびかせて、まっすぐな顔でこう告げた。

「改めて、『チョイ能力者探し』、手伝わせてください。この能力の使い方を、もっと学びたい」

 鳩と羽毛が宙を舞う、彼女が佇む夜灯りの中。やはり彼女は芸術的で、このまま額縁に収まりそう。思っていたより長い時間、うっかり彼女に見惚れてしまう。

「もちろん、一緒にやろう。私も研究したいと思っていたんだ」


 生まれ持った能力に向き合うことは、きっと簡単なことじゃない。それでも彼女は、自分の意思で選んだ。どんな能力で、何が出来るか、知りたくなるのが人の性。チョイ能力者と己を探しに、鳩を携え道を行く。彼女の通り名は「平和の使者」。

「ホント、物語の主人公みたい」

 少しだけ、彼女が羨ましくなった。



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